〘二十四番星〙食わせ者
ずんずん進んでいく名奈ちゃんに引っ張られていく私は、まるで犬に散歩されている小さな子どもだ。
「駅員さんのところ?」
わんちゃんは首を横に振った。
「私の勘が当たれば、この先にいるはずなの」
駅員さんのところにも行かなきゃいけないけど、と付け足す。
「……誰のところに向かってるの」
さっきからそう聞いているんだ、の意を込めて聞き直した。
繋いだ手が少しこわばる。
「行けばわかるよ」
それは口に出したくない、と言う意味だろうか。十中八九そうだ。
しかし無視したりはしないし、歩幅も私に合わせてくれている。
それはいくら仮面を重ねてつけたとしても、彼女の根っこにあるのが柔らかい何かなんだと物語っていた。
と言っても、私も名奈ちゃんの素がどれなのか、はたまたまだ見せていないのかはまだわからないが。
攻撃的な人が優しい人のふりをするのは小説でもよく見るけれど、その逆はなかなか見ない。特に現実では。
無知な私でもこれはわかる。人は群れたい生き物なのだ。
攻撃的な性格はそれを邪魔することが多いし、優しさと善意は相手の懐に入り込むためには最高のカードである。
ならばその逆をする理由は?
何かのために悪魔を演じることは、きっと相当な覚悟がいるだろうし、第一疲れる。
名奈ちゃんはどうして悪魔になろうと思ったのか。
きっとその悪魔も彼女にとっては数ある仮面の一つに過ぎないのだろう。彼女は天使の仮面、凡人の仮面をも使いこなしているからだ。
私と同じくらいの年の少女が、たくさんの仮面を管理するようになったきっかけ。
それが衝撃的な経験からなのか、それとも彼女の本質なのかは想像もできない。
人は隠されたものに惹かれてしまう。私も例外じゃない。
何重にもかさねられた仮面をひとつひとつはぎ取って引き裂いた最後、名奈ちゃんに何が残るのか知りたい。
そしてそれを暴くのは私でありたい。
…………なんて。
実際にやったら嫌われてしまうだろうしマナーに反する。
それに私にはできないだろう。なにせあの叶都ができないんだから。
目の前に揺れるブロンドのサイドテール、私に合わせつつも徐々にはやくなる足取り。
彼女がそうし続ける限り、完璧な女神さまだって悪くない。そう思った。
「二階に着いたらすぐだよ」
えべれーたーという名前の箱に乗り込み、ふたつボタンを押すと扉が閉じてグイーンと上昇し始める。
不思議な浮遊感だ。
「正直ね、私こういうのすっごく苦手なんだ」
僅かに上ずる声。
「こういうの」がエレベーターのことではないとすぐに分かった。
「……じゃあ会わなければいいんじゃない、今ならまだ戻れるよ」
「それじゃダメなの」
名奈ちゃんは遮るように言った後、目を閉じてそっと深呼吸した。
吸っていっち、にっ、さん、吐いていっち、にっ、さん。
それはただ規則的なだけで、深呼吸というほど深くはない。
しかし彼女の心を落ち着かせるには十分だ。
覚悟の決まった真剣な顔で、自分に言い聞かせるようにもう一度言った。
「それじゃ、ダメなの」
空気にそぐわない、チーンという音が愉快に鳴ったとともに扉があく。
「……でもやっぱり一人は不安だから、一緒にいて」
頼りなくて弱弱しい、へにゃりとした微笑み。これは強制ではなくお願いだ。
事情はまったく知らないしわからないけど、正直なんだっていいので頷く。
「今のはもしかして本心だろうか」とかぼんやり考えながら、ただ後ろをついていった。
名奈ちゃんは心なしか早歩きで、本当は会いたいのか会いたくないのか分からない。
行動がランダムでちぐはぐ。感情と一致していないみたいだ。
しばらく奥へ進んでいくとテラスのような場所に着いた。
「申し訳ありません。ただいまパーシアスの中隊長がいらっしゃるので、今日はその……お帰りくださいませんか」
そのスペースに入ろうとすると、男性に止められた。
男性は青と白を基調とした爽やかかつ上品な軍服に身を包んでおり、ゴールドの肩章がちらちらきらめいている。
服装、腰の剣、そして話を聞くに、どうやら彼はどこかの騎士団の人らしい。
騎士団の言うことに歯向かうのは抵抗があるし、どうなるか分からないのでさすがに帰ることになるだろう。
そう思い名奈ちゃんに視線をやると、彼女にそのつもりはなさそうで驚く。
「これを見ても同じことが言える?」
袖を少しだけ下げ左手の甲を見せる。
中指にはイエローゴールドの指輪がはめられていた。
中心には小さめの、角度によって緑色にも見える透明な宝石が輝いている。
男性はぽかんと口を半開きにした。まぬけな表情である。
そしてすぐ焦ったように言った。
「ま…まさか、アイボリー様ですか!?」
「それ以外の誰だと言うの?」
ため息をつき、呆れたように額をおさえる名奈ちゃん。
また、知らない一面だ。
やはり彼女の仮面にはいくつもの層があるのだ。
「で、ですが…いくらあなたでも隊長の邪魔をさせるわけには――」
「高家に尽くすことが仕事の騎士団が、私より自身のティータイムを優先するのね」
「そういう訳では」
「いいから通せと言っているのが分からない?」
名奈ちゃんは鬱陶しそうにピシャリと言い放つ。
今の彼女に歯向かえる者はそうそういないだろう。味方であるはずの私ですら体がこわばるのだから。
「……失礼しました」
「解ればいいの。賢明な判断よ」
四十五度の角度でお辞儀をする男性の横を、堂々と歩いていく。
私は会釈をして通り過ぎた。
普通に通してもらえたので、おそらく付き人だと思われているのだろう。だとしたら好都合だ。
ふわり漂ってきた紅茶の香り、おおきなガラス窓から差し込む橙色のひかり。
スペースの奥には足を組んだ、さっきの人と同じ軍服を着た男性がいた。
同じと言えど、こちらの方が細かい装飾が付いている。あれは勲章だろうか。
「ああ。来ると思っていたよ、ナナ・アイボリー」
視線をよこさず、紅茶を啜りながら声を発する姿はなんだか偉そうだ。
…実際偉いのだろうけど。
「『近くの図書館前であなたを見た』と話している人がいたわ。事情を説明してもらおうかしら、フェリックス?」
名奈ちゃんは腕を胸の前で組み、強気に話す。
フェリックスさんを見つめるその視線に迷いはなかった。
彼は紅茶のカップを静かにソーサーに置いてからこちらを見る。
「……事情、とは?」
何を言っているのか分からない、とでも言うようなとぼけた顔。
手を顎にあて考える”ふり”をしている。
名奈ちゃんは眉をひそめ、爪が食い込んでしまいそうなほどにぎゅっとこぶしを握り込んだ。
「イフが出現したという知らせはもちろん届いていたはず。それなのに戦うどころか避難誘導もしに来なかった理由よ」
その声は怒りからか少しばかり震えていて、それに気づいたフェリックスさんは面白そうにする。
「君と違ってパーシアス騎士団は忙しいんだ。貴族の我儘を聞いてやらないといけないからな」
「知らせを聞いて、ここまで来る時間は十分あったはずよ。それは今あなたがここでお茶をしているのが証拠でしょう」
「ここに到着した時にはもう既にイフは討伐されていたんだ。君がやったんじゃないのか?」
ギリリと奥歯を食いしばる名奈ちゃんは、ボソリと「ああ言えばこう言う」とこぼした。
こちらがしばらく黙っていると、再び紅茶を飲み始めるフェリックスさん。
彼は有名な騎士団の偉い人なのだろう。故に忙しいというのはよくわかる。
しかし騎士とは貴族の護衛だけでなく、魔物に襲われた民間人の救出という仕事もあるはずだ。
それなのに現場に駆け付けずに呑気にお茶を楽しんでいる彼が許せないのだろう、名奈ちゃんは。
「あなたは貴族の護衛ではなく、部下をまとめる仕事をしているはずじゃない」
だんだん弱弱しくなる声に、心が締め付けられるような感覚を覚える。
いやな既視感だ。
どうしたんだろう私。最近こんなのばかりだ。
「護衛ではないが、連中のおねだりを聞いてやるのが騎士団の本質なんだ」
もちろん私も望んでやっているわけではないさ、とわざとらしく眉尻をハの字に下げた。
大人はわからない。
人の命はみな平等なはずなのに、庶民十人より貴族一人を優先するのだ。
だけど理解はできてしまうのがなんというか、悔しい。
魔物に庶民十人が殺されたとしても、きっと新聞の二枚目に小さく載るだけ。
しかし貴族一人が殺されたらトップニュースどころじゃなくて、経済にも世界にも大きな影響を及ぼす。
いわゆる大人の事情というやつだろう。
私には状況がこれくらいしか読めなかったけど、名奈ちゃんは違うらしい。
先ほどの言葉に大きく目を見開いた。
「……まさか…まさか口封じでもするつもりだったの?」
彼女は一歩右足を出して身を乗り出す。
くちふうじ。
――口封じ?しかもイフを利用して。
そんなことを街中でやったら関係ない人も巻き込まれるじゃないか。
それに私は見たのだ。
此岸の者ではないのに、命なんてないのに、自分が生きるべきだと叫び続ける哀れな怪物を。
守る人を選ぶのはまだわかる。
だけど、もしも本当だとしたら、これは立派なひとごろしだ。
「勘違いしないでくれ、そこまでは言っていないじゃないか」
わざとらしく肩をすくめる。
これは絶対に何かある態度だ。誰が見てもそう言うだろう。なんて白々しい男なのだろう。
しかも自分の手を汚さずに…性格の悪さに怒りを覚え、名奈ちゃんとフェリックスさんを交互に見る。
名奈ちゃんは一周まわって冷静になっていた。
「これは、アイボリーの娘としてじゃなく――
ストンと表情の抜け落ちた顔、温度のない声、いつも通りの口調。
「……ほう?」
こちらに体を向け足を組み替えるフェリックスさん。
興味がある、といった様子だ。
名奈ちゃんは何かを言おうとして、しかし声を発する前に口を閉ざした。
「今日は……やめておく。これ以上は無駄だよね」
じっとフェリックスさんだけを見つめていた瞳を、横にそらす。
「それは残念だ。二か月ぶりの邂逅だというのに」
「思ってもないこと言わないでください」
「君が思っているより私たちは汚い組織じゃない」
「それはずっと知っています。私が指摘しているのは組織ではなく個――――いえ、帰りますね」
フェリックスさんの「見送る」なんて社交辞令をきっぱり断って、テラスをあとにする。
さっき通ってきた道を逆にたどりエレベーターを目指し歩いた。
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