第50話 イルカに近づいてはいけません⑤

 ナンパ男たちが立ち去った後は邪魔が入ることもなく、やがて入念なストレッチは終了する。


 体もだいぶほぐれただろう。


 これで安全に海水浴を楽しめるはずだ。


「準備運動も終わったし、海に入ろうよ!」


「ああ!」


 オレたちはキラキラと輝く波打ち際へ向けて並んで歩き出した。


 そして足の先から少しずつ海に入ってゆく。


 気温が高く人が多いせいか、海水は思ったほど冷たくはなかった。


「勇吾くん、それそれ〜!」


 瑠衣ちゃんが両手で海水を掬ってオレに浴びせてくる。


「うおっ! やったな、瑠衣ちゃん!」


 オレも同様に海水を掬って浴びせ返した。


「きゃっ!! 冷た〜い!」


 可愛いらしい悲鳴を上げる瑠衣ちゃん。

 

 太陽光である程度温められている海水だが、それでもお腹や太ももなどの敏感な部分に当たると冷たいと感じるのだ。


 そうしてお互いに水をかけあって海水の温度に体が慣れたところで、次は泳ぎで勝負しようと提案された。


「勇吾くん! 遠泳で競争しようよ!」


「遠泳かぁ……オレ、そこまで長い距離は泳げないけど……」


「それなら距離は短くてもいいよ!」


「わかった! 勝負しようか!」


「やった! 負けないからね〜?」


「オレの方こそ!」


 こうして泳ぎの勝負が始まる。


 オレは、いつの間にか自分が海水浴を全力で楽しんでいることに気がついた。


 最初は海になんて来たくないと思っていたのに、いざ来てしまえば意外と楽しめるものだ。


 きっと瑠衣ちゃんと一緒だから楽しいのだろう。


 オレを強引にでも外に連れ出してくれた従妹に感謝しつつ、オレは全力で泳ぐのだった。




「なんか腹減ってきたな……」

 

 その後も夢中になって遊び続けているうちに、オレは空腹を感じるようになっていた。


 そろそろ昼食の時間なのだろう。


 だから、一度祖父母の家に戻って休憩しないかと提案する。


「瑠衣ちゃん。腹も減ってきたし、一度帰らないか?」


 しかし、彼女はまだ遊び足りないようで帰りたくないと主張してきた。


「え〜まだ海で遊んでたいよ……」


「そう言われてもな……」


 彼女の可愛らしいワガママに、オレは頭を悩ませる。

 もう少し海で遊んでいたいという気持ちは理解できるが、そろそろ食事や水分補給をしなければならないし、何より両親や祖父母が心配するから戻った方がよいのだ。


「お願い……もうちょっと遊ぼうよ」


 うるうるとした瞳で懇願してくる瑠衣ちゃん。


 その姿は非常に愛らしく、さすがにムリヤリ連れ帰る気にはなれなかった。


「わかったよ……じゃあ今日は海の家で何か食べようか。両親にはオレから言っておくから」


 そこそこ人の多い海水浴場なので、浜辺には海の家が建っている。

 今日はそこで食事をしようと考えたのだ。


 その提案に、瑠衣ちゃんが諸手を挙げて賛成する。


「わ〜い! わたし、焼きそば食べたい!」


 どうやら昼食休憩を挟むこと自体は反対ではないらしい。


「決まりだな。とりあえず財布を取りに行くけど、瑠衣ちゃんはどうする?」


「わたしはここで待ってるよ」


「でも、一人で大丈夫なのか? さっきみたいにナンパされたり……」


 先ほどの出来事が思い起こされる。

 一人にしたら、また知らない男にナンパされるのではないかと心配になってしまった。


「じゃあ、あっちの岩場で待ってることにするよ。あそこなら滅多に人は来ないから」


「ああ、あの岩場か……」


 この海水浴場には少し離れた場所にちょっとした磯になっている岩場が存在する。


 オレも幼い頃は祖父母の家に来る度に両親に連れていってもらったものだ。


 岩場の海水が溜まっている部分に小魚や潮招きやヤドカリがいたり、海藻が水中でゆらゆらと揺れていたりしてなかなか楽しかったことを覚えている。


 確かにあの磯なら人は少ないので、ナンパされる可能性も低いだろう。


「わかった。じゃあ、すぐに戻ってくるから岩場で待っててくれ!」


「うん!」


 こうしてオレたちは一度別れることになった。


 海から出て浜辺を歩き、急いで祖父母の家へと戻る。


 家に着くと両親と祖父母に事情を説明し、財布と冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターを2本手提げバッグに入れて再び家を出た。


 だが、海へ戻ろうとしたところでオレは思わず足を止める。


 家からほんの数十メートルほど離れた場所に見慣れない神社があったからだ。


「……え? あんなところに神社!?」


 祖父母の家にはこれまで何度も来たことがあるが、この近くに神社などはなかったはずだ。


 実際、昨日到着した時も神社などはなかった。


 祖父母の家は一軒家で周囲にはほとんど家がないため、神社が建っていれば気がつかないわけがないのだが……。


「何なんだ、あの神社は……」


 早く瑠衣ちゃんの待つ海へ戻らなければならないとわかっているのに、気づけば好奇心に負けてその神社の方へと歩き出していた。


 そして、水着のまま鳥居をくぐって境内に入ると、途中にあった手水舎で手と口を清めてから拝殿に向かうのだった。


 賽銭箱の前に立つと、手提げバッグから財布を取り出し、中身を確認する。


 財布にはお札と五百円玉しか入っていなかった。


「うわ……小銭が五百円玉しか入ってない……」


 高校生にとって五百円は大金なので、どうしようか少しだけ迷う。


 参拝せずに帰ろうかとも考えたが、ここまで来てそれはさすがに神様に失礼だろう。


「まぁ、しょうがないか……」


 財布から五百円玉を取り出すと、賽銭箱の中に投入する。


 瑠衣ちゃんを待たせているので、あまり長時間悩むわけにはいかず、かといって参拝せずに帰るのも気が引けたため五百円を投入するしかなかったのだ。


 賽銭を投入した後は両手で鈴緒を掴んで本坪鈴を鳴らし、二礼二拍手をする。


 それから神仏に願うのだった。


 願いはもちろん従妹のことだ。


「瑠衣ちゃんがもう少し節度を持って行動してくれますように」


 正直に言って、彼女は無防備すぎる気がする。


 親戚とはいえオレみたいな陰キャにも平気で抱きついてくるし、距離感が少しおかしいのだ。


 さすがに学校で男子生徒に抱きついたりはしていないだろうが、それでも今のままでは心配だ。


 この先ずっと無防備のままだったら先ほどのようにナンパの被害に遭う可能性が高くなるし、スキンシップが多いと男子を勘違いさせてしまうかもしれない。


 それを防ぐためにも、もう少し自分の行動に気をつけてほしいというのがオレの願いだった。


「……さてと、そろそろ行かないとな」


 拝殿の前で祈ったオレは、最後に一礼をすると、拝殿に背を向けて来た道を引き返し始めた。


 一刻も早く瑠衣ちゃんのもとへ行かなければならないので、あまりゆっくりはしていられないのだ。


 参道の端を歩き、鳥居をくぐって敷地の外に出る。


 そして、瑠衣ちゃんの待つ磯へと駆け出した。


 


 

 

 

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