第29話 幕間

 地球政府とチルターク社の駆け引きを表と称すなら、ファーラのような小さき人の行動は裏となる。


 彼女は先輩から託された一枚のメモリーチップを固く握りしめて三番街をバイクで疾走していた。捜査局員の追手は掛かっておらず、まだチルターク社の検問を易々と潜り抜けることが出来る。

 あの局長にすぐさまファーラの一報を入れるだけの豪胆さはない。確信めいた予感にまかせて彼女はビリアンタの街から離れていく。


 電車にのればすぐ街を離れられるが、情報部に足取りを残すのは危険と判断したため使うのを止めた。


「先輩ならハッキングでどうにかしちゃうんだろうな」


 機械化した全身を上手に使いこなせている先輩を思い浮かべる。


 フォボスの事故、いや事件で精力的に動いた報奨のようなもと言っていた。ファーラの考えでは間違いなく懲罰である。脳味噌に洗脳インプラントを埋め込むはずが無いのに加え、メンテナンスのたびに呻き声をあげるのだから、良い報酬でないことは確定とみていいだろう。


 そんな先輩から最後に託されたチップの内容は突拍子のないものであったが、ファーラの感情を爆発させるには充分役立った。


「今も手のひらの上ってことかな」


 長い間火星捜査局で暗部を見てきたことだけはある。まだ若いファ―ラでは手も足もでないのは仕方ないことであった。


 勤務中に悪夢にうなされる先輩の話はどこか父の影に似ていたのだろう。手癖のようなもので先輩の過去を根掘り葉掘り聞いてしまっていた。


 先輩はビリアンタよりも治安がいい、そして火星では珍しい田舎の生まれだった。田舎といってもビルの高さが低いとか、人口密度が小さいとか些細な違いだ。結局のところ火星はほとんどを都市構造物に覆われてしまっており、赤茶けた大地など田舎でもみることはできない。


 火星捜査局に入ったのは実の伴わない正義感によるところだと語っていた。何年か在籍するうちチルターク社に乗っ取られていることに気付き、暫くの間は虚無感に打ちひしがれたらしい。


 街中で死んでいく身元不明の死体を洗い出そうとすれば上から止められ、隠れて調べようとすると危険な目にあることは日常茶飯事だった。同僚の捜査局員もどんどん賄賂に手を染め骨抜きにされていき、最後に残ったのは先輩ただ一人だったという。


 煙たがれられながら仕事……意味の持てない死体処理や事後処理を淡々とこなしている最中にフォボスの事故が起こった。


 賄賂を貰っていた同僚はさらに高額の賄賂を貰って有頂天で、思わず殴りかかってしまったことが何度もあると言っっていた。


「先輩らしいな」


 ファーラは口元に笑みを浮かべる。

 今の彼女からみると、それは憎悪を希釈して希釈したものに似ているように感じていた。


 先輩は最後だと思ってフォボスの爆発事件に挑んでいたと聞いたが、あの局長は全く捜査せずに瓦礫の掃除ばかりしていたことについに堪忍袋の緒が切れた。担当捜査官の静止さえ振り切って独自に調査をし、見事尻尾を掴んだ。これはファーラにできなかったことである。


 虎の尾を踏む行為に当時の局長から先輩へチルターク社への出向が命じられた。


「まだ、生身だったんだよね。たぶん」


 カチャカチャと普段機械音が先輩の身体から聞こえたため、彼女は根掘り葉掘り聞き取り調査じみた拷問をついにやめることになった。知りたい感情は湧き上がっていたが、人を苦しめてまで聞き出したくはなかった。しかし、これからはそれをする必要があるだろう。


“腹を括れ”


 先輩のメモリーチップに入っていたのはこの一言だけだが、ファーラの決心を固め、雨降るビリアンタの夜に駆り出すのは非常に容易い。


 彼女はビリアンタから離れるのと同時に、真実を持っているだろう人物へ向かっていた。




 真実をひた隠しにするのはチルターク社だけではない。地球も、火星も、すべからく同じである。ファーラの行く手を塞いだのはやけに訓練されたならず者だった。


 五番街で人が襲われても気にする人はいないと踏んだのか、ファーラの乗っていたバイクを誘導弾で破壊した。


 投げだされたファーラは劣化の激しいアスファルト面を転がるが、間髪入れずに銃弾の追撃が為される。


 平面、上方。狙いすましたかのような狙撃にファーラのコアシールドの残量が急激に減っていく。相手はビーム・レーザー兵器であり実弾が含まれていないのが助かったところだ。しかし、ファーラが苦し紛れにビルに向かって反撃したところ、それは射程外だった。


 チルターク社製の安物型落ちではまるで歯が立たない相手だ。


 だが彼女には勝っている点がある。

 それは逃げること。逃走に関してはチルターク社情報部を出し抜く偉業を成し遂げた成績があり、先輩にも伝授済みの逃避術であった。


 ホバー車に残っている燃料を狙って発砲すると、燃えるはずの燃料が一気に気化し、爆風によって一瞬で延焼を起こす。眩い閃光までコアシールドは防いでくれなかったが、ならず者の射線をずらすことに成功した。


 ビルとビルの隙間に逃げ込み、急いで追ってきた敵を転ばしてコアシールドを引っぺがすと容赦なく脳天にビームを撃ち込み、消滅した。


 性能がいい銃を拾って複雑な路地裏を駆け巡る。余裕のあるうちにどこの銃メーカーかを確かめると意外なところだった。


「Heckler & Koch?!」


 ファーラに聞き馴染みのない企業だった。そこはまだ火星に進出していない、いわゆる古き良き地球側の企業で彼女が知らなくても無理のない話だった。知らならいこから十数秒で逆算し、地球にある企業だと気付くと追われている謎が脳裏に浮かぶ。


「ウジ虫!クズ!」


 廊下での会話を聞いていた人物の一人がチルターク社ないし地球側のどこかへ連絡したのだろう。局長には勇気がないことが先ほどのことでわかっていたため、賄賂を渡された人物の行動でほとんど間違いない。

 さらにもう一人を同じように仕留めると彼女の中で事件の様相が変わった。


「チルターク社だけじゃない。地球も!」


 思考力の速さは大学でも随一だった。


「どっちだ!宇宙船か、線路か。どっちも?!」


 複数の可能性が浮かび上がっては持ち前の思考力で消していく。


 そして。


「まだ足りない!」


 投げやりな情報だけでは試行しきれなかった。そしてファーラは三人目の追手を取り出したナイフで応戦する。


 銃を持っていた敵は咄嗟の近接戦闘に対応しきれず、銃を手で掴まれ発砲できなくなってしまう。しかし、鍛えられた判断力で彼女の手を掴み格闘戦に移行した。


「だれだ!」


「……」


 ファーラは心の中で舌打ちをした。格闘戦を先輩と何回もこなしていたおかげで優位に立ちまわることが出来、首を切りつけ大量に出血させてその場を急いで離れる。


 追手はまだいるが表通りのホームレスたちを盾にして路地と路地を渡っていく。ホームレスたちは容赦ない銃撃に頭や体を撃ち抜かれるが、黙っているだけではなかった。

 ビリアンタで忘れてはならないのは、例え子供であっても銃を以て自衛していることだ。ましてホームレスなど一人で生きるために――集団であったとしても――自衛手段の一つや二つは備えている。


「てめぇ撃ちやがったな!」


「死ねっ!」


 銃の腕前に差はあったとしても、コアシールドの残量を減らすのに役立つ。運が悪ければホームレスに撃ち殺される。

 追手はビリアンタの治安に慣れていないのか足止めを喰らってしまい。それはファーラが逃げるのに十分な時間だった。

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