第43話

 ホバー車で移動中、ミューラーは両手に紙の束を抱えて仕事にのめりこんでいた。

 強化プラスチックの奥に映る煤煙を吹き出す工場群には目もくれず、真っ黒い雨が銃弾のごとく撃ちつける轟音をバックミュージックとして使い、びっしりと文字が連なる紙面に目を凝らす。書かれていることは取るに足らない報告から、今後の計画に響くものまで千差万別だった。


 ペンを走らせ必要事項を書き込み、隣に座るアンジェラに渡す。本社を急ぎ足で飛び出してすでに二時間その調子である。

 アンジェラは安全な本社に籠っていたい気持ちを前面に醸しだしながら、一言も話さずファイリングの作業を進めていく。


「アンジェラ君、君はこの重大局面をどう考える」


「……少々時間をいただけますか」


「許す。そのファイルをこっちに、君の考えを聞きたい。情報は今から仕入れて遠慮なしだ」


 小さな思い付きだった。ミューラーが暗殺であれ、異動であれ情報部門から消えた後釜に座る人物、今のところアンジェラが最も彼に近い。暗い世界の経験が少ないかもしれないが、これから嫌というほど経験するはずで全く問題は無い。アンジェラに必要な素質は間違いでも未来を予測することである。


 つまるところ、ミューラーは心配しているのだ。


「焦ることは無い。君にはまだ時間はある」


 自然と漏れた言葉はアンジェラに事の先を想像させるに容易かった。


 夜の火星は漆黒以上の闇に包まれている。灰色の空はすっかり光を吸収しきり、強化プラスチックの窓の先にメガロポリスの絢爛たる都市光が燦燦と輝く。雨がその光でシャンデリアのように煌めき、都市を覆い隠す。

 栄華と退廃に満ちた火星は空虚とは程遠い。


 アンジェラは全球ネットワークからいくつかの情報と、自分のもつ権限で仕入れられる全ての情報を頭に叩き込むと顎にそっと手をついてニューロン細胞をフル活動させる。このミューラーの気まぐれがアンジェラの能力を引き出すことになるとは、二人ですら分からなかったはずだ。


 すでに時刻は一時間を優に超え、マリネリス峡谷の端にホバー車は掛かりかけている。


「粗削りですが、考えました」


 額にかかっていた前髪をかき上げ、背中を柔らかい素材に預ける。

 ミューラーは両手に持っていた資料を膝の上に纏めて窓の遠く外に輝くマリネリス峡谷の階層社会を見ながら言った。


「いいのかね」


「はい」


「では、聞こうか。君の展望を」


 正面を向くと、自動運転のハンドルが視界に入る。


「我々チルターク社はハナソン社と合併。そして反抗的企業の粛清を準備しています。すでに地球へ亡命している企業も存在していますが、発着上は我々が制圧済みです。ですが、唯一我々の管理できていないドームがあります」


 ミューラーは黙って頷いた。


「セルナルガ社です。彼らは今までチルターク社の傘下でした。しかし、ハナソン社の扇動で離脱、単独で火星自治を行おうと行動しました。ああ、それとミューラー課長のいう重大局面とはセルナルガ社の制圧できるか否かではないですか?」


「……ナレミへの点稼ぎにしか見てなかった」


「意外です。セルナルガ社は恐らく、我々情報部門以上の戦力を保有しチルターク社にも匹敵する」


「単独でも破壊できる戦力は持ち得ている。ハナソン社の戦力も動員すると優位は揺るがん」


「そうでしょうか。地球は、軍は、この最も脆い火星を放置するぼんくらしかいないんですか」


「なに?」


 アンジェラはホバー車の金属質な天井を、その先の空を、宇宙を見上げた。


「チルターク社を威嚇する軍事訓練は本当にただの威嚇行為で終わるのですか?私はそうは思いません。この内部に巨大な不安分子を抱えた火星を見逃すほど地球政府軍が耄碌したとは思えないんです」


「……」


 お前は馬鹿だと、ミューラーは遠回しに伝えられた気がした。


「セルナルガ社はこの事実を見逃さないと思います。救援を請ずるでしょう。私がいいたいのは、地球が火星に介入するってことです」


 情報部門の強権にしがみついてきたミューラーにはその考えが一切浮かんでこなかった。それが何よりも恐ろしく、耄碌したと確信するに至り認めたくないことは自然な帰結だった。


 ミューラーとアンジェラを乗せたホバー車は火星の闇に溶ける。





 マリネリス峡谷のチルターク支社の無残な状態にミューラーとアンジェラは息を飲んだ。強力なシールドで防護されている筈のビル壁面は内側から食い破られ、上部構造物が谷に落ち込み橋のように倒れている。切断部はシールドで雨の侵入を防いでいるものの、未だ修復の目途は立っていたない。


「これをたった一人で行ったとは、信じられん」


「聞くだけでは駄目と嫌でもわかります」


漸くミューラーは自らが老獪でないことを認めた。


「……君の考えに従って粛清プランの変更する」


 チルターク社全体で取り決められていろ事のため、計画の変更は非常に困難であることをミューラーは自覚していた。しかし、軍の介入する可能性がある以上、性急に動くことは危険と判断したのだ。


「ミューラー課長程度の権限ではプランOの変更は困難では?」


さらにアンジェラは続けて尋ねた。


「それと、聞いておきたいのですが何故ここに来たのですか」


「……極秘だぞ。そもそも、今回の粛清は地球の介入を考慮していない。与党は我々の息がかかった守銭奴、メージャー中毒者だ。加えて、元帥も火星に対して友好的だ。現在火星に潜伏している仮面大佐の所在地は元帥からであるし、ビリアンタの治安維持は軍の特殊部隊も関わっている」


 ミューラーは資料をまさぐり数枚の紙を取りだした。


「しかしだな。これが軍と量産個体の関連性を示すものだ。我が社の製品が不正に軍に利用されるのはあり得る話、この研究はもともと地球の遺伝子研究の成果が使用されているからな。問題は鉄道爆破テロが量産個体によって行われたことなのだ。ここに来た理由はその個体の製造場所だからに過ぎない」


「軍……元帥が火星を攻撃した?」


「そうだと考えている。仮面のような他派閥が攻撃を仕掛けてきた可能性も考えられるがテロを起こす旨みがない。テロの理由は私の考えでは量産個体の試し切りだ。信頼性の低いチルターク社製、捨てても構わないなら情報部を引っ張ったんだろうよ。元帥から一つも弁明がない以上敵と見るしかない」


 テロ犯の捕縛や殺害は非常に困難だった。ミューラーは分隊を派遣しただけであるが、損害報告を掻い摘むと手が震えた事もある。

 アンジェラはマジマジと折れた支社を眺めた。


「これは私の役立たずの直感だ」


 前置きを挟んでミューラーは話す。


「ナレミは元帥が敵だと気付いているのではないか?」


ミューラーはナレミが元帥と取引をしている現場を捉えたことはない。しかし、他四人──ミューラー本人を加えて五人──の情報部門課長は元帥との明確なパイプを持ち得ていなかった。


「……捨て駒の私には計りかねます」


「ナレミの秘密に近づいてしまったとしたら、我々もすでに粛清の対象かも知れんな。プランOはナレミの提出した概要でもある」


「まだ死にたくないんですけど」


 アンジェラはジト目になった。


「私もローゼフ・ダヴィドの後釜に座りたいさ」


 だからこそ、とミューラーは目前に迫った支社の入り口を指さす。


「生き残る術をさがそうではないか。新人類計画の穴は必ず我々の助けとなる。ナレミの闇を暴き、失脚させ。私が上り詰めるのだ」


 拳を力強く握る彼の腕は震えていた。

 それをみたアンジェラは不安げに言う。


「うまくいけばいいんですけど……」

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