〘三十四番星〙冬眠



 凛は未だかつてないほどに脳を回転させていた。

全員がこの窮地を脱する方法。


誰か一人以上が欠けてしまうが誰かは助かる、そんな案はたくさん思いついた。

しかし彼女は知っている。誰かの犠牲の上に成り立つ自分の恐ろしさ。

初対面で何も知らない彼らだが、そうはなって欲しくない。



だが現実は厳しい。

物理攻撃は通用しない上に、内部から壊死させようとするには魔力を溜める時間が必要。そうすると視線を合わせられてしまうし、目を潰そうにも攻撃を当てられない。



何度も、様々なアプローチを試した。

より重たい一撃、効果を落とす代わりに溜め時間を減らす、少しでも命中率を上げるため散乱する連撃を放つ。


どれも効果を感じる前に、こちら側だけが消耗していく。



動きを封じようと試みた際に絞められてしまった左腕がしびれている。

まるで電流が走っているような気もするし、何も感じないような気もする。



(ゲートが使い物にならなくなる前に、なんとかしなきゃ……)




良くない連鎖に入ってしまったことは、凛も自覚していた。

魔導はイマジネーション。戦闘においてはまず相手に勝つ想像をするべきだ。


しかし今の凛にはそのイメージが浮かばなかった。

代わりに湧き出てくるのは、数か月前雪原で思い知った自分の弱さと、力ある者との格の違い。


かつて対峙したドラゴンと見まがうような大蛇。叶都すら敵わなかった強敵。

目先のサーペントは奴の足元にも及ばないとすぐにわかるが、蛇と聞くとどうしてもあの時の敗北感を思い出してしまうのだ。



ただ、目の前の敵はあのすべてを腐敗させる煙を吐かない。それだけが救いだ。






「魔導師さま……」


背後から女性のか細い声が聞こえた。

彼女は悲しそうな顔で気を失った男性の足を見つめている。


術が進行しており、太ももまでが石に変わってしまっていた。



「ごめんなさい、私――」

凛は反射的に謝罪を口にしようとしたが、途中で飲み込んだ。


「わたくしに案がありますの」



凜とした、覚悟を決めた人の瞳だった。

愛する人を必ず救う。これは可能性ではなく義務だ。



「……聞かせてください」




☆   ☆   ☆




 凛は、ふたりが自分から十分な距離を取っていることを気配で確認してから、魔力を巡らせた。


こんなに大規模な術を使うのは初めてなので、どうしても緊張して体がかたくなってしまう。まるであの蛇に見つめられたかのように。


魔導はイマジネーションなのだ、と言い聞かせる。

自分が迷っているようじゃ、相手に自分の魔導を、景色を伝えることなどできない。



――――今からあいつを、この森を、私の世界に引きずり込むんだ。




凛は肺いっぱいに酸素を吸い込んで吐いて、目をつむり、そして口を開いた。



「ねえ、あなたはしってる? ただただ真っ白なだけの地平線」


サーペントは突然凛のオーラが変わったことを察知し、嚙みつくため素早く首を伸ばす。

しかし凛はそれを上回る速さで障壁を作り出した。


牙と氷が激しくぶつかり合い、耳をつんざく甲高い音が鳴り響く。




「鞭みたいな氷の風」



一歩、サーペントに詰め寄る。



「熱いほどに凍みる指先」



また、一歩。




「青い木々は衣装と色を失い、ただ灰色の過去と成る」



旗を掲げるかのように、伸びやかに魔杖を頭上へ振り上げた。



その佇まいは紛うことなき――――



「そう、わたしの瞳のように。」



――――魔術師だ。




凛が地面に魔杖を突き刺すとその瞬間、サーペントの視界は純白のヴェールに覆われた。


先程のような素早さも失われ、弱々しく辺りを見回す。

けれどどこを向いても白、白、白。


眩しすぎる閃光に目が潰れたのだろうか?




――――否、吹雪だ。




凛の周囲一帯が、まるで大雪に見舞われた山のような景色に変化している。




「……あなた、見てくださいまし。魔導師様の周り、零度を優に下回っているんじゃないかしら」


夫婦は魅入られたかのように、遠くから、じっと凛とサーペントを見つめた。


「わたくしたちは……何とも恐ろしいお方と出会ってしまったのかもしれませんわね」












『あれは蛇の魔物。蛇は寒さに弱いのですわ』



女性が助言してくれなければ、今頃三人揃ってサーペントの腹の中だったかもしれない。凛は心の中で彼女に感謝をした。



しかしまだ油断はできない。歯を見せるのは息の根を止めてから。恩人に教わったことだ。




まごつくサーペントの後ろに素早く移動し、魔力をチャージする。



「檻…そう、檻。冬は生物の行く手を阻むもの。どこにも行かせない、ここに留まることしか許さない。それが、私の冬」



凛の思い描く冬を相手に、世界に強制させるのだ。



「さぁ、いい子は寝る時間だよ」





突如土から複数の氷が現れ、太く長く、まるで幹のようにメキメキと成長していく。


それは十も数えないうちにサーペントの首根を捉えて地面に押さえつけた。



それは徐々にきつくなっていき、遂には蛇が敵を絞める力を超える。



サーペントは苦しい、苦しいと尻尾を地に叩きつけのたうち回るが、氷の力には抗えない。




ぎゅっと、ぎゅぅっと愛しい物を抱きしめるように。ただ、力加減など知らない。

ギチ、ミチと何かが軋む音がし、そして――首が弾け飛んだ。



切断面から吹き出す赤黒い鮮血、頭と胴体が泣き別れても尚もがき続ける尾。


開ききった、瞳孔。




飛び散った液体の一部が少女の頬に付く。

凛はゆっくりと、そのまぶたを開いた。



「……おやすみなさい」


――――いい夢を。




‪☆   ☆   ☆




「うぅーん、せんい。繊維を感じる。葉脈ひとすじひとすじを辿って――」


ビジューから預けられた魔導書とハーバリウムを握りしめ、銀色の植物に手をかざしながら唸る少女。


絶賛識別魔術の習得中。



先程討伐した魔物の巣を探すと、ちょうどそれらしき魔植物を発見したのである。




男性の脚もサーペントが息絶え術も解除されたようで、問題ないようだ。

三人はそろって胸を撫で下ろした。



「うーん……あ、これ…?」


葉脈に自身の魔力を少量流し込んでいると、何やらビビッと来る流れ方を見つける。


凛はぱっと顔を明るくした。


「これが分析の感覚…!」


コツを掴んでしまえばあとは容易い。ハーバリウムの中のサンプルと目の前の植物の分析データを照らし合わせれば――――



「うん、ちゃんと同じ…!」


こうして凛は初級識別魔術を習得することが出来た。






 そして、ビジューの命は残り一つ。巣の主の体を持ってこい。


あまりにも大きすぎるため凛は頭を抱えたが、女性が教示してくれた。

目玉と尾の先端の鱗が高価な素材になるので採取するべきであること。そして必要があれば、肉を取っておけば食用にできる、とのこと。



まだ体は動き危険なため氷漬けにしてから解体し、適切に包み、空間拡張リュックに放り込む。



こうして無事に下山――――ではなく。


なぜか夫婦のお宅にお邪魔することとなった。




☆   ☆   ☆




 二人の家は先程の森から少し離れた場所に位置しており、山中とは思えぬ都会的な景観をしていた。



「魔導師様のおかげで命拾いいたしましたわ。本当にどうお礼していいか…。とりあえず何か食べて行ってくださいまし!」


女性改めエステルは凛に断る間を与えずに紅茶を出した。


「あぁえっと…ありがとうございます」


凛は遠慮がちにティーカップに口をつけた。何も入れていないのに広がる甘さは、良い茶葉なのだろうと感じさせる。


心地よい香りに頬が緩めば、エステルは髪と同じミルクベージュのまつ毛を震わせ微笑んだ。




「お嬢さんは……」


石になることを免れた、エステルの夫であるヒューゴは緊張気味に言葉を発する。


「ちょっと、亜人や魔人のお方と話す時は歳上だと考えて接しなさいと言っていますでしょう! ごめんあそばせ、この人は人間の街で生まれ育った人間で、あなたの様な魔導師様と関わる機会がなく常識が欠けておりますの」


申し訳ありませんわね、と眉尻を下げた。



凛は心の内でどうりで、と納得した。夫婦にしては年の差がありすぎると感じていたのだ。

おそらくエステルは亜人で、彼とは違う時の感じ方をしているのだろう。



「気にしないでください…! 確かに私は人間の方より長命ですがまだ三十年程度しか生きていません」


「あらまぁ。ヒューゴ、あなたと同い年くらいではなくて?」


「に、人間で言うとまだ十三歳です…!」





冗談も交えつつ、二人は凛に丁寧に礼をした。

観測用のビーコンを設置しようとしたところ、不運にも魔物と鉢合わせてしまったそうな。



(観測用の…びーこん)


凛は部屋を見渡し、望遠鏡が置いてあるのを見つけた。

一メートル程の高さがある、明らかに動物用では無いそれに、大きく目を見開く。




「おふたりは…星がお好きなんですか」


その声はほんの微かに震えていた。



「ああ、そうだよ。僕は天文学者、エスティは占星術師なんだ」


凛はそれを聞いて目を伏せた。そして、何かを探るかのように視線を泳がせる。



「恩人様は…リンちゃんは、世界から星が消えたのになぜって聞きたいのね」


どうオブラートに包もうかと悩んでいたことを相手から直球に言われ、戸惑う。

何か言いたげに口をぱくぱくと開閉させたが、言葉を失ったかのように真一文字に口を結んだ。



「消えては、いなかったのよ。ただ光が届かないだけで」


「...え?」



「消えていないのなら、まだそこに存在しているのなら、研究をあきらめる理由にはならないんだ」



なんという、不屈の精神。

その真っ直ぐな瞳が凛の心を打った。



何を思ったのか、少女は身を乗り出し問う。


「なんで…見えなくなっちゃったんですか」



エステルとヒューゴは凛の変わりように驚き数秒顔を見合せたあと、答えた。


「信じられないけれど…どこかの魔導師が、星がこの地に届くまでの光を独り占めしているんじゃないかしら」

――少なくとも僕らの研究チームでは、そう結論づけたよ。




「だったら――そいつを倒せば、また星を見られるんですか?」



少女の無彩色の瞳が据わっているように見えて、二人は固唾を呑んだ。




と、その時。


玄関のドアが豪快に開け放たれた音が響いた。



「Hey Baby! アナタたちの家の近くにパンプキンが出たって聞いて飛んできちゃったわよ!!」


凛が驚いて部屋の入口に目をやるとそこには筋骨隆々の、女口調の男性がポーズを決めていた。



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