それは定

第30話

「ああ、雨か……」


 ホログラム広告のうるささにも勝る黒い雨が降り始めた。昨日は珍しい晴れの日であったが、流石に二日連続で雨が降らないことはなかったようだ。


 振り返ると興味のない思うとがレターシャン・タンパルスの小説を読みふけっていた。もう百回は読み返しているだろうものを、また、最初のページから読み直していた。


 ガンツがもう一度外をみると雨が一気に激しさを増しており、崩れ去ったビルがカーテンのように隠れ始めていた。この様子だと明日を待たず、今日にも冠水で地上を歩けなくなる。冷蔵庫の中のフードアンプを思い出し、まだ余裕があることに安心した。


「暇だね」


「そうだな」


 兄妹はチルターク社が本気で厳戒令を発動したことを知るとすぐに家に引き籠る準備をした。ミーナ電子店の手伝いをいつもよりも多めにこなし、銃のバッテリー交換の有無を確認し、コアシールドを調達、最低限の生活を数週間維持できるだけの物資を蓄えると渋々閉じこもった。


 普段であれば気にもしないチルターク社の命令も、反抗した麻薬中毒者がレーザー銃で跡形もなく滅多打ちされたのを目撃してから大人しく聞くようになった。


「だめ?にい」


「うぅん」


 二人は死にたがりではない。


「ドローンとスキャンさえどうにかなれば外にでれる」


 兄の言葉に妹はため息を吐いた。工業地帯をブラックアウトさせたゼノンのハッキング装置はすでに対策されており、さらにはドローンや端末の脆弱性が改善されてしまったためシステムへの侵入が極めて困難となっていた。


「無理かぁ」


 朝から数えて三回ほど、ここ数日を含めると合計二十七回同じ文言を言い放っている。兄も似たようなものだからそれを指摘しない。


 外の豪雨でホログラム広告の音量も聞こえなくなると、兄は窓から離れて点けっぱなしのテレビを見るためソファーに寝転んだ。


 相も変わらず美男美女の毛穴を移してから画面を引いて全体像を移す変態番組であるが、チルターク社と関係が比較的薄いため情報は信用できた。もっとも、全球ネットワークと相互に確認しなければならない。


「本日、チルターク社よりビリアンタ封鎖の報告がなされました。これはビリアンタ始まって以来初の封鎖令でありまして、火星全体でみても珍しい事案でしょう。チルターク社は悪化している治安の強制回復を目指しており、火星捜査局と協力して治安回復を行っております」


 ガンツは心の中でふざけるなと罵った。


「次のニュースです。セルナルガ社がチルターク社と火星自治権の分配を巡り協議を開始しました」


 整った顔立ちのニュースキャスターが端末に書かれた原稿に目を落とした時、ゼノンの耳が聞きなれない音を捕らえた。


「にい、お客さん」


「だれだ?」


「わかんない」


 二人が意識を集中させると足音が二つ分、三つ分と増えていることに気付いた。ドローンの爆音も遠くから響き、チルターク社の巡回と一瞬思ったが、足音は常にこちらに向かっているため違うと考え直す。


 銃を抜き出し、おとりぐらいにはなるだろうとドームで購入したドローンのを起動させた。


「四人かな」


「巡回は六人だ。それに重い」


 巡回中の社員は全身に装甲服を着こんでいるため非常に重そうにあるく、しかし、家に近づいてくる足跡はそれに比べると非常に軽快だ。


「来るね」


「アイツじゃなさそうだ」


 疲れ切った顔のサーマルが脳裏に浮かぶ。


 二人は静かに扉に注目する。すでにコアシールドは起動されており、いつ狙撃されても大丈夫なようになっていた。


「研究員がいたのはこの部屋で間違いないか?」


「俺の記憶を疑いたきゃ脳味噌でも穴開けな」


「そりゃあいい案だ。採用しよう」


「はっ?」


 扉の奥から聞ける声を盗み聞きしていると数人の問答が聞こえた末、ビーム銃の静かな発砲音が部屋に木霊した。

 人が神経制御を失って倒れ、鍵のかかった扉が乱雑に開かれた。


「おい、誰もいねぇぞ」


 防水加工がラバーのように反射する白い制服を着るチルターク社員は悪態を吐いた。隣にいる、床に臥せっているブレンナット社員を蹴るが、すでに息絶えていた。


「ちっ、やっぱり外れかよ」


「やりすぎだ。ブルーメからどやされるぞ」


 もう一人の社員が苛立つ彼の肩に手をおいて宥める。そして無口の社員は屋根が防ぎきれなかった豪雨の欠片が落ちる金網の見ていた。


「あの女に負けるのがわりぃんだよ……お前何見てる?」


 無口なまま上を向く社員を不振がって彼は問うた。しかし、答えない。


「ちっ、仕方ねぇ。ブルーメの野郎に報告だ」


「何も得られませんでしたってな。いや、ブレンナットが無能だとわかったな」


 ゲラゲラと笑いながら死体に足を置く。


「待て、いる。誰かいるぞ」


「……上か」


「ひひっ、この呼吸はわっけぇ女だ」


「息で発情するな気持ち悪ぃ」


 兄妹は無意識のうちに息を止めた。


「おっ、きこえなくなった。確実に上だ。これは俺の手柄で良いよな」


「同類になりたくないから譲るぜ」


「右に同じくだ」


 無口だった男は他二人からしても嫌悪感を抱く笑いをすると階段で移動し、その階の扉を一つ一つ片っ端から開けていく。


「はずれ、そっちは」


「はずれだ」


「鍵がかてぇな、畜生。外れ」


 三人はにやりと顔を歪め賭けを取り決めた。


「にい」


「わかってる」


 ゼノンの声かけで兄は扉の前にゆっくりと移動し、妹もそれに続く。三人は誰が一番初めにあたりを引き下で掛け金の上げ下げに熱中しているため気付いていない。


「いくぞ」


 ガンツは扉を体で押し開け三人の驚愕した顔を目視で確認し、間髪入れずに銃の引き金を引いた。


「黙ってかくれりゃ俺が――」


 続くゼノンの銃弾で白い制服に仕込まれているはずのコアシールドは一瞬でエネルギーが尽き果て、ガンツの二射目が脳天に直撃した。


 もう一人の男は訓練された的確な反撃を行い。転がっていたゴミに身を隠すと、すぐさま移動して多少頑丈な扉を遮蔽物として利用する。


 無口な社員は床を撃ち抜き、コアシールドのエネルギー切れになる前に階下に逃げた。


 ゼノンの銃はショットガンに近いが集弾性がより高くバラけずらく、ガンツは速射性を重視した低威力のレーザー銃だ。


 遮蔽物に身を隠す社員はゼノンの二射目で扉ごとコアシールドを撃たれ、驚異のエネルギー減少量に目を丸くした。


「ふっざけんなあの野郎」


 逃げた男を愚痴るが彼が明けた穴に逃げ込みガンツのレーザー銃がコアシールドを削りきると同時に体が射線から離れる。


「追う?」


「離れろゼノン!」


 兄が叫ぶと同時に二人の鉄材足場が発光し溶けてビームの眩い光がコアシールドに弾かれる。


「しくった!」


 コアシールドのエネルギーが切れていた社員はゼノンの反撃をもろに体に喰らって体にぽっかりと穴が開いた。

 無口だった男はガンツのみをターゲットに選び足場の下から撃つが、初撃以外は当たっていない。ガンツは人間離れした速度で階段まで移動しており、上しか見ていない男に急接近しコアシールドの内側に入り込んだ。


「さよなら」


 男は兄の表情をみる間もなく顔が消滅した。さきほど撃たれたブレンナットの社員同様、意識を失った体は壊れた人形のように膝か崩れ落ちる。


 近くに新手がいないか気配を探り、何も感じない二人は落ち着いて息を吸い込み、吐いた。そして二人はコアシールドの残量を確認すると、意外にも多く残っていたことに驚いた。


「地球産はやっぱり質がいいな」


「高いけどね」


 妹はそう言いつつ頭を失った体を見る。


「あぁ、これどうしよっか」


 ガンツは窓の外が陥没しているのを確かめて処理方法を思いついた。


「ちょうどいい、川になってる」


 死体を放置するわけにもいかず、三人と一人の死体を外へ放り投げると冠水している五番街の道に沈んでいく。このまま流れに沿って行きつくところまで流され、名もない死体としてホームレスに死体を漁られるだろう。


「ブレンナットって言ってた?」


「……そう聞こえた」


 ゼノンは視線を上げ不安な表情に暗く影が落ちるガンツの顔を見た。また、見下ろす兄はゼノンの酷く青白く震える妹を目撃した。


「研究者……だったのかな」


「かも……な」


 ミーナ電子店で腕の改良を施した謎の男を兄妹共々思い出していた。


 背骨に刻まれた番号はいかにも人工品を思わせるもので、意思疎通のとれる人間のためとても創作物には見えなかった。


「ゼノン、たぶん、同じこと」


「……うん」


 エックス線写真を今すぐ撮りたい衝動は不思議と湧き上がらなかった。逆に嫌な汗が、もしくは湿り気によるものなのか二人の首を水の筋が残り、何もせぬまま時間だけが過ぎ去っていく。


 血と雨が兄妹の目に反射した。





 静寂が形容される部屋は音に溢れていた。


 ホログラム広告の無駄に大きい効果音、上空を飛ぶホバー車のエンジン音、街が発する細かな環境音、そして息。


 背離のし難い広さではないが二人はソファに普段よりも神妙に座り、机の上に両親の残した数少ない思い出の品を置いている。写真が入ったチップ、小説、コアシールド、端末。兄妹が住む部屋自体も思い出の詰まった大切なものに入る。


 並べたところまで一言も話していない。気付きの先が手を差し伸べているのを拒み、昨日の延長を望むガンツとゼノンは決して声帯を震わせなかった。


 朝を起きて、飯を食い、暇を甘受す。


 しかし好奇心を食い殺すような二人は今ばかり室外機の裏にひっそりとしている猫も同然、思考も罪のごとく思い出を前に止まっている。


 陰鬱とした空気を突き破るのは端末の鋭い光だった。


「あっ、おじさんからだ……」


 ゆっくりと端末の中身を確認すると、合流の二文字が強く強調されている。どうやら農園ではなく、二人が一度も訪れたことがない峡谷で会議まがいをするようだ。


「マリネリス峡谷……のどこか、着いたらターちゃんが案内するって」


「なんとか移動して見せよう」


 表に留めてある奪ったバイクで疾走することを一瞬思いついたが、ドローンに追い掛け回される未来が見えて別の方法を考えることにした。

 公共交通機関はビリアンタでは電車以外存在しないため、徒歩に限定される。ドローンと監視カメラ、スキャンを掻い潜る難しい道程になるだろう。


「……何かすることができた。他のことは一旦、考えるのをやめよう」


「それがいいと思う。思うけど、わ、わたしは嫌かな。にいもそうでしょ……」


 無言でガンツは頷いた。


 二人はどこで生まれ、何処で育ったかなど思考の片隅にもおいてこなかった。ビリアンタの環境で生まれ、四苦八苦しながら育った。両親の庇護の元、健康的に育ったと信じていた。


「時々、俺は人間じゃないと思うときがあった。さっきの加速とか、直観とか」


「にいは鉄砲扱うの上手だったしね。私は、お母さんがハッキング教えてくれたと思ってたんだけど、思い出しても、思い出しても、無いの」


 そんな記憶、とゼノンは続けた。

 否定的に少々の教えはあったに違いない。日常からハッキングの術を用ゐていたのならあり得ない話ではないし、無から有は荒唐無稽でもあった。だが、両親が研究者だと仮定して考えると様々な憶測が生まれ、どれもかれもが首を絞めるように巻き付いてきた。


 二人は記憶をまさぐればまさぐる程、可能性が縮小していくことに気付いた。


「俺もだ」


 家族団欒、歴史、ネットで銃や歴史、各種装置の解説。フードアンプの使い方。言葉、文字。


「……ねぇにい、覚えてるよね。あの日のこと」


「忘れるはずがないだろ……しっかりな」


「じゃあ、あのブレンナット、何探してたか覚えてるでしょ」


「ああ、覚えてる」


 他人と記憶力がよいとか、悪いとかを比較してことは無いが突出して良いと思ったことはない二人が、その日のことは克明に記憶していた。


 雨、雨、いつも通りの雨の日だった。窓にべっとりと化学物質をつけてから地面に落ちていき、排水溝に流されず詰まる。人間が不意に作った大いなる災いとも、恵でもある。


 三つのフードアンプを囲って四人で食べていたときだったかもしれない。団欒でソファに寛いでいた時だったかもしれない。どちらにせよ、二人は物陰に隠れてブレンナットの社員に見つからぬようにしており、口論の末に両親は消えた。


 その口論は互いに譲らぬ激しいもので、二人の記憶に残る者は到底言葉と言えるものではなかった。しかし、一言、二言だけは明確な意味を持っている。


「NH-1008」


「NH-1009」


 人間が聞き取りやすい単語は無数にあるが、そのうちの一つは自らの名前である。


 土砂降りの雨はいよいよビリアンタを覆い尽くさんと勢いを増していた。

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