第7話 妹の授業参観 前編

――彼女ができますように。


青く晴れ渡った五月下旬のある日。

おれは賽銭箱の前で必死に神頼みをしていた。


――贅沢は言いませんから、何とぞこの吉崎真也よしざきしんやめに可愛い彼女をお恵み下さい!!


確実に願いを叶えてもらうために、自分の名前を伝えてからもう一度同じことを願う。

彼女を作ることは昔からの悲願だったからだ。

おれは現在高校一年生。高校に入学して一ヶ月以上経つが、彼女どころか女友達すらできず非常に焦っているのだ。

同じクラスにはすでに恋人をゲットした友達も複数存在し、一緒に登下校をしたり休日にデートをしたりして楽しんでいるらしい。

そんなリア充が身近にいるからこそ、焦燥感を覚えてしまい、今こうして神頼みをしてしまっているのだった。


「……よし、こんなものかな」


たっぷり拝んでから、おれは拝殿に背を向ける。

これだけ真剣に願ったのだから、何らかのご利益はあるだろう。

もしかしたら、本当に可愛い彼女ができるかもしれない。

……もっとも、おれはこの神社に祀られているのがどんな神様なのかは知らないが。

彼女が欲しいと願ったものの、実はおれはここがどんな神社なのかを知らない。

学校に向かう途中で見慣れない神社を見つけたから参拝して行くことにしただけなのだ。


「それにしても、こんなところに神社があるなんてなぁ……全然気づかなかったよ。でも境内は広いし、社殿も立派だから絶対ご利益あるよな」


ご利益に期待しながら境内を歩き、鳥居をくぐって敷地の外へ出る。

そして、高校へ向かうべくいつもの通学路を歩き始めるのだった。




高校に到着すると、普段と変わらない平々凡々とした学校生活が始まる。 

退屈な授業をあくび混じりに聴いたり、休み時間に友達と話したり、昼休みに購買で売られていたウマくもマズくもない普通の惣菜パンを口に運んだり……本当に平凡としか言いようのない出来事ばかりだ。


そんな平凡な学校生活を惰性で過ごしているうちに、あっという間に放課後に突入した。

ここで青春を謳歌している学生は部活に精を出したり恋人と放課後デートしたりするのだろうが、残念ながらおれは青春を謳歌していないタイプの学生だ。

放課後にやることなど特にない。

だから、いつものようにまっすぐ帰宅することにした。


学校から自宅までは徒歩十五分ほど。

寄り道をせず、脇目も振らず足早に歩いたため、思ったよりも早く自宅に到着する。

五月下旬ということもあり、空はまだ明るかった。


「ただいま~」


帰宅したことを告げながら、ドアを開けて玄関に足を踏み入れる。

すると、リビングの方から聞き慣れた妹の声が聞こえてきた。


「授業参観来てくれるって言ったじゃん! お母さんの嘘つき!!」


いつもはもっと可愛らしい声なのに、今は少々声が荒ぶっている。何かあったのだろうか……。


「仕方ないでしょ! 急な仕事が入ったんだから」


その後に母親の声も聞こえてきた。

どうやら妹は母親と揉めているらしい。

二人ともかなり大声なので、玄関まで聞こえてしまっている。このまま放っておいたら、外にまで声が届いて近所迷惑になるかもしれない。

面倒だが、ケンカしているなら仲裁するべきだろう。


「二人とも、どうしたんだ? ケンカか?」


靴を脱いで家に上がると、声の聞こえてきたリビングのドアを開ける。


「あ……おかえりなさい、真也。別にケンカってわけじゃないんだけど……ちょっと瑠璃るりの授業参観のことで口論になっちゃったのよ」

「……授業参観?」

「ほら……今週の金曜日に瑠璃の授業参観があるでしょ? 私が行くつもりだったんだけど、急に仕事が入っちゃって行けなくなったのよ」

「ああ、そういうことか……」


母親からだいたいの事情を聞いて状況を把握したので、今度は妹の方へ視線を向ける。

吉崎瑠璃よしざきるり。小学五年生で、おれの妹。

長髪で手足は比較的長く、発育が良いのか十一歳にして体つきは大人の女性に近づきつつある。

身長も同年代の女子の中では高い方で、顔立ちも整っている方だと思う。

これは兄の贔屓目かもしれないが、将来は魅力的な女性に成長するような気がする。

冴えないおれとは正反対の自慢の妹だった。


そんな妹だが、中身はまだまだ子どものようで、今も目に涙を溜めながらシャツの裾をギュッと握っている。

母親が授業参観に来てくれないことがよほどショックだったらしい。


「瑠璃……母さんも別に意地悪で言ってるわけじゃないんだから、わかってやれよ。あんまり母さんを困らせるなって……」


悲しむ妹をこれ以上傷つけないように、できる限り優しく言い聞かせる。

しかし、瑠璃は納得していない様子だった。


「でも、他のおうちの子はみんなお母さんかお父さんが来るんだよ? わたしだけどっちも来ないなんてイヤだよ……」

「まぁ、気持ちはわからなくもないけど……」


おれ達の父親は仕事で忙殺されているから、おそらく授業参観には行けない。

だから母親が行く予定だったのだが、その母親も仕事で行けなくなってしまった。

つまり、まわりの友達はみな親が見守っているという状況で、瑠璃は一人だけ両親に授業を受ける様子を見てもらえないことになる。

まだまだ子どもの瑠璃にとって、それは非常に寂しいことなのだろう。

だが、そうは言っても両親が二人とも仕事なのだからどうしようもない。

どう説得すれば妹は諦めるのだろうか。

そんなことを考えていると、母さんが予想外の提案をしてきた。


「そうだわ。真也が私の代わりに授業参観に出るのはどうかしら?」

「……え? おれ!?」


まったく想定していなかった発言だったため、驚いて声が裏返ってしまう。


「ダメかしら? 真也って、確か今週の金曜日は学校休みだったわよね?」

「確かにその日は創立記念日で休みだけど……」


母さんの言う通り、今週の金曜日は高校の創立記念日で休みだ。

特に予定もないため、授業参観に出ようと思えば出られる。

だが、高校生の兄が小学生の妹の授業を見に行くなど聞いたこともない。授業参観に行っても、生徒とその母親の中で浮いてしまうのが目に見えている。正直、御免こうむりたかった。


しかし、瑠璃はその提案に飛びついた。

先ほどまで今にも泣き出しそうだったのに、今はキラキラと目を輝かせておれを見つめている。


「お兄ちゃんが来てくれるの!? 嬉しい!! 絶対来てね。約束だよ?」


そのまま満面の笑みで抱きついてきた。


「いや……まだ行くって決めたわけじゃ……」


断ろうと思っていたのに、ここまで喜ばれると断りづらい。

瑠璃は昔からブラコンだから、兄が授業参観に来てくれることが嬉しいのだろう。


「よかったわね、瑠璃。お兄ちゃんが来てくれることになって」

「おれの意思は無視かよ……」


こうなると、とてもじゃないが断れる雰囲気ではない。

おれが母親の代わりに授業参観に行くことは完全に決定事項のようだ。


「お兄ちゃん……わたしの授業を見に来るのイヤ?」


おれに抱きついた状態で、瑠璃が上目遣いで見つめてくる。

控えめに言って、めちゃくちゃ可愛かった。

こんな可愛い姿を見せられたら、もう了承するしかない。


「わかった……おれでよければ行くよ」


覚悟を決めて、妹の授業参観に行くと宣言する。

よく考えたら、瑠璃の通う小学校はほんの四年前までおれも毎日通っていた場所だ。

建物内の構造もまだはっきりと覚えている。

OBが後輩の様子を見に母校に顔を出すようなものとでも思えばよい。

小学校に行くハードルが少しだけ下がったような気がした。


おれが授業参観に行くと聞いて、瑠璃は大喜びだ。


「やったぁ! これで友達にお兄ちゃんのこと紹介できる! 実はこの間友達にお兄ちゃんのこと話して、会ってみたいって言われてたんだ!」

「……え? 友達におれのこと話したのか!?」


聞き捨てならない発言に反応してしまう。

少し嫌な予感がした。


「うん。五年生になってから新しくできた友達なんだけど、お兄ちゃんのこと話したかったから話しちゃったの!」

「え~と……何て言ったんだ?」

「超カッコイイお兄ちゃんって言っておいたよ!」

「お前……盛大にウソつきやがったな!」


おれは別にイケメンではない。

身長は高い方だが、顔は普通だし体格に恵まれているわけでもない。……ていうか、イケメンだったらとっくに彼女ができてるよ!


そんな心からの叫びを妹にぶつけそうになるが、瑠璃はすまし顔だ。兄の容姿を誇張して伝えた自覚がないのだろう。


「ウソなんてついてないよ。お兄ちゃんは本当にカッコイイんだから!」

「お前なぁ……」


ダメだ……ブラコンが悪い方向に作用している。

もちろんカッコイイ兄と言って慕ってくれることは嬉しいが、それにしたって限度があるだろう。


――くっそ、どうしよう……瑠璃の友達に会いたくねぇ……


瑠璃が無自覚にハードルを上げたせいで、実際に会ったらガッカリさせてしまう可能性が高い。

それを避けるために、当日は仮病でも使って休もうかななどと考えてしまう。

だが、そんなことをすれば瑠璃が悲しむのは必至だ。

加えて、約束を破ってしまった負い目をこの先ずっと引きずることにもなりかねない。

行くと言ってしまった以上、その約束は何が何でも守るべきだろう。


「おれに会っても落胆しませんように……」


そんなことを祈りながら、おれは妹の授業参観に行く覚悟を固めるのだった。




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