第2話
うまく逃げおおせた兄妹はドローンに警戒しながら建物を伝って長い時間をかけて移動し、アジトへ帰還していた。
雨を凌げるや屋根に入り、フードを脱いで妹は固いソファーにダイブ。兄は得物を机において天井を仰いだ。
「助かったね、うまくハナソン社を使えた」
首から上だけを兄に向ける。化粧をすれば奇麗であろう顔は黒さびで汚れてしまっていた。
「あいつらの勢力圏に逃げ込んで正解だった」
天井を見つめたまま銃撃戦を思い返し、腕に取り付けたエネルギーメーターを見ると赤いランプを点滅させている。後一発でもかすれば肉を抉られていただろう。
二人は危機的状況を脱した影響からか笑いが溢れた。
アジトはチルターク社の五番街にあたる立地で、ブレンナットとメガシーに挟まれた企業間勢力の緩衝地帯にある。
チルターク社が労働力不足に喘いだ時期に林立したビル群が主で、社員や工員が反乱を起こすまでは比較的治安の維持された平和な地域だった。給料の中抜き、労働環境悪化が無ければ、今もアジトは何処か誰かの社員所有だったに違いない。
ゼノンは徐にレターシャン・タンパルス著『メイメイ・ヒューマン』を手に取り栞を挟んだところから読み始めた。かくいう兄は持ち帰った品物を丁寧に開けて本物かどうかを確認し、黄色の発光をみてほくそ笑んだ。品質は入れ物によると“高”である。売れば一週間どころか一か月は食うものに困らないかもしれない。
「ほんと、運がいい」
兄妹がこの商品の情報を掴んだのはほんの些細なことからだった。
普段はセルナルガ社の下請けで丁稚奉公をして見返りとして食べ物を恵んでもらっているが、それだけでは到底満足のいく量には足るはずもない。仕方なく、いや生き残り満足感を得るためにフードアンプを盗み出したのが始まりだった。いつも通りチルターク社の食料プラント群にて物を盗んでいたところ、ある一角に厳重な警備が敷かれたところを見つけた。安全な位置から暫く観察すると兄妹に衝撃が走った。
そこはメージャーの製造、梱包、出荷を行う一個の巨大プラントだったのだ。フードアンプを作っているのは梱包作業ラインを統合するための、すなわち効率化を図る意味しかない。
兄妹はいくつかのフードアンプを静かに盗み出すとすぐにアジトへ戻り計画を練った。チルターク社にとってフードアンプは売れにくい商品の一個にすぎなかったのか警備は甘く、それが兄妹の油断に繋がった。
忍ぶ気配すら察知する厳重警備に結果は複数のドローンに追われる始末。しかし命辛々盗み出した一本のポリ容器は兄妹を売っても余りあるものだ。
おかげで親の形見を消耗しきったが、エネルギーはまた補充すればいい。
とはいえ、一端の兄妹が高品質なメージャーを店に持って行っても相手にしてくれないのは目に見えている。兄は盗むことで一杯一杯だったが、いざ売却するとなると買い手がつかないことに気付いた。
妹に何か案は無いか尋ねるために一瞥するが、今まで共に暮らしてきたのだから買ってくれる場所など知る由もない。
取り敢えずメージャーを机に置いて窓際に移動し、金属板でふさがれた窓の隙間から通りを見下ろした。
まだやむ気配のない雨は五番街に溢れんばかりの水を供給している。建物に映し出されたホログラムに雨が当たる度に細かい点滅を繰り返し、その下には傘もささず歩く人の姿がある。逆に上を見上げると警察、それとも金持ちのホバー車両が悠々自適に飛んでいるのが見えた。
ホログラムが目障りなチルターク社の広告に切り替わったところで兄は窓から離れた。妹は相変わらず本を読んでいる。
「飽きないな。本」
「なんか惹かれるから、読む?」
「遠慮しとくよ」
親が妹に残した唯一の物品だ。読みふける意味も理解できる。だがガンツは文字を読み込むのが苦手で、と云うよりか本の価値を見出せないのだ。日常で使う言葉と文字は使えても、本に書いてある文字や言葉は媒体と一括りにされてしまって興味の対象ではなくなる。
兄は暇つぶしがてら机の端に並ぶボタンの一つを押した。
かつての社員が使用していたであろう液晶ディスプレイを起動すると、キヤノン出資の情報番組が兄妹の盗難騒ぎを報じていた。
「うわっ、私たち有名人だ」
何の気なしにゼノンは感想を呟く。兄も似たようなものだ。
「顔、映ってないな」
二人はフードを被っていたため顔までは分からなかったが、身長と足で大まかな年齢が突き止められていた。
好奇心でテレビを眺めていると、突然ホロディスプレイが速報と長い文字を表示し、司会者の両目が右往左往し始めた。
「えぇさっき、しきほど、セルナガル社が独立すると情報が入りました。詳細は後ほど……えっ?」
司会者が困惑した表情を見せた途端、液晶は次のデータを光に変換して画面を切り替えていた。いつもの広告、それは地球では販売禁止の健康食品、護身用銃火器。時々ノイズが入った後に肉体改造ナノロボットやインテンスアダルトビデオなどが表示されるが、これは何処の馬の骨がジャミングとハッキングをして差し込んだものである。
「おい!いいところだったのに」
ガンツは床に転がっていた空の容器を蹴飛ばした。
速報に興がそがれてしまったが、タイミング良くお腹が鳴ったため次することはすぐに浮かんでくる。
テレビの置いてある部屋を移動してキチンルームと英語で書かかれたホログラムをすり抜けると、チルターク社製の冷蔵庫を開けて盗んできたフードアンプを吟味した。
棚に並ぶフードアンプは赤青黄などさまざまで、中には虹の彩色もある。これらは味の違いであり、辛みが大きいとか、酸っぱいとかを目視で確認するためのものだ。一個摂取するだけで半日の栄養を補うことが可能で、ビリアンタの住民はフードアンプで生きながらえている。完全栄養食の売り文句は伊達ではない。
「今日は味噌味にするか」
「私チョコレートがいい!」
兄が食事を摂ることを鋭い嗅覚で掴んだゼノンが本読みを中断してキッチンに入り込んだ。ガンツは明日食べる予定だった味を取られて刹那狼狽したが、もう一本冷蔵庫の奥に見つけて平生を取り戻す。
「これかな」
「そうそう、にいのお気に入り」
全てを見透かしたような笑顔となった。長い間一緒に生活している妹には、思考の隅々まで想定されてしまっているのだ。
兄としての自負が氷に熱湯をかけた時のように割れた。
「ちっ、なんのことやら」
朗らかな笑いをするゼノンを放置して手ごろな大きさの容器を戸棚から取り出し、フードアンプの中身を手ですべて押し出す。袋に付属されている錠剤をドロドロの中身に入れると、水蒸気が発生してキッチンに味噌の匂いが広がった。
「あと三分、ほら、さっさとしろ」
「分かってるって」
水蒸気がモクモク昇るのを惚けた顔で見ている妹を促す。その間に戸棚からもう一個容器を取り出した。
ゼノンがその容器に固形型のフードアンプを袋を上下させて落としきる。次に付属品の液体を流し込むと容器が温かくなり始め、固形物は粘性の大きい液体に変化する。スプーンで暫く混ぜるとサラサラとした液体になって一口舐めた。
「うん!あまい!」
「塩効いててこっちもいい」
テレビ部屋に戻らずその場で食べる。
ゼノンがキッチンの外を見ると、ちょうど向かい側の建物でメガシー社の戦闘服が蠢いているのが見えた。
なんだろうと凝視、一抹すると銃撃戦が始まり赤と白の閃光が断続的に発生する。一分ほど続くと爆発が起こり、戦闘服を着た人が何人か地面へ真っ逆さまに落ちていった。露わになった部屋の中、緑色の植物が遠目でも確認できる。
「あ、にい」
「なんだ?」
「あれ」
容器の底を天井に向けていた兄は呼びかけに応えて窓奥を見た。
未完のテラフォーミングで火星大気中で育つ植物は少ない。人間が生きていけるだけの酸素はチルターク社を中心に様々な企業が過剰供給しているが、大気濃度の偏りは解決できていないた地球産の植物が繁茂できる環境ではない。
しかし何事にも例外が存在する。実験体KK-Mk47は苔を元にした人工植物であり、火星環境で僅かに繁殖できる唯一の蘚類である。光合成で酸素を放出するのではなく、メージャーの原料である幻覚作用のある物質を水と栄養から合成する。
妹の想定では、栽培していた犯罪者はメガシー社の刺客が来ることを読んで対策していた。それが功を奏して目の前にある状況のように、メガシー社の戦闘員はみぐるみを剥され突き落とすことができた。
戦闘が終わった部屋を見ると住民は植物を手で引きちぎりケースの中に仕舞い込んでいく。どうやら二番目のアジトがあるらしい。
フードアンプをちろちろと食べていると、爆音を響かせコヨーテと呼ばれるドローンが二機、爆音を響かせながら現地へ到着し、部屋を覗くとバルカン砲で容赦なく室内をハチの巣にしていく。
反撃に別の階からビームランチャーを担いだ大男がドローンに向かって得物を放った。避ける間もなくドローンに直撃し、爆散、内部構造物を巻き散らして跡形もなくなる。もう一体のドローンが大男に向かって掃射するが、全てはじかれている。
「高いコアシールド使ってるな、うらやましい」
一緒に観戦する兄は心の底からため息を吐いた。親から譲り受けたコアシールドが低性能ではないが、これ以上の性能を有するコアシールドは無数に存在する。手の届かない代物であることを理解しつつ、欲しくないとは言い切れなかった。
戦闘はドローンが落ちたすぐは静かであったが、あと詰めのドローンが現れると先ほどと真逆の展開が行われた。
今、大男の目の前に現れたのはFF装甲を搭載する重武装型ドローン、通称オオカミ、それは手に持てる程度のビームランチャーでは太刀打ちできなかった。FF装甲はコアシールドに使われているレアメタルも含有しているためシールド機能も有する。まさに万能装甲、重たく高価なことを除けばチルターク社随一の装甲版だ。
「にいだったら、どうやって倒す?」
ゼノンは空っぽになった容器をクリーナーに投げ入れるとタブレットで全球ネットワークに接続し、頑丈なドローンの記録を検索していく。中にはチルターク社やメガシー社の規制を敷かれた情報もあったが、持ち前のハッキング術でネット防壁を突破した。
先程のドローンに使われていたフリックファクター装甲はレアメタルをふんだんに使用した高級品、チルターク社の上役を警備するために開発された。ドローン素体はコヨーテを引き継いでおり、そもそも過剰出力であったコヨーテはFF装甲を載せるとちょうどいい出力に収まった。そのため、迅速な狩りではコヨーテ、本格的な戦闘ではオオカミが使用されることとなったのだ。
「これがスペック、で、私たちが買えるものこれ」
本来社員しか入れない情報源からドローンの詳細を仕入れ、さらにメージャーを売った場合の軍資金から購入可能な重火器を算出、タブレット上に見やすく表示する。
「えーっと、エネルギー兵器じゃ貫けそうにないな。軍用品でもあれば別だけどマーケットには無し。民生品の魔改造じゃ限界がある」
「私が改良してあげるよ」
「……無駄だ。このシールドの厚さはマーケットに転がってる違法改造のビームランチャーを百発は耐える。実弾兵器も運が良くて素の装甲で弾かれるだろうな」
「むー」
頬を膨らませて不貞腐れる妹の頭を掻き撫で、いかにドローンを破壊する方法を記憶の底から探る。丁度その時、大男の四肢がバルカン砲で粉々になりつつあった。最後っ屁で放たれた爆薬はシールドを貫通できず、表面で花を咲かせただけだ。しかし、兄の記憶は閃きを得た。
「成程な、FF装甲は複合装甲化しなくても十分な防御力を持っているから、ふふは、成形炸薬弾の対処がされてない」
「……そんな骨董品マーケットにないよ」
「マーケットにはな。だが昔地球政府軍が置いていったのはある。シャネル将軍は古いタイプの軍人だったらしいし、チルターク社の紛争で使われた記録を見たことがある」
「ってことは、ターちゃんの店?」
兄は強く頷いた。
ター・ホンインはいわゆるスカベンジャーである。火星開拓初期の施設に侵入し、骨董品や値の付くものを持ち帰ったりするのが主な仕事。それを自前の店で売りさばいており、加えて金にがめついのは五番街の住民にとって有名な話だ。
もしかするとバッタリ出くわす可能性のあるドローンを破壊するため、兄妹は必要な資金を調達する算段を考え始めた。ただ破壊したらどんな影響があるのだろうという、好奇心からくる破壊感情だった。
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