第47話

 会議場の外は雨降る閑静な高層建築群であったが、興奮した一味は小窓の防音性を須らく信じ切って最後の酒盛りを始めていた。林立する高層物の影であり、雨の音が全てをかき消す。


 制御を失った集団を纏める人間はおらず、一旦は無秩序をハミルトンは肯定した。ゆっくり、のっそり、疲れ切った様子で椅子に再び座りなおす。


「流石だ。ハミルトン・田村」


 視界の外から接近してきた仮面大佐にハミルトンは一瞬反応が遅れた。


「律儀なお膳立てだよ……地球の大佐さん。なにか用かな」


 その返答は呼吸を整えるために見つめてから数秒経った後になり、サーマルとトルエが護衛のように二人の傍に立つ。


「事前に配布された攻勢計画書、軍でも高得点どころか採用したいぐらいだ」


「ふむ、つかみどころのない文だね。この老い耄れにも理解できる説明をお願いしたい」


 彼の目には歴戦の猛者が映っている。到底、老いぼれと蔑むことは出来なかった。


「シャネル将軍統治下、いや、黄金時代の火星から残る資料は軍内部でも非常に少ない。いつどこで攻撃された、防衛線が突破された、ぐらいなものだ。それでも、癖は残る」


「……詳しい説明をありがとう、大佐」


 トルエは驚きのあまり後ずさったが、サーマルは微動だにしなかった。

 この四人を盗み見る人はいない。


「古いかね、その指示書は」


「あぁ、相当古い。骨董品屋に売りつけてもただではない。だが、堅実で確実、少数で多数の穴をついている。それに内部情報も妙に詳しい」


「ああ、セルナルガ社には彼らの情報部を補助するよう指示したよ」


「…………セルナルガ……まさか」


 老人は老人らしく小さく背中を曲げている。彼は驚くよりも恐れの感情が前面にでてしまい、仮面の下で目を見張った。彼の中でチルターク社の影が小さくなり、ハミルトン・田村の巨大な幻影が心の中で浮き上がるのを錯覚する。


「じいさん。いつもよりも口が軽すぎる」


「君は気付いてたのかい?」


「何もわかんねェ、わかんなくても構わネェ。これから命を預けるんだ信頼を崩す勘繰りをしてどうする」


 黒い球体がくるくると四人の間をいったりきたりを繰り返す。おそらく、場を和ませようとしているのだろうが、銃口を向けられたトルエはハエのような球体を掴んだ。


「私も部下に死んで来いと言える。そうだサーマル、あの件はサリーナ少尉とトルエ大尉に一任してある。あとで確認しろ」


「助かる」


 彼は話が終わったのかハミルトンに背を向けて部下たちの元に戻ろうと歩き出す。

 老人の耳に周りの宴会もようが響き始め、意識が遠のき始めた。


「怖い大佐だよ。恨みの一つも言わないなんて」


 ハミルトンは起き上がろうとしても、睡魔の頚城に叶うことは無く、思考を閉ざして目を瞑った。一時間後には薬剤が投与されて老骨に鞭を打つことになり、彼の命は最後の輝きを放つだろう。


 サーマルは強化骨格で老人をホバー車に乗せるために丁寧に持ち上げた。






 空間が狭いせいか男衆の心の叫びが兄妹の耳に容赦なく襲い掛かり、できるだけ端の方で身体を縮こまらせ会議場を眺めていたところ、そこにサリーナが近づいてきる。

 普段持ち歩いているタブレット端末を片手に、真一文字に唇を結んでいる。喧騒のせいではなく、ガンツとゼノンにとって重い話であることは容易に分かった。


「お二人は指示書をお持ちですか」


「うん、もらったよ?」


「それは……捨ててください」


 まだ話の核心に迫っていないため、サリーナは落ち着いた声で言った。


「理由は」


 だがガンツの鋭い眼光に思わずサリーナはたじろいだ。


「大佐の命令です。私とトルエ大尉はお二人を地球まで送り届けます」


 兄妹はサリーナの言葉の意味、その裏を捕らえることが出来ていないのか、目を丸くして固まった。


「この火星でなにが起こったのかも伝える任務も付随していますが、主目的は兄妹の保護です」


 兄妹の顔はついぞ妖怪をみたかのような、いぶかしんで目が細まった。


「誰が頼んだんだ?」


 サリーナは言うべきか言わないべきか、兄妹の心的状況を鑑みて話すか否かを決めようとしていたが、短い期間と処理インプラントの損失で無言になるしかなかった。


 そこに、枯れかけの老人を抱えた元捜査局員が通り、サリーナの目は無意識にその姿を追ってしまった。兄はサリーナの瞳の変化に気付き、機械化した体についていこうとする。


「お待ちを、火星を出ていくことに抵抗があるのはわかります」


「そうじゃない」


 兄は妹の醜くなってしまった足に向かって振り返り、歯に力を込めて言う。


「一発ぶん殴らせろ」


 かつてサーマルが望んだ感情ではなかったが、向いている方向は一緒だ。

 喧騒が少し収まり始めた。


「にい……」


 ゼノンは悲しみを浮かべた。


「……大尉と同じことを言わないでください。兄妹の意見を盾に主張を取り下げましたが、目論見がはずれました」


「残念だったな」


「ええ、非常に」


 顔の壊れていないインプラントを使って悲しむ表情を作り、無言でやってきたトルエに首を横に振る。サリーナの負けであり、トルエの勝ちだ。


「計画書通りに動いてください。必ず脱出しますよ」


「ああ、ゼノンと一緒にな」


 トルエは何も言わずにっこり笑った。


 そこに老人を丁寧においてきたサーマルがやってくる。


「終わったか、話」


 サリーナは目を伏せて状況を暗に示す。逆にトルエは笑顔になっているため、何がどうなっているのか読み取ることが出来なかった。


「……?」


「おじさんが頼んだんだよね、私たちを地球に逃がすの」


 優しい音はとても怒っているように感じられない。一方でガンツはサーマルを仇として睨んでいるかのようだ。

 恨まれることの多い元捜査局員はどちらも受け入れ、ため息を吐いた。


「すまねェな、大人しく──」


「──勝手すぎるぞサーマル。お前が復讐に付き合わせたんだろ」


 撃たれたようにサーマルは何も言い返せない。


「あの時俺はチルタークになんの感情……もなかった。だがな、今はある」


 少し前の感情を正確に思い出すことができなかったのか、一瞬言い淀んでから別の単語を捲し立てる。


「ゼノンの足をお前の責任にするつもりはない。俺はあっちを殴りたいんだ……ああ生きて欲しいんだったら黙って俺とゼノンを守って死ね」


 兄妹はすでに指示書の中身を全て把握しているため、サーマルが捨て駒として火花を散らすのを知っている。つまるところ、その難局面を生き抜いて二人を守れと言っているに等しい。


 サーマルは難しい行動を求められているのだ。


「ちっ。何が出来のいい兄妹だ」


 ゼノンはいつの間にか兄と似た表情をしていた。好奇心からくる破壊感情が勝ったらしい。


「火星で何かを守るのは難しいってお前らよく知ってるはずだ」


 サーマルもかつて、守ろうとした正義あった。

 口元が上向きに歪んでいく。


「いぃだろう。最後ぐらい他人に守られとけ、なァ?」


 サーマルはようやくトルエの笑顔の理由がわかった気がした。

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