〘三十六番星〙侮蔑



 翌週、さっそくレギオンの会館へと二人は向かった。


マゼランへ初めて来た時と同じ列車に乗り、シティ・セドナという街を目指す。

そもそもマゼランとは、ヴェニュスという北国のラウィーニア州の中にある群である。

地理はどうにもややこしいもので、それを知った凛は「世界って広い」なんて呑気に考えつつ、うっそりと窓の外を眺めていた。



セドナはラウィーニア州の更に奥に位置する、この国の首都であり最北の地。

人の文明がなければ見渡す限りに白が広がっているであろう地平線は、首が痛くなるほどのビルに遮られている。




シティ・セドナとコールがかかり電車を降りようとした際は、人にもみくちゃにされ凛は目を回した。





駅のたくさんある出口へ迷わず歩く、名奈を含む人々を、凛はいささか信じられなかった。

横断歩道は一度じゃ渡りきれないほどに長いし、ビルが高すぎるせいで道は全くわからないし。



しばらく歩きやっと人込みとビル街から抜けられたと思ったその時、名奈は「着いたよ」とレトロな洋風の建物を指さした。


複雑な凹凸のある瓦、ミルク色をしたモルタルの壁と立派な石造りだ。

落ち着いたブラウンのドアには、わずかに青錆がありつつ輝きを失っていない金属の取っ手。それには華やかな装飾が施されており、上部にある鳥が立派に胸を張っている。




「こんにちは~」


「こ、こんにちは……」


彼女の背に隠れながらロビーを覗くと、そこはまるでおとぎの世界だった。

壁は濃い茶色だが、窓がとても大きいため暗くはない。高い天井に伸びるホワイトゴールドの螺旋階段。

一応ギルドであると聞くからもっとカジュアルな雰囲気なのだろうと凛は思っていたが、実際はシックで洗練されたデザインだ。





「おおルナか、久しいな」

壁に飾られた武器や防具を見ていた男性は、名奈へ気さくに声をかけた。

名奈は三か月ぶりですねと言って会釈をする。

すると男性は凛を見つけ、小さな目を丸くした。


「そこのお嬢さんは――」


「あっえっと、私は凛といいます」


「そうか……ルナお前、ここまでの執着は怖いぞ」


「ふふ、なんのことだか」


何の話をしているのか理解できず、凛は首をかしげる。




少なく短い会話が終わると、二人はカウンターへと向かった。

まるで鏡のように磨かれたフロアを、名奈のローファーがこつこつと鳴らした。その後ろに続くのはそろそろと遠慮がちなブーツ。




「魔導師の登録ですね、かしこまりました」


そこからは本当にスムーズに事が進んだ。


魔導系というより学生のような服装のこの男性はここのスタッフらしく、凛を奥の部屋へと案内した。



何の素材でできているのか見て取れない、ひんやりとした現代的な装置が鎮座している。

指示されるまま訳も分からず凛は機械に座らされる。


「大丈夫だから」


緊張で固まっている凛に気が付いた名奈はそう優しく声をかけた。体のこわばりが僅かに緩んだ凛は小さく頷く。

すると男性は慣れたように装置を起動した。


頭上にエンジェルヘイローのような光が現れたと思えば、凛は以前ビジューに自身の能力を鑑定してもらった時のような感覚をおぼえた。




よくわからない装置にかけられ内心怖気づいていたが、数秒しただけで天使の輪は消えていて、先ほどのカウンターにてカードを手渡された。


名刺サイズのそれを凛の指がそっとなぞる。


「これは……」

普通の紙ではない特殊な魔力を感じ取った。紙に、ほんの微かに電流が流れているような、指先に走るのはそんな小さな刺激。



「先ほどの診断で大雑把にランクを付けさせていただきました。心底驚いています」


言葉とは裏腹に、全く表情を崩さずに男性は言う。


「保有魔力量が多すぎて計測不能です。少々覗かせていただいた討伐実績からも、準B級を与えても差し障りないでしょう。ですがそれ以外の数値が平均以下、そしてスタートランクですので一先ず。――C級といたします」



彼がそう宣言すると、瞬く間にカードへランクが刻印された。


ぱっと見何の変哲もない黒インクに見えるが、それは確かに魔術で刷られた文字。

凛は目をぱちくりさせてから、「ほわ」と気の抜けた感嘆をこぼした。






 ランクも付き正式に会員となったので、男性と名奈は凛へこの建物の案内ついでにレギオンの仕組みを説明した。



「こちらは見ての通り掲示板です。ヴェニュス国内の自治体や団体に加え、この会館の近辺で暮らす住人の方からの依頼が張り出されています」


依頼者の名と内容、報酬と推奨ランクまでもが丁寧に記されている物があれば、迷子の猫探しまで多岐にわたる。


「自分の手に負えそうで、手間やリスクと報酬が釣り合っている物を選ぶんだよ」

そうじゃないと実質タダ働きなんてことになっちゃうからね~、と名奈は苦そうな顔をする。

損をした経験があるのだろうなあ、と凛は思った。




「ルナ様のような高ランク術師には、機密性の高い仕事を引き受けていただくこともしばしば。その辺の魔導師では手に負えない危険度、もしくは汚さがありますが……その分報酬がおいしいです」


「きたない…?」


「ええ。この世界の発展を担う貴族の中には、不本意に、少々過ぎたヤンチャをされてしまうお方もおられます故。我々レギオンはその尻拭いをしてくださるお優しい方と彼らを繋ぐ仲介業者でもあるわけです」


「よくそんな毒のあることを言えるね……私あなたみたいなヒューマノイド他に知らないよ」


ヒューマノイド、それすなわち命を持たざる人工物。

全く気が付かなかった凛がその精巧さに口をあんぐりと開けている間に彼は「戦士の方は黒い冗談を好むので」と軽口を叩いた。



「いつも思うけど、プログラムはあなたをどこまで――――」


「おや、覚えのある気配がすると思えば……|ハイドラのアイボリー嬢ではありませんか」


名奈が言いかけたその時。

カツン、と甲高い足音が響き渡った。


「お久しぶりですね、その節はどうも」


眩しいほどの純白にアクセントの上品な青が映える軍服。

彼らがわざとらしくお辞儀をすれば、腰に差された細長い煌めきが硬い金属音をたてた。


顔を上げると同時に胸元で揺れたのは派手やかな勲章。




名奈の呼吸が一瞬こわばったことに気が付いた凛は、快いとは言えない出来事を思い出した。


――――パーシアス騎士団。





「……わざわざありがとうございます。恐れ入りますが、アイボリー家の長女ではなく、一介の魔導師ルナとしてここに来ておりますので――」


震える声で、必死に丁寧に話そうとする名奈を遮る。


「ああ、そう言えばそうだったな。失敬、アイボリーから見放された魔物のことなど忘れていた」


真ん中に立つ彼が嘲笑うようにそう言い放つと、両サイドの男たちは「いくら毒蛇とは言え魔物とは酷いですよ」なんてわざと聞こえるようにしゃべる。心無い言葉だ。




「――――アイボリーに見放された、まもの…?」


状況が理解できなくて。ただ、彼らが名奈を悪く言っていることだけが分かって。

とうとう我慢ができずに小さな声が凛の口からこぼれてしまった。


きっと何かの間違いだと思いたかったが、初めてイフと遭遇したあの日駅のテラスにて出会った、名は確か――フェリックスといういけ好かない男。彼と同じ制服を着ている時点で、なんとなく何かがあるのだろうと察せてしまう。


それでも凛は、心優しく強い彼女がこんな言われようをされているのが信じられなくて。

そして、彼女がぎゅっと痛いほどに拳を握りしめていることに気が付いている。




「なんだ? 初めて見る顔だな」

真ん中の、おそらく一番偉いのであろう男が凛の顔を覗き込む。


凛はぎゅっと唇を噛んだ。

自分よりも大きな影が怖くて逃げたくて仕方がなかったが、それ以上に恩人を苛む彼らを許せなかった。


少女なりの鋭い目つきで精一杯睨みつける。決して逸らさない、屈しないと。




たっぷり見つめ合って五秒。

騎士は前のめりな姿勢を正す。


「ハッ、顔色の悪い女。お前が誰だか知らないが――」

「申し訳ありません、パーシアスの皆様」


これから侮言を紡ぐであろう声を、淡々とした音が遮った。


「こちらのお二人にも、仕事で足を運んでいただいておりますので」


「ノイドさん……」


黒髪黒メガネ黒カーディガン。平凡な見た目をしたただのロボットが、少女二人には彼がとても頼もしく映った。


「コイツに仕事? ハッ、どうせ殺しだろ」


「あなた方の小隊への依頼達成、報告の提出を確認しました」


名奈と凛をかばうように前へ出された腕に力がこもる。



「はいはい、帰れってことね。全く融通利かねえな、これだからロボは」



そう捨て台詞を吐き取り巻き二人に帰るぞと指示を出すと、そそくさと会館から去っていった。





残された凛と名奈はしばらくぽかんとしてから、はっと我に返った。


「あっえっと…その、変に気を遣わせちゃって……」

ヒューマノイドだから気を遣うとかないか、なんて思いつつしどろもどろ謝る名奈。


「いいえ。異常な心拍数の上昇を感知したので対応したのみです。こちらこそいつも面倒な仕事ばかり押し付けてしまっていますし。それに」


――――私のことをノイドだなんて、まるで生きた人のように呼んでくださるのは貴女だけですから



そう言って彼は目を弧にして見せた。

傍から見れば、血色のないその微笑みはただ気味が悪いだけだろうが、二人にとっては違う。

何と言うべきか、よくできたロボットである。




名奈は何か言いたげに鯉のように口をぱくぱくさせるが、うまく言葉にできず僅かに下を向く。

そして口を開かないまま眉をハの字にし、ただ笑い返した。



彼女の様子がいつものように戻ったことに凛は安堵する。

やっぱり名奈ちゃんは笑顔の方が似合うな、なんて思ったりして。




しかしまだ舞台の幕は下りないまま。茶番狂言を演ずることを強いられている少女。


凛は気が付くことができなかったのだ。

名奈が心の底からの緊張と恐怖、そして孤独感を覆い隠していることに。

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