〘四十番星〙矢継ぎ早
文字通り地に足が付かないこの刹那が、凛にはスローモーションのように感じられた。
限りない雪原で木の上から降りることすら出来なかったあの時、重力に逆らえない自分を抱きとめてくれた彼はもういない。
この懐かしくもある浮遊感は、凛の気持ちを引き締めた。
自分でやらねばならないと。
「――ふっ…!」
身をひねり、地面までの落下経路に何枚もの薄い氷を生み出す。
もっと柔らかいものを生成できたら良かった、凛は氷系以外の術も習得しておくべきだったと悔いたが、後のまつり。
今できる最大限をやるしかないのだ。
ばりん、ばりんと二人の体が氷に触れては割れてを繰り返す。
胴に、骨が折れたのではないかと思う程の鈍痛が走るが直接地面に叩きつけられるよりはましだろう。
何層もの氷はブレーキの役割を果たし、落下速度は徐々に緩やかになっていく。
「っ…!」
最後の氷を突き破ると、二人は地面に転がった。
ひんやりとした石の床と壁。
幽々とほの暗い光景に、自分たちが落ちてきた天井の穴が閉ざされていることに気が付く。
「名奈ちゃんっ! 名奈ちゃん大丈夫!?」
はっとして、凛はぐったりと横たわるもう一人の少女を揺する。
名奈は一瞬苦しそうに顔を歪めてから瞼を開け、上体を起こした。
「凛ちゃ――ううっ」
「おでこ怪我してる、血が…!」
恐らく氷の破片で傷つけてしまったのだろう。
凛が処置をしようとするが、
「ッ触らないで!!!」
ぱちんっと乾いた音が響く。名奈は伸ばされた手を振り払った。
彼女が声を荒げるのを初めて見たことと、右手にじんわり広がる痛みに凛は狼狽える。
重なる、知らない記憶。
張り上げられた女性の声と共に走る痛み、理由の分からない虚しさ。
人に向けられているとは思えないほどに鋭い視線。
もはや呪いとも思える何かが、凛にまとわりついている。
「ごめんなさい……」
伸ばされた手を反対側の手で、弱々しく自分の胸の方へ引き戻す。
凛はあの時と同じように、訳を理解することもなくただ謝罪の言葉を口にした。
沈黙が流れ行き場を失った視線をどうにかするため俯くと、ふと冷たい空気が肌を撫で、通り過ぎて行った。
背筋をすうっとなぞられたような気味の悪い感覚をおぼえ、風上へ顔を向けるとそこには。
「ウ、アァ……ダンナ、サマ…?」
人のものとは思えない、掠れておどろおどろしい音。それは声と呼べるのかすら怪しい。
気配感知能力が極端に低い名奈も、それを耳にしたことで魔物の存在に気が付き臨戦態勢をとった。
ガシャン、ガシャン。徐々に近づいてくる金属的な足音。
おそらく甲冑を身にまとっているのだろうということが分かる。
薄暗い中、どうにか相手の姿かたちを捉えようと細められた名奈の瞳に移ったのは、首を小脇に抱え――魔物へと成り果てた騎士だった。
「ミ…見タ、ナ」
瞬間。
凛の背後で、地下の静けさを破る衝撃音が大きく響いた。
隣に立っていたはずの名奈が消えている。
凛は咄嗟に振り返り叫んだ。
「名奈ちゃん!!」
ぱらりと小石が落ちる音、名奈の咽ぶような咳、血の匂い。
夜目が利くわけでもなくそれどころか人と比べ目が悪い凛は、視覚以外の感覚から彼女が壁に叩きつけられたのだと理解した。
「どうしよう…」
ここに落ちてくる際に名奈を助けようとしたことで、握っていた魔杖を手放してしまった。
ヘンリーたちが拾ってくれるだろうからなくす心配はないが、今この戦いに支障をきたしてしまうことは明白だ。あれは貧弱な魔力の出力窓をサポートできる良品だったのだから。
「ダンナサマ、ジャ…ナイ……?」
空気中のマナの揺らぎを感じ、咄嗟に氷で防御する。
本来ならば
細く素早い一筋が氷にぶつかり乾いた音が鳴る。
「ひゃぁ鞭! こわい!!」
一撃でヒビ割れてしまったシールドを見て、一瞬でも防御が遅れていたらと考える。
恐ろしすぎて情けない声が出た。
これならシールドは使い捨てだと判断した凛は、その割れた氷を敵に向け放った。
しかし攻撃は騎士のプレートアーマーに容易に阻まれてしまう。
その隙に、背中から下へ向かって振り下ろされる鞭。
凛は攻撃を防ごうと氷の板を展開するが――美しい曲線をえがいた線はそれを打ち破り、少女の肩に襲い掛かる。
(さっきより強い…!? どうしようこのままじゃ――――)
「凛ちゃん伏せて!!」
突如発せられた名奈の声に凛は咄嗟にしゃがみ込んだ。
頭上スレスレに弾ける一閃。
魔力で構築された矢は流星のごとく宙を裂き、銀の甲冑を容易に貫いた。
「ミタ、ナァア!!」
名奈の攻撃がデュラハンの胸に突き刺さったのを見て、凛は勝利を確信する。
再び有効打を与えなくては。
凛は必死に思案した。この頑丈な鎧を砕くには、もしくはそれを超えて重傷を与えるにはどうすればいい?
見せたい。必死に積み重ねてきた研鑽の成果を。
彼女が「あの子はもう一人でも大丈夫」と心から思ってくれるように、実際にそうあれるように。
肩を並べて戦えることを証明するのだ。
名奈に喜んでほしかった。救った雛鳥がひとりで飛び立てるほどになったのだと。
(学んできたことを、努力を――!)
五千年近く存続してきたこの文明。
様々な勢力の騎士たちが熾烈な争いを繰り広げていた時代もあった。
そんな乱世で幾人もの戦士を守り続けてきた鎧を打ち砕いたのは――――
「アイス・ハルバード!!」
凛の手元、まるでガラスのように氷が凝固していく。
本当は無詠唱で素早く武器を作り出したかったのだが、何せ初めて使う術。イマジネーション強度が高くないため仕方がない。
上下に広がり杖の形を成すと、上部の左右に斧と鉤が、先端は鋭い槍へ変化した。
――――プレートアーマーに対抗する一つの方法、強烈な打撃。
「ふんっ!」
骨と皮ばかりのか弱い両腕で、凛は重量感あるハルバードを思い切り振り下ろす。
カジキのような刃が分厚い金属に叩きつけられる寸前――――
「……っ消えた!?」
凛がその手ごたえと衝撃を感じることはなく、氷のハルバードは空気を裂いた。
そのまま刃は地面に突き刺さり、その反動で凛の体が浮く。
彼女は混乱しながらもデュラハンの姿を探すため視線を巡らせた。
――――着地の瞬間は大きな隙ができてしまうということも忘れて。
凛は名奈を信頼していたのだ。後ろには彼女がいるから安心だと。
預けていた背中は言うまでもなくガラ空き。
少女の足が地面につくその刹那。
閃光の如しひとすじの矢が、凛の肩を刺し貫いた。
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