〘十五番星〙良薬は口に苦し
「……何ですか、この痣」
大人しく控えめな印象だった魔癒師さんの声が、ワントーン低くなる。
突然の緊張感に自分の心臓がどきりと跳ねた。
なぜか、本能的に思ったのだ。「この痣の理由は隠さなければ」……と。
この人なら話せばきっと、適切な治療をしてくれると思う。
でも――なぜか分からないけど隠したい。
もしも口外したら、またあの痛みを味わうことになってしまうような気がして。
「……こ、この前ドアノブにぶつかっちゃって、すごく痛かったんですよ。痣になっちゃってますね……」
冷や汗がじわりとにじんできて、傷に染みて痛い。
苦しい言い訳だろうか、バレてしまうだろうか?
「一応聞きますが、他の痣は」
「魔物と戦った時やられちゃいました。恥ずかしいです、弱くって…」
呼吸するかのようにぺらぺらと並んでいく嘘。思ったより上手にごまかせてしまって、なぜか少しむなしくなった。
これで間違っていないはずなのに。
「…………そうですか、それは痛かったですね。では一緒に治しちゃいますね、安心してください」
魔癒師さんはに優しくこりと笑って、メモをとる手を進めた。
しばらく見つめていたが、これ以上このことについて追及されそうにはない。
納得してもらえたようだ。私は胸をなでおろした。
「思いっきりやると痛いよね…ドアノブ。私もやっちゃったことあるけど、刺されたかと思ったよ」
「は、はい……気をつけないといけませんね」
ふーっと深く息をはく。
……よかった、多分ばれてない。
「では術をかけますから、これをしてください」
差し出されたのは、やわらかい生地の目隠し。
気になってまじまじと見てみると、どうやら遮光性の徹底的な物のようだ。
「なんで目隠しを…?」
「そっ、それは……術のせいで目に影響があるかもしれないので……安全のためです」
とても焦った口調だ。
そんなにひどい副作用があるのだろうか、しっかり目をつむっておこう。
きつめに頭の後ろで布を結ぶ。
下の隙間もふさいだので、おそらく大丈夫だろう。
「では、術を使います。少し気味が悪い感じがするかもしれませんが、それが普通なので焦らないでくださいね」
数秒後、体が暖かい空気に包まれた。熱すぎない、心地よい暖かさ。
これはただ単に暖かいだけじゃなく、爽やかな気配も感じる。
たしか扉があったあそこの空気もこんな感じだった。
癒されるとはこういうことか、と改めて思う程に優しく心地よい。
しばらくすると、ぬるぬると傷がふさがっていく感覚がするようになった。
痛みが和らいでいくのと同時に、少し気持ち悪さも感じる。
肌の上で虫が這っているようだ。
何か月もかけて治る傷が一瞬で治るということを考えると、この気持ち悪さにも納得だ。なんたって一瞬で傷がふさがるんだから。
「よし、終わりました。あとは念のため薬を塗っておきます。そうしたらもう帰って大丈夫ですよ」
瓶のふたを開ける音がすると、すぐにつんとした匂いが鼻をかすめた。
「目隠し、とってもいいですか」
結び目に手をかける。
「だ、だめです!! この部屋から出たらとってください」
「……わ、わかりました」
あぶないところだった――気がする。よかった、ほどかなくて。
「……はい、終わりましたよ。お疲れ様でした。幸い深くなかったので、しばらくしたら傷の跡も消えると思います。
痛みはしばらく残ると思いますが――…2週間ほどたっても痛むようでしたらまた来てください」
表情は見えないけど、とてもとても優しい声色。
きっとその声でたくさんの人の心を温めてきたんだろうなと思う。そしてきっとこれからも。
「あ!! 目隠しは扉が完全に閉まったら外してくださいね!!」
前言撤回――――濁点の付いたとても焦った声。
ギャップにふと頬がゆるんだ。
「へへ……ありがとうございました」
「……! はい、また来てくださ――もう来ちゃダメですよ!」
扉がゆっくりと閉まった。
これでもう目隠しとっても大丈夫だろうか?
目隠しをとろうと結び目に手をかけると、自分より少し大きく暖かい手が伸びる。
流れるようにふわりと解かれ、視界に真っ白な光が飛び込んできた。
「まぶし……っ!」
「ふふ、おうちまでおくるよ」
目をぱちぱちさせて、ようやく明るさに慣れた視界に映ったのはアイボリーさんだった。
「えっ……あ、えっと」
突然距離を縮めてきた感じがして、少し戸惑ってしまう。
というか私、今は帰る家ないし、こんな時なんて言えばいいのだろう。
「うん? あ、ゆっくりでいいよ…?」
戸惑いしゃべれずにいる私を見て、困ったような顔をしながら目隠しをたたむアイボリーさん。
気を遣わせてしまったみたいだ。
「えっと、私多分遠いところから来て……」
「多分っていうのはちょっと分らないんだけど……うん、続けて」
「今はその……帰る家っていうのはなくて」
「え、そうなの!? この街までよく来たね」
「これからどうするかは、一緒に来た人と相談することになる気が…します」
あの時は軽率に「一緒に旅をする」なんて契約してしまったけど、街についてからどうするかなんて考えていなかった。
というか、契約なんてしなくても他に道があったのかもしれない。あどれなりんって怖い。
今更悔やんだところで過去は変えられないので、仕方がないのだが。
「じゃあ、まずはその人のところ行こうか」
アイボリーさんと私は待合室へ向かって歩き始めた。
再び薄暗い廊下へ出る。
しかし今回は光の方へ進んでいるので、先ほどより不気味さはなかった。
少しキツいなと感じていた薬品の匂いも、今はあまり気にならない。
「……そういえば、髪の毛綺麗! 白髪…あ、銀髪って言うのかな」
まじまじと私の髪を見ているなと思ったら、突然褒められる。
まっすぐ前見て歩かなくて大丈夫だろうか。
しかし容姿を褒められたのは初めてで、それがなんだかとても嬉しくて、気持ちが浮ついてしまう。
「アイボリーさんの金髪も綺麗ですよ。色だけじゃなく…つやつやで」
「ほんとう? 嬉しいなあ~」
少し頬を赤らめ、ふわりと笑う。
その顔になんだか見覚えがあるような気がするのだが――――彼女とは初対面。
きっと気のせいだろう。
そして綺麗なのは髪だけじゃない。
くりっとしたまんまるな目は浅葱色に潤い、長いまつ毛の影が美しい。
まっすぐ綺麗な鼻筋、薄桃に色づいたぷるりとした唇――――。
十人に聞いたら十人全員が口をそろえて「整った顔立ちだ」と言うだろう。
プリーツスカートから伸びるのはすらりとした長い脚。
白色のタイツからわずかに透ける肌色は、なんだか見つめ続けてはいけないような気がしてくる。
簡単に言うとすごくかわいくて綺麗。「花も恥じらう」とはこういうこと?
「私、あなたとお友だちになれてすごく嬉しいよ!」
両手を頬にあて、ふにゃりと目を細める。
その笑顔は眩しすぎてクラクラしてくるくらいだ。
って、そうじゃない。
「と、ともだち?」
私たちは初対面。
しかも私は急に腕をつかんできた不審者だというのに。
無防備にもほどがある。
アイボリーさんは少し考えるそぶりを見せ、すぐに大きな目をさらに大きくして言った。
「そ、そうだよね…。名前も知らないで友だちだなんて…!!」
想像の斜め上を行く言葉に、私はおろおろと困惑した。
「えっと、そういうことじゃ――」
「改めて私! ナナ・アイボリーっていうの。和名では名奈! よろしくね」
ばっと私の手を取って自己紹介をする。
なんだか物理的にも精神的にもぐっと距離を詰めてきた感じが…………。
というか、私が言いたかったのはそういうことじゃないのだけど。
でも、嫌ではないのがふしぎだ。
「あ……私はリンって名前で、えぇっと…」
これは私も名乗る空気だなと思い、自己紹介をしようと思うけど。
なにせ初体験。どんなことを言えばいいのだろう。
まずは英名、それから和名がある場合はそれを伝える、というのがメジャーなのだろうか。
それともどちらかだけ?
「えっと、リちゃん?」
そう言ってきょとんと首を傾げるアイボ……名奈さん。
「ち、ちが……。リ・ンじゃなくて凛、名前…」
「ああ、凛ちゃんね。ごめん! あれ、苗字は?」
みょうじ。
あの家ではずっとリンって呼ばれてきたからか、覚えがない。
それより前は――――…
「ご、ごめんなさい。あるはずなんですけど、わからなくて」
名奈さんは不思議そうな顔をしたあと、「そっか」と頷いた。
そうか、苗字。
これから人の街で生活していくのであれば必要になってくるのだろうか。
また面倒な壁が立ちふさがる。
「……ねぇ。もしかして『リン・ルミナス』だったりしない…?」
「……え?」
名奈さんはなんだか彼女らしくない、恐る恐る探るような口調で尋ねてきた。
隠しているつもりなのだろうけど、きっとその瞳の裏にあるのは期待だ。
「急に変なこと言ってごめんね、私のいとこの名前なの。会ったことはないんだけど、凛ちゃんみたいに白い髪で――…あぁでも、その子は青い目をしてるから違うかな」
「そう、なんですね」
そうなんですね。
私には他人行儀なそれしか言えなかった。まあ実際他人ではあるのだけど。
知らないものはしょうがない、知らないのだから。
ああでも、少し嫌な言い方だっただろうか?
「これでもう私たち友だちだね、だから敬語はやめて! それと、名奈って呼んでくれてもいいんだよ」
潤った千草色の瞳に見つめられる。
わかってやっているのだろうか。
「名奈――――……ちゃん」
「ふふ。なあに、凛ちゃん?」
口角が上がりきった、すごく嬉しそうな顔。
なんだか私もうれしくなってくる……なんて。
「あ、ほら。待合室着いたね。一緒に来た人だれかな~」
「えっと……」
「あの緑の三つ編みの女の子かな?」
目の上に手をかざして、辺りを見回す。
「その人のとなりです」
「あ、黒髪の男の子だね、わかった」
そう言って彼女はすたすたと叶都の元へ向かっていった。
「え、ちょっと名奈ちゃん…!?」
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