第3話 風に飛ばされてきたものは……

私の名前は橘紗友たちばなさゆ。平凡な中学二年生の女子だ。

体格は平均程度だが、容姿は比較的恵まれている方だと思う。

私のことを可愛いと言ってくれる友達もいるし、わりと男子から話しかけられることも多い。

それは素直に嬉しいことだった。可愛く産んでくれた両親には感謝してもしきれない。


そんな私は、現在ベランダでせっせと洗濯物を干していた。

今日は六月の第三日曜日。時刻は午前十時過ぎ。学校は休みで部活や習い事もやっていないため朝から時間がある。中学生の娘が午前中から家事を手伝ったとしても不思議ではないだろう。


ちなみに両親は二人とも仕事で家にいない。

日曜日の朝から仕事で出掛けなければならないほど多忙なのだ。

そんな両親を少しでも支えるために、学校が休みの日はなるべく家事を手伝うよう心がけている。


「……よし! もうちょっとで干し終わるぞ!」


洗濯済みの衣類を集中して干していたため、予想よりも早く終わりそうだ。


なんといっても今日は貴重な晴れ間。

梅雨の時期は連日雨が降り続き、部屋干しを余儀なくされる日がほとんどなので、今日のように朝から晴れている日を無駄にするわけにはいかない。

衣服やタオルなどをたっぷりお日様に当てるため、残りの洗濯物も次々に干してゆく。


そして最後に下着を干そうと手に取ったその時だった。


急に、目を開けていられないほどの強風が吹いたのだ。


「きゃっ!!」


突然の強風に私は思わず目を閉じてしまう。


幸い洗濯物はしっかりと洗濯ばさみで挟んでいたため無事だったが、手に持っていた下着は飛ばされてしまった。


「……あ!」


顔が青ざめてゆくのがわかる。

これがタオルやハンカチだったら、もう少し落ち着いていられたかもしれない。


しかし、飛ばされたのはよりによって下着だ。

具体的には自分が普段穿いているお気に入りのパンツ。フリルの付いたピンクのパンツで、デザインも非常に可愛いと思っている。


そんなものが万が一他人の目に触れたら一大事だ。

いや、一般人に見られるだけならまだマシかもしれない。

世の中には女性の下着に性的興奮を覚えて盗んででも手に入れようとする輩が存在するのだ。

そういう変態に拾われでもしたら絶望で引きこもってしまう自信がある。


「急いで回収しなくちゃ!!」


誰かに拾われる前に回収しなければならない。

私は飛ばされたパンツを取り戻すべく、急いで玄関に向かい、サンダルを履いて外に飛び出した。


         ◇◇◇◇◇


「オレ……こんな所で何してたんだ?」


オレの名前は深田賢也ふかだけんや。容姿も体格もすべて普通の、どこにでもいる中学二年生だ。勉強も運動も普通で、友人の数も多くはないが少ないわけでもない。本当に普通としか言いようのない十四歳だった。


そんな平凡な男子中学生のオレだが、現在非常に困惑していた。

というのも、何もない場所でポツンと立ち尽くしていたからだ。

一応周囲に民家はあるが、店や公共の施設などはない。本来ならば何も考えずに通り過ぎているはずの場所なのだ。


それなのに、なぜか今こうして立ち尽くしている。

どのような理由で立ち止まったのかもわからないし、何をしていたのかも思い出せない。


「今日の行動を思い出してみるか……」


オレは冷静になって、これまでの行動を思い出してみることにした。


「確か牛乳を買ってくるように頼まれたんだよな……」


今日は日曜日。朝からダラダラとスマホをいじっていたオレは、母親から牛乳を買ってくるように頼まれた。

冷蔵庫の中を確認したら牛乳がほとんど残っていないことに気づいたらしい。

スーパーは近所にあるし、特にやることもなかったので、オレはその頼みを承諾して買い物に出掛けた。

そして開店時間とほぼ同時にスーパーに入店し、目的の牛乳を購入してから帰路についたことは覚えている。

しかし、その途中で何をしていたのかが思い出せないのだ。

わざわざ立ち止まるくらいだから何かをしていたはずなのだが……


「……ま、いいか」


思い出せそうになかったので、オレは諦めることにした。

いつまでもここで立ち尽くしていても仕方ない。


そう考えて再び歩き出そうとしたその時――


周囲に強風が吹いたのだった。


「うわっ!!」


とっさに腕で顔をガードする。


その状態で風が止むのを待つつもりだったが、とんでもないハプニングが起こった。


強風でピンクの布きれがどこかから飛ばされてきて、顔に張り付いたのだ。


「何だ!?」


幸いにも風はすぐに止んだので、顔をガードしていた手でその布を引きはがし、広げてみる。


「こ、これって……」


その布の正体がわかり、オレは驚愕した。


端的に言うと、それは女性用のパンツだった。

フリルの付いたピンク色の可愛いパンツ。間違いなく若い女性の下着だろう。


オレはどうしたらよいかわからず、パンツを広げた状態で硬直してしまった。

おそらくこの下着は遺失物なので交番に届けるのが正解だろうが、モノがモノだけにそれは憚られてしまう。

拾ったパンツを交番に届けるなんて、思春期の男子にはハードルが高すぎるのだ。


「本当にどうしよう……見なかったことにしてこの辺に置いておくか?」


持ち主に届く可能性は限りなく低いが、それが正しい行動のような気がしてくる。

仮にそれでまた風に飛ばされたり第三者に拾われたとしても、別に恨まれる筋合いはないはずだ。


もう一度手に持ったパンツをまじまじと見つめてみる。

本当に可愛らしい下着だ。持ち主は普段からおしゃれに気をつかっているのだろうか。


そんなことを考えながらどこに置こうかと周囲を見回した時、一人の女の子がこちらに向かって走ってくる姿が視界に入った。

服装は完全に部屋着で、靴も百均で売られていそうなサンダルだ。

何だか非常に慌てている様子なのがわかる。

おそらく自宅で過ごしている時に不測の事態でも発生して慌てて家を飛び出したのだろう。


女の子との距離が縮まるにつれて、その姿がはっきりと視認できるようになってくる。


「……ん? あの子ってまさか橘さん!?」


オレはその女の子がクラスメイトの橘紗友であることに気がついた。


「……え? 深田くん!?」


むこうもオレに気づいたようだ。

オレのすぐそばまで接近すると、立ち止まって乱れた呼吸を整え始めた。


「どうして橘さんがここに?」


呼吸が整ったのを確認してから質問する。


「私はその……緊急事態というか…………って、それ!」


答えづらそうにもごもごと口籠もる橘さんだったが、オレが手に持っているものに気づいて声を張り上げた。


「あ……」


その瞬間、詰んだと思った。

何しろ女モノのパンツを広げて持っている姿をクラスメイトの女子に目撃されてしまったのだ。通報されてもおかしくはない。


もう遅いと理解しつつも、オレは慌ててパンツを隠そうとする。

だが、橘さんの行動の方が少しだけ早かった。

まるでひったくりのように、素早い動きでオレの手から強引にパンツを奪い取ったのだ。

あまりの速さになすすべもなく、気がついたら手に持っていたはずのパンツがなくなっている状況にオレは呆然とするのみだ。


一方、オレからパンツを奪い取った橘さんは、それを胸の前で抱えて持ち、顔を真っ赤にして睨みつけてきた。


「……見た?」

「いや、見てない」

「どうしてすぐにバレる嘘をつくの? 穴があくほど凝視してたじゃない!!」

「さすがにそこまでガン見してたわけじゃねぇよ!!」


とんでもない言いがかりに声を荒げて反論する。

しかし、パンツを広げてまじまじと見つめていたことは事実なので強く否定することもできなかった。


「……ていうか妙に焦ってるみたいだけど、もしかしてその下着って……」


オレがそこまで言うと、もともと真っ赤だった橘さんの顔がさらに赤くなる。


「ち、違う! これは妹! 妹の下着なの!」


必死に自分の下着ではないと主張する橘さん。


「妹って……橘さん、四月の自己紹介の時に一人っ子だって言ってなかったっけ?」


新しいクラスが発表された四月の上旬。

その日、オレのクラスでは自己紹介があった。

その時に橘さんは、『一人っ子だから兄弟や姉妹に憧れる』と言っていたはずだ。

もう二ヶ月以上前のことだがはっきりと覚えている。


「それは……え~と……そのあと生まれたの!」

「いや、それは無理があるだろ……」


仮に本当に妹が誕生していたとしても、まだ女性用のパンツを穿くような年齢ではないだろう。

デザインの可愛さから考えて橘さんの母親のものとも思えない。

何より本人がここまで取り乱しているのだから、このパンツは橘さんのもので確定だ。


しかし、本人はまだ無駄な抵抗を続けていた。


「と、とにかく! これは私のじゃないから! この下着については今すぐ忘れること! いいわね?」

「あ、うん……」


あまりの剣幕に圧倒され、素直に頷いてしまう。これ以上質問させてはくれないようだ。


オレが追及をやめたことで、橘さんは少し安心した表情になる。


「よかった……本当に早く忘れてね? 約束だよ?」


依然として頬を赤く染めた状態で念押しすると、くるりと背中を向けて走り去ってしまうのだった。


一人残されたオレは、その場に佇む。

初夏の汗ばむ季節。早く帰って牛乳を冷蔵庫にしまわなければならないのに、なかなか足が動いてくれなかった。


「可愛いパンツだったな……」


橘紗友は可憐な容姿と快活な性格で男子から人気のある女子生徒だ。


そんな女の子のパンツを手にとって間近で眺めてしまったのだから興奮するなという方が無理だろう。

なるべく早く忘れて欲しいと頼まれたが、思春期真っ盛りのオレにそんなことできるわけがない。

むしろ何度も反芻してニヤつきたいくらいだ。

……というか、今もすでに先ほどの出来事を反芻してニヤついてしまっている。

幸いにも他に通行人はいなかったため、誰かにニヤけ顔を見られることはなかった。


それからしばらくの間この場で立ち尽くす。そうしていると、次第に興奮も収まってきた。


「まさかこんな幸運なハプニングが起きるとは思わなかったな……さて帰るか……」


スーパーで購入した牛乳はまだ冷えている。

自宅まで徒歩一分なので、急いで帰って冷蔵庫にしまえば大丈夫だろう。

せっかく買った牛乳を腐らせないため、オレは自宅に向かって歩き出した。





ラッキースケベシュライン。

それは参拝した者にラッキースケベをプレゼントしてくれる神社。

しかし神社の境内から出ると、神社そのものが消滅してしまい参拝した記憶も完全に消えてしまうため、参拝者がSNSなどで拡散することは不可能だ。

それゆえに、この神社の存在はごく一部の人間が噂レベルで知っているだけで、ほとんど都市伝説のような扱いとなっている。

だから、この神社のことを知らない人間が偶然訪れて参拝するという事例もままあるのだ。


ラッキースケベシュラインは、今日も気まぐれにどこかの土地に現れては参拝者が訪れるのを静かに待っている――。



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