第26話
チルターク社情報部門に手配されているサーマルは表立っての行動は不可能だ。そのため、長距離を移動するための足は常に不正が頭文字につく。
その日は珍しい晴れの日だった。
曇天が晴れるわけではない。火星の人々は雨が降らないことを晴れと呼ぶ。
改札口を通らず線路からホームに入ったサーマルは農園の近くにある駅で止まっていた電車に乗り込んだ。どこに行くかは問題でなく、情報部に無駄な詮索をさせないためにもできるだけ短時間にハミルトン・田村の農園から離れる必要があった。
「くそっ、傷が……」
数日前にぽっかり穴の開いた脇腹はキリヤのおかげで塞がっている。しかし、その中は完全修復されたとは言い難い。本来ならば病院の設備で何か月も入院するのが一番であろうが、サーマルにそれは不可能だ。
彼の戸籍は火星捜査局によって抹消されているのはネットワークハッキングで確認していた。しかしそれは情報部の戸籍ではない。地球政府に詮索されないために消されただけだ。彼の顔、性別、特徴は全てチルターク社に存在している。
つまり医療行為を受けるとそのまま死亡する。
キリヤに止血してもらい一命をとりとめているが、あの日のことがなければこうして不正乗車などできていないだろう。
一方車内は快適な温度、湿度管理がされており黒い球体は嬉しそうにシートに着陸した。
隣に仮面をつけた人物が座っていたが、気にせず黒い球体を拾い上げるとサーマルは席に腰を下ろす。ここ数日は雨が凌げる屋根のしたでしか寝てこなかったためか、すぐに眠気が襲ってきた。
「ビリアンタか」
行先を確認してから彼は眠り込んだ。
しかしながら、サーマルは全く眠ることが出来なかった。
『ただいま。線路に不備が見られたため、緊急停車いたしました』
前の席に頭をぶつけたサーマルの眠気は体と一緒に吹き飛んだ。
機械音声の甲高いアナウンスが痛む脳みそに響く。
「ついてないわ」
「連絡しないと」
乗客は様々な小言なり文句をひとしきり言い終えると車内は一変静かになった。いつ解消されるか分からない線路トラブルに乗客は不安になったのだ。
「ふむ、爆破されたか」
隣に座る仮面は男だった。そしてサーマルは思わず耳に入った言葉に反応した。
「爆破ァ?」
「ああ、ニュースになっているみたいだ。橋を爆破とは……テロだな」
サーマルも思いつい事はある。しかしチルターク社は線路を重要なインフラと認識しているため、分厚いシールドが線路付近に貼られているせいで遠距離から爆破するのはほぼ不可能である。武装警備会社、それも大規模な企業でしかそのシールドを貫ける装備を持っていないだろう。
当然弱点もある。人間の侵入を阻む様には作られていないので爆弾を抱えて入れば設置可能だ。
「コヨーテに、オオカミまで彷徨いてるのにテロなんて無理だ」
「不可能などない。シールドは全てを通さないわけではないし、コヨーテ?なるドローんも常に巡回してるわけではないだろう?」
確かに、サーマルはドローンの高密度巡回に穴を見つけていた。それは僅か二分。到底爆弾を設置して戻ってくる事は出来ない時間だ。
「それは……できん」
彼の目が一瞬、僅かに動いた。
「私もそう考える。だがすでに門外漢から可能性が示唆できる以上、不可能ではない」
彼の思考では地球政府軍がテロをけしかけた構図がすでに出来上がっている。政府官僚の派閥の多くは火星に融和、または取りいられているが、軍の仮面大佐をはじめ軍内派閥は火星に対して好戦的が半分を占める。元帥はチルターク社に取りいられていると思われるため、彼の中では数個の派閥が犯人となっている。
「特攻なら……できねェこともねぇのか?」
「サハラ内戦でもしてやられたよ。シールドの脆弱な部分は何かを内側にいれて守る事だ」
本末転倒だと彼は自嘲気味に笑った。
「内戦ってこたァ地球の人か」
「紛争とも言われてるな」
火星の報道機関は内戦よりも紛争を好んで使っていた。
「それに軍人だよなァ。その手、十年前に開発されたモデルだ」
サーマルは火星捜査局で培った観察眼で義手であることを見抜いた。しかし年代までは分からないためブラフである。
「驚いたな。確かにコイツは諏訪湖重工業の軍用モデルだ。君も……チルターク社の刻印が見えるぞ」
彼は言いすかしたことをサーマルは急いで確認した。本来見えない様に服で隠していたが、露出していたら恥どころではない。しかしそれがブラフだと気付くと彼は仮面の下で得意げな顔になっていた。
「私は……そうだな。グリードと呼んでくれ。軍で大佐を拝任している」
「すまねェ。言えねェんだ」
「訳ありの様だ。して」
彼は急に小声になる。
「ドローンの巡回ルートを考えたな。そこまで調べる君は何者だ」
サーマルは衝撃のあまり体が硬直した。
黒い球体が起き上がって銃口を向けるも、彼は極薄のコアシールド展開していた。それもサーマルに出会う前からずっと展開していたとすると、身体のどこかに発電機がある事になる。
黒い球体は銃口を裏側へ向けた。
「チッ、場所がわりィ」
「有線通信だ。使え」
足の穴から古い通信機器を一つサーマルに渡し、細いケーブルを両方に繋ぐ。
「ボタン式とは……古りィな」
「趣味みたいなものだ。防諜にも役立つ」
文字盤に〝一石二鳥だな〟と映される。
サーマルは使い慣れないキーボードで文字を打ち込んだ。
〝反チルターク社連合の一人〟
〝丁度接触できないか探していたところだ。ついてる。〟
「悪夢だなァあんた」
きっと笑っている。仮面の奥で目が細まっているのが見てとれた。
〝火星に派閥の影響力を確保したいと思ってたところだ。協力しよう。〟
思っても見ない提案にサーマルは逡巡した。
「……俺に真偽を確かめる方法がねェ」
「この電車が動けばビリアンタに着く、そこで決断を早める一手を打ってからでも遅くはない」
サーマルはチルターク社の情報部門以外に初めて手玉に取られたと確信した。争うことのできない壺の中に、例えばウツボカズラに落ちた蟻のようなものだった。少しでも余裕が欲しいサーマルは拒むことさえ選択肢にはない気にさせられ、その魅惑ある提案に堕ちた。
「いいだろう。取り敢えず電車が動けばなァ」
二人は笑った。
しかし……電車はついに動かなかった。
線路復旧の目途が立たないことから運輸会社は乗客に線路の上を歩かせることを決定、実際に扉が開かれサーマルと大佐は線路の脇を歩いている。
普段であれば雨が突き抜けて傘を差さねば歩けない世界であるが、今日限りは何も持たずに歩くことができた。
「ビリアンタまでの道のりは遠いな」
痛みに耐えつつサーマルは同意した。
薄汚れた電車は前に進むしか能のない形無しではなく、後ろにも進むことが出来る普通の電車だ。しかし、線路全体が止まっているため後ろに下がることは不可能だった。そのため、二人はビリアンタに最も遠い位置にいると言って良い。
「スキャンされるのは不都合か?」
彼が見つめる先には火星ではどこにでもある円筒状のスキャン装置が設置されている。
「問題ねェよ」
駅のホームで全身機械化したヒューマノイドロボットの為り損ないをハッキングして識別タグ、すなわち個人情報を盗んで身分証を仕立て上げていた。おかげで今はスキャンされても問題はない。
しかし、いつまでも偽装が貫き通せるこうとはなく、ホームで倒れている為り損ないを修理したらこの偽装はいとも簡単に剝がれてしまうだろう。
「地球でも活躍できそうな能力だ」
「チルターク以外に生かすつもりはねェよ」
「そうか」
こののち、運輸会社はかわりの鉄道を使って乗客を送り届けることを約束し、数時間待たされたが二人はビリアンタ行の鉄道に座ることが出来た。
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