〘三十八番星〙蒼玉


 パーティが受験に手を貸すと決まってから、凛はその準備に心血を注いでいた。



「試験は七月上旬です。入学は厳しめだけど、試験だけなら誰でも受けることができるんですね」


魔術師業界は深刻な人手不足に悩まされているらしく、実際の仕事環境の改善だけでなく学園の無償化などの政策も行われている。

不安定な立場にある凛にとっては好都合だ。


しかし、事はそう上手くいかない。



「あと半年と少し……この時間で、希望はあるでしょうか」


今節は霜が降り始める頃。

凛としてはもう少し時間と余裕が欲しかったところ。


「試験は実戦形式なんだろ? なら心配はいらねェと思うぜ。それだけの時間があれば苦手を埋め得意を伸ばせる」


「問題は筆記…だな」


凛の表情が強ばる。

「数学や文学は問題ないと思いますが……歴史や政治、魔導など社会的な常識を問われるものは全く自信がありません」



彼女は狭い家で暮らしていた頃、掃除ばかりをしていたわけではない。貴族などに買われても問題がないよう勉強させられていた。


意識的な記憶はなくとも、潜在的に覚えているものだ。



しかし世界の常識は、凛が正常に思考ができないように歯向かわないようにと教えられなかった。

強いて言えば、レイチェルがこっそり語ってくれた外のお話くらい。



「俺らは勉学については力になれそうにない、すまんな…」

申し訳なさそうに眉尻を下げるパウロに、凛は謝ることは無いと首を横に振った。


「大丈夫です。私、頑張ります」




☆   ☆   ☆




 魔物と戦い経験を積みつつ生活費を稼げる、レギオンの仕事は一石二鳥だ。

ランクが上がればより強い魔物と対峙することができるし、さすればもちろん報酬も豪華になる。


凛はパーティで助言をもらいつつ学ぶことも、個人で戦い力をつけることもした。




「やっぱり私、魔力の窓がどうしようもなく脆い」


研鑽を積みぶち当たった壁。それは当初から言われていた、魔術を出力するゲートの脆さ。


凛の場合、窓の大きさはそれなりにあるが、とにかく耐久力がない。つまり、一発大火力をぶっ放つのは問題ないが長期戦に酷く弱いということだ。



その弱点を克服すべく始めた鍛錬は――――


「ビジューさん! 私をここで働かせてください!」

錬金術店の暖房をする仕事である。


椅子に座り、ただひたすらに温気を出し続けるだけのくだらない行為に思えるかもしれないが、かなりの成果が出てきている。

持続的に苦手属性の術を使い続けるのはそれなりに負担となるからだ。


初めは三十分続けただけで失神し翌日はまともに戦えない程だった。ポットに何度治癒魔術を施してもらったか数えられない。


しかし三ヶ月目である今は、さらに気温を上げる必要があるため出力を上げているにも拘らず、朝から夕方まで続けても問題ない。

それどころか、椅子から立ちビジューの手伝いをしながらでも余裕な程にまでなったのだ。




「凛ちゃん。もう接客はいいから、今日はお勉強しておいで!」


「ビジューさん…ありがとうございます」

ぺこりと頭を下げてから、上の階へと向かう。


錬金術店のバックヤードには魔導の教本が数多く置いてある。ビジューと祖父が読んでいたものらしい。



仕事を続けるうちに凛の財布にも余裕が生まれてきたため、書店で購入した問題集と併せて使っている。



「存在する属性は火、木、水の基本属性と陰、陽のつい属性。そして金、土、風、華、雷、氷の特異属性――っと」

問題集の空欄を迷うことなく埋めていく。


「魔術の種類は基本魔術、種族魔術、固有魔術。えっ、属性に関係なく扱えるのもあるんだ」



勉強は凛にとってそこまで苦痛ではなかった。もちろん長時間続けていれば疲れるが。


何も知らない少女にとっては全てが新鮮で、まるで別世界を描いた物語を読んでいるかのようだった。


それは魔導に関するものだけでは無い。

特に世界各地の文化や政治体制が、凛の目には興味深く映った。

一人の王が統べる国があれば、何百人もの政治家によって支えられている国もある。



西の堂々たる軍歌、南の絢爛な装飾品、そして――――

「この衣装は…極東の? 何でだろう、見たことがあるような…」

淡いピンク色の花弁と共に舞う特徴的な長い袖。


着物と呼ばれる衣装らしいが、凛は極東の文化に触れた覚えは無い。

ならばなぜ、これを知っている?


「黒髪と――青い目。そうだ、青い瞳をした人が着ていた…誰? 私はいつ、誰を見たの…?」




ひとつ問題があるとするならば。

新しい知識に触れると、ごく稀に、凛の知らない記憶が零れ落ちてくること。


記憶のはずなのに自分が体験したことのように思えないそれは、凛の胸を酷く締め付ける。




☆   ☆   ☆





「極東の衣装に、憶えがある…?」


まるで他人の夢を覗き見ているような不安感に駆られ、そのことを名奈へ相談した。


人に話すことで少しでも心が軽くなればと思い話したが、彼女の反応が想像と大きく違って凛は驚いている。



「そう…和装に――」


名奈の覆い隠された感情が揺れる瞬間を、凛は数ヶ月ぶりに見た。



「ねえ、その人って」


テーブルを挟んで向かいに座っている彼女が、ぐいと迫る。


「肩の上で切り揃えられた真っ直ぐな黒髪で」


「な、名奈ちゃん……?」

「彫りが浅くて、年齢の割にあどけない顔立ち」


「ねぇちょっと」

「それなのに表情の作り方と仕草は淑女で、伏し目がち。」


テーブルに手を付きぐいと顔を近づけ、耳元で囁いた。




「長いまつ毛が影を落とす、ただひたすらに青い瞳」






凛の、彩のない目が大きく見開かれる。


「あおい…ひとみ」


まるで催眠に堕ちたかのようにその言葉が唇から零れ落ちると、歓喜の感情を隠そうともせず、月の少女はにいっと口角を上げた。



「っは、やっと…やっと思い出した? それがあなたの――――」


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