第12話 お兄ちゃんって呼んでもいい? 後編

 真優の言っていたカフェは、歩いて数分の場所にあった。

 なかなかオシャレなカフェだ。女性に人気の店なのか、ガラス張りの店内は女性客であふれている。


 そんなオシャレなカフェに、俺と真優は入店した。

 

「こういう店ってあまり入ったことないけど、結構居心地よさそうだな……」

 

 店内に漂う穏やかな雰囲気に包まれて、俺は唐突に安心感を覚える。こんなオシャレな店、俺一人だったらまず入店しようと思わなかっただろう。

 きれいな内装に、聞き心地のよいBGM、そしてコーヒーの芳ばしい香り。そのすべてが、仕事で疲弊した俺を癒やしてくれているかのようだった。


「……あ! あの席、空いてるよ!」


 真優が空席を見つけて、俺の腕を引っ張りながらそこに向かう。

 俺も無言でついてゆき、その席に向かい合って座った。

 程無くしてウェートレスがやって来たので、コーヒーとサンドイッチを二人分注文する。

 それから、注文した料理が運ばれてくるまで俺たちは雑談しながら過ごすことにした。


「なぁ真優……何で突然ランチしようなんて言い出したんだ?」


 お冷で喉を潤した後、一番気になっていたことをストレートに訊ねる。真優は、「パンツを見たお詫びにランチを奢れ」と言っていたが、俺にお詫びをさせたいからランチに誘ったとはどうしても思えなかったのだ。


 そんな俺の疑問に、真優が不安そうな顔で恐る恐る聞き返してくる。


「……迷惑だったかな?」

「いや、迷惑だとは思ってないけど……」


 俺が即答したことで、真優の表情が再び明るくなった。


「よかった……強引に連れてきちゃったから、迷惑に思われてたらどうしようって心配してたんだ」

「強引に連れてきたって自覚はあったんだな……まぁそれはいいけど、本当に何で俺をランチに誘ったんだ? お詫びさせたいっていうのはたぶん建前だろ?」

「やっぱりバレてたんだね……そうだよ。パンツを見られたことはもう怒ってない。……まぁ、すっごく恥ずかしかったけど」


 歩道橋での出来事を思い出したのか、頬を赤らめる真優。

 それからお冷を少しだけ口に含んで飲み込むと、本当の理由をゆっくりと話し始めた。


「あたしが良樹お兄ちゃんを誘ったのはね……亡くなった兄に似てたからなの……」

「真優のお兄さんに似てた……?」

「うん……あたしのお兄ちゃん、三年くらい前に事故で他界しちゃって……お兄ちゃんのこと本当に大好きだったから今でもあの時の悲しみが忘れられないの。そんな時に兄にそっくりな良樹お兄ちゃんと出会ったから嬉しくなって、もっと一緒にいたいって思っちゃったんだ……」

「それで強引にランチに誘ったのか……」


 話を聞いてようやく納得することができた。

 確かに一緒に食事をすれば、少なくとも食べ終わるまではそばにいることができる。

 ランチに誘ったのは、とっさにそう考えたからのようだ。


 ふと店の外に視線を向ける。

 店外では、今の真優の心境を表すかのように雨が降り始めていた。……まぁ梅雨時だし、今にも降りそうな空模様だったから雨が降るのは仕方ないだろう。むしろ、降り出す前に屋内に避難できたことに感謝すべきだ。


 そんなことを考えながら、再び視線を真優の方に戻した。


「それにしてもビックリしちゃったよ! 良樹お兄ちゃんの顔をよく見たら、お兄ちゃんとそっくりなんだもん!」


 真優が少し興奮気味に語る。


「……ちなみに、お兄さんってどんな人だったんだ?」


 興味本位で訊いたつもりだったが、この質問は失敗だったかもしれないと少しだけ後悔することになった。

 真優が突然立ち上がったかと思うと、力強く宣言したからだ。


「すっごく優しくてカッコよくて素敵な人だったよ!!」


 店内に響き渡る真優の声。

 店員や他の客から注目を浴びてしまう。


「あ……ごめんなさい……」


 周囲の視線に気づいた真優が、ばつが悪そうに着席する。

 俺は声をひそめて話しかけた。


「え〜と……優しくてカッコよくて素敵なお兄さんだったって聞こえたんだけど……」

「うん。そう言ったよ!」

「で、そんなお兄さんと俺が似ていると……」

「本当にビックリだよね。こんなに似ている人がいるなんて」

「いやいや、似ても似つかねぇじゃねぇか!!」


 思わず大声でツッコんでしまった。

 再び周囲から注目を浴びるが、そんなことはどうでもいい。

 今は俺のことを超ハイスペック男子のように認識している真優の誤解を解くのが先決だ。


「俺は優しいわけでもカッコいいわけでもねぇぞ!?」


 自分で言ってて悲しくなるが、事実なのだから仕方がない。

 平凡としか言いようのない顔立ちだし、背が高いわけでも体格に恵まれているわけでもない。お世辞にもイケメンとは言えないだろう。

 だが、真優はそうは思っていない様子だ。


「謙遜しなくてもいいのに……良樹お兄ちゃんはあたしのお兄ちゃんと同じでカッコいいよ!」

「大丈夫か、この子……」

 

 急に真優の将来が心配になってくる。いくらなんでも、男を見る目が無さすぎるだろう。

 というか真優の兄とやらも、本当に俺に似ているならあまりカッコよくはなかったんじゃないだろうか……。

 故人に対して失礼だと自覚しつつも、ついついそんなことを考えてしまうのだった。


「……あ、サンドイッチがきたよ!」


 そんな会話をしているうちに、注文したコーヒーとサンドイッチが運ばれてくる。


「言いたいことはまだまだあるけど……まぁいいか。さすがに腹減ったし、メシにしよう」


 サンドイッチが目の前に置かれたので、俺たちは会話を中断し、食事に集中することにした。

 とはいえ、注文したのはコーヒーとサンドイッチだけなので、食べるのにそこまで時間はかからない。

 俺はあっという間に平らげてしまった。


「そういえば……」


 食後のコーヒーを味わいつつ、真優に話しかける。


「どうしたの? 良樹お兄ちゃん……」

「今さらだけど、こんなところでメシ食ってていいのか? 何か用事があったんだろ?」

「……え? 用事なんてないよ?」


 きょとんとした顔で真優が見つめてくる。


「じゃあ何でこの時間帯に街中にいたんだ? 学生はまだ学校のはずだけど……」

「ああ、そんなこと気にしてたんだね。別に用事があったわけじゃないよ。単に午後の授業を受けたくなかったから仮病を使って早退しただけ」

「とんだ不良娘だな!」


 何か事情があって早退したのかと思っていたら、まさかのサボりだった。

 制服を着崩していることといい、不良の気質があるのかもしれない。


「だってぇ〜午後の授業を受けるの面倒だったんだもん」

「可愛く言ってもサボったことに変わりはないぞ……」


 正直、呆れて何も言えなかった。

 ……まぁこの子の保護者というわけではないので、強く非難する気もないのだが。


「ところでお兄ちゃん……」

「……何だ?」

「ケーキも注文していい?」

「サボったっていうのにまったく悪びれる様子がないと逆に清々しいな……いいよ。好きなだけ頼め」

「やったぁ! ありがとう、お兄ちゃん」


 笑顔でウェートレスを呼び、注文を伝える真優。

 俺は、冷めかけのコーヒーを飲みながらその様子を無言で眺めていた。

 思えば、真優と会ってまだ一時間くらいしか経っていないのに、ずいぶん彼女のことを知ることができたような気がする。

 大人っぽい外見とは対照的に子どもっぽいパンツを穿いていたり、三年前に亡くなった兄を今でも偲ぶほど兄想いだったり、優しくて真面目な子かと思いきや不良っぽい側面があったり……。


 だが、それらはまだ真優の一部に過ぎないだろう。

 俺の知らない一面がまだまだあるはずだ。

 俺はいつの間にか、真優のことをもっと知りたいと思うようになっていた。


「はぁ〜ごちそうさまでした!」


 やがて真優が食後のケーキを食べ終える。

 とても幸せそうな顔だ。

 それだけケーキが美味だったのだろう。


「じゃあそろそろ出るか」


 満足してくれたようなので、これ以上店に留まる理由はないと判断し、俺は席を立った。


「うん……そうだね」


 真優もつられて席を立つ。

 それからレジで会計を済ませると、俺たちは店から出るのだった。


 つい先ほど降り出した雨はすでに止んでいた。

 ほんのわずかな間しか降らないタイプの雨だったようだ。

 今は灰色の雲の間から青空が見えている。

 これなら今日はもう雨が降ることはなさそうだ。


――結局、カバンの中の折りたたみ傘を使う機会はなかったな……


 青空から差し込む太陽の光に目を細めながら、歩き出す。

 そんな俺の背後から真優が話しかけてきた。


「あの……」

「……ん? どうした?」

「今日はありがとう……久しぶりにお兄ちゃんに会えたみたいで楽しかった……」

「それならよかった。俺も楽しかったよ」

「それで、よかったらなんだけど……連絡先交換しない?」

「……連絡先?」

「そう……今後も連絡を取りたいから……ダメかな?」


 そういう真優の両手にはスマホが握られていた。

 本気で連絡先を交換するつもりのようだ。


「もちろんいいけど……」


 俺もポケットからスマホを取り出し、片手で画面を操作する。

 そうして俺たちは互いの連絡先を交換した。


「ありがとう、良樹お兄ちゃん! これでいつでもお話ができるね」

「そうだな。俺もこれで真優とお別れになるのはちょっと寂しいと思ってたから、連絡先を交換できてよかったよ」


 それを聞いた真優の表情が明るくなる。


「じゃあさ、休みの日に一緒にお出かけしようよ!」

「え……二人でか?」

「もちろん! 行き先はどこでもいいよ。遊園地でも映画館でも動物園や水族館でも……良樹お兄ちゃんとならどこに行っても楽しいと思うから……」


 もうほとんどデートのお誘いだ。

 そんなことを言われて嬉しくない男などいない。

 気づけば俺は、真優の誘いを二つ返事で承諾していた。


「わかった。休日になったら、一緒に出かけようか!」

「……本当に!? 絶対だよ!?」

「ああ、絶対だ!」


 俺と真優の間で約束が交わされる。

 この約束だけは何が何でも守らなければなと強く思った。


「……じゃあ、あたしはこっちだから。またね、良樹お兄ちゃん」

「またな、真優」


 別れのあいさつを交わし、去ってゆく真優。

 俺はその姿が見えなくなるまで彼女のことを見つめていた。


「さてと……とりあえず、真っ先にやらなきゃならないことができたな……」


 強く拳を握り、決意を固める。

 真っ先にやらなければならないこと――それは今の会社を辞めることだ。

 残業や休日出勤が当たり前で有休もまともに取らせてもらえない今の会社に勤めたままでは、真優と過ごす時間を確保するのが難しい。

 それどころか、平然とハラスメントが横行する職場で心を病んでしまったら、お出かけどころではなくなってしまうし真優にも心配をかけることになるだろう。

 そんな事態を避けるためにも、今の会社などさっさと辞めて、ちゃんと労働基準法を遵守している会社に転職するべきだ。 

 会社を辞めると決めた瞬間、足取りが軽やかになったような気がした。


「転職か……リスクもあるけど、やるしかないよな」


 真優と会わなかったら、会社を辞める決断なんてできないままだっただろう。

 ブラック気味な会社に見切りをつけるキッカケとなってくれた彼女には本当に感謝しかない。


「よ〜し……今日会社に戻ったら、さっそく退職する旨を伝えるぞ!」


 そう決断した俺の心は、梅雨の晴れ間のように晴れやかだった。


 

 

 

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