第24話

 真夜中の渓谷の空は黒く淀み無数に多層乱立するビルから光が絢爛に輝こうとも一ルーメンの反射すら許さない。しかし人の営みは漆黒であろうがなかろうが続き、昼夜を問わず人の出入りが激しい。その最たる鉄道駅は一時間毎数千万人を捌き、引っ切り無しに各地から電車が滑り込んでくる。


 空いているものあれば満員電車となって入りものもあり、ホームは乗換と乗降車で混沌としている。そこには規則正しい不文律と変則的な我儘が両立し、だが確実に人は目的を果たせていた。


 具象化すると、床にメージャーに空容器が転がっていようが人が血塗れで倒れていようと知ったことではない。そして目的地に向かってまっすぐ歩けば誰かが道を開け、誰かが道を譲らねばならず、自らも前に進みつつ道を開けて譲る。


 マリネリス・メラス中央駅はホームを三十個以上、出口は千を超え、線路に至っては上下線合わせて二百以上を数えるハブステーションだ。火星開拓時代中期に建造された中央駅はマリネリス峡谷一帯の路線を一元管理するために地球政府直轄管理下であり、チルターク社が委託管理している。


 彼がそこについていの一番にしたことは便所を探すことだった。


 とにかく広いのだ。ホーム一つ一つがマリネリス峡谷にいくつもあるビルと同じように層状に連なっており、かつ付随する道は行き止まりだったりっ工事中だったりとまさに迷路の様相を呈していた。しかしトイレは決まった位置にあるのか駅舎に入って見当たらず。傘を紳士のように持ち歩いているが内心無数のトイレの言葉で埋まっていた。


 もうここで……と思い彼は頭を振る。人間の尊厳が失われるようなことはしてはならないとに銘じてしっかりと地に足付けて歩く。


 結局、彼が便所を見つけたのは駅舎の内部構造に感服して三十分経った後だった。


「ビリアンタの駅はまだ小さい方だったか」


 火星開拓時代初期に建てられた建造物は規格化されて構造がほとんど同じである。そのため、トイレを探すなどという事態には陥らなかった。だが、マリネリス峡谷はその特殊な地形により規格変更をせざるを得なかったことに加え、ハブステーションの役割をあとから付け加えたために非常に複雑な構造となっている。


 未だ工事ロボットやドローンが行き交っていることから分かる通り、火星開拓時代から一度も工事が中断されたことが無い。


「さてと、ビリアンタ行に電車は七番ホームの二列目と」


 彼はことを済ませるとさっそく端末で電車を調べ、付近を見渡す。


 通路、広場、通路、ホログラム看板、広告、通路。床にはメージャーの使いかけ容器が転がり、なぜか銃弾に人形、その他諸々まで散乱している。

 再び端末に視線を落として検索を掛けると、駅の内部構造は更新中となって使い物にならない。彼は漸く自らが迷子になったことを自覚した。


「適当に歩くしかないのか?」


 そう言って彼は端末を仕舞うと迷路をあてずっぽうに歩き始めた。


 通路や広場はどれも似たような作りとなっていて、階段を登ったはずがスロープで下っていつの間にか同じ場所に戻ってくることも多々あった。道すがらホログラム看板に矢印が存在し、方向は合っているはずなのだがグルグルと同じ看板を眺める。


 しびれを切らして壁に穴を開けようと人気のないところで銃弾を壁に打ち込むと、真っ暗な空間に通路が出現しすぐに引き返した。建設用の通路か、もしくは全く使われなくなった古い通路である。後者だった場合は一生この駅から出られないことになってしまう。


「……」


 彼は二時間歩き続けたが、ついに小さな広場にあった硬い椅子に座ると天井を仰いだ。規格通りのつまらない天井だった。


 虚無。


 歩くだけで疲れ果てた今の彼に当てはまる言葉はこれだろう。

 娯楽として歩く迷路は楽しいものであるのだろうが、入り口すら見失って目的地に掠りもしない迷路は絶望になり過ぎ去ると虚しいばかりであった。


 彼は二人組が歩いてくるのを見ると藁にもすがる思いで声をかけた。


「す、すまない。ビリアンタに電車までの道のりを教えてくれないか」


 出来るだけ丁寧な言い方になるよう気を遣った。


「ここ反対ですよ」


「来た道もどんな」


 キリヤはどうにか伝えられないか考えたが不可能だと悟った。そしてター・ホンインに向かって言う。


「もう大丈夫なんで、この人道案内しますね」


「カメラとドローンに気をつけろよ。ウィドットに頼んで顔の記録は消してもらってるが万が一があったらキリヤ、お前は死ぬ、賞金ハンター纏わりつかれてな」


 彼に聞こえぬ小声でホンインは気をつけろと暗に伝えるとそのまま通路を進んで行った。


 キリヤは道案内をするが彼の仮面と名前に関して聞かないだけの用心はあった。懐にはホンインから貰った古い銃が仕舞われてあるものの、一度も撃った試しがないため全く期待していない。


「こっちです」


 キリヤは怪しい風貌の仮面男を連れていく。


 彼には道の違いがよく分からなかったが、よくよく見れば目印のようなものがいくつもあった。しかし、キリヤに聞いてようやく理解できるもので初見ではまず無理だ。

 地球からの渡来者、特にビジネスマンはホームで火星側のビジネスマンと合流するため彼みたく道に迷うことは無い。さらにトイレを探して現在地を見失うこともない。


「地球からきたんですか」


「あ、ああ。面倒な仕事だが一番大事なことをしに」


 目的地はかなり遠方らしく、人の往来が少ない道を通るとどうしても遠回りになった。


「人を待たせてるのでな。急ごうとしてこの有様だ」


「まあ初めては……厳しいかと」


 キリヤも両親に連れられ初めて訪れたときは迷子になりかけた。人混み紛れてほんの一瞬の隙に両親とはぐれて全く別の地点に居たのだから大声で喚き泣いた。おかげで両親に発見されたがもし泣いていなかったら白骨死体になっていた可能性が高かった。


「そういや、ビリアンタは厳戒令が出てますよ」


「初耳だ」


「なんでも、工場襲撃があったらしくって、会社の方でも応援に何人かいってましてね」


 もう帰れない会社の話をすると心が痛むが怪しまれない為には仕方ないと妥協した。


「そのせいで一番街には立ち入り禁止、ビリアンタ全体で許可なく外出してたら射殺らしいですよ」


「問題……ないようにする。気にするな」


 キリヤはあの日から秘密に敏感になってしまったと自覚した。


 二十分ほど歩き通してマリネリス・メラス中央駅七番ホームに辿り着いた。シールドを常時発生させており青みがかった車体がそこにあり、他の乗客はすでに乗り込み始めている。電車は空気抵抗が少ないように前面は地球の新幹線のように湾曲しているが、車体部分は装置や窓にって凹凸がいくらかある。


 二人がホームに着いたときは丁度電車が入線したのと同時だった。


「ええっと。これですね、もう迷わないでくださいよ」


「善処しよう……礼をしたい、端末をだしてくれ」


「紐づけされてるのは……」


 彼は言い淀むキリヤの事情は何一つ推察できないが端末をポケットに入れ、代わりに足の穴から何も紐づけされていない品物を取りだした。


「義足?」


「珍しいものではないだろう、不便な足を切断して義足を付けるのは」


 キリヤは興味が湧いていないが、妻、チャプタヤは手足を失った際に義足に神経を通して不自由ない生活を送っている。噂によれば傭兵は手足を義足に切り替えて人外の力を発揮していると聞いていた。


「これはスキャンされても問題ない。それに売れば高値になる」


 彼はアナログ方式の懐中時計をキリヤに手渡した。

 ずっしりとした重みがあり、見た目だけでとても古い懐中時計だと分かった。


「で、でも」


 躊躇するキリヤの声を電車の発車チャイムがかき消す。


「できれば大事にしてほしい」


 彼は戸惑うキリヤを置いて電車に乗り込み、客貨車の奥へ消えていった。

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