〘三十番星〙宵の明星



「…というわけでやって参りました、近郊!」


見上げてもてっぺんが見えないほど高いビル群の中心で、どーんと両手を上げる名奈ちゃん。今日はいつも以上に楽しそうだ。

かくいう私も、開けゴマなんて言わなくても近づくだけで自動で開くドアを前にして少々はしゃいでいる。



「叶都さんは僕の助手、凛さんは名奈さんと魔獣討伐したおかげでバイト代が入りましたからね。僕も新しい教本を――」


「ちょっとポット、今日は一息つくために遊びに来たんだよ。医学書を探すのはまた今度」


「『今日は遊びじゃないんだから』はよく聞きますけど、その逆は初めて言われました」



名奈ちゃんと私だけでなく、ポットさんも叶都もいつもより表情が明るい。

みんなでSLIMを覗き込んでどこの店から行くか、意気揚々と話し合っている。



「では生活用品を見てから、各自趣味のものを買いに行きましょうか」

ポットさんの提案に皆が頷き、大きなショッピングモールへ歩き始めた。






「凛ちゃん、歯ブラシは硬めとやわらかめ、どっち派!?」


「凛さんは箸を使う人ですか?でしたらこれとかどうでしょう、色も長さも合うと思うんです」


「んふふドーナツ買っちゃお~」





 生活に必要なものを一式そろえた後。

「これ、私たちからのプレゼント。いっぱい使ってくれたら嬉しいな」


ラッピングされた箱の中には淡いブルーのマグカップが入っていた。

それは至って普通の物であるはずなのに、なぜかきらきら輝いて見えて。


やっぱり贈り物とは、人の心を温め記憶を飾ってくれる素晴らしいものだと実感した。


「ありがとう。嬉しい、大切に使うね」






 個人的に欲しいものを手に入れるためそれぞれ散り、私たちは服屋を訪ねる。



「ねえねえ、この服似合うと思うんだけどどうかな。好み?」

名奈ちゃんはコーデ一式をどんと持ってきた。


丸襟の白いブラウス、スモーキーな水色のボックススカート。それからオーバーサイズのプードルコート。


「えっと…私なにがおしゃれなのかとか流行とか全くわからなくて…。でも女の子っぽくてかわいいと思う」


正直なことを口にすれば、彼女はぱぁっと表情を明るくする。

「一着ずつじゃ足りないからもっと探そ!これは確定ね!!」


「え…あ、ちょっと」


私の制止を聞かずに服の海を漁る。

「着回しできるほうがいいよね」とか「凛ちゃんはパーカーワンピが似合いそう」だとか、本当に楽しそうで、まあいいかと私の頬も緩んだ。



可愛い私服は着ているだけでわくわくする、ということを学んだ。

実際名奈ちゃんは「ふたりでおしゃれしてお出かけしたい」とまで言ってくれて、それはもうとても嬉しかった。



この世界にはこんなに楽しいことがあるんだ、ということをいつも名奈ちゃんが教えてくれる。

私は幸せになってもいいのかなんて悩みがどうでもよくなるどころか、忘れてしまう程に。


苦痛でしかなかった日々がまるでキラキラ輝いているように思えた。




☆  ☆  ☆





「あ、叶都くんからメッセだ。…ちょっと凛ちゃん貸してほしいって」

名奈ちゃんがアクセサリーを見たいと言い出したその時。

彼女の端末からピロリと音が鳴った。


「なんだろう」


「さぁ。おいしそうなトマトジュース見つけたとかじゃない?行っておいでよ」


一階の大時計集合にしよ、と言って快く送り出してくれた。


「ありがとう、行ってくるね」





礼を言ってからメッセージで指示された場所へ向かう。

一階の観葉植物の隣にあるマップで待っている、とのこと。



階段を下り食品売り場を通り過ぎて、出入り口側へ歩く。


観葉植物とはあれかな、と視線をあげると叶都は既に私を待っていた。




「ごめんね、お待たせ。……で、どうしたの?」


叶都は「見せたいものがある」などと言ってモールの外へ出た。



気が付くともうすっかり夜のとばりが降りていて、街灯や信号、車のライトが街を照らしていた。

整備されたコンクリートは降り積もった雪道よりも断然歩きやすい。

私は何も言わずに彼の後ろをついていった。




 しばらくもしないうちにどんどん人が増えてきて、叶都はそこで立ち止まる。


「ここだよ」


ここと言われても何もないじゃないか、と思った矢先。

わずかに視線を上げれば、目の前に塔がそびえたっていることに気が付いた。



どれだけ見上げてもてっぺんが見えないビル群。

それらよりも更に高くて大きい、荘厳な塔だ。


こんな建物がこの世に存在するだなんてにわかには信じ難く、私は何度もまばたきをする。




「行こう。見せたいものがあるんだ」


「えっあ、うん」

あまりの眺めに立ちすくむ私は、叶都に手を引かれるまま塔の中へ立ち入った。



はしゃいで走り回る少年を咎める父親に、パンフレットを見ながら微笑み合う恋人。

そこはとても多くの人で賑わっていた。




 案内の指示通り列に並び、エレベーターに乗る。

私は箱の一番奥の端でその隣に叶都がいて、あとは知らない人が詰まっていた。


塔について解説するアナウンスの音だけが響く。

その静けさと変な浮遊感がなんだかむずがゆく感じて、ただ小さくなって俯いている。

早くこの閉鎖された空間から出たいような気がするけれど、ずっと続いていいとも思えた。



上部の小さなモニターに表示されている数字がどんどん大きくなっていき、それが300mを指すと同時に上昇が止まる。


そわそわしているせいかもしれないけれど、それから扉が開くまでの僅かな間が、焦らされているようにとても長く感じた。


ドアとドアの隙間がどんどん広くなっていって、やっと向こうの世界が見え始める。






 必要最低限の薄明かり、フロアを覆う大きなガラスの壁。


そしてその奥に広がるは無数に煌めく地上の星――――…



息を吸うことすらも忘れて、私はただそれに見入っていた。

何かがまつ毛を濡らし、その水滴が金や銀の灯を反射する。


だんだんと視界が滲んでしまう。まだ、もっと、目に焼き付けなくてはいけないのに。



「…………おかあ、さま」


無意識に零れた、自分にしか聞こえない程小さいその言葉は、私の胸をぎゅっと締め付けた。


なぜこんなに苦しくて悲しいのか――なんでこんなに綺麗なのか。

幾度心に問いかけたって誰も答えてくれなくて。




――――なにか、とても大切なことを忘れてしまっているような気がする。



命と同じかそれ以上の価値がある宝物をなくしてしまったような。

何が大切だったのか、どうして失くしてしまったのか、その全てが分からない。

それなのにただ途轍もない喪失感だけが押し寄せてくる。



どうして、こんなことに。



「凛が気を失っていた時、星がどうって寝言を言ってたから」


私のより低くて、落ち着きがあって、そして凛とした声で我に返る。

振り返ると彼は神妙な面持ちをしていて、どこか躊躇うように言葉の続きを紡いだ。



「……数年前、星は突如として姿を消した。だから今はもう、あの明かりが夜を照らしてくれることはない」


「…………うん、ちゃんと知ってる」


涙を拭い平然を装ったけれど、どうしても声が詰まってしまう。

それでも叶都はそれを指摘するでもハンカチを手渡すでもなく、ただそのまま隣に立った。


「でも、だからこそこれを知ってほしかったんだ。一軒の家、ビル、街灯――眩しいほどの夜景は、ここに住む一人一人が必死に守り抜いてきたものだって」


鼻をすすっては目をこすって、私は小さく頷いた。



「凛はこれから、血のにじむような努力をしても、皆の為に自分を犠牲にしたって……それでも朝日が昇らないって苦しむのかもしれない」


叶都が言いたい事の本質を掴んであげることができなくて、ずっとガラスの外を見つめていた視線を彼に向ける。


まっすぐ前を見据えるような琥珀色の瞳。

それは何かが吹っ切れたかのような清々しさがあった。



「でも。正真正銘、この景色を守ってきた人の中には自分も含まれているってことを忘れさえしなければ」


――――きっと、凛自身が皆にとっての星になる




意味が分からないのにその言葉に覚えがあって、手すりを握る手が冷たく感じた。



「……ここ、マクスウェルタワー。本当は最上階まで連れて来てあげたかったんだけど厳しくて」

申し訳なさそうに眉尻を下げるので、私は首を横に振った。



「ううん。この景色を…星を見せてくれて、ほんとうにありがとう」


精一杯の感謝を込めて微笑むと、堪えていた涙が頬を伝った。




☆  ☆  ☆




 マクスウェルタワーを出て夜風に当たると、あつかった目も徐々に冷えてくる。

これから冬を迎える空気が肌を撫でた。



「……凛」

改まったように名前を呼ばれるので、私は少し間をおいてから返事をする。


近郊にしては珍しく人通りが少ない道。

叶都は突然足を止めた。


月が雲に隠れていて暗いのと街灯で逆光になっているため、彼の表情は良く見えない。



「…………かなと…?」

空気が重たい気がして、これから何を言われるのか怖くて、微かに声が震えてしまう。



深く息を吸って、口を開いた。


「ここでお別れだ」




一分ほど、言われた意味が分からなくて、私はまるで凍りついたかのように固まった。

実際はもっと短い時間だったのだろうけれど、それでもそのくらい長く感じた。


「……どういうこと?」


やっとの思いで発せた声は先ほどよりもっと震えていて、このあとに起こるであろうことを既に理解してしまっているようで嫌だ。



「そのままの意味。及び腰で、弱くて、状況が悪くなったらすぐ投げ出して逃げる」


「な、なに言って――」

「お前も気付いてるだろ、足手まといなんだよ」



まるで、世界が凍りついたかのようだった。

嘲笑うようにぴしゃりと言い放たれたその言葉に、数分前私に夜景を見せてくれた彼の面影は全く無くて。


血管がいつもより遥かに速く脈打つ。

肌からは嫌な冷や汗が噴き出して、次の言葉を見つけることができない。




「……叶都、ちょっとおかしいよ、だいじょうぶ?」


「違う。おかしいのは今の俺じゃなくて『お前が知る叶都』なんだよ」


ちがう。

「それにどちらかと言うと、おかしいのは凛、お前だ」


違う。

叶都は私と一緒に凍てつく大地と立ち向かってくれる、優しくて強い――

私が知ってる叶都はもっと…!!



私が知っている、叶都?



「あ、今更気が付いた?俺も生きるのに必死なんだ。だからそのためだったらどんな手でも使う。例えばお人好しのふりしてお前みたいな温室育ちを騙す、とかね」



おんしつ、そだち。

確かに私は無知だけれど、決して温室なんて生ぬるい環境で過ごしてきたわけじゃない。


理解者だと思っていた彼は、指先が凍り付いて痛くて熱くて堪らないような地獄を知らないとでも言うのだろうか?

誰が見たって、あれを温室だなんて言う人はきっといない。








――――本当に?


私が散々地獄だと言ってきたあそこが、鬼だと恐れていた彼女が、そうでないのなら?



私はなんてことをしてしまったのだろう。

そうだった。

寒いだの苦しいだの自分に甘いことを言った挙句、彼女メシアは死んだ。

私のくだらない被害妄想が、彼女を殺した。



この世界を生きるに多少の苦労は必然だと、少し考えればわかるはずなのに。

みんな苦しいし、私より辛い思いをしていた人だってたくさんいるはずなのに。

悪いのはあの雪原じゃなく、私だった。


私は救いようがないほど傲慢で、愚かだ。




「――――…から、」


「は?聞こえないんだけど」


「……あらためるから、強くなるから…だから、お願い、置いて行かないで」


これもきっと一種の逃げだ。ああ、私は結局何も変われない。

非力で無知だから、大事な場面で縋ることしかできない。




彼は明らかに眉間にしわを寄せた。


「確かに足手まといだとは言ったけど、強い弱いって問題じゃない。お前は十分強いけど、俺の行く道に凛は必要ない。それだけ」




私の中で何かが崩れ落ちるような音がした。



朝が来ると走った方向が実は西だったなんて、馬鹿げた話。

朝焼けだと思っていたのは夕焼けで、明けの明星だと思っていたのは宵の明星だったのだ。

気が付いた頃には太陽はとうに沈み、ただ月がさみしく荒野を照らすのみ。



――――今この瞬間が、長い夜のはじまり。







章末・Niflheimr

揺蕩うハティは星をたべた。

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