第52話

 白いだけの社長室、無駄なものは塵一粒許されぬ。しかしながら今日のここは非常に無駄なものがある。ダン・フォーゼンの目の前には現在本社ビル群を攻撃している敵と対峙しているはずの人物がいるのだ。


「ナレミ、なぜそこにいる」


 彼の疑問に対してナレミが一歩、二歩とあゆみ出た。


「頭をすげ替えるのよ。誰を後釜しにしようかしら、チェム・ミューラー、コリン・ベルメリ、ケッセレン・ブルーメ、他にも候補はたくさんね」


「情報部の傀儡化とはな、古い手法だ……ダヴィドがいなければ、ほかの手立てがあったんだろう?」


「……」


 フォーゼンは頬杖をついて不機嫌そうな顔になる。


「あの守銭奴め、いっそのこと死んでしまえばお前以外を部長に据えることが出来たというのに、忌々しい人間紛いが」


 フォーゼンの話は止まらない。


「いにしえの抜け殻だけに囚われた金の亡者のせいで地球も火星も破滅の危機だ、嘆かわしい」


 口調に諦観が含まれているのは彼の本心だろう。


「ナレミ、幻滅するなよ。今のあいつは野望がない、記録に残っているほどの野望がな」


 白い机を指先でとんとんとんとん、四回鳴らした。

 ナレミは暫く考えるふりをし、言葉を紡ぐ。


「そうでしょうね。わたしが全部……奪ったもの」


「命すら奪えば良かったのだ。生き残っているから面倒事しか産まない」


「流石に私も親代わりを殺せないわ」


 懐かしい過去の思い出が二人の間に広がっているようだった。しかし、一方は頂点から降ろされ、一方は全てを支配できる立場となる。


「はっ、お前はあいつへの追慕をもっていないだろう」


「もちろんよ」


 ダン・フォーゼンは一旦話を終わらせた。

 白い椅子から立ち上がり、背後の窓に映る火星の雲と宇宙を眺める。わざと無防備を晒し、自分の命を天秤にかけることにした。


「ナレミ・ダヴィド。お前はローゼフの、まだマトモだったローゼフの思考を継いでいるのか?」


「正解であって不正解よ。火星人の民族自決なんてわたし興味ないもの」


 ナレミは段々とフォーゼンに近づき、白い机を片手で撫でる様に触る。


「……これはロッキーの考えね。あの人の考えなんてちっぽけな復讐だけだったのよ、笑って頂戴。チルタークを支配してきた狡猾な人間は生きることと、恨みしかもってなかったの」


 フォーゼンは黙って聞くことに専念している。それとも、宇宙を見上げて遠くにいるはずの地球政府軍の艦隊が発する光を見ようとしているのだろうか。


「新人類製造の中止はせめてもの、ローゼフへの反抗か?ナレミ」


 横柄な、まだ社長の男はゆっくりと長く時間をかけて振り返る。


「全てよ、ダン。あと私の興味は可愛い子たちにしかないわ」


 ダン・フォーゼンは再び椅子に座った。

 ナレミに何かを離そうとしたとき、白い机の一部が緑色に光っているのが見えた。


「……客が来たらしい、肝の据わったやつだ」


 緑色の光の上を指でなぞると社長室に繋がる扉が開き、客人の姿が現れる。

 皺枯れかけの老人、農園の主、反乱の主導者。形容詞を探せばいくらでも付随するハミルトン・田村が車椅子に背中を預けてそこにいた。


「久しぶりだね、お二方」


 自らの手で車椅子を進めながら挨拶代わりに名前を呼んだが、二人はその顔を直接見たことは無い筈だった。


「覚えていないだろう」


 高位の二人を手玉にとったように言う。事実、二人の顔は微動だにしなかった。


「ナレミ、と呼べばいいかな。君のお膳立てのおかげで私はここまでこれた。感謝するよ」


 車椅子を回転させ、深々とお辞儀をすると同時に地球の一部地方の風習を行い、ダン・フォーゼンは眉を顰めた。


「地球人と結託するとは、そこまでなのか」


「楽に使えるのよ、もったいないでしょ」


「複雑な気分にさせるね、感傷的な再会だというのに」


 老人は軽く肩をすくめてフォーゼンに向き直る。


「単刀直入に言おう。私はあなたを殺しに来た」


「この部屋にある火器は銃を構えた時点で腕を切断し胴体を蒸発させる。それでもやってみるつもりか?」


「結果、私が殺したことになる。この老体だ、力なんてない」


 フォーゼンはこの皺枯れかけの人物が見た目に囚われてはならないことを直感した。枯れた巨木でも、動かぬ大岩ですらない。それはまさに怪物だった。


「さらば、ダン・フォーゼン。天国で待っていてくれ」


 ハミルトンがそう言った瞬間、ビルは大きく揺れ動きフォーゼンの視界はぐらりと湾曲した。頭を撃たれたことにも気づかず鮮血がピシャリと窓に付着する。白い机も赤く汚れ、垂れ下がる腕にさらさらした血が滔々と流れる。


 ハッキングと瞬発力でナレミはシステム掻い潜った。そして手には小さな単発銃が握られていたはずだが、すでに懐に仕舞われている。


「これで死なせた部下に顔向けできる……改めて感謝を、ありがとう、ナレミ」


「……これから殺されるのに余裕ね。農場主は肝が据わってしまうのかしら」


 ハミルトンは首を横に振った。


「年の功さ、君も通常よりは長く生きれるだろうからきっとわかる。まぁ、ローゼフは理解できていないだろう」


 違いを強調した老人はとても怪物には見えない。


「物知りね、ここじゃなかったら処分したわ」


「恐ろしい、シャネル将軍よりよっぽど恐ろしい人だ」


 朗らかに笑った。


「君はこれからどうする?私は自滅するが……」


「新しい開拓地を作って、黄金時代を齎してあげるわ。第二の火星ね」


 地球の影響力を減らすのには様々な方法があるが、ナレミは長期的に地球の勢力を減らす方法を選択した。

 老人はしきりに頷く。


「彼には惜しい子供だ。頑張りたまえ、ナレミ」


 彼女は初めての感覚に襲われた。今まで与えてきたつもりが与えられたことのない感覚だ。


「可愛くないわね」


「褒め言葉として受け取ろう」


「最期に、最期に一つだけ教えて頂戴」


 崩した表情を固く真剣な表情に変える。


「なにかな」


 老人は背もたれにより深く腰を沈める。


「本当の名前、ハミルトン・田村は偽名よね、長く使い込み過ぎて正しい名前と勘違いしてたわ」


「……もう誰にも教えるつもりはなかったが」


 老人は服やポケットをまさぐりながら言う。


「鈴木玄内、社長をやっていた、古い古い敗北者だ」


 ナレミは言語として老人の声を聞き取れなかった。

 彼の目から涙が流れ始める。しかし、乾いた肌に吸収されて滴り落ちることはない。

 さらに、老人は銃と呼ぶにはお粗末な旧式を懐から取り出した。


 じゅわ。


 一瞬だった。

 もうナレミの眼前には溶けた車椅子しか、残っていない。

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