第38話

 決して清潔と思えない空間でゼノンの義足はくっつけられた。消毒のために部屋隅にある空気清浄機のような装置から刺激の強い気体が放出され、ガンツでも匂いで身体を悪くしそうだった。しかし安心な要素として、成分と気体濃度から身体機能を悪化させるほどではない。


「よし、いけたぞ。ゼノン」


 妹は麻酔無しで手術を望んだことに兄は肝が冷えたが、それほど痛みを悟らせずに手術できたことに今までの疲れが同時に噴出する。おかげで、とても優しい声色となった。


「さっすがにい。ありがとう……」


 弱弱しい返事に兄は涙をこらえ、痙攣する手で妹の頭を撫でた。

 ガンツの体も限界を迎えているのは見守っていた仮面大佐から見ても明らかで、手術が終わってすぐに兄の背中を支えて別室へ運んだ。


「終わった?」


「そのようだ。私のスペアを良く扱っていたし、分離症の心配はないだろう」


 トルエはガンツに向かって問うたが、気絶するように眠る兄に代わって彼が答えた。


 五人は仮面大佐の部下を使ってチルターク社やその他企業の探索隊がやってくる前にその場を離れ、程よく離れた隠し拠点に逃げ込んだ。弾薬や武器の補充を済ませている間、兄妹は義足がないかを彼に聞いた。

 結論は無いの一言で済まされたが、義足というのはオーダーメイドに近いもので軍人などはそのスペアを保有しておくのが常であった。そのため、トルエの義足は地球にあることから彼の義足のスペアがゼノンに宛がわれた。


 仮面大佐専用に調節された義足を全く身長も、足の太さも何もかもが違うゼノンの足につけるのは非常に困難を伴う。地球に例えると専属医と様々な器具があって初めて挑む手術であった。


 しかし、ゼノンの神経解読とガンツの精密操作がこの手術を成功可能なものに導いた。彼もトルエも、その技術の高さに言葉を継げることができない。


 別室から新しい端末を持ってサリーナが入ってきた。


「大佐、サーマルと連絡がつきました。世間話の中に盗聴を心配している暗号がいくつか」


 彼はソファにガンツを横たえる。


「内密に済ませたいことがあるようだな……」


 虚空を見つめる大佐にトルエは尋ねた。


「どうした?」


「……懐かしい気分だ。サハラの匂いが鉄からする」


「それは……うなぁ、えぇ?」


 トルエは少し気分が悪くなったのか、口を手で塞いだ。


 サハラ砂漠で戦闘を経験していないサリーナは二人が言うことが理解できなかったが、トルエの気分が悪くなることは滅多にないため、戦争に関することと予測する。慰めの言葉をかけようと喉を開くが、空気が音になる前にトルエは立ち直った。


「安心しろ。情報が足りん」


「それで安心しろと」


 彼は睨まれ、肩をすくめた。


「今は。今は安心するしかない。集合場所へ向かうぞ、答え合わせだ……解答はないだろうが」


 トルエは普段よりも力なく敬礼し、対照的にサリーナは背筋を一切曲げずに敬礼した。


「少尉、装甲化は終わっているな?」


「はい大佐、代わりに速力が落ちましたが予測範囲内です」


 サリーナは再度敬礼し、トルエを含め二人は仮面大佐よりも先に準備を済ますために部屋を出る。


 彼は内線で兄妹を一緒に車に乗せるよう手配すると、自らも穴だらけの体を隠すような服を探しに部屋を出た。


「一芝居うつとしよう」


 仮面が僅かに動いた。





 降りしきる雨に一抹の不安を感じつつ、ビリアンタまで飛び立つ何台かのホバー車はもはやその存在を秘匿する気もなかった。


 全球ネットワークではチルターク社とハナソン社の合併が取り沙汰されており、火星の勢力図は急速に変化する最中にある。チルターク社とハナソン社に逆らえる企業など地球を除くと火星には存在せず、今まで両社に反抗的だった企業の破壊が始まっていた。


 後世、人は粛清と語る出来事が始まったのだ。


 巨大な統治機構となったチルターク社であったが、これに逆らう企業は、しかし何十、何百、何千とあった。内戦前夜の様相を呈する火星において、誰も車列など気にすることはなかった、一部を除いて。


「右より三台、左より四台。後方にドローン多数」


 操縦手と助手席に座る部下は仮面大佐にそう報告した。

 絶望的な戦力差だった。


「やはり軍の回線も彼方に渡っていたか」


「各個撃破の形になります」


「いや、軍回線は我々の所在だけだ。他は部下を直接いかせている。情報部には二時間後には集合場所に全戦力が集まるとはわかるまい」


 仮面の下でほくそ笑む。


 出立の数刻前に地球政府軍が張り巡らせた回線を用ゐて各地の部下と連絡をとった。内容はビリアンタの一部に集合すること。このとき、受信できる拠点はすでに破棄されたところに限定し、部隊を分断する計画だった。


 結果、目の前に小隊規模の部隊が現れた。


「正面にそのまま突っ込め。防御陣形を取るんだ」


 サハラ内戦が終わってから彼は部隊を指揮する機会は訪れなかった。平和が続いた事もある、あるいはトラウマが蘇るのが怖かったのかもしれない。


 すぐさま銃撃戦が始まるも、ホバー車は現地で装甲車に改造したため目に見える損害は軽微だ。

 目下の課題はドローンのみに絞られた。


「電磁パルスが効きづらいとトルエ大尉から──」


「──気にするな、やれ」


「はっ!」


 弾薬の消耗など意識の片隅に置く必要がないと、つまり撃ちまくれの命令だった。


 防御陣形を採る一行はホバー車やドローンから四方八方銃撃されてもピクリとも動揺していない。シールドが頑強なのもあるが、怯まない精神が彼らにはあった。


 されども、半包囲状態で撃たれ続けては耐えれないものもある。装甲車が一台シールドが切れた途端に爆散した。

 ドローンや敵のホバー車はこれを機会に後方の一台を集中して攻撃する。


「シールドにエネルギーを回せ。少尉に狙撃開始と伝えろ」


「了解」


 装甲車からの反撃を止め、移動する分のエネルギー以外を全てシールドに投入するとトルエは窓から身を乗り出してドローンを攻撃し、サリーナは銃身だけを窓から出してホバー車を攻撃した。


 サリーナの発砲による反動で装甲車が揺れ動くと、敵のホバー車は操縦席を撃ち抜かれて高度を急速に落とす。

 脅威と判断したドローンがサリーナの乗る装甲車を集中して狙うが、数を減らしたドローンではシールドを貫くのに時間がかかる。その隙にトルエは電磁パルスや実弾で攻撃しコアシールドが薄くなったドローンから撃ち落していく。


「無理やり作ったから今回の戦闘であれは破棄だな」


 大佐は一台、また一台と墜落するホバー車を見ながら言った。

 サリーナの扱う狙撃銃は部下の銃を分解して作った粗悪品であるため、撃てる回数が決まっていた。彼はこの戦闘をしのげれば御の字だと考えていたが、希望的観測を捨てれずにいる。


「大佐、サリーナ少尉から銃身破断の危険あり、と」


「あと二台だ。ドローンは……大尉は片付けた、銃座の使用を許可する」


 最後のドローンがトルエに撃ち抜かれたのを確認し、彼は部下に指示を出す。

 反撃が始まり間もなく、ホバー車は後退して戦闘は終了した。


「反転しろ、マリネリス峡谷へ向かう」


「了解」


 眼前の脅威を排除した一団は黒い雨に紛れてマリネリス峡谷へ蛇行しながら移動する。多くの人間が普段見慣れぬ形のホバー車を目撃し、記憶にある限りの思考を行うが姿が見えなくなると興味を失った。

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