第5話 縞パン最高!

「……俺、何してたんだろうなぁ……」


平日の早朝。平凡な高校二年生の俺は、普段利用している通学路を歩きながら、つい今しがたの記憶を呼び起こそうとしていた。何かしていたはずなのに、きれいさっぱり忘れてしまったからだ。


しかし、なかなか思い出すことができない。

つい先ほどの出来事なのに、どんなに頑張っても記憶が呼び覚まされることはなかった。


「う~ん……ダメだ……まったく思い出せねぇ」


結局、何をしていたのか不明なまま学校に着いてしまう。

時間に余裕をもって家を出たので、朝のホームルームが始まるまではまだ時間がある。


そのため、ゆっくりと教室に向かうことにした。

生徒の少ない廊下を歩き、階段を上り、自分の教室を目指す。

目的地に到着すると、俺は勢いよくドアを開けた。

ほとんどのクラスメイトはまだ登校しておらず、いま教室にいる生徒はごくわずかだ。


そんな静かな教室に入ると、俺は脇目も振らずに自分の席に向かう。

そして着席した瞬間、一人の男子生徒が俺のそばに寄ってきた。


「よぉ、晴也はるや!」


その男子が話しかけてくるが、俺はまったく気がつかない。

登校中に何があったのかがどうしても気になって、まわりの声が聞こえないのだ。


そんな俺を不審に思ったのか、彼はフルネームで再び俺に話しかけてきた。


「……晴也? お~い、森内晴也もりうちはるやく~ん」

「……え?」


しつこく名前を呼ばれたことで、ようやく誰かに話しかけられていることに気がつく。

顔を上げて声の聞こえてきた方へ視線を向けると、そこには普段から見慣れている友人の顔があった。


耕介こうすけか……悪いな、気づかなかった……」


敷倉耕介しきくらこうすけ。高校に入学してから知り合い、一年以上が経過した今も何かとつるむことが多い俺の悪友だ。


そんな悪友が心配そうに訊ねてくる。


「悩み事でもあるのか?」


どうやら俺が上の空だったから、何かあったのかと思ったようだ。


「いや、何もねぇぞ。ちょっと考え事をしてただけだ」


慌てて耕介の発言を否定する。

親友に要らぬ心配をかけてしまい、申し訳なくなった。


「ならいいけどよ……」


悩み事があるわけではないと判明し、耕介も少し安心したようだ。

ただ俺が上の空だったことは事実だ。

少し迷ったが、別に隠すような出来事でもないので、俺はつい先ほどのことを耕介に話すことにした。


「……まぁ、奇妙な出来事はあったんだけどな。そのことについて考えてたんだよ」

「奇妙な出来事?」

「ああ……実は登校中に何かしていたはずなんだけど、何をしていたのかまったく思い出せなくてな……」

「何だそりゃ?」

「奇妙だよな。ついさっきの出来事だから忘れるわけねぇのに思い出せねぇ……」

「確かにそれは奇妙だけど……」

「なぁ……俺、何してたと思う?」

「俺が知るわけねぇだろ!!」


親友に大声でツッコまれてしまう。

そりゃそうだ。現場にいなかった耕介に、俺が何をしていたのかなんてわかるはずがない。


「悪い、悪い。けど、思い出せないってことは大したことはしてないってことだよな?」

「そうだろうな。きっと、ちょっとコンビニに寄ったとか誰かに道を訊かれたとかその程度のことだろ」

「その程度のことだったとしても忘れるとは思えねぇけど……ま、いいか。それだけ俺がぼうっとしてたってことだろうし……」

「まぁ、そういう日もあるよな」


耕介の言う通り、何かしていたとしてもどうせ他愛のないことだろう。

無理に思い出す必要はなさそうだ。


これ以上この話を続けても仕方ないので、ひとまずここで終了にする。


会話が終了すると、耕介はポケットからスマホを取り出して画面を操作すると、その画面を見せながらまったく別の話を振ってきた。


「……ところで話は変わるんだけど、今日『恥じガ』の発売日って知ってるか?」

「あ、そういえば……」


耕介のスマホの画面に映っている画像を見て、俺は今日が『恥じガ』の発売日だったことを思い出す。


『恥じガ』とは『恥じらいガールズ』という漫画の略称で、三年ほど前からとある少年誌で連載しているラブコメ作品だ。

ごく普通の高校に通う平凡な十七歳の少年が主人公で、そんな少年のまわりに魅力的な女の子が次々に集まってくるという、いわゆるハーレム系のラブコメなのだ。

お色気要素も多く、ヒロインたちはことあるごとに主人公の前で裸や下着姿を晒し、その度に顔を真っ赤にして恥じらう様子を第三者の視点で楽しめるというのが売りの漫画となっている。

作者曰く、“女の子の恥じらい”が作品の最大の見どころとなっているから『恥じらいガールズ』というタイトルをつけたらしい。

少々安直だが、分かりやすくて良いタイトルと言えるだろう。


もちろん変態要素が強めなのでかなり人を選ぶ作品であることは否めない。

しかし、趣味嗜好や性癖が合致する読者にとっては至高のラブコメ漫画であることも事実だ。

実際、そういうコアなファンが買い支えているおかげで、この作品は連載開始から三年が経過した今も打ち切られることなく誌面を賑わせ続けているのだ。


そんな『恥じガ』だが、俺も親友の耕介もコミックスを購入するほどにガッツリはまっている。

もともとお色気要素は嫌いではないし、主人公の年齢が自分たちと同じ十七歳なのでいろいろと共感できることも多いのだ。


そして、今日はその『恥じガ』のコミックスの発売日。

俺はまだ購入していないが、耕介はすでに電子書籍を購入済みらしく、画面に『恥じガ』のコミックスの表紙が映し出されている。


表紙からすでにサービス満載で、俺のテンションは一気に高まった。


また、コミックスの一番の良さと言えば、乳首が解禁されていることだ。

雑誌ではあらゆる手段で隠されていたヒロインの乳首が、コミックスでは丸見えになっている。

他にも加筆修正されている箇所は多く、雑誌掲載時よりもはるかに過激になっているため、それを目当てにコミックスを購入するファンも多いのだ。


「……じゃあさっそく読みますか!」

「そうだな」


耕介がスマホの画面を指で横にスクロールし始めた。

俺もその隣に立って、耕介のスマホの画面を覗き込む。

年頃の男子二人がスマホの小さな画面を見つめている状態となった。

傍からだと、思春期の男子二人がエロサイトを閲覧しているようにしか見えないかもしれない。

しかし、実際は全年齢向けの少年漫画を読んでいるだけ。何も悪いことはしていない。

だから、俺たちは堂々と『恥じガ』の最新巻を読み進めた。


読みながら時折、周囲に聞こえないくらいのヒソヒソ声で感想を語り合う。


「やっぱりすごいな……今巻もかなり加筆修正されてて本誌で読んだ時よりはるかにエロい……」

「メインヒロインどころかモブキャラの乳首まで丁寧に描かれてるもんな。パンチラとかブラチラの描写もこだわりが強いし、全裸のシーンなんて素人でもわかるくらい気合い入ってるし……今日学校終わったら、俺も絶対に買おっと!」


率直に言えば、今巻もヒロインが可愛くて最高だった。

サービスシーンは本誌掲載時よりも大胆になっているし、この作品の一番の売りである“恥じらいの表情”もさらに魅力的になっている気がする。

もちろん少年漫画なので十八禁に指定されてしまうようなシーンはないが、生まれて十数年の童貞にはこれくらいの刺激でちょうどよい。

可愛いヒロインがパンチラしたり、胸を揉まれたり、裸を見られたりして恥ずかしがる様子をニヤニヤしながら眺めるのがとても楽しいのだ。


そして当然だが、サービスシーン以外にも見所はたくさんある。

特に見事なのは恋愛シーンだろう。

ラブコメなのでキャラクター同士が恋人になったり、恋愛で悩んだり、時には一人の異性をめぐって親友同士で対立するシーンなどもあるのだが、そのあたりの人間ドラマが本当に秀逸なのだ。

そのドラマが感動的で泣きそうになったこともある。

そういう作品だから、ここまで惹きつけられたのだろう。

改めてこの作品に出会えてよかったと思うのだった。


そんなことを考えながら読んでいるうちに、いつの間にか折り返しのページに差しかかる。


「……そろそろ半分だな」

「もうそんなに読んじまったのか……」


それだけ夢中になって読んでいたのだろう。

あと半分で読み終わってしまうと思うと、なんだか少し切ない気持ちになる。


ここからは今まで以上に楽しみながらページをめくろうと決意して、耕介のスマホの画面を横にスクロールした。


「「……お!」」


その瞬間、俺と耕介は同時に声を上げた。

しかし、それは無理もないことだ。

次のページには、今巻最大のサービスシーンと言っても過言ではないシーンが大ゴマで描写されていたのだから。


「……これは!」

「見事な縞パンだな!」


そのページには、突風でヒロインのスカートがめくれて主人公の男子の目の前でパンチラを盛大に披露してしまうというシーンが描かれていた。

だが、それだけなら定番のラッキースケベシーンだ。ラブコメ作品にはありがちなシチュエーションと言える。

感心したのはヒロインの穿いていたパンツの方だ。

非常に可愛らしく蠱惑的なしましまのパンツが真正面から描かれている。

思春期の男子高校生の性的欲求を満たすには、充分過ぎるほど魅力的な下着だった。


「いや~やっぱ縞パンはいいよな、縞パンは!」


耕介が赤裸々な感想を口にする。


「ああ! このシーンだけでも買う価値はあるよな!」


その感想に俺も全面的に同意した。


「わかってるじゃん! やっぱり晴也も縞パンは好きか?」

「もちろん好きだ! 縞パンは男のロマンと言っても過言じゃねぇ!」

「だよな!」


テンションが上がり、教室で盛り上がってしまう俺と耕介。

それがいけなかったと感じた時にはすでに手遅れだった。

一人の女子生徒が音もなく近寄ってきて、耕介から無言でスマホを取り上げたのだ。

そのせいで俺たちは漫画の続きが読めなくなってしまった。


「おい! 何すんだよ、有本ありもと!!」


耕介がその女子生徒に視線を向け、大声で抗議する。

だが、彼女はひるむことなく俺たちを非難するのだった。


「何すんだじゃないわよ!! 教室でエッチな漫画読んでるあなたたちが悪いんでしょ!!」

「それは……」


女子生徒のあまりの迫力にたじろぐ耕介。

このまま抗議を続けても勝てないと思ったのか、俺に助け船を求めてきた。


「晴也! お前から有本に言ってやってくれよ! 幼馴染みだろ?」

「確かに加奈実かなみとは家が隣同士で小学校の頃からの付き合いだけど……」


目の前の女子生徒・有本加奈実ありもとかなみと俺が幼馴染みだということを耕介は知っている。

だから、加奈実への抗議を俺に一任したのだろう。


しかし、そんなことを一任されても困るというのが本音だった。

確かに加奈実とは幼馴染みだが、仲が良かったと言えるのは小学校までだ。

中学校に進学したあたりから徐々に疎遠になっていき、高校二年生になった現在はほとんど話すこともなくなってしまった。

今さら昔のように仲良くするなど不可能だろう。


だが、それでも耕介よりは俺の方が加奈実のことをよく知っている。

それに、早く漫画の続きを読みたいという気持ちも強い。

そのためには急いでスマホを取り返さなければならないので、俺は覚悟を決めて加奈実と話し合うことにした。


「なぁ、加奈実。スマホ返してもらえねぇかな? 何か勘違いしてるみたいだけど、俺たちが読んでたのは普通の少年漫画だからな?」

「でも、いかがわしい漫画なんでしょ?」

「いやいや、いたって健全な作品だ」

「大声で『縞パンは男のロマン』とか叫んでた人がそんなこと言っても説得力ないから」

「やっぱり聞いてたのか……」


聞かれていたとなると、この口論は分が悪い。

少し騒ぎ過ぎたという自覚があるからだ。

すでに大半の生徒が登校している教室で堂々と「縞パンはいい!」とか「縞パンは男のロマンだ!」とか言ってしまったのは問題だろう。それに関しては反省すべきだと思う。


だが、それにしたってスマホを取り上げるのは横暴だろう。

そこに関しては抗議をやめるつもりはなかった。


「……わかった。もう教室では読まないから返してくれ」

「約束よ?」


そう言って、加奈実が耕介にスマホを返却する。

それを受け取ると、耕介は画面を操作し、電源を落とした。


「ありがとな、加奈実」

「別に……最初から没収する気なんてなかったし……」


ぷいっとそっぽを向く加奈実。

まぁ、彼女は他人の所有物を無理矢理奪うような人間ではないので、俺が何か言わなくても本当に返却するつもりだったのだろう。


「さてと……スマホも取り返したし、俺は席に戻るよ。続きは昼休みに屋上で読もう!」

「そうだな。昼休みが楽しみになってきた……」


昼休みに続きを読む約束を交わし、耕介は自分の席に戻ってゆく。

俺は、続きが読めるのを楽しみにしながら午前の授業を乗り切ろうと決意し、席に座った。

そんな俺の後ろで加奈実がポツリとつぶやく。


「縞パンが好きなんだ……」


しかし、あまりに小さな声だったため、そのつぶやきは誰の耳にも届かなかった。




翌朝。

いつものように早起きした俺は、制服に着替えて朝食を済ませると、学校指定のカバンを持って家を出た。

意外に思われることも多いのだが、俺は早起きが得意だ。

もともと朝型の人間なので、早朝から活動することは大して苦にならない。

そのため平日はできるだけ時間に余裕をもたせて登校するようにしているのだ。


自宅を出た俺は、今日も人通りの少ない早朝の道を歩く。

季節は五月の下旬。日中は気温が上昇することも多くなってきたが、早朝の時間帯は比較的涼しくて過ごしやすい。

周囲の新緑を眺めたり、鳥のさえずりに耳を傾けながら歩くことができるのもこの季節ならではだ。

早起きの習慣はこれからも続けよう――そんなことを考えながら、俺は初夏の道を歩き続けた。


そうして五分ほどが経過した頃。

俺は前方の公園に人影があるのを視認した。


「珍しいな、こんな早朝に……」


通学路にある公園なので毎日近くを通り過ぎるのだが、早朝に人がいることなんて滅多にない。せいぜい夕方に近所の子どもが遊びに来るくらいだ。だから早朝に人がいることに少し驚いたのだ。


公園に近づくにつれ、その姿がよりはっきりと視認できるようになる。


「……ん? あれってもしかして……加奈実?」


見ず知らずの他人かと思っていたが、その人物の正体はなんと幼馴染みの加奈実だった。

腰まで伸ばしたロングヘアに、すらりとした肢体。半袖の制服からのぞく白い肌はとても柔らかそうで、スポーツの経験はないはずなのに全身は引き締まっている。

そして何よりそのキレイな顔立ちは見間違えようがない。

もともと整った顔立ちだったが、高校生になってさらに美人になったとひそかに感じていたその女子生徒は間違いなく幼馴染みの有本加奈実だ。


「おはよう、加奈実。何してるんだ? こんなところで……」


公園にいる人物の正体が加奈実だと判明したので、俺はフランクに話しかけた。


「あ……おはよう、晴也」


向こうも俺に気づいてあいさつを返してくる。

それからこんな場所にいる理由を話し始めた。


「実は今朝、いつもより早く目が覚めちゃってね……せっかくだから早めに登校することにしたの」

「そうだったのか」

「それでね、晴也……もしよかったらなんだけど……」


だが、加奈実はそこで一度会話を中断してしまった。

何やら頬を赤らめて、モジモジとしている。視線も完全に別の方向を向いていた。


「どうした? 加奈実……」


不審に思って顔を覗き込む。

すると、加奈実の頬がさらに赤くなったような気がした。

なんだか言いにくいことを必死に言おうとしている様子だ。

早めに家を出たおかげで時間には余裕があるので、気長に待つことにする。

やがて意を決したように加奈実が口を開いた。


「あ、えっと……たまには一緒に登校……」


そこまで口にした時、ちょっとした事件が起こった。 

なんと、頭上の木の枝から一匹の小さなクモが落ちてきて、加奈実の制服の中に入ってしまったのだ。


「ひっ……」


その瞬間、加奈実の全身に鳥肌が立つのがわかった。


「いやぁぁぁ!!」


そして、公園内に可愛らしい悲鳴が響く。

無理もないだろう。突然クモが服の中に入ってきたのだから。

この状況では誰だって悲鳴くらい上げたくなるというものだ。


「ちょ、落ちつけって!」


何とかなだめようと試みるも、まったく効果がない。

普段の冷静な加奈実とは思えないほど取り乱しており、少し涙目になっていた。


「お願い、晴也! 取ってぇ!」


ついには俺の目の前で制服のブラウスを脱ぎだしてしまう。


「お、おい! 加奈実!?」


ブラウスを脱いだことで、その大きく形のよい胸を包んでいるブラジャーがあらわになる。

しかし、本人はそんなことまったく気にしていない様子で、涙目のまま必死にクモを取ってほしいと哀願するのみだ。よほどクモが苦手なのだろう。


「わ、わかった」


ここまで必死にお願いされたら断れない。

俺は覚悟を決めて、上半身のどこかにいるであろうクモを探し始めた。


だが小さいので、なかなか見つからない。


「くそ……どこだ?」


目を皿のようにして加奈実の首筋から腹部にかけてを隈無く探す。


「あ……いた!」


意識を集中して探していると、下腹部のあたりでもぞもぞと動いている生物を視界に捉えることができた。

具体的な場所は、おへその下の部分。

ずいぶん可愛いおへそだなと思ったが、じっくりと観察している時間はない。


「じゃあ取るぞ……って、うわ! 下半身に逃げ込みやがった!!」


指でつまもうとしたのだが、クモは身の危険を感じたのかスカートの中へするりと入ってしまったのだ。


「……え? 嘘っ!?」


加奈実の狼狽にさらに拍車がかかる。

なりふりかまっていられないといった様子でスカートを掴むと、一気に足首まで下ろしてしまったのだった。


スカートを脱いだことにより、パンツまでもがあらわになる。

つまり、加奈実は早朝の公園で下着姿になってしまったのだ。


童貞には非常に刺激が強い光景だ。だが、今はそんなことを気にしている場合ではないだろう。

直視しづらいが、下着姿になってくれたおかげでターゲットが探しやすくなった。

動く小さなターゲットを見失わないようにじっくりと下半身を観察する。


「……見つけた! よし、今度こそ……」


太股にくっついているクモを発見した俺は、ゆっくりと慎重に手を伸ばした。

また逃げられたら捕まえるのが大変になるし、万が一パンツの中にでも逃げ込まれたらお手上げ状態となってしまう。

そうならないように細心の注意を払いながらクモに手を伸ばし、ついに俺はターゲットを指でつまむことに成功したのだった。


「……よし。取れたぞ」


額の汗をぬぐいながら、未だ涙目状態の幼馴染みに報告する。

クモは近くの茂みに逃がしてやった。


「……本当?」

「ああ、本当だ」

「よかった……ありがとう、晴也」


ようやく落ち着きを取り戻す加奈実。

クモから解放されて、安堵したのだろう。

しかし、この一件はまだ終わっていない。

今の加奈実は下着姿。

幸い早朝なので周囲に人の目はないが、いずれ誰かに見つかってしまうだろう。

人に見つかれば確実に大騒ぎになる。AVの撮影か何かだと勘違いするヤツだっているかもしれない。

そうならないように、俺は今の状況をそれとなく本人に伝えることにした。


「加奈実……そろそろ着た方がいいんじゃないか?」

「着るって何を?」


しかし、当の本人は何のことかわからないようでキョトンとしている。


「だから……制服……」

「……制服? あっ!!」


ようやく加奈実は、自分が現在下着姿だということを思い出したようだ。


「み、見ないで!!」


顔を真っ赤にしてその場にうずくまってしまう。


「うぅ……まさか晴也にこんな恥ずかしい格好を見られるなんて……」


顔だけでなく、全身が朱色に染まっていくねがわかる。

下着姿を晒してしまったことが相当恥ずかしかったようだ。


「安心しろ! なるべく見ないようにしてたから。それより誰か来る前にさっさと制服を着ちまえよ!」

「……うん」


加奈実が先ほど脱ぎ捨てたブラウスとスカートをつかみ、再び身につけてゆく。

俺は幼馴染みの着衣を見ないように、後ろを向くことにした。


加奈実が制服を着る音が耳に届く。

時々艶めかしい吐息まで聞こえてきて、イケナイ妄想をしてしまいそうだ。


頭の中を支配してくる妄想を懸命に振り払っていると、制服を着直した加奈実が話しかけてきた。


「もうこっち見てもいいわよ」


言われた通り、振り返る。

そこにはきちんと制服を着こなした加奈実が立っていた。

顔はまだ少し赤いが、もう取り乱してはおらず、普段の冷静さを取り戻している。

そんな幼馴染みの姿を見て、俺はようやく安堵することができた。


そんな俺に、加奈実が恥ずかしそうに訊ねてくる。


「あの……私の下着、見た?」

「えっと……」

「別に怒ってないから正直に言ってくれていいわよ?」

「ごめん……」


おそらく隠しても無駄なので、見てしまったことを正直に伝えた。


それを聞いた加奈実の顔がさらに赤くなる。


「やっぱり見たのね……で、どうだった?」

「……え? どうって?」

「あなたの好きな縞々の下着をつけてきたけど、どうだったって聞いてるの!」

「あ、そういやブラもパンツも縞々だったな」


先ほどはパニックになっていたから気にならなかったが、確かに今日の加奈実は白とライムグリーンの可愛らしい縞々下着を身につけていた。その下着が似合っていたかどうかを聞いているのだろう。


「まぁその……似合ってたと思う」


どう答えるべきか迷ったが、とりあえず無難な返答をしておく。


「それならよかった……晴也の好きな下着を身につけてきたはいいけど、気に入ってもらえなかったらどうしようって心配だったの」

「どんな心配だよ!? ……つーか、なんで俺の好みの下着を身につけてきたんだ?」


確かに縞パンは好きだが、俺のために身につけてくれた理由がわからない。

そんな俺の前で、加奈実が心底呆れたようや表情になった。


「……本当にわからないの?」

「だから何のことだよ!?」

「まったく……ニブいんだから。あなたのことが好きだからに決まってるでしょ!!」

「……え? ええっ!?」


唐突な告白に、今度は俺の方が取り乱してしまった。


「い、いつからだ?」

「小学生の頃からよ!」

「そんなに前から!?」


まさか加奈実に小学生の頃から好意を寄せられていたとは……。

あまりにも衝撃的過ぎて、何を言えばよいかわからなくなってしまう。

そんな俺に構わず、すっかり冷静さを取り戻した加奈実が話を続けた。


「私は子どもの頃からずっとあなたのことが好きだったの。だから、あなたに気に入られたかった。でも性格とかはすぐには変えられなくて、アプローチしようにもそんな勇気もなくて、どうすれば気持ちに気づいてもらえるか本気で悩んでたのよ。そんな時にあなたが『縞パンは男のロマン』とか言ってるのを聞いて、身につけることにしたの。下着ならすぐに晴也の好みに合わせられるから……」

「そうだったのか……」


正直に言えば、なぜ自分が加奈実のような美人に好かれるのかはわからない。

だが、好意を寄せてくれていたことは素直に嬉しかった。


「……まぁ、見せるつもりなんてなかったけどね。告白だって、どうせするならこんな形じゃなく、もっとロマンチックに気持ちを伝えたかったし……」

「それは……本当に悪かった……」


下着姿を見てしまったのは完全に事故だが、それでも申し訳ない気持ちになってしまう。

しかも、そのまま成り行きで告白するハメになるなんて相当不本意だっただろう。

俺だって好きな相手がいたら、もっとロマンチックに告白したいと思うだろうし。


ちらりと加奈実の方を見る。

まだ今の出来事を気にして落ち込んでいるかと思ったが、意外にもそんなことはなかった。

長年言えなかったことを言えてスッキリしたという表情だ。

立ち直ってくれたなら、もう何も言うことはない。


「いいわよ、許してあげる。恥ずかしかったけど、晴也は何も悪くないし。それより、久しぶりに一緒に登校しない? さっきはそれが言いたかったの」


クモの闖入によって遮られてしまったが、どうやら先ほどは一緒に学校に行こうと言いたかったらしい。

小学校を卒業して以来、一緒に登校したことなんてほとんどない。

だから、先ほどは誘うのをためらってしまったのだろう。


「登校の誘いだったのか……ああ、いいよ。一緒に行こう!」


断る理由などないので、二つ返事で了承する。

その瞬間、加奈実の表情が明るくなった。


「本当に!? じゃあ行きましょうか!」


そのまま上機嫌で歩き出そうとする。

そんな幼馴染みの背中に声をかけ、呼び止めた。


「あ……ちょっと!」

「……ん? どうしたの?」

「いや、さっきの返事だけど……」


告白の返事をするべき。そう思ったから呼び止めたのだ。


「加奈実のことは嫌いじゃない。だけど、えっと……」


だが、返事に詰まってしまった。俺自身が加奈実をことをどう思っているのかわからなくなってしまったからだ。

もちろん幼馴染みとしては好きだ。美人だし、よく知っている相手なので、付き合ったら楽しいとは思う。

だが、それが果たして恋愛感情なのかどうかがわからない。

今まで加奈実を恋愛対象として見たことがなかったため、自分の気持ちがわからないのだ。


呼び止めたものの、何も言えずに黙り込んでしまう。

そんな俺の心情を察したのか、加奈実が優しく話しかけてきた。


「別に返事は今じゃなくてもいいわよ。気長に待ってるから、よく考えてから晴也の気持ちを教えて」

「そうか……わかった」


すぐに返事をしなければと思っていたが、別に焦る必要はないらしい。

気長に待っていてくれるというなら、お言葉に甘えてゆっくり考えることにしよう。


「……じゃ、学校行くわよ! 晴也!」

「そうだな。行こうか、加奈実!」


二人で並んで歩き出す。

隣を歩く加奈実は上機嫌で、今にも鼻唄を歌い出しそうだ。

そんな幼馴染みを見ていると、俺まで嬉しくなってくる。

こうして予期せぬハプニングのおかげで、俺たちは久しぶりに一緒に登校することになったのだった。





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