第15話 完璧なお姉さんだと思ってた 後編

 その日の放課後。

 すべての授業が終了すると、オレは教科書などをカバンに詰めこんでから教室を後にした。

 無言で廊下を歩き、校舎を出て、校門に向かう。

 珍しく屋外には涼しい風が吹いていた。


「……お! 今日は涼しくていいな」


 いつもは夕方でも水分補給が欠かせないくらい暑いのに、今日は少し強い風が吹いているおかげで体感温度は低く感じた。これから少なくとも明日の朝までは比較的快適に過ごせそうだ。


 風のありがたみを全身で感じながら校門に向かい、完全に学校の敷地内から外に出る。

 グラウンドの方からは運動部の元気な声が聞こえてきていた。


 そんな声も学校から遠ざかるにつれて徐々に小さくなってゆく。

 やがて運動部の声はまったく届かなくなった。


 交通量の多い道をまっすぐに歩き、ある程度進んだところで脇道にそれる。

 この道は両側に住宅が立ち並んでおり、この時間帯は比較的人通りが少ない。

 そんな道を無言で歩き続けると、前方に閑静な住宅街が見えてきた。

 ここまで来れば、我が家はもうすぐだ。


 住宅街に足を踏み入れ、自宅のある方向へと進む。

 そうして自宅が見えてきたところで、オレは思わぬ人物と出くわした。


「……あき姉?」


 その人物は背中を向けていたが、よく知っている後ろ姿だったため、オレはその人があき姉であることを一瞬で見破ることができた。


「……え? ゆき君!?」

 

 オレに呼びかけられたあき姉が振り返る。

 その表情から、突然声をかけられて心底驚いているのがわかった。急に背後から名前を呼ばれたのだから、驚くのも無理はない。


「も、もう……おどかさないでよ……」

「ご、ごめん……おどかしたつもりはないんだけど……でも、ビックリさせちゃったよね」


 結果的に驚かす形になってしまったのは事実なので、素直に謝罪する。

 それにしても相変わらず可愛い人だ。高校生になってからより一層きれいになったような気がする。

 顔立ちは整っているし、肌や長い髪は美しいし、完璧に高校の制服を着こなして佇む姿はまさに大和撫子そのものだ。

 夏用のブラウスも丈の短いスカートも、あき姉にとてもよく似合っていた。


 そんなあき姉が慌てたような様子で訊ねてくる。


「え、えっと……ゆき君はもう学校は終わったのかな……」

「う、うん……授業が終わってそのまま帰ってきたところだよ……」


 特別でも何でもない至って普通の会話だが、うまく受け答えができたかは微妙だった。

 好きな人と二人っきりという状況なので、どうしても緊張してしまい、まともに話すことができないのだ。


 だが、緊張しているのはオレだけではないようだった。

 なぜかはわからないが、あき姉もわずかに動揺しているのが伝わってくる。


「そ、そっか……私も今帰ってきたところだよ。今日は部活がなかったから、学校が終わってそのまま帰宅したの……」


 やはり動揺している。声が少し震えているのはあきらかだ。

 あき姉が高校生になってからも会話する機会は何度もあったが、こんなあからさまに動揺することなど一度もなかった。

 何かあったのだろうか。


 不審に思ったオレは、あき姉のことを観察することにした。

 まず顔が少々上気している。

 最初は気温のせいかと思っていたが、今の取り乱している様子を見るにどうも違うようだ。

 その後、今度は視線を下に落とした。

 その瞬間に視界に飛び込んでくる、ミニスカートから伸びたきれいな両足。

 思春期の男子にとっては、充分に性的興奮を覚える光景だ。


――ん? あき姉……やたらとスカートを気にしてるな……


 そこでオレは、あき姉がスカートを手で押さえながらもじもじとしていることに気がついた。

 あき姉は普段からミニスカートを穿くことも多く、そこまでスカート丈を気にするような性格ではない。

 それが今日に限って、なぜか顔を赤らめながらスカートを押さえている。

 本当に何があったのだろうか……。

 気にはなるが、直接聞くのは憚られる。セクハラになってしまいかねないからだ。


 どうしたものかと頭を悩ませていると、一人の女性がオレたちの前に姿を現した。


「あら? 千明に義之くん。おかえりなさい」

「あ……あき姉のお母さん……」


 その女性は、オレもよく知るあき姉の母親だった。

 あき姉に似てきれいな人だ。もう四十歳くらいのはずだが、二十代と言われれば信じてしまいそうなほど若く見える。おそらくあき姉の容姿は、母親からの遺伝だろう。


 そんな美人の母親が、オレたちに近づいてくる。


「お母さん! ただいま」


 親の登場で、気が緩んだようだ。

 あき姉がスカートから手を離し、母親の方に視線を向ける。

 まさにその瞬間だった。

 周囲に突風が吹き、あき姉のスカートをめくり上げたのだ。

 あき姉がスカートから手を離した瞬間を狙ったとしか思えない強風。

 その強風のおかげで、オレはずっと想いを寄せていたお姉さんのスカートの中を意図せず真正面から目撃することになった。


「きゃっ!!」


 悲鳴を上げてスカートを押さえるあき姉。

 オレはその場に硬直して、口を開くことすらできなくなる。


「あらあら……」


 そんな中で、ただ一人母親だけが平常心を保っていた。


 やがて風が収まった頃に、あき姉が真っ赤な顔でオレを見つめてくる。


「ゆき君……見た?」

「え……その……」


 慌てて視線をそらすが、その態度でバレバレだ。

 あき姉が、普段の落ち着いた姿からは想像もできないほど取り乱した様子で釈明を始める。


「ち……違うの、ゆき君! 今日は午後の体育で水泳の授業があったから制服の下に水着を着てたんだけど、替えの下着を忘れちゃって……」

「だからパンツを穿いてなかったのか……」

 

 そう――あき姉はノーパンだったのだ。

 真正面からスカートの中を目撃してしまったため、普通はパンツで隠されているはずの秘部をばっちり見てしまった。

 生まれて初めて見た女の子の秘部はとてもキレイで、同時にとても刺激的だった。少なくとも、中学生のオレには非常に刺激の強い光景に感じられた。

 

 あき姉の顔がますます赤くなる。

 

「やっぱり見られてたぁ……」


 そのまま両手で顔を押さえて、その場にしゃがみ込んでしまった。


「あき姉でもそんなミスするんだ……」


 ちょっと意外だったが、ようやくあき姉が動揺していた理由が判明し、少しだけ安心する。

 替えの下着を忘れてノーパン状態だったのなら、スカートを気にしていたのも納得だ。


「うぅ……恥ずかしいよぉ……」


 しゃがみ込んだあき姉は耳や首すじまで真っ赤になっていて、今にも頭から湯気が出そうな状態だった。

 相当恥ずかしかったのだろう。その心中は、男子のオレでも察することができる。


 あまりの気まずさにオレたちは一言も話せず黙り込んでしまうが、母親だけは普段通りだった。


「まったく千明ったら……高校生になっても相変わらずおっちょこちょいなんだから……」

「……え? 相変わらずおっちょこちょいってどういうことですか?」


 聞き逃せない発言に思わず反応してしまう。


「そのまんまの意味よ? 千明は昔からドジでおっちょこちょいなの」

「ちょっと! お母さん!?」


 あき姉が顔を上げて抗議するが、母親は気にせずに話を続けた。


「千明はね……よくドジをしては泣きべそをかいていたのよ。塩と砂糖を間違えたり、デパートやショッピングモールで迷子になったり、しょっちゅう忘れ物をしたり……そんなだから、未だに彼氏の一人もできないのよね……」

「そうだったんですか!?」


 意外な事実に衝撃を受ける。

 オレの知っているあき姉は美人で優しくて何でもそつ無くこなしてしまう、頼りになるお姉さんだ。

 それがまさかドジでおっちょこちょいな一面もあったとは……意外過ぎてすぐには信じられそうにない。


「義之くんの前ではそんな情けない姿は見せないようにしてたみたいだから、知らなくても無理はないわよ」

「もう、お母さんのバカバカ! どうしてバラすのよ!」

 

 母親に恥ずかしい秘密をバラされたあき姉が涙目で抗議している。

 その姿は何だか子どもみたいでちょっと可愛らしかった。


 そんな可愛い姿をもう少し見ていたかったが、オレはこれ以上この場にいない方がいいかもしれない。あき姉が今、羞恥心でおかしくなっているのは間違いなくオレがいるせいだからだ。

 あき姉に落ち着いてもらうためにも、早急にこの場を離れた方がよい。


「え〜と……とりあえずオレは帰りますね。さよなら」


 即刻退散すべく、すぐ目の前にある自宅へと歩き出す。


「はい、さよなら。また明日ね」


 そんなオレに向かって、母親はのんきに手を振っていた。





         ◇◇◇◇◇


「……ようやく着いた」


 自宅に到着したオレは鍵を使ってドアを開けた。

 そして家に入り、内側から鍵をかける。

 脳裏に浮かぶのは先ほどの光景だ。


「あき姉……オレが相手だったのにだいぶ取り乱してたな……」


 恥ずかしかったのはわかるが、あそこまで取り乱していたのは意外だった。

 てっきりオレのことなど弟としか見ていない気がしていたから、ノーパン姿くらい見られても平気だろうと思っていたのだ。

 それなのに、先ほどのあき姉は本気で恥ずかしがっていた。

 それは少なからずオレのことを男と意識している証拠だろう。

 弟ではなく、男として見てもらえるのはすごく嬉しいことだ。どうしても顔がニヤけてしまう。


 そして、嬉しい情報はもうひとつあった。

 未だに彼氏の一人もできないという母親の発言だ。

 あの言葉が本当なら、あき姉はまだ男女交際の経験がないことになる。

 仲の良い男子くらいはいるかもしれないが、仮にいたとしても友だち以上の関係にはなっていないということだ。

 つまり、あき姉は現在完全にフリーの状態。

 それならば、自分にもまだチャンスがあるかもしれない。

 今回の一件であき姉がオレを年頃の男子と意識していることは判明したし、努力次第であき姉の彼氏になれる可能性は充分にあるだろう。


「……とりあえず、今日から毎日筋トレしよう!」


 あき姉に釣り合う男になるためにも、まずは外見を磨かなければならない。

 そんな男になるための第一歩として、まずは今夜から筋トレを始めることにした。 


 

 

 

 



 


 

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