第18話

――――この世には三種類の人間がいる。生きている人と、死んでいる人。そして海にいる人だ。


 かつて誰かが漏らした言葉は幾多の齢月を経て徐々に変わり、しかし今なお言葉は力をもって顕在し続けている。マリネリス峡谷の渓底には膨大な雨量を飲み込む川があり、その色は黒く、まるでタールのように粘性を持っている。


 地下資源を採掘する鉱夫たちは別名船乗りとも呼ばれていた。荒れ狂うマリネリス峡谷川を潜水艦に似た採掘船に乗り込んで深く深く潜っていき、全くの暗闇から鉱脈を探し出して掘り進める。採掘船には緊急時用の窓が付いているが、いつ覗いても漆黒が映るばかりで、そして開けることは絶対にあり得なかった。


 もし窓を開ける事態になれば、金属中毒や化学薬品で身体は蝕まれ医者から匙を投げられるのが見えている。だからだろう、彼ら鉱夫は船乗りの名称を好んでいた。川に落ちれば――入っても同様――生き抜くことはできない、この恐怖感や緊張感に酔うのも彼ら船乗りの特徴だった。


 そんな船乗りに今日は仕事で同行する羽目になったキリヤは胃薬をすでに二錠飲み込んでいた。


「やぁやあ、おらぁベンノ五郎、ベンって呼んでくれよ」


 会社から借りたコアシールドに雨が弾けて聞き取りずらい筈が彼の声は易々と貫通してくる。


「ベンさん、今日はお世話になります」


 不本意ながらも彼は社交辞令だけは厳守する。


 ため息を吐かぬために空を見上げ霞がかる渓谷の景色を眺めた。昔は岸壁が剥き出しになっていた渓谷は岩の代わりにビルが建設され、ホバー車がゴマ粒ほどの大きさになって行き交っていた。


「きになることでも?」


「今日は激しくなりそうだなと」


「あぁ、だい丈夫。水ん中は穏やかそのもの、それに降ろすのは基地でなんで、雨の心配はないでよ」


 キリヤは仕事道具が入ったカバンを重々しく持ち、ハッチに吸い込まれたベンの後を追う。梯子を下ると採掘船の内部は以外の汗臭いにおいはしなかった。代わりに振動が絶え間なく腹を揺らし、キリヤは平衡感覚が失われていく錯覚を感じた。


「えぇっと、おらたちの仕事の視察でしたっけ」


「はい。このそのために幾つかの条項……ポイントがありますので、俺はそれを調べるだけです。普段通りに仕事したら完璧なんで、ええ、普通にしてください」


「へい」


 キリヤの経験的に現場の作業員は命を背負っているからか敬語は少なめだった。無駄に言葉を繋げるのなら、命を守るために多少乱暴な言葉になるというものだ。採掘船の隅で大人しくしたかったが、手元の視察箇所一覧を見るとそうもいかなかった。


「構造は知ってまして?」


「事前に問い合わせたので図面は持ってますが、初めてなもので、早速調べたいところがあるので案内をお願いできますでしょうか」


「はいよ、仕事行かなきゃなんでそんあとは一人で頼ます」


「わかりました」


 機関室に行きたいとキリヤが言うと、ベンは手招きして複雑な通路を進む。


 作業員が使いやすいように自主改造を繰り返しているとすぐに分かった。安全性が確保できないため作業船の改造は禁止事項の一つだったが、現場でよく発生しないことのマニュアルは無視されがちだ。キリヤは脳内でチェック項目に一つ赤印を入れた。


 寝台の増設にともなう過剰人員。さらには追加酸素ボンベや食料による重量オーバー。エンジンルームに入る前に数個赤印が付く。


「ついでに聞きたいのですが、人手は足りてますか?」


「んん、足んねぇ」


 一瞬止まってからベンは答えた。


「採掘した鉱石を仕分けるときの機械がいっつも詰まって詰まって付きっきり、深刻なのは交代制がとれねぇのなんの」


「ふむふむ、上司に報告します」


 ベンはキリヤからきまり悪そうに視線を下げて歩き出す。


 暫くするとエンジンルームと書かれ金属製扉の前に来て、ベンは軽く会釈してから仕事場へ向かった。


「負担はかけられそうにないな……失礼します」


 腹に響く振動の根源はまさにここだ。一目みて古いと分かる機関が二つ並んでいた。


「おお!あんたが件の?」


「はい。視察です」


「仕事の邪魔にならなかったら自由にしてくれな」


 キリヤの返事も聞かず、機関長らしき人物は道具をもってエンジンとにらっめこし直した。


 彼はまず、エンジンの型番を調べいつの製造年かを割り出す。


 十五年前に製造が終わったチルターク社製のエンジンだった。宇宙船にも使える頑丈な設計で二十三個の致命的欠陥が見つかった万能型エンジン。この場での機関士の役割は欠陥が致命的にならないために処置をすることだろう。


「確かに、人手がいるな」


 面倒な作業を済ませていく彼は、なぜこんな業務についているかを思い出していた。


 サーマルが去ったあと、チャプタヤの機嫌は雷が今にも落ちそうなほど悪化した。いくら謝っても火に油を注ぐだけだと察した彼は会社に一報をいれて休んだ。


 その時の言い訳が不味かったのかもしれない。


「明日保管庫でコアシールドを借りたらそのまま監査に行って、リストは送っとくからさ」


 係長からの言葉は絶望の鐘。監査に向かう人は会社に帰ってくると毎回疲れ切った表情で、カバンを床に置くと机に突っ伏する。決まり文句は、もう行きたくない、だ。


 顔を青くしているとなぜかチャプタヤに説教一時間ルートに誘導されたが、彼にその記憶はない。上辺だけ叱っても結局はサーマルを連れ込んだことが不満なのだ。


「そういや通報はどうしよう」


 警察に連絡することもすっかり忘れて採掘船へ直行したたせいである。


「待てよ、ここは何処だ」


 端末に取り込んだ設計図を確認しながら歩いているにも関わらず、キリヤは通路と通路、寝室に台所や採掘機器制御室などリストに全く関係のないところをあっちこっち移動していた。


「魔改造が過ぎるってば」


 作業船の喫水線から割り出した重量でこの船は三十パーセント以上かさ増ししていることは明らかだった。しかし生活用品を詰め込んでいるとは考えていなかったのだ。あって生存に必要な酸素や少量だと油断していた。


「うわっ、これ踏んじゃいけなかったやつだ……」


 ハッチよりも綺麗に使われている愛すべき人形に気付かず踏んでしまい、急いで歩くとさらに迷子になった。


 本来、舵の効きを確かめなくてはならないのだが、諦めてリストを探り今できることを探す。


「ええっと、居住性バツ、これもバツ、バツ」


 リストを更新していくとドンドン赤い印が増えていくのに恐怖すら感じ、ぐるりと視線を一周させ、作業員は全員仕事らしくシフト制の欄に赤印を付ける。


 一人で静かだったおかげだろうか。キリヤは腹に響いていた振動が無くなったことに気付いた。


 嫌な予感が頭の中を駆け巡り、熱くもないのに汗をかく。


「エンジン停止、マニュアルに従い。安全服を着用せよ」


 艦内放送ですぐさま予感は的中し汗がいよいよ首からしたたり落ちた。


「全員分あるわけないだろ……」


 彼は思った、もう監査など行きたくないと。

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