第41話 幕間
「宇宙って、暗い……」
ファーラが横をみるとパケは深い眠りに堕ちていた。体を揺すっても起きそうにない。
「はぁ」
パケにとって宇宙は見飽きたものであるが、ファーラにとっては父親が死んだ場所という認識だった。
何度も調査に赴こうと火星捜査局の局長と話し合ったが、のらりくらりと躱されて終ぞ認められることはなかった。
その言い訳の一つに燃料代があり、気になって操縦者に聞いた。
「昔は、それはそれは高額だったらしいですよ?最近は効率も上がって月と地球ぐらいなら安くなったもんです」
「そうなの……ありがとう」
地球生まれの操縦士は何故当たり前のことを聞くのか疑問に思ったが、自分の仕事に集中することにした。先日、核融合炉の事故があったばかりなのだ。
ファーラは窓の外を眺めた。
火星のビルから見る景色とは全く、似ても似つかない。雨は降っておらず、雲もなく、うるさいホログラム広告もない。
分厚い雲に覆われた火星をみると、かつては赤茶けた大地しかなかったというのが信じられなかった。そこにあるのは太陽光に反射して白くうつる火星だけであり、地上とは違って穏やかな顔を見せる雲だけだ。
ビリアンタのようにメガロポリスのただ中に住んでいると世界は狭いと錯覚する。隣人の顔も知らず、局員仲間の顔もよく知らないが、それでも都市構造は頭の中に入っていた。
しかし、宇宙は何を見るにしても望遠鏡のような、拡大する道具が必要だった。地上では目を凝らせば憎いチルターク社のビルを確かめられたが、この宇宙では船一つ探すのに苦労する。
ファーラの中で父親の像が変わっていくのを感じた。
「小さくなっちゃた……お父さん」
きっと、チルターク社にとって重役の秘書の死など虫の一つが爆発に巻き込まれた程度の認識に過ぎないと、ファーラは嫌でも理解してしまった。
大きく、背中の見渡すことのできないほど大きな父親は、ファーラの心の中で急速にしぼんでいく。もしくは、疲れてしまったのかもしれない。
ファーラも眠ろうと瞼を閉じたとき、操縦士がパケの名前を呼んだ。
「パケさん」
「うぁ。なんだ」
「かなり大きい船に呼ばれてます。まだ遠方ですが、相手は早くしろと」
「そいつだぜ。目的地は」
「分かりました。速度を上げますね」
ファーラは少し立ち上がって操縦士の前方にある窓を見たが、さっぱり船影は見えない。宇宙船の速度ですら遠方というのだから、目視でみるのは不可能だった。
「わざわざ元帥がおいでなすったんだ。艦隊訓練の合間かなんかだろうな」
「ああそう」
「小型船はいっつも見てるが、大型船は興奮するぜ」
男はド級とか戦艦が好きだと大学の友達は言っていたのを思い出した。あながち間違いでもないようだ。
「子供」
「……」
パケは黙った。
地球政府は発足以来、宇宙艦隊の出番はなかった。海賊や密輸犯は憲兵の小型船が有利であり、大型船はすぐに逃げられてしまうため不利以外の何物でもなかった。
よく軍人の間でも笑いのタネとなって肩身の狭い思いをする艦隊勤務であるが、スクオピ元帥はそれを咎めなかった。
軍隊は不必要と笑われるべきだと、下士官からの苦情をそう処理していた。しかし、彼のそばに使える中将は最近その言葉を聞かないと意識の片隅で不思議に思っていた。
「よう。あんたが元帥か?」
中肉中背というには肉付きが悪く頬もこけている。頭も寂しい。
「いかにも」
「いい商談がでいるといいぜ」
パケは無駄なものが一切ない艦長室で元帥と二人きりだった。木製の調度品が一切ないところをみると火星のビルと変わりなく、パケは無駄な親近感を抱く。
「フォンテーン大佐に件のものを渡したのを確認した。我々も交渉を始めよう」
「俺はあんたらに情報を渡した。なら情報で買うのがまず一つ」
「ふむ」
皺が深く刻まれている元帥は顎の前に手を組む。パケは一応聞く意思はあると考えた。
「でも、チルタークに情報は渡したくないよな?なら俺が望むのは販路、それか確実な安全だ」
「危ない橋を渡る商人のようだ」
とりとめのない回答にパケはやりずらさを感じた。
「あんたらの配下がビリアンタに大量にいるのは分かってる。それで俺を守ってくれさえすれば、チルタークの情報を仕入れて渡す」
「一考に値する」
皺は全く伸びない。
「ついでに政府が貰ったチルタークの販路を少しこっちに渡してくれるだけでいい。水星とか木星を経由するやつだ」
政府と軍は乖離しているとパケは考えているため、これは受け入れられないと思っていたが、殊の外元帥の思考時間は長い。
「政府の役人を拾い上げたことを交渉に乗せるなら応じよう」
「あれをか?」
「そうだと言っている」
寒気すら感じる語気にパケは落ち着くまでに少しの時間を要する。軍の監視者は近くにおり、なおかつ軍は政府と敵対しているかもしれない。手に入れられた情報だけで首が物理的に飛ぶ可能性を考慮に入れる必要があった。
「安いもんだぜ。今は月に向かってる」
「交渉成立だ。販路、安全を保障しよう」
「いい交渉だった」
内心恐ろしくてたまらないが、笑顔を張り付けて握手した。
「仮面大佐は元気にしてるか?」
気の抜けてしまったパケはナレミに尋ねる癖で聞いた。その瞬間、元帥の皺が深くなる。
「休暇中だ。不慮の事故が無い限りは地球へ戻る予定だ」
パケは地雷を踏んだ気分だった。
頭蓋骨にすら皺が食い込んでいるのではと思うほど、不機嫌な皺が元帥の額にはある。
「元気、なんですねぇ」
そさくさと艦長室を後にした。
外にはフォンデーン大佐と満更でもない笑みで話すファーラがらおり、一声かけるまでもなく大佐はこちらを向く。
短下く切りそろえた頭髪は如何にも軍人らしく、エリート気質を備えた顔だ。
彼はパケを視界に収め入れ替わるようにして艦長室に入った。
「女の顔」
「え、ちょ。やだ」
「はぁ、帰るぞ」
まだ若い反応を残すファーラの正確な年齢をパケは知らなかったが、初心なところをみるにろくな子供時代をおくれていないと断定した。もしくは火星で絶滅危惧種のガリ勉なるものかもしれないと、別の予想を立てる。
そしてかなり無理をさせてきたファーラのことを意外に知りえない自分に軽く驚きつつ、初めての軍艦の廊下を進む。
示し合わせたかのように案内の兵士が何処からともなく現れ、二人を誘導していった。
「良くできた下っ端だ」
「大佐を下っ端っていう人が何言ってんの」
ファーラは知る由もないが、現れた兵士の階級は中佐だった。
「緊張しなくて済むぜ」
「下っ端にしては装飾多いって思ってたのよ。握手したときに大佐って、大佐って!」
「階級章をみろ」
「火星に軍人いないから分かるわけないでしょ」
代わりに火星では企業の制服が軍隊の階級と同じ役割を果たす。もっとも、全てを識別できるのはそれに追われる身の人間だけだろう。
暫く二人はああでもないこうでもないと他愛のない会話をしていたが、ファーラの様子に落ち着きがないことをパケは見抜いた。
「どうした」
彼女は小さく答えた。
「……といれ」
「うん?」
「ああもう!トイレ!あんたを待ってたときからずっと我慢してたの?!」
ひどく赤面しながらファーラは叫んだ。
前を歩いていた中佐にも当然聞こえ、進路を変えて女性用トイレの場所まで案内することとなった。
「この先を右に曲がったところにあります。ここから先は緊急時以外は女性専用空間なので私は立ち入れません」
困り顔の中佐は近くにいた下士官を呼びつけてファーラを案内するよう命令した。
ファーラとその下士官が見えなくなってからパケは口を開く。
「面倒だろうが顔にでねえな」
「……」
「無駄話は許可されてないか」
パケは一人で納得し、中佐は何もしゃべらない。
唐突に暇になってしまったパケは周りを見渡して興味のあるものをみつけようとした。しかし、あの下士官に命令している僅かの間の内に人払いされてしまっている。
ただの民間人、それも勢力と勢力を渡り歩く商人に見せたくないものは一つや二つで終わるはずがない。少しでも露出する機会を減らすため、パケとファーラの周りから人が消えるのも納得したのだった。
それでも、人が行うことに完璧はない。
廊下は几帳面で定期的にドローンが掃除しているのかキラキラと反射しているが、一部凹んだり金属片をこすりつけたかのような汚れが残っていた。
パケは中佐の靴と自分の靴を見比べ、材質が金属ではないことを見抜く。するとパケの中で一つの答えが導き出される。
言葉に出すことが出来ず、もし口にすれば首が物理的に飛ぶと直感する。
「おまたせ」
「……」
「黙りなさい」
「お、おぅ」
結局、そのことを喉から声として発生できたのは帰りの宇宙船の中だった。
漆黒の大海原を蕩けた顔で眺めるファーラの耳元で囁く。少ない間柄だが、自頭は良いためパケには思いつかない考えを口にしてくれることが多々あるためだ。
「耳かせ」
操縦手にはまず届かない声量。
「……盗聴器はなかった」
ファーラは短い経験の中から今の状態、パケの危惧する事態を飲み込んだ。
「さぁな、軍だ」
「おーけー」
「装甲服を背負ってるやつが艦隊訓練にいる。それにトイレの中尉は陸軍の階級章だったぜ」
ファーラの視線が宇宙からパケに移動した。その目は宇宙よりも黒く見えた。
「威嚇目的の軍事訓練、それか……侵攻」
言葉に表していながら、彼女自身が混乱しているのが見てとれた。
「なんだか、矛盾してるぜ」
「……油断させるのが目的だったら?」
「何十年も前から地球と火星の癒着はあるんだぜ、金も人もかかり過ぎる」
パケは老人の皺を思い浮かべた。
あり得なくはない、と。
「あの役人どもにはちと荷が重いかもなぁ」
パケは表面だけ水星の衛星軌道へ向かっている二人の心配をし、生き残る算段を考え始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます