〘三十九番星〙迷宮
「――っ名奈さん!!」
リビングへ入ってきたポットは珍しく声を張り、名奈を制止した。
「……ポット」
名奈は凛から顔を離し、じっとりとした目で名前の主を睨みつける。
長いまつ毛が若草色の瞳に濃い影を落としており、身の毛がよだつ程の威圧感を放っていた。
しかし凛にはそんな横顔すらきれいに見えた。
先ほどまではそれに似たものが自分に向けられていたにも関わらず。
「何か事情があることは察していますがこれ以上は――」
「わかってる」
ポットの言葉を遮る。
眉間にしわを寄せ下唇を噛んで、名奈は考え込むように俯いた。
軽く深呼吸をすると凛に視線を合わせる。
「ごめんね、ちょっと…焦った」
「えっあ、ううん」
私らしくないなぁ、と名奈は悔しそうにつぶやいた。
☆ ☆ ☆
「っ、嬢ちゃん危ねえ!!」
何世紀も前からこの迷宮に囚われているのであろう、とうに錆びた鎧を身にまとう首のない騎士。
魔物と化したそれが振るった一太刀が凛の肩の皮膚を切り裂く。
「――っ!」
鋭い痛みと血が流れる感覚により凛は我に返った。
「クソッ、一旦撤退だ!」
ヘンリーが再び振り下ろされた剣を盾で弾き返す。
その金属音が響くと同時に、パウロは凛を肩に担ぎ、首なし騎士の攻撃範囲外へと走り出す。
その豹と見紛う程の身体能力で、迷宮に訪れた者を帰らぬ人とするため茂る木々を縫うように走り、敵からの攻撃が届かず様子を窺える、藪の蔭へと隠れる。
肩から凛を下ろし怪我を確認していると、騎士の足止めをしていたヘンリーも追いついた。
「す、すみません…私のせいで――」
「いいやありゃぁ仕方ねえよ。まだ迷宮の外、しかも地上にあんな魔物がいるなんて想定外だ。まあ、戦闘中に上の空なのはいただけないがな」
パウロはそういって落ち込む凛の肩をぽんぽんと叩いた。
「しかしなぁどうする、地上でこれだけとなると迷宮内の敵の強さは計り知れないぞ」
「不可能じゃないが、首なし騎士がうじゃうじゃいるって考えると凛への負担が大きすぎるからな」
あの鎧は錆びかけているにもかかわらず、大抵の物理攻撃は跳ね返してしまう。故に有効なウェポンは魔術攻撃のみとなってしまうわけで。
「……撤退、しますか?」
眉尻を下げ弱々しい視線を彷徨わせながら問う。
「普段ならそうするがな…あいつが外に出てきちまってるということは扉が開いてるってこったろ? それをほったらかす訳にもいかねぇだろ」
つまり、あの魔物一体を撃退したところで、後から後から湧いてくる可能性があるという事。迷宮の外だというのに厄介な話だ。
しばらくの沈黙が流れる。
「応援要請しよう」
術師がもう一人いるだけでも大分違うだろ、とレギオンから貸し出される小型無線機を取り出した。
これにはテレパス系の術が施されており、魔物の住処である森の奥やダンジョン地下深くでも情報伝達ができる優れものである。エクスプローラーの安全のため、任務中にはこれを携帯することが義務付けられているのだ。
「どんな人材を要求する?」
レギオン本部へと連絡する前に状況を整理する。
「そうだな…準B級相当の魔導師で、敵の装甲や防御力を無視してダメージを出せる術師がいいな。そう、ルナみたいな――」
「呼びました?」
茂みから頭をひょっこり出した声の主を、三人はたっぷり十秒ほど見つめた。
「うわあぁあっ!!」
「んふ、反応遅いですね。凛ちゃんは声すら出てないし」
手で口元を覆って笑うのは、毛先がローズ色のブロンドをサイドテールにした少女。
「な、なんで名奈ちゃ…じゃなくてルナが」
「ちょっとしたトラブルがあってね、任務内容に間違いがあったの。さすがにこの人数じゃ勝算が低いから応援に行ってくれ~ってノイドさんに頼まれたって次第」
そう言って彼女は手元に愛用の弓を出現させ立ち上がり、迷宮の玄関口へと向かおうとするのだが、それをヘンリーが引き留めた。
「お前さんの実力は疑ってないんだが…その、大丈夫なのか?」
不安そうな彼の様子に名奈はきょとんとして、「全員でうまく連携できれば
何と言うべきか、毎回名奈の自信には驚かされる。
そして彼女の様子が今朝の出来事を全く感じさせないことに凛は拍子抜けしていた。
しかし、いつだって「私がいるから大丈夫」と背中で語る彼女が、どうしようもなく眩しくて目を焼かれてしまう。
凛は名奈のこともルナのことも、彼女の未だ見ぬ一面すらも愛している。
盲目的で不健全だが、惜しむらくはそれはすべて彼女が救世主でありすぎるせいだった。
☆ ☆ ☆
「この迷宮は全六層。しかし下は心臓を守るための防衛層らしいからな、上の何層かを片付ければいいと思うんだが」
「半分以上の層を守備に充てているのか、それとも最下層のみなのか情報がないですね」
現時点で分かっている情報を紙にまとめている三人。
凛は申し訳なさそうにそろりと挙手をした。
「あの…『心臓』って、壊せば迷宮が消滅するってやつで間違いないですか」
「正確に言うと迷宮が迷宮としての力を失い、ただの建物になるってやつだな」
心臓とは俗称。正式にはダンジョン・コアという。
それはダンジョン・マスターと呼ばれる生きた魔物であることも、ただの装置や石である場合もある。
そしてこれは余談だが、コアが破壊されただの構築物と化した迷宮やダンジョンを利用して作られた駅なども存在する。
「しっかり勉強の成果が出てンな、偉いぞ嬢ちゃん!」
サムズアップするパウロ。
「……じゃあ、取り合えず二層まで進んでみましょうか」
名奈の提案に全員が頷き、急傾斜の階段を下った。
湧いてくる魔物を倒しトラップを交わし、ギミックを解いて――それを繰り返し二層までたどり着いた。
「……妙だな」
「デュラハン、地上でうろうろしてたのに数匹しか遭遇しませんでしたね…。気配も感じないので少なくともこの層にはいないんじゃないかと」
迷宮の魔物は基本的に生まれた層に留まるものである。
元が人だったアンデッド系の魔物は多少移動することがあるとされているが、それも二層以下しか前例がない。
つまり、この第二層にデュラハンがいないということはあり得ないはずなのだ。
「隠れているとか私たちが見落としてるってことはないはず。…あのデュラハンはこの迷宮から湧いた魔物じゃないってこと?」
名奈は思索する。
脳に様々な可能性が浮上してはそれを否定した。
そして、最後に思い浮かんだ有力な仮説――――
「隠し部屋……?」
「名奈ちゃん下!!」
少女が立っていた部分の床が一瞬にして正方形に切り取られた。
不穏な気配を察知し凛は名奈を自分の方へ引っ張ろうとするが、心ならずも腕力が足りずに己も奈落へ滑り落ちる。
「ッ、嬢ちゃん!!」
ヘンリーが反射的に差し伸べた手へ、名奈と繋がれていない反対の腕を伸ばすが、あと少しのところで空を切った。
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