第57話 英語を頑張ろうと思った瞬間 後編

 とある休日の昼下がり。

 オレ・須崎勇すざきゆうは勉強の息抜きも兼ねて近所のコンビニに出かけることにした。


 我が家から最も近いのは駅前にあるコンビニだ。

 自宅から徒歩十分ほどなので息抜きや気分転換の散歩にちょうどよい距離と言える。

 オレはさっそく出かける準備を始めた。


 そうして準備が完了すると、半袖のTシャツに短パンという非常にラフな格好で家を出る。

 コンビニへ行くだけなので持っていく荷物はそんなに多くなくても問題ない。

 ズボンのポケットに財布とスマホを突っ込んだだけだ。

 手ぶらのおかげで非常に快適だった。


「ふあ〜あ……眠いな……」


 歩き慣れた道を、オレはあくびをしながらひたすら進む。

 今日も朝から暖かく、太陽が西に傾きかけた今もおだやかな陽気なので、ぼーっとしているとどうしても眠くなってしまうのだ。


 そんなふうに睡魔と闘いながら、なおも足を動かし駅前のコンビニへ向かう。

 そのおかげで血行がよくなったのか、睡魔はだんだんと弱まっていった。


 そして、出発してからおよそ十分後。

 特に問題が発生することもなく駅前に到着することができた。


 休日の昼間だからか駅前はそれなりに混雑しているような気がする。

 よく見たらサラリーマンと思しきスーツ姿の社会人やジャージ姿の学生も人混みの中にたくさん混じっていた。

 きっと仕事や部活の帰りだろう。

 休日なのにご苦労さまと思いながら、オレはすぐそこにあるコンビニを目指すのだった。


 だが、数歩進んだだけですぐに足を止める。

 コンビニはすぐ目の前なのにその場で立ち止まったまま動くことができない。

 なぜなら駅の構内から超絶美人の女性が出てきたからだ。


「うわ……めちゃくちゃキレイな人だな……」


 長くさらさらな金髪をなびかせ、堂々と歩く女性。

 顔はキリッとしており、瞳は蒼く、スタイルもよい。

 半袖の白いTシャツにジーパンというラフな格好をしているが、色気がハンパなかった。

 そしてTシャツは遠目でもわかるくらい膨らんでおり、彼女の胸の豊かさが窺える。

 もちろんバストだけでなく、ウエストやヒップも魅力的だ。

 まさに『ボンッキュッボン』という表現が当てはまるようなスタイルの欧米人女性だった。


 そんな彼女の姿にオレの視線は釘付けになる。

 いや、オレだけではない。

 周囲の通行人たちも彼女の美貌に見惚れてしまっているようだった。


(もう少し近づいてみようかな……)


 そのうち遠くから眺めているだけでは満足できなくなり、近くで観察したいと思うようになる。


 気づけばオレは駅の方へと歩き出していた。


 一方、駅の構内から出てきた美人の欧米人女性は、その場に立ち止まってスマホを操作していた。


 もしかしたらスマホで道を調べているのかもしれない。

 あるいは家族や友だちに連絡でもしているのだろうか……。

 

 何にせよ視線を手元のスマホの画面に落としているおかげで目の前まで近寄っても気づかれることはなかった。


(近くで見ると美人だってことがよくわかるな……)


 気づかれていないのをいいことに至近距離で彼女の顔をまじまじと見つめる。

 長いまつ毛も柔らかそうな唇も整った顔立ちも、すべてが彼女を美人たらしめている要素のように感じられた。


(もっと近づいたら、いいにおいがするかな?)


 女子のにおいなら今まで学校で何度も嗅いだことがある。

 可愛い子や見た目に気を使っている子からは香水やシャンプーの甘いにおいが漂っていることが多いイメージだ。

 だから目の前のこの女性からも甘いにおいが漂ってくるかもしれない。


 そう考えたオレは、彼女とすれ違うつもりでさらに近づいていった。


 だが、それがいけなかった。


 彼女の姿に見惚れていたオレは、彼女とオレの間に段差が存在していることを完全に失念してしまっていたのだ。


 そのため段差につまずいて盛大に転んでしまう。


 しかも転んだ先には、未だスマホを操作中の女性が立っている。

 

 ぶつかる直前で彼女はオレの存在に気づいたようだが、時すでに遅く、抵抗することもできずにオレの転倒に巻き込まれてしまうのだった。


 ドサッという音を立てて、オレは前から、彼女は背中から地面に倒れる。

 あまりに大胆な転び方だったせいか、通行人たちの注目が集まった。


「いてて……」


 幸い怪我はなかったため、そのことに安堵しながら立ち上がろうとする。


 だがその瞬間、オレは自身の右手が何か柔らかいものを掴んでいることに気がついた。


「……何だ?」


 その感触の正体が気になり、右手に視線を落とす。


「え……これって……」


 感触の正体を知るや否や、血の気が引いていくのを感じた。

 あろうことかオレの右手は彼女の豊かな胸をしっかりと鷲掴みにしていたのだ。


「す、すすすすみません!!」


 慌てて右手を胸から離し、中腰の状態で距離をとる。


 わざと触ったわけではないのだが、ものすごく悪いことをした気分になってしまった。


 申し訳なさそうに謝罪するオレを、真っ赤な顔で睨みつけてくる女性。

 わざとではないとはいえ、公衆の面前で胸を鷲掴みにされてしまったので、怒りや羞恥を感じているのだろう。

 彼女は顔を真っ赤にしたまま両手で自分の胸を隠すと、何やら英語でまくし立ててくるのだった。


「え〜と……」


 怒っていることは理解できるのだが、いかんせん英語は苦手だから何を言っているのかさっぱりわからない。

 しかも非常に早口なので、相当英語が得意な者でなければ聞き取るのは不可能だろう。


 そのためどんな反応をすればよいのかわからず、困ってしまう。

 オレにできるのは、ぽかんとした表情で非難の言葉をとりあえず聞いておくことだけだ。


 それからしばらく彼女は非難を続けたが、まったく通じていないことを理解したのか、やがて口を閉じて何も言わなくなる。

 言葉が通じない以上、何を言っても無駄だとようやく気づいたらしい。


 その後、彼女は無言で立ち上がると、オレのことなど目もくれずに早歩きで立ち去ってゆく。


 オレはその場を動くこともできずに、その後ろ姿をじっと眺めていた。


(……それにしても柔らかかったな)


 彼女の後ろ姿を眺めながら、今しがたの出来事を思い出して余韻に浸る。

 右手には、非常に柔らかく張りのあるおっぱいの感触が未だに残っていた。


(……この感触は一生忘れずにいよう)


 意図せず触ってしまったおっぱいの感触を思い出すと、どうしても顔がニヤけてきてしまう。


 これから先どんな困難に直面したとしても、今日の出来事を思い出せば、乗り越えられるような気がするのだった。 


         ◇◇◇◇◇


 例の胸揉み事故からおよそ一週間後。


 いつも通り登校し、朝のホームルームが終わると、友人の男子生徒がオレに話しかけてきた。


「おい、須崎! 隣のクラスに美人の転校生が来たみたいだぞ。しかも海外の女子だからスタイル抜群だ! 一緒に見に行かないか?」


 どうやら隣のクラスに転校してきた海外の女子生徒のことが気になるらしい。

 興奮気味に見に行こうと誘ってくる。


「……別にいいけど」


 特に誘いを断る理由もなかったので、オレは友人と一緒にその転校生の姿を拝みにいくことにした。


 さっそく廊下に出て、二人で隣の教室に向かう。


 その女子生徒は非常に目立つ外見だったため、教室の中を覗くとすぐに見つけることができた。


(……あ! あの子は……)


 彼女の姿を一目見た瞬間、オレは驚愕する。

 隣のクラスに来た転校生の正体は、約一週間前に不可抗力で胸を鷲掴みにしてしまったあの女性だったからだ。


(こんな偶然あるんだな……つーか、大人っぽい見た目だったから年上だと思ってたよ……)


 駅前で会った女性が同級生だったという事実に驚き、困惑する。

 しかもこの学校に転校してくるなんて完全に予想外だ。

 あの時はもう二度と会うことはないだろうと思っていたのに、まさかこんな形で再会するとは……。


 だが、これは彼女と親しくなるチャンスかもしれない。

 クラスは違っても同じ学校に通う同級生なのだから、これから顔を合わせる機会はいくらでも訪れるだろう。

 彼女は思わず見惚れてしまうほどの美貌を誇っているし、何よりスタイルがよく豊かなおっぱいが魅力的なので、是が非でも仲良くなりたかった。


 しかし、そのためには英語のスキルが必須になってくる。

 なぜなら、彼女は日本語をほとんど話せない可能性が高いからだ。

 もしも話せるならあの日は、日本語で話していただろう。


 つまり、最低でも英語で日常会話ができなければ彼女に近づくことは難しいということになる。


 もちろん翻訳アプリなどを使えば話せないこともないだろうが、翻訳すると言葉のニュアンスなどが変わってしまう可能性もあるので、やはり普通に話せるに越したことはない。


 少なくともスピーキングとリスニングのスキルを上げなければ彼女と仲良くなるなんて夢のまた夢だ。


(英語の勉強……頑張ってみるかな)


 英語に対してあれだけ苦手意識を持っていたのに、今は英語の勉強がしたくて仕方ない。

 

 彼女と再会しなければ、そう思うことなどなかっただろう。


 英語を頑張ろうと思わせてくれた彼女に対し、オレはひそかに感謝の念を抱くのだった。

 


 

 

 

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