〘三十七番星〙羽化



「嬢ちゃん今だ、水面を凍らせろ!!」


「っ…はい!!」



ざばーんと大きな音をたて、湖面を跳ぶ巨大な魚。


再び魔物を水中に戻らせないため、凛は颯と魔杖を振り上げた。乗っている船からぱきぱきと凍っていき、揺れる水はあっという間に陸地へと変わる。



今回の討伐目標はアスピドケロンと呼ばれる魚型の魔物。

出現当時は無視されてきたが、近頃実害が出てきたためレギオンへ依頼が飛び込んできたのだ。




大男四人を優に超すほどの巨体は重力に逆らうことなく氷に叩きつけられる。


その衝撃により船が大きく揺れたが、それに構うことなく体格の良い男二人が飛び出した。



ビチビチと暴れる魔物。その鰭が氷に打ち付けられる度にヒビが広がってゆく。


このままでは、とどめを刺そうと魚へ駆けていく仲間が湖へ放り出されてしまう。

そう考えた凛は魔物の上空に釘のように鋭い氷柱を生成し、羽ばたくような尾びれに向かって思い切り撃ち落とした。



「ナイスだ嬢ちゃん!」


「そんじゃ行くぜ相棒ッ!!」


彼らは氷上を豹のごとく走り抜け、飛び上がる。

そして合図と同時に、身の丈もある槍の研ぎ澄まされた穂先が、魔物の脳幹を貫いた。


ぎらりと光る一直線。見入ってしまうほどに美しい軌道だった。









 正式にレギオンの魔導士となった凛は臨時パーティに参加し、数々の仕事を受けていた。

魔界最高峰の魔導学園であるエピック・マジェスティ・アカデミー、通称EMAの入試は実戦形式であるため、前線での経験を積むことが合格への近道なのだ。



「前は俺らが指示してたが、今では自分で判断できるようになってきたな。成長してるぞ!」


「えへ…ありがとうございます」


パーティメンバーは、凛が初めてレギオンの会館を訪ねた際に出会った名奈の知人であるヘンリーとその友人のパウル。


ヘンリーはパーティの守護神であるタンク、パウルは凄腕の槍使い。

魔術を使えない二人に凛が加わったことでとてもバランスの良いチームになった、というわけだ。




今は一仕事終えたということで、レギオンにて遅めの昼食をとっている。


「アスピドケロンを無事倒したわけだし、嬢ちゃんそろそろ昇級申請をしてもいいんじゃないか?」


先ほどより軽くなったジョッキを置きヘンリーは言った。

昼間から飲むなよと咎めつつ、パウルも彼に同意を示す。


「――準B級に、ですよね。なんだか…少し不安で」

凛はオムライスを突いていた手を止め、自身なさげに呟いた。


「そうだよな、お前さんからすれば恩人に追いつくって事だもんな。簡単に受け入れられることじゃぁないだろうが、実力はあるよ」


「ああ、俺らが保証するぜ!」


笑って勇気づけてくれる二人に、凛は心が温かくなるのを感じた。

まあ、正確には名奈はB級であるのだが、それでもここまで駆け上がってきたことに変わりはない。


彼女に出会ってまだ二か月だというのに、当時では信じられない程に進歩したな、と凛は感慨深く思う。



「それにしても、ルナに拾われた他の奴らと比べて凛はずいぶん関係が長続きしてんな」


見限られてしまった彼にも認めてもらえるほどに強くなれただろうか、なんて考えがよぎった――が、パウロの一言で現実へと引きずり戻された。



「なな…ルナちゃんって私以外にも大勢の人を助けてたんですか」


少し考えれば思い当たる事であるし、実際凛も知っていたが、以外にも彼女のことを心得ていないのだ。

故に凛は聞き返した。



「ああ。けがをした旅人を引っ張ってきて家に泊めては大体数日で別れて…それを俺が知ってるだけでも四回は繰り返してたな。しかも妙なことに、全員銀髪か青い目の女の子だった」


神妙な面持ちで言うヘンリーに、凛も表情を強ばらせた。

初めて出会った時から居候させてもらうに至るまで、彼女は些か強引だったように思える。ただお人好しすぎて流浪者を放っておけない、という様子ではなかった。


最初から何か裏があるのではないかとは思っていた。

凛の脳裏にひとつの考えが浮かぶ。


――――名奈ちゃんは何かを隠している?




「俺が思うにあれは人を探してんじゃねぇかと思うんだよな」


「人探し……ですか」


「ああ。ルナとの関係がここまで長いのは俺が知る限り嬢ちゃんが初めてだから、お前さんがその探していた人なのかと思っていたが――」


「いえ、きっと違うと思います」


彼女は優しいから、行く宛てのない自分を案じてくれているのだろうと、凛は考える。


そして出会った時に二人が、各地を転々としていると話していたことも思い出した。

自分がいることで、その人探しを邪魔してしまっているのではないかと不安になる。



名奈ちゃんやポットさんの足枷にはなりたくないなと、最初からずっと願っていた。

彼らを縛りたくなどないし、もし叶うのならば力になりたい。



「私……立派な魔術師になります」



この世界を強く生き抜く術を学んで、自立して、そしてこの手から零れ落ちてしまったものをすくい上げることができるほどに。


なりたいのではなく、なるのだ。



凛はぎゅっと唇を噛み締めた。

そして気がつく。

少し前の自分は何も望んでいなかった訳ではなく、「こうありたい」と願いその理想を掲げることを恐れていたのだ。


理想と現実のギャップに、失敗に傷つくことがどうしようもなく怖くて、走り出すことは愚かスタートラインにすら立たずにいた。



しかし彼ら――思い出せない誰かでさえも凛の味方で、この小さな少女がいつでも踏み出せるようにと舞台を整えてくれている。

急かす訳では無く、ただより多くの未来を選べるように。




周りは敵ばかりじゃない。

いつだって神は凛に微笑んでいる。


――――そう、思えたならば。





「救われ与えられるばかりじゃなくて、自分で選べるようになりたい。どうかそのヒントを…私に教えてくれませんか」



ヘンリーとパウルは息を呑んだ。


まるで別人だ。

矢のように逸れることなく鋭い意思が、その無彩色の瞳に宿っている。以前は誰かに彩られることを待ちわびていた、そんな瞳が。


確かに鮮やかな色彩は美しいけれど自分はそうではなく、この限りない低彩度で生きていくのだという覚悟。



「……任せな」


「ああ、俺たちが送り出すよ」



酩酊しているのか、ヘンリーは微かな、しかしどうしようもない高揚を覚えた。


新たな魔女の誕生の予感。

月の女神の名を騙る少女に出会った時と同じ直感。




「誰かに指された方向ではなく、自分で道を選び歩けるようになりたいんだな?」


上がってしまう口角を隠しきれず問うと、目の前の冬を語る少女は迷うことなく頷く。



「俺はなんて運がいいんだ」とヘンリーは心の内で笑った。

気が付いていないはずなのに抑えきれず溢れ出してしまう程の、天性の才。

原石が蛹から出て羽ばたく瞬間を、世界に宝石であると認知される瞬間を目撃することがどれだけ名誉なことか。


しかもそれは再び現れた。幸運と呼ばずしてなんと言うのだろう。




「お前さんがどんな色と柄をした羽をしているのか、早く見せてくれよ」








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