第6話 試着室で……

とある高校の昼休み。生徒たちの話し声で賑わう二年生の教室にて。

購買で買った惣菜パンを口に運ぶオレに、友人が話しかけてきた。


「相変わらず梶原かじはらは可愛いなぁ~。亮介りょうすけもそう思うだろ?」

「……ん? ああ、そうだな……」


友人に言われ、仁崎亮介にざきりょうすけことオレは、先ほどから友人が見ている教室の中央部分に視線を向けた。

視線の先にいるのは、談笑しながらランチタイムを楽しんでいる複数の女子生徒たち。

その中でも梶原舞かじはらまいという名の少女に、オレたちの視線は釘付けになっていた。

いや、オレたちだけではない。クラスの男子生徒の大半が、友達と弁当を食べる梶原の姿に注目している。

それだけ彼女が魅力的なのだ。


「オレ、梶原と同じクラスになれただけでも受験勉強頑張ってこの高校に入学した甲斐があったと思うわ」

「お前、本当にギリギリだったもんな。……まぁ、オレも他人のことは言えないけど」


この高校はこのあたりではかなり偏差値が高く、オレのような凡人ではまず合格できないようなレベルの高い学校だった。

実際、中学生の頃にこの高校を受験したいと話したら、両親や担任教師から考え直すように言われたこともある。その当時のオレの成績を知っていたから、合格の見込みは低いと思われてしまったのだろう。オレ自身も無謀な挑戦であることは重々承知していたわけだし、まわりが止めるのも無理はない。


だから、オレは一心不乱に受験勉強を頑張った。ひとえに梶原舞と同じ高校に通いたかったから。

その努力の結果が少しずつテストの点数に表れるようになり、中学三年生に進級する頃には自分でも驚くほど成績は上がっていた。

もちろんそれでも難関高校を受験するのは厳しかったが、きちんと滑り止めの高校も受験するという条件でこの高校を受けることを両親に認めてもらったのだ。


そうして受験が終わるまで必死に勉強して、見事合格し、現在この高校に通えているというわけだ。


もともと成績の良かった梶原も危なげなく合格し、同じ高校に通うという願いは叶った。

……まぁ、だからといって別にお近づきになれるというわけではないのだが、こうして近くでその可憐な姿を眺められるだけでも努力した甲斐はあると思っている。


「……ところでさっきから気になってたけど、梶原のやつ、少し胸が大きくなってないか?」

「お前……その発言はさすがにキモいぞ……」


クラスメイトの女子の胸に視線を向ける友人に、少し引いてしまう。


「いやいやキモくねぇって! オレらみたいな年頃の男子が女子のおっぱいに興味持つのは自然なことだろ?」

「そうかもしれないけど……」

「それに、胸が成長してるのは事実だと思うぞ? お前だって本当は梶原のおっぱい気になってるんじゃねぇのか?」

「……ノーコメントで」


はっきりと否定できなかったのは、完全に図星だったからだ。

実際、梶原の胸は大きい。制服の上からでもわかるほどだ。

そして、その大きな胸がまだ成長途中だというのも事実だろう。日に日に少しずつ大きくなっていることはオレだって気づいている。

中学の頃から気になっている女子生徒の胸なのだから、興味を持たないなんて不可能に近いのだ。


だが、誤解しないでもらいたいのは、別に胸にしか興味がないわけではないということだ。

梶原はスタイルが良いだけでなく、髪や肌がきれいで声も可愛らしい。

顔立ちはやや童顔気味で高校の制服を着用していなければ中学生と間違われるかもしれないが、そんな幼い顔も彼女の可愛いさを引き立てる要素のひとつと言えるだろう。

そして幼い顔立ちとは正反対に胸だけは大きいから、どうしてもその目立つ部分に視線が吸い寄せられてしまうのだ。


また、当然だが彼女の魅力は外見だけではない。

基本的に物静かであまり自己主張をしないタイプだが、言いたいことがある時ははっきりと主張する。誰かの陰口をつぶやいているところなど見たことはない。陰湿なことを嫌う性格なのだ。


そんな女の子だからこそ、男子のみならず女子にも人気で友達も多い。

今も食事をしながら同じクラスの友達とおしゃべりに興じていてとても楽しそうだ。

その姿は非常に愛くるしく、見ているだけで心を癒してくれる。


そんな梶原を見つめながら、目の前の友人がつぶやいた。


「あ~あ……告ったら付き合ってくれねぇかなぁ……」


その無謀としか言えない考えに、オレは本気で呆れてしまう。


「いや、何言ってんだよ……梶原に彼氏がいることはお前も知ってるだろ」


あんなに可愛い女子高生がフリーでいるほど現実は非モテ男子に都合良くはない。梶原舞にはすでに彼氏がいるのだ。

その相手は同じクラスの土屋つちやという名の男子生徒。

成績優秀、スポーツ万能、眉目秀麗という男なら誰もが羨むハイスペック男子で、野球部のエースとして活躍しており、おまけに教師や生徒からの人望も厚い。

この学校で梶原舞に唯一釣り合う男子と言えるかもしれない。


「そりゃ知ってるけどよ……それでも告ったらワンチャン土屋からオレに乗り換えてくれるかもしれねぇだろ」

「諦めろ。その可能性は宝くじで百回連続一等に当選する確率より低いから」

「そこまで低いのかよ!?」


友人が項垂れるが、事実なので仕方ないだろう。

土屋がハイスペックでいいヤツなのはみんな知っているし、悪い噂も聞いたことがない。

そんな理想の彼氏から冴えない男子に乗り換えるメリットなどあるはずがないのだ。


「……でもまぁ、土屋のおかげでオレたちは毎日梶原の笑顔が見られるんだからそれで充分だろ?」


梶原が土屋と付き合い始めたのは高校一年生の冬だが、その頃から彼女はよく笑うようになった気がする。

その理由は明白で、彼氏に大事にされているからだろう。

また、彼氏ができておしゃれに気をつかうようになったのか、梶原は一段と可愛くなった。もともと素材がいいから、おしゃれをすればその可愛さがより一層引き立つのだ。

そんな美少女が同じクラスにいるおかげで、オレたちのような非モテ男子でも目の保養にするくらいのことはできる。今や梶原に会いたいから学校に来ていると言っても過言ではないかもしれない。

多くの男子にとって、可愛い女の子の笑顔はプライスレスなのだ。

だから、梶原を常に笑顔にしている土屋には感謝しかないのだ。


「……ま、土屋のおこぼれを貰っていることは否定しないけどな」

「そうだろ? 下手に告白でもして梶原と土屋の関係がギクシャクしちまったら、おこぼれすら貰えなくなっちまう。だから告白とか考えるのはやめとけ」

「わかったよ。オレも梶原の笑顔が見られなくなるのはイヤだからな」


どうやら理解してくれたようだ。

できることなら、あの二人には今のままでいてほしい。

誰かが梶原に告白し、梶原がそれを断ったとしても、そのことが土屋の耳に入れば余計な心配をさせてしまうだろう。それがきっかけで二人の交際に暗雲が立ち込めるなんて事態だけは避けたいのだ。


「……つーか、話してるうちに昼休み終わりそうになってんじゃん!! 急いで食っちまわねぇと、午後の授業始まっちまうぞ!!」


教室の時計で昼休みが終盤に差し掛かっていることに気づいたオレは、慌てて残りのパンを口に詰め込み始めた。


「本当だ!! 早く食わねぇと!!」


そうしてオレたちは食べることだけに集中し、何とか昼休み終了間際に昼食を済ませることができたのだった。


午後の授業も滞りなく進み、あっという間に放課後に突入する。

ホームルームが終わると、オレはすぐに教室を出て帰路についた。

その途中で見慣れない神社があったので、こんなところに神社なんてあったかなと思いながらも、せっかくなので参拝してから帰ることにする。


参拝を済ませ、神社の敷地内から出た瞬間、


「……あれ? オレ、何してたんだっけ?」


今しがたの記憶が消え、何をしていたのか思い出せなくなってしまったが、


「……ま、いっか」


特に気にすることなく帰宅したのだった。






それから数日が経過し、晴天に恵まれた休日。

オレは電車に乗ってデパートに向かっていた。

目的は夏服を買うことだ。

五月も下旬になり、暑い日が続くようになったので、本格的な夏が到来する前に夏服を準備しておこうと思ったのだ。


デパートに到着すると、まっすぐ洋服売り場に向かって歩く。

休日なので、デパートは非常に混雑していた。

しかし、洋服売り場は思ったほど客がおらず、他の売り場に比べれば空いている。


「お、ラッキー! 空いてるうちにさっさと買い物を済ませちまおう」


今ならゆっくり服を見ることができるし、レジにも並ばなくて済む。

休日なのに混雑していないのは幸運と言えるだろう。

オレは洋服売り場に足を踏み入れ、さっそく服を見てまわることにした。


「……とりあえずこれを試着してみるか」


手頃なTシャツを見つけ、試着室へ。

着心地がよければ買おうかなと考えつつ、試着室のカーテンを片手で掴んだ。

そして、勢いよく横に引っ張る。


「……え?」


その瞬間、オレは言葉を失った。

その試着室に先客がいたからだ。

その先客の足下に目を向けると、その人が履いていたと思しき靴が置かれている。

試着室の中に靴があるせいで、人がいるとは思わなかったのだ。


「……は?」


試着室にいる先客もオレに気づいたようだ。

目をぱちくりさせながらこちらを見つめている。


試着していたのが中年男性とかなら笑って済まされたかもしれない。

だが中にいたのは、なんと女の子。しかも、オレと同じ年頃の少女だ。

さらに彼女が試着していたのはまさかの下着。

上下おそろいの下着らしく、その両方を身につけた状態で立ちすくんでいる。

つまり彼女は、ブラとパンツ姿を意図せずオレに披露してしまっている状態だ。


「きゃあっ!!」


悲鳴を上げてうずくまる少女。


「ご、ごめ……って……え? もしかして梶原?」


よく見ると、その少女の正体は同じクラスの梶原舞だった。

学校にいる時とはだいぶ雰囲気が違ったので、すぐには気がつかなかったのだ。


「……え? 仁崎君?」


向こうもオレに気づいたようだ。

その場にしゃがみ込み、その大きな胸を両腕で隠しながらこちらを見上げている。


「どうして仁崎君がここに?」

「普通に夏服を買いに来ただけだけど……梶原は……えっとその……下着を買いに来たのか?」

「そうだけど……」


どうやら正解のようだ。……まぁ、ブラとパンツの試着をしている時点で、彼女が何しにここに来たのかは一目瞭然なのだが。

このデパートの洋服売り場は品揃えが豊富で、女性用の下着もたくさん取り揃えられている。

子ども向けから大人向けまで幅広い年齢層のブラやパンツが取り扱われており、また、可愛い下着からセクシーな下着までデザインも様々だ。

選択肢の多い売り場だからこそ、梶原はここで下着を選んでいたのだろう。


「……ていうか、いつまで見てるの!?」


依然としてしゃがみ込んだ状態の梶原が真っ赤な顔でオレを睨みつけてくる。


「ご、ごめん!」


非難の視線から逃げるように、オレはくるりと回れ右をして顔をそむけた。

その状態で背後の試着室にいる梶原に話しかける。


「あ、あのさ……ひとつ聞いていいかな?」

「……何?」

「えっと……ずいぶん派手な下着だけど、梶原って普段そういうのを身につけてるのか?」

「……は!?」


その質問をした瞬間、場の空気が凍った。

梶原からの返答はなく、ただただ気まずい空気が流れるのみだ。


――今の質問はさすがにセクハラだったかな……?


オレはクラスメイトの女子にセクハラまがいの質問をしてしまったことを少しだけ後悔した。

だが、ある程度のセクハラ質問は仕方ない気もする。

何しろ梶原が試着していたのは、上下とも“深紅”という言葉が似合うくらい真っ赤な下着だったのだから。


「……な!? な、な……」


梶原の口から、怒りと羞恥が混ざったような声が漏れた。

そっと首だけ動かして、後ろを見てみる。

現在身につけている深紅の下着よりも顔を真っ赤にした梶原が、わなわなと体を震わせていた。


――改めて見てもスゲェ下着だな……


真っ赤なブラとパンツの存在感は凄まじく、どうしても視線が釘付けになってしまう。あまりにもセクシー過ぎるせいで、油断しているとムラムラしてしまいそうだ。


しかし、落ち着いて考えてみれば少しおかしい気もする。梶原がこんなエロい下着を身につけているという事実がどうしても腑に落ちないのだ。

学校での彼女はどちらかと言うと控えめな性格で自分から大胆なことをするようなタイプではない。

品行方正で身だしなみには常に気を配り、制服も普段からしっかりと着こなしている。

そんな梶原だから下着も清楚なものを着用しているだろうと勝手に決めつけていた。

少なくとも、こんなに派手な下着を身につけるイメージはない。

だからオレは今の梶原の姿に衝撃を受け、思わずあのようなセクハラ質問をしてしまったのだ。


「まぁ、どんな下着を選ぼうが梶原の自由だけど……」

「ち、違うから!」


オレの言葉を強く否定する梶原。


「私、普段はこんな派手な下着なんて身につけないから! ほらこれ……ここに来るまでに身につけていた下着! 普通の白でしょ!!」


それから足下のカゴの中に入れてあった自分の下着を掴むと、オレに見せてきたのだった。


「本当だ……」


模様や意匠の施されていない無地の白いブラジャーとパンツ。セクシーさやエロさなどは感じられない。

どうやら本当に、普段は派手な下着など身につけていないようだ。


……では、なぜ今はセクシーな下着を試着しているのだろうか。

少しだけ考えた後、オレはその答えにたどり着くことができた。


「じゃあもしかして……勝負下着か?」


それが図星であることは、一瞬でわかった。

なぜなら今の彼女の顔は、何十時間も茹でられたタコのように真っ赤になっていたからだ。

いや、顔だけではない。首筋から足の先にかけて、全身が朱色に染まっている。まるで頭から熱湯でもかけられたかのようだ。


――羞恥が極限まで達すると、人間の体ってここまで赤くなるものなんだな……


タコみたいに全身真っ赤っかの梶原を前にして呑気なことを考えてしまう。


そんなオレとは対照的に、梶原はおそらく過去最大に取り乱していた。

恥ずかしさのあまり体を震わせ、目を回し、今にも頭から煙を吹き出しそうになっている。

それでも彼女は混乱している頭で何とか言葉を紡ぎ、大声で叫ぶのだった。


「い、いいからどっか行ってよ! 仁崎君のヘンタイ!!」


オレを罵倒してから、勢いよく試着室のカーテンを閉める。

オレはその場に呆然と立ち尽くすことしかできなかった。


「あの、お客様……どうされましたか?」


騒ぎに気づいた女性店員がオレのところにやって来る。これだけ騒がしくしてしまったのだから当然だろう。


「い、いえ! 何でもないです!!」


クラスメイトの女子の下着姿を見てしまったとはさすがに言えないので、オレはひとまずここから退散することにした。


手に持っていたTシャツを元の場所に戻し、売り場から逃走する。

そのままデパートの出口に向かって歩き始めた。


「あの店員に顔を覚えられた可能性高いし、しばらくこのデパートでは服は買えないな……」


そんなことを考えながら、何も買わずにデパートを出る。

夏服は欲しかったが、あんな騒動を起こしてしまったのだから諦めるしかないだろう。服なら別の店で買えばいいだけだし。


「……それにしても梶原のヤツ、すげぇエロかったな……」


駅への道ん歩きながら、試着室での出来事を思い出す。

勝負下着を身につけた彼女は本当にエロかった。

スタイルが良いので、セクシーな下着はよく似合っていたと思う。

あの姿で誘惑されたら、たいていの男はイチコロだろう。


「あの勝負下着を身につけて土屋を誘惑するつもりなんだろうな……くそっ! 羨まし過ぎるぞ、土屋……」


イケメンのクラスメイトに嫉妬心を抱きながら、オレは帰路につくのだった。






試着室で梶原舞と遭遇した一件から三ヶ月超が経過した九月一日。

夏休みが終了し、新学期がスタートする頃に、オレは土屋と梶原に進展があったことを知ることになる。


新学期初日のその日も朝から非常に暑かった。

そんな暑さの中、熱中症にならないよう水分補給をしながら久々に登校したところ、土屋のまわりに人だかりができていたのだ。

土屋を取り巻いているのは全員男子だ。

女子にモテモテの彼が男子に囲まれているのは珍しい。


「何だ? あの男子たちは……」


気になったので、土屋のそばに近づいてみる。

土屋は何やら自慢話をしている最中だった。


彼の話にそっと聞き耳を立てる。

内容はなんと、夏休みに彼女と大人の階段を上ったという話だった。


思っていたより生々しい話に少々困惑する。

だが、それ以上に土屋に対して親近感を覚えた。

勉強もスポーツもできるイケメンでも、彼女との関係が次の段階に進んだことはやはり嬉しいようだ。

一応相手の名前は伏せているが、はっきり言ってバレバレだった。

土屋が梶原舞と付き合っていることはほとんどの生徒が知っているので、おそらくこの場にいる男子は全員気づいているはずだ。

それでも誰一人、「梶原舞とヤッたのか?」などと訊かないのは、土屋本人が相手の名前を隠しているからだろう。

改めて土屋の人望の厚さを知った。


取り巻きの男子たちは興味津々といった様子で彼の話を聞いている。

みんな思春期真っただ中なので、こういう話には食いついてしまうのだ。


しばらくして、一人の男子生徒が土屋に質問をした。

質問内容は、“どちらが誘ったのか”というものだった。


その質問に、土屋は照れながらも答えてくれた。

彼の返答によると、誘ったのは彼女のようだ。

セクシーな下着姿で誘惑され、我慢できなくなってしまったらしい。


――セクシーな下着ってまさか……


土屋の話を聞いて、三ヶ月前の試着室での出来事が思い起こされる。

あの日、梶原は勝負下着と思しき派手なブラとパンツを試着していた。

もしもあの日の下着を着用して土屋を誘惑したのだとしたら、オレは梶原の勝負下着を彼氏よりも先に見てしまったことになる。

そうだとしたら少し申し訳ないが、土屋に対してわずかな優越感を覚えてしまう。

いや、他の男子に対しても優越感に浸ることはできるだろう。なぜなら女子の下着姿なんて彼氏でもない限り見ることはできないからだ。


――ごめんな、土屋。オレ、お前より先に梶原の勝負下着を見ちまったかもしれない……


彼氏にしか見せない姿を彼氏よりも先に見てしまったかもしれないという可能性に顔がニヤけそうになるのを必死に堪えながら、オレはその後も土屋の話に耳を傾けるのだった。




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