第28話 家出したクラスメイト 悠介視点⑤

「ふ〜サッパリしたぁ〜」


 シャワーを浴びて部屋着に着替えたオレは、妹たちのいるリビングに向かった。


 リビングでは実優と松宮が夕食の準備をしている。

 すでに午後七時をまわっているので、夕食にするにはちょうどよい時間帯なのだ。


「あ、お兄ちゃん! もうすぐビーフシチューが温まるからちょっと待っててね」


 キッチンで鍋の中身をかき混ぜていた実優が声をかけてくる。

 今夜のメニューは事前に作り置きしておいたビーフシチューのようだ。


「あの……実優ちゃんと話したんだけど、今夜は私、この家に泊めてもらうことになったから……一晩だけよろしくね」


 松宮がぺこりとお辞儀をしながら言う。


「え……泊まるのはいいけど、家に連絡はしなくていいのか?」

「あ、それは大丈夫。実優ちゃんに頼んで私の家に電話してもらったから」

「そっか……それならよかった」


 家の人に無断で外泊するのは問題だが、ちゃんと伝えたなら安心だ。

 明日は日曜日なので、学校の心配をする必要もない。

 一晩経てば松宮も母親も頭は冷えるだろうし、明日ちゃんと仲直りしてくれるのを願うばかりだ。


 そんなことを考えている間に夕食の準備が完了する。

 テーブルには熱々のビーフシチューの他に、ロールパンやサラダなどが並べられていた。

 どれもおいしそうなので、見ているだけでお腹が鳴りそうだ。


「……お待たせしました。冷めないうちに食べましょうか」

「ええ」

「そうだな」


 そうしてオレたちは三人で夕食をとることになった。


「ん〜おいしい! 実優ちゃんって、お料理上手なのね」

「えへへ……ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです!」


 一口食べては料理を褒める松宮に、照れながらも素直に喜ぶ実優。

 傍から見ると、姉妹みたいでなんだか微笑ましかった。


 その後も会話をしながら食事を続け、もう少しで食べ終わるという頃に、オレはずっと気になっていたことを訊いてみることにした。


「なぁ松宮……ちょっといいかな?」

「どうしたの? 悠介君」

「いや……松宮の将来の夢のこと訊いてもいいか?」


 それが先ほど事情を聞いた時からずっと気になっていたことだ。

 進路のことで母親とケンカしたという話は理解できたが、具体的な夢のことは訊いていない。

 成績優秀な松宮がどんな職業を目指しているのか単純に知りたかったのだ。


「あ、それあたしも気になってました!」


 実優が横から口を挟む。

 どうやら松宮の進路を気にしていたのはオレだけではなかったようだ。


「えっと……まぁ二人にはお世話になったし、いいかな……」


 松宮ははにかみながらも自分の夢について話し始めた。


「実は私……小さい頃から美容師になるのが夢だったの」

「え、そうだったのか?」


 意外な夢に少し驚く。

 真面目で慎重な松宮は、多くの学生と同じようにレベルの高い大学を目指して有名な企業に入るのではないかと勝手に想像していたからだ。

 美容師になりたいと思っていたなんて完全に予想外だった。


「やっぱり変かしら? 私が美容師なんて……」

「いやいや、そんなことはねぇと思うぞ? ちょっと意外だったけどな」


 実際素晴らしい夢だと思う。

 少なくとも、将来のことを何も考えていないオレなんかよりずっと立派だ。

 その夢を心から応援したい気持ちになった。


 そして、その気持ちは実優も同じようで、尊敬の眼差しで松宮のことを見つめている。


「お兄ちゃんの言う通り、全然変じゃないですよ! むしろすごく似合っていると思います! 応援してるので頑張って下さい!!」

「ありがとう、二人とも……」


 松宮が目に涙を浮かべながら礼を言う。

 この涙はおそらく嬉し涙だ。

 母親から否定された夢を応援してもらえたことが嬉しいのだろう。


 それからしばらく松宮は感慨にふけり、やがて再び話し始めた。


「そういうわけで、高校を卒業したら専門学校に行って本格的に美容師になるための勉強をしたいと思っているの」

「なるほど……それを母親に話したら反対されたってわけだな」

「ええ。一般大学は受けないって言ったから親としては心配だったんでしょうね……でも、美容師免許を取得するには専門学校で勉強する必要があると思うのよ」

「国家資格ですもんね。美容師免許って……」

「そう……簡単に取得できる免許じゃないからどうしても専門学校に行きたかったの」

「そうだったのか……」


 正直、非常に難しい問題な気がする。

 オレたちは保護者ではないので気軽に『頑張れ』とか『応援してる』などと言えるが、親の立場ではそうも言っていられないだろう。

 我が子には、なるべくリスクが低くて地に足のついた生き方をしてもらいたいと思ってしまうのも無理はないのだ。

 だからどうしても松宮の母親を非難する気にはなれなかった。


 だが、どうやら話を聞いた甲斐はあったようだ。


「あ〜なんか全部話したらスッキリしたわ。二人とも、聞いてくれてありがとね」


 その言葉通り、話し終えた松宮は先ほどまでの暗い表情が嘘のように晴れやかな表情になっていた。


「オレたちは特に何もしてないけど……」

「でも、元気になってくれたならよかったです!」


 話を聞くくらいのことしかできなかったが、彼女はもう大丈夫だろう。

 少なくとも今回のように感情に任せて家を飛び出すなんてことはしないはずだ。

 オレたちは陰からそっと彼女の夢を応援するだけでいい。

 それだけで本当に夢を叶えそうな気がした。


「私……明日もう一度、お母さんと話し合うことにするわ。反対されるかもしれないけど……でも、今ならちゃんと自分の気持ちを伝えられそうな気がするの。そして今度こそ進路のこと、認めさせてみせる!!」


 力強く宣言する松宮。

 その生き生きとした表情はとても眩しかった。




         ◇◇◇◇◇


 週が明けて月曜日。


「なぁ、上浦! 聞いてくれよ」


 高校に登校し、机の中を整理していたオレのそばに、平凡な男子生徒・田中が近づいてきた。生意気にもオレより先に彼女を作りやがった男子だ。


 そんな田中が、スマホの画面を見せながら自慢してくる。


「実は一昨日の土曜日に彼女とスケートに行ったんだ! 彼女はスケートに行くの初めてだったみたいで、スケートリンクの上で足をぷるぷるさせてた。その姿がすげぇ可愛かったから、思わずたくさん写真や動画を撮っちまったよ」


 そう言う田中のスマホには、確かにスケート場で撮ったであろう写真や動画が保存されていた。

 そのほとんどが彼女の姿を捉えたもので、壁伝いに歩く様子やリンクの真ん中で転倒する様子が収められている。

 ひかえめに言って、とても可愛らしかった。

 これは自慢したくもなるだろう。


「あぁ、確かに可愛いな……」


 オレは素直に感じたことを伝えた。

 ついこの間までのオレなら嫉妬したかもしれないが、今は彼女持ちの友人に対しても余裕の態度を見せられる理由があるのだ。


 普段の様子と違うオレを不審に思ったのか、田中が訝しそうに見つめてくる。


「……なんかお前、様子がおかしくないか?」

「別に? いつも通りだぞ?」


 何しろオレは学年でも上位に入るほどの美少女と一夜だけだが一つ屋根の下で過ごしたのだ。

 今さらデートの話くらいで嫉妬したりはしない。


 ……まぁ、一つ屋根の下と言っても同じ部屋で寝たわけではないけれど。

 ついでに言えば、同じクラスの美少女が我が家で寝ているという事実に興奮していたために、バイトでヘトヘトだったにもかかわらず、その日は一睡もできなかったのだけれど。

 それでもあの松宮と一晩同じ家で過ごした男子はオレだけだろうから、自然と優越感に浸ってしまう。

 しばらくは彼女持ちの友人に彼女自慢をされても平静を保てそうだ。


 そんな風に田中に対して心の中でマウントをとっていると、いつの間にか登校していた松宮がこちらに近づいてきた。


 そして松宮はオレの目の前で立ち止まると、穏やかな口調で話しかけてくるのだった。


「悠介君。この前は本当にありがとうね。おかげで助かったわ」


 土曜日に家に泊めたことに対して改めて感謝の気持ちを伝えにきたのだろう。

 本当に礼儀正しい子だ。


「……え? え? 松宮さん!? 上浦と何かあったのか?」


 田中が信じられない光景を見たと言わんばかりにオレと松宮の顔を交互に見る。

 彼女持ちの男子さえ虜にし得る松宮が、ついこの間まで接点のなかったオレに話しかけてきたから混乱しているのだろう。


 そんな田中をよそに、オレは松宮に視線を向ける。


「気にすんな。役に立てたなら何よりだよ」


 困っているクラスメイトを助けるのは当然のことだ。

 それに、オレは本当に大したことはしていないから、あまり本気で感謝されても困るのだ。


 松宮がなおも嬉しそうに報告を続ける。


「実は昨日お母さんと改めて進路の話をしたんだけど、諦めずに自分の気持ちを伝えたら何とか応援してもらえることになったの! これで夢を叶えるための勉強に集中できるわ!」

「そうか……よかったな」


 きっと彼女なら立派な美容師になれるだろう。

 友人として彼女の夢を本気で応援したい気持ちになった。


「それでね……」

 

 突然声のトーンを落とし、耳打ちしてくる松宮。

 その様子から他の人には聞かれたくない内容だと察し、オレも声を潜めて話すことにした。


「今回のことはみんなには内緒にしておいてね」

「松宮の進路のことか? 確かに美容師を目指してるって知ったら、みんな驚くだろうからな」


 成績優秀な松宮が美容師になるために専門学校に行こうとしてることが知られたら、教師も生徒も驚くだろう。

 だから、口止めにきた。

 そう思ったのだが、どうやら内緒にしてほしいのは進路のことだけじゃないようだった。


「あ……うん。進路それもなんだけど……悠介君の家に泊まったこととか、私の裸を見たことは誰にも話さないでほしいなって……」

「いや、それは言われるまでもねぇよ!!」


 思わず大声を上げてしまう。

 クラス中の注目を集めてしまうが、気にしている余裕はなかった。


「……内緒にしてくれるの?」


 松宮が恥ずかしそうに頬を染めて確認してくる。


「心配しなくても誰にも言わねぇって……」


 あんなこと頼まれたって話せるわけがない。

 松宮のような美少女の裸を見たことや、一つ屋根の下で一晩過ごしたことがバレたら、オレは間違いなく男子たちから袋叩きにされるだろう。

 そうなれば、何をされるかわからない。

 むしろオレの方から口止めしたいくらいだ。


 あの出来事を他言する気はないとわかり、胸を撫で下ろす松宮。


「よかった……じゃあ、あれは私と悠介君と実優ちゃん……三人だけの秘密ってことでお願いね」

「ああ、実優にも言っておくよ」

「うん、お願い。じゃあまたね、悠介君」

「またな、松宮」


 そうして松宮が自分の席へと戻ってゆく。


 その途端、オレは、田中をはじめ男子生徒たちに詰め寄られた。


「おい! お前、松宮さんと何があったんだよ!!」


 田中が必死にオレと松宮の関係を聞き出そうとするが、話すわけにはいかない。

 だから、「秘密だ」とだけ答えておくことにする。


 当然そんな返答では男子たちは納得しなかったが、オレはそれ以上は何も答えず無視することにした。


(……それにしても、いい気分だな)


 ふと、そんなことを思う。

 松宮と少しだけ親密になったオレに、彼女のいない男子はもちろん彼女持ちの男子でさえ羨望の眼差しを向けているのだ。

 つい先週までオレが彼女のいる男子に対して嫉妬していたので、何だか立場が逆転したみたいで嬉しい。

 それに今後、彼らからどんな彼女自慢をされたとしても、『オレは松宮の裸を見たことがある』とか『同じ屋根の下で一晩過ごした』と思えば心の中で優位に立つことができるだろう。


 そして何より、松宮とここまで仲の良い男子はオレが知る限りではいない。

 つまり、秘密を共有する者同士このまま親密な関係を続ければ、ゆくゆくは恋人になれる可能性もゼロではないのだ。 


 念願の彼女をゲットできる可能性が出てきたことで、自然と顔がニヤけそうになる。

 松宮レベルの美少女を彼女にしたら毎日が楽しくなるし、まわりの男子たちも一目置くだろう。

 そうなれば勉強にもバイトにも身が入るようになるはずだ。


(松宮を彼女にするためにも、今まで以上に頑張らないとな)


 松宮の彼氏としてふさわしい男になる努力をしようとオレはひそかに誓うのだった。


  




 

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