第28話 幕間

「きょ、局長!!」


「なんだね」


 その廊下は天井に灯される明かりが少なく、掃除もされていない薄汚れたところだ。これではビリアンタのどこにでもある建造物の一つに過ぎないが、唯一パイプが走っていないのだけが良い点だった。


「あんまりです!なんで宇宙船爆発事故の調査が禁止されるのですか?!」


 局長と呼ばれた冷静無頓着な男に比べ、髪を短く整えた女声の主はいささか興奮しすぎていた。

 廊下にある無数の扉がいくつか開き、何事だと様子を窺人までいる。


「それに線路爆発の調査も!流石に私でも看過できませんよ!」


「落ち着きたまえファーラ君。これは上が決めた件だ」


「もっとだめです」


 一気に落ち着いた声量に落ち着くファーラに局長は一瞬体を強張らせた。彼女が本気で起こり始めた合図だからだ。いつの間にか廊下をのぞき見していた操作局員たちが居なくなっており、局長は自分の言葉だけでファーラを説得しなければならなくなった。


「局長がどれだけ貰っていたとしても、事故原因もわかっていない宇宙船爆発は調べなくてはなりません」


 彼女がそう言葉を発したとき、局長の頭で分厚い履歴書がめくられる音がした。


 ……火星開拓時代以前でも核融合エンジンの信頼性は非常に高かった。それは地球政府が始まる以前の犠牲を伴う数多の実験や研究の、まさに血と涙の集大成ともいえる。


 しかし、完璧な装置などイデアの世界にしか存在しない。火星で起こった核融合エンジンによる事故は多くの人が巻き込まれ、ファーラの父もその一人だった。


 父親はチルターク社幹部の秘書をしていたらしい。相当優秀で重役はいつもファーラの父親を引き回しては仕事に仕事を重ね酷使していたが、給料は他の秘書とは比べ物にならないほど良かった。おかげでファーラは高等教育課程でとどまらず、大学の専門機関から卒業できたのだから。


 チルターク社情報部門に就職し順風満帆な人生を送っていたのもつかの間、核融合エンジンが爆発するという痛ましい事故が起きた。父親は当然死亡し、遺骨すら残らず消滅した。フォボスのモジュール工場が二か月間操業停止に追い込まれるほど損壊させた爆発だ。並大抵の有機物、いや無機物ですら消滅すに違いない。


 ファーラは事故と発表されたその日から事故の原因調査を独自に始めた。情報部門のサーバーに無断で侵入し懲戒免職処分となったところを、当時事故調査の担当官だった現局長が拾い上げたのだ。


 雨に撃たれて真っ赤に腫れあがった人は何度も見たことがあった局長――当時は捜査局員――だったが、人生でもっとも酷い症状だと断言出来た。目は出血し瞳孔が埋もれ、耳や口からも赤い液体が溢れていた。どんなに醜い姿でもファーラと認識可能だったのは彼女がなんどもその捜査局員に会っていたからだろう。全くの初対面であれば、道端に眠るメージャー中毒者と同じく無視していたことは想像に難くない。


 情報部門のサーバーを覗いたファーラならわかることだが、あの事故は事故ではない。大学を卒業するだけの思考力をもつ彼女ならある程度の不自然な点があるとすぐにそれが分かる。すなわち地球政府が裏から仕組んだ事故だ。それだけではない。チルターク社も一枚かんでいることを局長は知っている。


 爆破された重役は社内闘争に負けた身だった。フォボスの工場視察は勝利者から頼まれた仕事で、まだ影響力のあった重役を消したかったのだろう。地球政府も勝利者に恩を着せることができ、もはや経済圏が分離している火星に介入できる絶好の機会だった。


 ファーラがどこまで調べたかは局長は知る由もない。しかし推察するのは十八番であり、それが正しければほとんど事実に気付いている。あとは証拠を探すだけという状態なはずだ。


 最悪の場合、彼女はチャンスが目の前に転がっていることに気付いている。


「局長!」


「すまないなファーラ君。私ではどうすることもできない」


「……納得できる回答をください」


 ファーラは悩む局長に時間を与えることにした。


 宇宙船爆発事故に関しては局長のあずかり知らぬところである。それは上が止めたからではなく、管轄が大きく違うためであった。もう一方の線路爆破事件は黒であった。賄賂を積まれて黙るよう脅迫され、断れば首と胴体が分離するだろう。


 冷汗が流れる局長の胸にファーラを納得させうるだけの言葉は存在しなかった。


「そ、それは」


「……わかりました。先輩と同じようにします。では」


「ま、待て!!」


 急ぎ足でその場を立ち去ろうとするファーラを止める。


「やめろ。それだけはやめてくれ」


 苦虫を嚙み潰したような顔で局長は言う。

 チルターク社の情報部門の恐ろしさを肌身で知っている居長とファーラであるが、二人の間には超えられない溝があった。薄緑の目は決断を物語り、局長は思わずたじろいでしまった。


「局長の苦しさは分かります。痛いほど……」


 暗い影を落とす廊下に視線を向けた。


「私は父が、父が教えてくれたんです、局長」


 二人は目を合わせた。


「愛してる、って」


 一瞬、局長はその言葉の意味を理解できなかった。


 遠い昔に愛を捨て、何かの歯車として火星捜査局で生きてきた局長に父親の愛の重さが理解できるはずもなかった。

 重篤なメージャー中毒の幼き子供を撃ち殺した時点で彼はファーラの感情を理解できる機会を失っているに等しい。隠し切れない過去の負債を一遍に受け持っていると局長は個人の、特に身近にある怨嗟の情を慮る方法を忘れている。


「辞表は書いてませんが……別に構いませんよね。あとでチルタークに連絡でもなんでも、なさってください」


 血に似た涙の落つるるは何もかもを見てきて、覆い隠してきた局長の瞳からだった。小さきファーラの決意すら、見えぬと言うのだろうか。残された善意で救った命さえもないと言い切る覚悟だった。


 もはやなにも言うまいとばかりに、ファーラは膝から崩れ落ちる局長を背に暗い廊下の闇に消えていった。

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