〘四十九番星〙「 いってらっしゃい 」
「……待って名奈ちゃん。今気づいたんだけど、それってつまり名奈ちゃんと私が
先ほど名奈は、確かに「惺は自分の叔母である」と語った。
にわかには信じ難い事実に、凛は目を瞬かせる。
「あれ、ポット、前に『凛さんの検査の結果が出たのですが』って血液検査の結果私に見せてきたよね」
私はずっと凛ちゃんに教えてるものだと思ってたんだけど、とポットに目をやる。
それに対し、「無言の圧力で口止めしてきたのは誰ですか」とポットは不満げに眉を寄せた。
そんなくだらない揉め事をする二人を見ながら凛は、おずおずと挙手をして尋ねる。
「あの…私の戸籍について、なんですけど」
「それならもう私が調べたよ。あと、私さっきおばさんって言ったけど、正確には伯母嫁って言うらしいね」
少女はSLIM端末を取り出し、メモアプリを開いてスクロールする。
そもそも名奈が凛を拾ったのは、少女が背負った魔杖に見覚えがあったのと、惺が自分の娘は白い髪と青い目で――などと語っていたのを覚えていたからだ。
実際に会ってみて凛の瞳の色は話と異なっていたが、それでも彼女がいれば惺の元にたどり着けるだろう、という魂胆だった。
もう惺にこだわる理由もない上に凛は記憶を失っているので、それは過去の話であるが。
「結論から言うと、凛ちゃんの身元は分からなかったよ」
「そう……」
ようやく自分の身元を知ることができると期待していた凛はしょんぼりと項垂れるが、まだ落ち込むには早い、と名奈は続けた。
「惺さんは私の母の兄の奥さんなの。だから戸籍はそこを辿ったんだけど――」
そこで名奈は言い淀み、SLIMを操作する手を止めた。
「だけど…?」
「――――そもそも、私の母の兄なんて人物は存在しなかった」
予想だにしない言葉に、リビングは静まり返った。
凛はあり余った沈黙を噛み締めてから、混乱しながらも口を開く。
「それって、つまり」
「うん。何らかの事情で戸籍登録していないか、あるいは――惺さんが噓をついているか」
辿り着いた推論に凛は表情を曇らせる。
ポットはそれに気が付いて、「せめて後者でないと思いたいですよね」と言い添えた。
それは凛に関する唯一の手掛かりであり名奈の恩人である故、簡単に信頼が揺らいではならない。
名奈はこの空気に、しばし思案した。
言うか、言わまいか。
これは彼女にとって気乗りすることではなく、今までのらりくらり避けてきたことだ。
しかし凛との出会いは確かに運命的で、そろそろ自分の問題にもけじめを付けなくてはならない。そう思い至る。
「その…今年中にっていうのは、私の心の準備ができてないから難しいんだけど」
「え?…うん」
意を決して、名奈は二人へとある提案をした。
「凛ちゃんが卒業して時間が出来たら、私の実家へ行って――直接話を聞きに行ってみる?」
☆ ☆ ☆
ヴェニュスの初秋らしいひんやりとした空気が肌を撫でる。
日が昇ってしばらくした頃の東の空は、水彩絵の具のように滲んでいた。
ヘンリーやノイドをはじめとするレギオンの面々に挨拶を済ませた凛は、名奈とポットの見送りの元駅に来ていた。
「ほんとに私たちここまででいいの?」
「うん、先生がアリアンロッドまで迎えに来てくれるから」
マジェスティ王国へ向かう過程、ワープポイントを使ったことがない凛が一人でCMAまで来るのは大変だろう、とルカは気遣ってくれたのだ。
「私、テレポータルまで一緒に――――」
名奈はそこで続きを言うのをやめる。
もうこんな回りくどい言い方をしなくてもいいのだと、思い出した。
そしてもごもご言い淀んだり視線を泳がせたりして、やっと再び口を開く。
「その…さみしい、から。たまには顔見せてね」
下がった眉尻、僅かに赤く染まった頬。
感情を隠そうとしない笑みを、名奈のそんな表情を初めて見た凛はしばらく言葉を失った。
そしてされるがままといった感じで、凛はポットが差し出した物を受け取る。
「これは――」
「あそこはもう、凛さんの家でもあるんですよ。だから、いつでも好きな時に返ってきてくださいね」
少女の手のひらの上で鈍く光るそれは鍵だった。
「『おかえり』って、私たちに言わせて欲しいの」
名状しがたい感情が込み上げて、凛の言葉を奪った。
初秋の風に乗って流れていった赤い葉と、胸の底から広がる暖かい何かが、失った記憶の断片を呼び起こす。
帰るべき家。
帰りたいと思える場所。
昔はあった気がして、しかしそれでも、こんなものは確かに初めてだった。
『秋になるとね、葉っぱが赤や黄色になるんだよ』
朧げな誰かの声。
一緒に紅葉を見たいと願った人がいた気がする。
そしてその望みは意味をなくした――はずだったのに。
秋色に染まった景色を背に、凛を見つめる二人の表情のなんと柔らかいこと。
かつて願ったものが今や、別の形で存在している。
それに気が付いたのなら、もう過去の呪縛に付き合う必要はない。
「この世界に私の居場所なんてないって、思ってた」
そしてそれは名奈もポットも同じだったのだ。
「帰ってくるね」
顔を上げた凛の表情を見た二人は笑って、待っていると頷いた。
凛は改札口へと向かうが、まだ言わなければならないことがあったと思い出し踵を返す。
「名奈ちゃんこの前、月は嘘つきの象徴だからルナって名乗ることにしたって言ってたよね」
「え? ああ…うん」
「
唐突な言葉に瞬くが、その意味を理解して笑みを浮かべる。
「いってらっしゃい!」
二人は大きく手を振って、凛を送り出した。
☆ ☆ ☆
「ここが――テレポータル⋯!」
「エトワール、人が多いからはぐれないようにね」
高くそびえるクリスタルのアーチが光を反射し、建物の中を神秘的な色で照らしている。
凛はあまりに荘厳な光景に、ぽっかり口を開けて立ちすくんでいた。
世界各地に設置されたワープポイントは山や海を超え、他のワープポイントへと橋を渡すことが出来る。
紙に書かれた二つの印を繋ぐには、ペンを走らせ線を引くのも良いが、紙そのものを折り曲げ印どうしを直接触れさせてしまえば良い――それがおおまかな仕組みである。
そしてテレポータルとは、多くのものが行き交うワープポイントを整備・管理し、世界的な交通インフラとして成り立たせている重要な施設なのだ。
「あの案内が見えるかしら? あのセキュリティエリアで身分や持ち物の検査をしてからワープトンネルに入るのよ」
凛は自分の身分でワープポイントを利用できるのか不安に思っていたが、ルカいわく「セキュリティエリアを通過できないと思ったらその子本人が危険物判定されてたなんて事があったのよ!だから去年からは界王女様の権限でチェックはパスできるようになったわ」ということらしい。
人がセキュリティゲートに危険物判定されるとは一体。
想像はしていたが、やはりCMAは曲者揃いなのだろうかと凛は怪訝な表情でその話を聞いていた。
「あの⋯せ、先生。人には魔力や出力窓に限界があるから、大規模な術は使えない⋯それを可能にしたのが魔導装置、ですよね」
マジェスティへと繋がるワープトンネルの出発ゲートで順番待ちをしている時、ふと疑問が生まれたので、凛はルカに尋ねることにした。
「もっとワープポイントを設置することはできないんですか?もっと便利になると思うんです」
もしも誰もが知っている当然のことを質問していたら、と思う凛の声は緊張により僅かに震えていたが、ルカが「いい質問ね!」と笑うので、ほっと力を抜いた。
「テレポータルという施設は確かに人工物だけれど、ワープポイント自体はそうじゃない。大アルカナの遺物なのよ」
「大アルカナ22柱って旧時代の神々ですよね⋯?ラプラスが誕生する前――ワープポイントって紀元前からあったんですか⋯!?」
凛はてっきり、最近流行りだしたらしい科学と魔導が組み合わさった産物だと思っていたので酷く驚いた。
確かに神の遺物ならば空間を超越することも可能なのだろう。
学びを得る度に、名奈たちや――そして叶都がどれだけ高度な術を使っているのかが身に染みてよくわかる。
それでもまだまだ世界は道で溢れているのは、きっと素敵なことなのだろうと、今の凛にはそう思うことが出来た。
順番が回って来て、とうとう次元の裂け目を前にする。
トンネルの外壁は透明で、空間と光が歪み絶えず変化し続ける光景が広がっていた。
ここに立った誰もが、自分は世界の腹の中で生かされているということに気付かされるのだ。
向こう側にはまるで漆黒のインクが満ちているようでいて、夢の淡い色の空があり、思考があった。
何も無くて、全てが見える。
想像を絶する――人には到底理解の及ばない――――
「先生。きっと⋯きっとこれから、楽しいですよね」
及ばないと思っていたことを知って理解するのは、きっととても楽しい。
まだ見ぬ好奇心に、凛は胸を弾ませた。
CMA、一年生の教室にて。
「えっ、お前⋯⋯そんなことも知らねーの!?!?」
少年の――凛へ向けて発せられた容赦ない言葉が、教室を、廊下を超えて校舎中に響き渡る。
当然凛は言葉を失い、ピシリと凍りついたように固まった。
ああ、名奈ちゃん、スポットさん。
きっとこれから楽しい――よね?
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