〘三十ニ番星〙揺蕩う




「凛ちゃん、大丈夫かな」


つややかな金髪を片方の耳上で結んだ少女が見つめる先には、まるで魂が抜けたかのように虚空を見つめるもう一人の少女がいた。


その瞳には生気が宿っておらず、まるで息絶えた魚のようだ。

時たま考え込むように目を伏せることがあっても、ここ二日間、食事すらまともにとることができていない。



名奈やスポットが話しかけると、「ごめんなさい、少し食欲がなくて」と困ったように微笑むばかり。




本人は自責の念に駆られていた。

救世主であった彼らが去って行ってしまったのは自分のせいなのだ。

そして、屋根と寝床を提供してくれている二人のためにやるべき事があるとわかっているのに、体を動かすことができない、と。


今の凛にとっては、自分の存在すらも鬱陶しく思える。

ただ、窓から覗く青空だけが、まぶしいほどに鮮やかだった。




「凛ちゃん」


心配そうな声に、我に返った少女は扉の方を向いて返事をした。

しばらくしゃべっていないせいか、あるいは泣いたせいか、想像以上にかすれた声が出てしまい、恥じるように口を閉ざす。



「…………」


沈黙が流れる。



名奈は思い悩んでいた。

「どうすれば、何を言えばこの子が目覚めてくれるのだろうか?」

少女には、凛を無理やりにでも叩き起こしたい理由があった。本当に彼女のことを思うのであればこのようなことすべきでは無い、しかしそれ以上に譲れないこと。


当初の目的。

そう、来るかもわからないこの日のために、ずっと一つの望みのためだけに行動してきたではないか。



己にそう言い聞かせるも、凛にかける言葉は浮かんでこない。






「……わかって、たの」


意外にも、沈黙を破ったのは凛だった。



名奈はわずかに動揺し、目を丸くする。

そのことに気が付かない凛は言葉をつづけた。


「いつだって私の力が足りないばっかりに悪いことが起きて…それで、なぜか私以外の人が傷つく」

なんだかんだ皆すごく優しいから、とこぼした。



過去の自分と目の前の少女が重なって見えてしまい、名奈は考え込む。

そしてゆっくりと口を開いた。


「多分みんな、そんなものなんじゃないかな」


声になった言葉は考えた割に無難なもので、名奈は言わなければよかったかもしれない、と俯く。

しかしその考えは一瞬にして消え去った。



凛の表情が、珍しく大きく動いたのだ。


「名奈ちゃんも…そうなの?」



身を乗り出して尋ねる凛に、名奈は若干驚きつつ答える。


「うん。だってほら、最初から力があるとか…なくない? ベンチプレス二百キロの赤ちゃんとか怖いよ」


「べんちぷれす…にひゃっきろ」


「ごめん、凛ちゃんが聞きたいのはそういう事じゃないよね」


凛はベンチプレスを知らなかったので聞き返しただけだったのだが、名奈は突飛な例だったと思いまた少し考え込んだ。



「恥ずかしいからポットには言わないでほしいんだけど…実は私、とあるちっちゃい魔術師団に所属してたことがあったの。でもなかなかうまく戦えないし世間知らずだしでクビにされちゃったんだよね」


「ク、クビって解雇ってこと? 名奈ちゃんが…?」


とても驚いて口をぱくぱくとさせる凛に、名奈は頬をかきながら「実はそうなんだよ~」と笑う。



「だからね、それからはすっごく頑張ったんだよ! 魔導学校を探して、試験突破できるように毎日特訓して……もやし生活だったのも今じゃいい思い出だなぁ」


笑える話ではないはずなのに、きっと場を明るくするためにふるまってくれているのだと思った凛は、少々目を泳がせてから言った。



「……強くなれたら、その…何かをなくしちゃったりとか、後悔したりとかって…なくなる?」


凛は口に出してから、なんて及び腰な発言なのだろうと思った。

言う前に行動できない、それこそが自分を軟弱にしている原因なのに。理解していても動けない、いつもそうやって自分を甘やかしてきた。

しかしそれが本質なのだと諦めてもいた。



「きっとそれはないよ」

名奈は断言する。


「いつだってあとちょっとのところで間に合わないんだ。もう少しで本に手が届く、ってなった時にはしごが崩れるの」


凛は再び口をつぐんだ。

自分の未来を怖がったからではなく、名奈は彼女が言葉にした通りのことを何度も体験してきたのだと悟ったから。


それでも足を止めるつもりがないことも分かって、「ああ、名奈ちゃんはやっぱりすごいな」と心の中でつぶやいた。

指先がわずかに触れたのに掴むことができなかった時のむなしさ、そしてそこから立ち直る難しさを、凛は知ってしまっている。



「思うんだけど、無理に魔導士になる必要はないよ。……ああ、凛ちゃんには無理、とかそういうのじゃなくて」

そう言ってから窓の外へ視線を移す。凛も名奈に習い、外の街を見つめた。


バケットにパンを入れスキップをする青年。彼が歩いてきた方向の遠くには、新聞を配る青年や足元に帽子を置き手品を披露する少年、母とともに野菜や果物を売る少女。



「この世界にはいろんな人がいて、その数だけ生き方がある。学校に行ったり会社に勤めたり…私みたいに戦ったりするだけじゃなくて、例えばおうちに引きこもってたり人を騙したりとか。まあ…そういう人もいるわけでしょ?」


ありふれた光景をうっそりと眺める名奈に、凛は気が付いた。




「凛ちゃんのやりたいことは、なに?」



固唾をのみこむ。

今までは大事なことを自分で選択することなんてほとんどなかった。


「私の…やりたいこと…」


ここ最近、ずっと自分に問いかけてきた。「私は今何のためにここにいるの?」


したいことや行きたい場所、見たいもの。そして、なりたい自分。

それらをはっきりとした意思として持っていたことは無いような気がする。

ほかの誰でもない、自分が、これからの自分を決めるだなんて。




思い悩む凛に、名奈は過去の自分を見た。

誰かが敷いてくれたレールを進むだけだった傀儡が、意思を持った「人」に成ろうとしている。

懐かしいようなもどかしいような、そして微かに痛むような、形容し難い感情を抱いた。



「……『何かをしたい』というより、『このまま死ぬのだけは嫌』って思ったんだよね。もしかしたら凛ちゃんも…そうなのかな」


呟くようにこぼれたその言葉は、外に出そうと思っていたわけではなかったため、名奈は「今の忘れて」と言おうとして――やめた。


目の前の少女の目が大きく見開かれていたのだ。



「…うん、そう。そうなの。こんな私のままで終わるのだけは絶対に嫌で、だけど…だけど『こうしたい』って言うのは…なんにもなくて」


胸の前で両手をぎゅっと握りしめ、鼻にかかった震えた声でそう言った。



「だから、だから、名奈ちゃんになりたいって思っちゃったの」


「……私に?」


「こころも戦いも強くて、優しくて――私と違って逃げない名奈ちゃんに」



しかし名奈には彼女にしかない苦悩や壁があるということも分かっている。

彼女はきれいな部分が表に出るよう振る舞っているから、自分は表しか知らないから、そんな都合のいい考えができるのだ。


そう思っていた。


口に出してはいけない――否、出したくなかったことが飛び出てしまって、凛はうろたえる。


彼女が不快に思っていなければ良いのだが。

そう恐る恐る顔を上げようとすると、柔らかい声が降ってきた。



「私も逃げたんだよ。だから今の私がいるの」


「――え…?」



「生きるために逃げるのは悪いことじゃない。『何をしたいか、どんな自分になりたいか』。そんなの、逃げて生き延びて、それからちょっと息づいて…それから考えればいい」


そう言って凛のとなりに座り、窓を開ける。

泳ぐような風はカーテンと名奈の髪を揺らした。

絹糸が日の光に照らされ、ぱらぱらと煌めいている。街を見つめる彼女がまぶしく見えた。


久しぶりに感じる温度がなんだか心地よくて目をつむると、微かにスモーキーな香りが凛の肺を満たしていく。


ふと脳裏に浮かんだのは、痛いほどにひんやりとした風。

ずっと、自分はその中で生きていかなくてはいけないのだと思っていた。それが正しいのだと信じていたのだ。



「凛ちゃんがどんな選択をしても、私たちはそれを応援するよ」


名奈は凛を見ている。



もしも、そうではないのなら。

今ここで、誰に言われたでもない、ほかの誰でもない自分のわがままを突き通してもいいのだろうか。




「……わたし」


「うん」



「私は…っ!!」



それでもまだ目を開けるのは少し怖くて、まるで歩き出した子どものように、不安げに目の前の少女を薄目に見つめる。

わずかにぼやけた視界には――望んだ人物ではない、しかし道を照らし導いてくれる星がいたのだ。



「今の弱い私じゃない、強くなって…それで」


今でも鮮明に思い出すことができる。

かつて夢で煌めいていた、そして現実にも確かに存在していた――――




「この目で、ほんものの星を見たいの」



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