第25話 家出したクラスメイト 紫視点②
母親とケンカして家を飛び出した後、私は自宅から離れた公園のベンチに一人腰かけていた。
時刻は午後六時前。
あたりはすでに真っ暗で、気温も低い。
じっとしていると体はどんどん冷えていくのだが、勢いで家を出てしまったせいで、コートなど羽織るものは持っていない。
だが、それでも家に帰る気にはなれなかった。
「これからどうしようかしら……?」
誰もいない公園で、白い息を吐きながら独りごちる。
寒さを凌げる場所に移動しようにも、財布やスマホも家に置いてきてしまった。
この近くには友人や知り合いの家もない。
完全に孤立無援の状態だった。
「お母さんともう一度ちゃんと話し合わなきゃいけないのはわかっているけど……今は無理よね」
母と話し合うにしても、少し時間をおく必要があるだろう。
少なくとも、今日はもう会わない方がよさそうだ。
だけど、一月の夜は冷える。
果たして一晩ずっと薄着のまま公園で過ごして体はもつだろうか……。
そんなことを考えながらぼんやりと過ごすこと約十分。
突然、空から冷たい雫が落ちてきて鼻先に当たった。
「……え? ウソでしょ!?」
その雫の正体が雨だと理解するまでにそれほど時間はかからなかった。
次から次へと雫が落ちてきて、すぐに本降りになったからだ。
「今日は降水確率は低かったはずなのに……」
とっさに立ち上がって、周囲を見回し、雨宿りできそうな場所を探す。
だが、この公園はそれほど広くはなく、子ども用の小さな滑り台とブランコが設置されているだけだ。
一応滑り台が申し訳程度の屋根になるかもしれないが……本当に小さな滑り台なので、その下に避難してもほとんど意味はないだろう。
「あ〜あ……ホント泣き面に蜂だわ……」
母親とケンカし、薄着のまま寒空の下へ飛び出して、挙句の果てに冷たい雨に打たれる。
悪い出来事が重なりすぎて逆に笑ってしまいそうになるのだった。
それから私は雨宿りできる場所を探すのは諦めて、ただ雨に打たれていた。
おかげで服は下着までぐっしょりだ。
寒すぎて手足の感覚もほとんど失いかけてしまっている。
最悪の場合、このままここで凍死してしまうのではないか――そんな不吉な考えが頭をよぎってしまった。
救いの手が差し伸べられたのは、まさにその時だった。
「あの……」
突然、背後から誰かに話しかけられる。
聞いたことのない女の子の声だ。
私は反射的に振り返った。
「あ……」
年齢はおそらく中学生か小学校高学年くらいだろう。
小柄で可愛らしい女の子がこちらを見つめていた。
彼女はコートでしっかりと寒さ対策をして、折りたたみ傘を差している。
その手にはスーパーの袋が握られていた。きっと買い物の帰りだろう。
彼女が再び話しかけてくる。
「どうしたんですか? こんな場所で傘も差さずに……」
「え〜と……」
本当のことを言うべきかどうか私は迷った。
見るからに年下の子に、親とケンカして家を飛び出したなんてカッコ悪いことを言うのはさすがに躊躇われたのだ。
「……って、見栄を張っても仕方ないわよね……」
心配して声をかけてくれた子に対して嘘をつくのは気が引ける。
だから私は、正直に話すことにした。
「なるほど……進路のことでお母さんとケンカを……」
話を聞いた少女がつぶやく。
どうやら事情を理解してくれたようだ。
「そうなの……まぁ、今まで進路についてちゃんと話さなかった私が悪いんだけどね」
気づけば私は、苦笑まじりにそんなことを口にしていた。
他人に話したことで少しだけスッキリしたのかもしれない。
少女が一瞬だけ考え事をした後、口を開く。
「……ずぶ濡れですし、とりあえずウチに来てください。すぐ近くなので」
「……え? でも迷惑じゃ……」
渡りに船だと感じたが、同時に初対面の相手に迷惑をかけたくないとも思ってしまった。
だが、少女はすぐに私の言葉を否定する。
「全然そんなことありませんよ。両親は仕事でいませんし、兄もまだバイトから帰ってきてませんから」
「……そうなのね」
それならば言葉に甘えてもいいのかもしれない。
この子の家に行って、乾燥機を使わせてもらえれば服が乾かせる。
その後、傘を借りれば、あちこち歩き回って雨風を凌げる場所を探すこともできる。
もちろんまだ迷惑をかけることに抵抗は感じていたが、背に腹はかえられないので、今回は助けてもらうことにした。
「ありがとう……じゃあ、そうさせてもらおうかしら」
「決まりですね。……あ! 申し遅れました。あたし、
「私は
少女が名乗ったので、つられて私も名を名乗る。
「はい、よろしくお願いします。では案内しますので、ついてきて下さい」
「ええ」
こうして私は、会ったばかりの女子中学生の家に向かうことになったのだった。
◇◇◇◇◇
上浦さんの家は本当に近くにあり、公園から一分とかからずに到着した。
「今、ドアを開けますね」
彼女が鍵を使ってドアを開ける。
それから私に家の中に入るよう促した。
「どうぞ、入って下さい」
「……お邪魔します」
会ったばかりの中学生の家に入ることに緊張感を覚えつつも、静かに足を踏み入れる。
ひとまずこれで雨と風を防ぐことができた。
「じゃあ服は洗濯しておきますので、松宮さんはシャワーを浴びてて下さい」
「……え? さすがにそこまで迷惑をかけるわけには……」
シャワーを借りるのは申し訳なかったので丁重に断ろうとする。
しかし、上浦さんはそれを認めてはくれなかった。
「だめですよ。だいぶ体も冷えているでしょうし、ちゃんと温まらないと風邪を引いてしまいます」
「でも……」
「お母さんともう一度話し合わなければいけないんでしょう? だったら、今体調を崩すわけにはいかないんじゃないですか?」
「上浦さん……」
確かに彼女の言う通りだ。
万が一重い肺炎にでもかかったら、しばらく母と話し合うどころではなくなる。
そうならないためにも、シャワーを浴びて冷え切った体を温めた方が良さそうだ。
「……わかったわ。何から何までごめんね」
「いえいえ。困ったときはお互い様ですから……とりあえずタオルを持ってきますね」
そう言って上浦さんはタオルを取りに向かった。
それからすぐに、ふわふわの白いタオルを持って戻ってくる。
私はそれを受け取って、雨で濡れた体を拭き始めた。
その後、家に上がりこみ、上浦さんに案内されて一階のお風呂場に向かう。
「ここがお風呂です。脱いだ服は洗濯機の中に入れて下さい。後で洗っておきます」
「ええ、わかったわ」
「じゃあ、ごゆっくりどうぞ。あたしは着替えの服を探してきますので」
そう言ってから上浦さんは脱衣所のドアを閉め、おそらく二階にある自室に向かうため階段を上がっていった。
「……年下の子にカッコ悪い姿を見られちゃったな」
脱衣所で一人になり、思わずそんなことをつぶやく。
母親とケンカしたことを知られ、ここまで世話を焼かせてしまったことが急に恥ずかしくなってきたのだ。
「まぁ今はそんなこと考えていても仕方ないか……せっかくのご厚意だし、ありがたくシャワーを使わせてもらおうかしら」
ここまでしてもらって風邪を引いたら、もうあの子に合わせる顔がなくなってしまう。
私は温かいシャワーを浴びるため、肌にべっとりと貼り付いてしまった服を脱ぐのに手間取りながらも、何とか脱衣を完了させる。
「初対面の人の家で裸になるって何だか不思議な気分……」
下着を脱いで一糸まとわぬ姿になった自分自身を見て、ふとそんなことを考えてしまった。
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