第22話

 宇宙船の爆発から命辛々逃れた彼は気絶し、通りすがりの商船に拾われて大学病院にいた。ついに十分前に目玉が飛び出そうになるほど高額の医療請求を一括払いしたところだった。


「支払いは終わっただろう。なぜ医師がいる、他の患者はどうした」


 狭く、汚く、そして薄暗い部屋に端末をいじる男性医師がそこにいる。


「あなたの怪我を説明するためです。ご勘弁を」


「……そこは地球と変わらんのだな」


「戸籍管理による医療扶助がないだけです。お金が支払われるならあとは地球と同様」


「そうか」


 良く遊びに来るとは言え、大佐はどこか火星に対して差別的感情を抱いていた。


 それに気付いた大佐はこの偏見を自らの中身から追いやらねば火星で影響力を得ることは不可能だと結論付けた。


「あなたは脱出ポッドの中でぐちゃぐちゃでしたが五体満足、輸血と縫うだけで、あとは内臓を修復すナノマシンを一定期間投与して治療は終わりです。さきほどチップも受け取りましたので、身元は詮索しません」


「よろしい」


「仮面の下は直さなくてよろしかったでしょうか。触った看護師が集中治療室で寝込んでいまして……」


 皮膚の電気抵抗を突破するほどの高電圧を流す仮面は彼が気を許すもの以外が触れると死の間際に追い詰められる。


「ああ、チップはそれもか。意識レベルが低下するとこの仮面は自衛行動をとるようになるせいだ。看護師には申し訳ないことをしたな」


「は、はい。念のために仮面の下を――」


「――消せ」


 殺意があふれ出るを比喩ではなく肌身で感じ取った医師は端末を吐しゃ物の跡が残る床に落とした。


「カルテの保存はぎ、義務でして」


「ここは火星だろう。地球の法律など無視してもとやかく言う機関は存在しない。消せ」


 身体のどこに忍ばせていたというのか、彼は拳銃をわざと外して医師の後ろにあった輸血パックを撃った。


「サーバーに侵入するなど無理です!!」


「全球ネットワークには保存されているのか?」


「こ、個人情報保護のため登録されてないはずです、されてません!」


 思案顔になった大佐はすぐさま不気味な笑みを仮面の下で浮かべると医師に向かってこう言い放った。


「壊せ、爆破でも構わない」




 彼が雨を傘で防ぎながら超高層ビルの病院が燃える様を無表情で眺めていた。おそらくサーバールームには血塗れで、いや跡形もなく自爆した医師が血だまりともならず死んでいる予定だ。


 無理やり爆弾を体に巻き付けられてサーバールームに突貫した男性医師は同情に値するが、彼の仮面の下をみたものは消耗品として使われる運命にある。


「大尉と少尉に合流する必要があるな……さて、どうしたものか」


 地球から火星に送り込み、一時は行方不明になっていた部下二人は愛人の援助で安全な場所に移動してるはずだった。


「ロザリナのところへまずは向かう。地球への連絡は道中で済ますとしよう」


 大佐の留守中はいつも通りの平常運転が行われている軍であるが、火星の近くて爆発に巻き込まれたとしてたら派閥が窮地に陥るのは必至だ。子飼いの部下が使い捨ての駒にされることも十分考えられる。


 しかし、彼は現在地が何処なのか分からなかった。


 深い渓谷、底にはどす黒い川が流れ、空を見上げるとぽっきり曲がったチルターク社の支社ビルが見え、行き交うホバー車の数はいつも通っているビリアンタの比ではない。


 彼は第一に情報を集めるべきと考え、傘を差しながら陰鬱な店を探した。身元が大佐と露見するのは避けねばならず、監視カメラやドローンを避けて通ると雨が降りしきる表通りではなく、ビルとビルに挟まれ雨がぽたぽたとしたたり落ちる路地に自然と入った。


「メージャーか、安いな。流石チルターク社の支配地域なだけある」


「買っていくか、買わんなら帰れ帰れ」


 最初の店は一見すると店には見えないホログラム広告の裏に隠された扉の向こうにあった。唯一明かりのついている店内プラスチックケースの中には淡く光るメージャーなどの違法薬物を販売しており、銃器まで取り扱っているようだ。


「地球規格の銃弾は取り扱っていないのかここは」


「物珍しい客だな。残念だがうちはチルタークとか火星企業のしか取り扱ってないな。爆発物だったら種類あるぜ」


「ふむ、共通通貨COCは使えるな?」


 店主らしき禿げ頭は当たり前だと顎を動かした。そしてさらに薄暗いプラスチックケースを指さす。


「ブレンナット社製のアンチドローングレネード、ハナソン社製の対戦車地雷まで扱ってるぜ。ここいらじゃ俺以上の爆発物を仕入れてる奴はいねぇって自身もある」


 どこか勝ち誇った顔の店主を無視して品物をみる。


「確かに良い品揃えだ。これは地球からの輸入品……いや横流しか」


「お目が高いね。そいつは政府軍の汎用グレネードだ。電磁パルスと爆発を同時に起こすから人にも機械にも使える代物だ、パケの野郎が値段釣り上げるから手に入れるのに苦労したぜ」


 大昔の条約に反すると言われる汎用グレネードは月簒奪事件前に開発され、実戦でその成果を発揮したグレネードである。以後、改良型は地球政府軍で採用されていた。


 ゲシューナは軍の腐敗に落胆した。


「軍も堕落したな」


「おかげで儲かってるよ」


「残念だ。これを四つ、あとS圧縮構造爆弾のこれを三つだ」


「ビルでも吹き飛ばすつもりか?」


「使った後だから、ただの補充さ」


「じゃあアンタか?チルタークの支社をポキって折った野郎は」


 店主は仮面を覗くように言った。


「人違いだ」


 そういえば、折れたビルがあったなと彼は思い出し、店主に尋ねることも考えたが折れた以外のことを知らぬ顔で諦めた。


 感謝の言葉を言って店を出ると雨は落ち着いており、傘は差さずに屋根のある構造をつたる。


 ホログラムの後ろに隠された店を探して数分、『キャロニ』と看板が出ている地下酒場を見つけて潜る。


 そこは木材らしき建材があしらわれたアンティーク調の酒場だった。出している酒のほとんどは合成であるようだが、唯一、キャロニという酒だけは天然ものと店主は豪語した。


「どうだい、一杯ひっかけていきなよ」


「ではいただく」


「水かい?炭酸?」


 太いガラスボトルを棚から取り出しながら熟年の女店主は聞いた。彼女は仮面で隠す変な客を金払いが良さげな客と捉えて丁寧に接客する。


「薄めに……甘いもの」


「分かったよ」


 滔々と流れるキャロニを店主は彼から見えないように注ぎ、オレンジジュースを適量淹れて容器を振る。何度も振る。橙色の酒にグラスに流し込み、小粒な氷を加えて彼の目の前にやさしく置いた。


 仮面大佐はCOCを端末で多めに送ると女店主は驚き裏方からバーを代わりにしてくれる人物を呼んだ。


「お客さん、何か入り用かい」


「ここはどこか」


「この店なら地球にある似たような店を真似しただけさ」


 彼は不満げな顔になる。


「マリネリスの一部、ここいらじゃ一番繁栄してる自負はあるね。チルタークのおかげで有名アングラ店はすぐ摘発されるのさ」


「チルターク支社が折れてる原因は知ってるか?」


「メディアはハッキングされたホバー車がぶつかったとしか報道してないけど、あれは一人の女がやったのさ。人間兵器みたいねやつでね、後先考えず復讐に燃える馬鹿だった」


「知った口だな」


 女店主は特攻した友人の死を悼んだ。


「いい子だったんだけどね、悪ガキに騙されちまってね。ビリアンタに行って改造したらまた戻ってきてあのざまさ」


 痛々しい見た目となっていた友人を止めることもできなかったと、女店主は言った。葉巻に火を点け、ゆっくりと口に含んでから吐き出す。


「ここから先は私情だよ」


 その時、仮面の奥で険しい顔つきとなる大佐がいた。


「軍人が来たことはあるか」


「そりゃ何回も」


「むふ、最後にビリアンタへの行き方を」


「駅でビリアンタ行の電車に乗ったらいけるね。駅は東に行けばある」


 彼は立ち上がって店をあとにする。後ろから引き留める声が聞こえたが、気になることがあって無視した。


「ちっ、また派閥に!」


 大佐は手に仕掛け爆弾を持っていた。店のカウンター裏にあったものを片手ではぎ取ったものだ。

 幸いにして遠隔式の爆弾で乱雑に扱っても爆発しなかった。


「特殊作戦部隊……違うな。真似するやつらはいくらでもいる」


 爆弾の材料は現地で組み立てられるもの、爆発せず、すぐに取り外せたことからあの店が受け取り場所だったと彼は推察した。火星でも地球でも爆発物はやり方さえ知っていれば簡単に購入できる。そうしないということは発覚を恐れる集団ないし個人がいる証左であった。


 大佐にとって一番身近だったのは特殊作戦部隊であるが似たようなことをする人々はでも無数にいた。


「COCで買ったのは不味かったな……」


 めんどくさがりな性格をこの時ばかりは後悔した大佐だった。

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