第23話
サーマルは農場に居た。
ハウス栽培のプラントが辺り一面を覆い尽くし、頻繁にロボットやドローンが作業のために行き交っている。空から見ると何十エーカーとプラントが規則正しく並んでいるのが良くわかるだろう。そして一部だけ不規則なところがあり、そこが自宅となっている。
道中で無断拝借した傘をさし、ヨロヨロと覚束ない足取りで家の戸を叩いた。
扉を開け着古した合成繊維の服を着るその人物こそ、火星に何個もある反チルターク連合の一つを支援する田村だ。会社を興さず火星に影響力を持てる貴重な存在である。
「おや、君が会議でもないのにくるのは珍しい……」
メガネ型拡張現実デバイスを付け、初老の域に差し掛かったこの男性がハミルトン・田村。富農であり、反チルターク社連合の大株主。
「伝えておきてェことがあってな」
「そうかい……中にあがりなさい。寒かったろう」
田村はサーマルが疲れ切った表情を隠していてもその状態を見抜いて見せる。長年の経験と勘にはサーマルも叶わなかった。アンチエイジング技術の進歩によって彼の正確な年齢は不明だが、少なくとも百は超えているとサーマルは予想している。
ハミルトンが農場に比べると手狭な一軒家の中で来客用の椅子に案内する。腰かけると深々とサーマルの尻が沈んだ。
「飲み物を持ってこさせよう」
拡張現実デバイスを指で叩いて暫くすると給仕ロボットが湯気の立つ紅茶を二人の前に差し出し、田村は一口飲んでからサーマルとしっかり目を合わせた。
「君が、あの年端もいかない少年少女を引き込むと伝えてきたときは驚いたよ。そんな趣味でもあったのかなと勘繰ったものだ」
本題に入る前に老人の思い出話が始まった。
「俺がロリコン?ははっ!そんな趣味はねェよ」
「ああ、よく知ってる。君にあるのは……執念だろう」
柔和な目つきで言い放った言葉は意外にもサーマルの凍路に突き刺さり、一瞬反応が鈍った。
「観察眼だけは一級品だなァ。チルタークの情報部並みか、それ以上か」
「光栄だね。ああ、二人が起こした事件はビリアンタの一夜で定着しそうだ。犯人は不明のままだがね」
応接の間にある一度も使われず埃をかぶっているテレビを横目に言う。ハミルトンは自室でしかテレビを見ないのだろう。
「俺の目に狂いはねェ。凡そ改造人間かなんかだろ……思考速度が二人とも半端じゃねェし、技術も独自に組み上げてるからどっからか知識が流入してるなァほんと」
サーマルは一旦言葉を区切り、老人は紅茶を飲む手を止める。
「ほう」
「……化け物になるナァあれは」
「そこまでかね」
喉奥で唸り、メガネを触り位置を調節する。田村の中で二人の評価は高くなかったが、サーマルの言動で修正した。
「何があったか知らねェがビリアンタを子供二人だけで生きていくんには地獄以上の環境。覗いた端末で並行処理の能力を計ったら百を超えてやがる。反射神経も並々じゃねェ、情報部にもそんないねェレベルだ」
「相当入れ込んでるね」
「期待してんだ。もし、俺たちが摘発されたらせめて二人だけでも逃がせば光明が見えるぐらいにはな」
サーマルはあおるように紅茶を飲み干した。人工茶葉ではなく、上流階級以上向けの天然茶葉だった。
「我々が死ぬときか……気をつけたまえ、暗部の目は何処に光ってるか分からん。最近は地球政府も火星にご執心なようだし、チルタークも地球にアプローチを仕掛けていると聞く。もし二人を生かしておきたいのなら静かに過ごさせるべきだ」
天然素材を購入する上流階級は金銭の代わりに情報で購入していく人もいる。大抵は企業の幹部であり信用度の高い情報を残していく。ハミルトンは老人らしく情報の価値を分かっていないふりをしながらできるだけ多くの世間話で上流階級から玉石混合の“話”を仕入れていた。
ある時はメガシー社幹部、ある時はチルターク社幹部、三人以上の“話”が一致すると大抵の情報は特ダネとなる。
「地球政府がようやく重い腰を上げたか。おせぇなァ」
「君の考えてる内容とは、おそらく、違うだろうね」
老人は紅茶の入ったカップを机に置いた。
「軍の介入が疑われてる事案がいくつかあるらしい。加えて政治家の使いっぱしりがあちこちに、それも大げさに動いてる」
サーマルは火星捜査局のメインコンピューターに侵入した際の極秘情報は全て頭に収納している。しかし、いくら引き出してもハミルトンが語る事案は思い浮かばない。
チルターク社に買収されている火星捜査局であろうと、メインコンピュータから特定の資料を削除するのは困難だ。それ即ち、局員が上司に情報を上げてもそこで止まっているか、最悪局員が抹消されていることとなる。
どちらにせよ、胸糞が悪いこと甚だしいことだった。
「大げさに、ねぇ」
「君が来る前も地球政府の役人……男女二人組が上司に差し入れする茶葉をくれとせがまれたよ」
「機嫌取りかなんかだろ。美味いしな」
「ありがたい話だ。それで、本題に入ろう」
前座にしては脂ののった会話だったが、サーマルは給仕ロボットからもう一杯の紅茶をもらい受けて喉を潤わせて話し始めた。
チルターク社の情報部に殺されかけた話、救われた話、キリヤという死んだ人間を使ってもう一つ拠点を作ること。
老人はゆったりと紅茶を飲みながら聞いており、つつがなく必要な物品の手配を約束して会話は終わった。
「廃品置き場に流しておくよ」
「助かる」
サーマルは家を出る間際、もう一度老人の家の中を見渡した。調度品はどれも古く、家の中を仕切る扉もない。そして家の全てが金属で作られ、ところどころ鉄さびの赤色が顔を覗かせている。
唯一、妻と思われる写真が木製のフレームで囲われ暖かみのあるものとなっていた――劣化によって顔すら判別ができない。
不思議なことに、家主、ハミルトン・田村は資金提供者の一人であるが何をもってチルターク社の打倒を掲げる彼らに協力するかサーマルですら分かっていない。クラムリンは復讐心と予想を漏らしているものの、それも良くある話の一つに過ぎない。
サーマルはほんのわずかに、それが後悔ではないかと感じていた。何故そう思ったのかはサーマル自身も疑問であったが…………。
外は相も変わらず雨だった。
穴の開いたズボンから雨が侵入し、炎症をおこした足を爪で掻くと皮膚が切り裂け血が流れる。黒い球体がすぐに治療薬を噴霧し、原因の穴を合成繊維で塞いだ。それがサーマルの顔を見上げると瞳孔の沈んだ顔がよく分かった。
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