〘五番星〙 激震



 一体どれだけ走ったのだろうか。気が付けばもう森に入っていた。


裸の木々は風で不気味に揺れ、危うい足元はまるで迷わせようとしているようだ。

常に魔獣や魔物の気配をひしひしと感じる。いつ襲われてもおかしくない。


こっちは悲しい、苦しい気持ち、やさしい思い出、怒り、いろんな気持ちでぐちゃぐちゃで、今にも暴れまわりたいくらいなのに。



 一歩、土を踏みしめるその瞬間が怖い。

もしも枝を踏んで大きな音が出てしまったら、それを聞きつけた魔物が襲ってくるかもしれないから。

だからと言って立ち止まるのはもっと怖い。

もうこれ以上、進めなくなってしまうような気がして。



何度も問いかけた。

「もう足を止めてもいい?」

だけどそれに応えてくれる人は私以外どこにもいない。


この世界と神様は、いつだって少しの余裕もくれないのだ。






それに、魔術は教わってるけど実践なんてしたことないし、次の瞬間死んでもおかしくない状況だ。こんなの一体どうしろと。


お姉ちゃんへの思いを整理する時間すらくれないの!?



もうこんなのやめて楽になりたい。私、一度だってこんなの願ったことないのに。

でも、お姉ちゃんの覚悟も無駄にしたくない。


相反する感情が心をすり潰す。

もうだめ、ぐちゃぐちゃで呼吸すら満足にできない。




森の不気味な静けさに、物理的にも精神的にも追いつめられる。

私はあいつ魔物らの庭で生き残ることができるのだろうか。




――――とりあえず…歩かなきゃ。


悪い想像ばかりしていても仕方ないということを思い出し、どこにあるのかも、存在しているのかもわからない「扉」を目指して歩き出す。


なんて無謀で愚かなのだろう。しかしそれしかないのだ。たったのそれだけしか。









「………!」






あれは、魔物?


自分以外の気配を感じ視線をあげると、数メートル先に何かを見つけた。


蜘蛛みたいな見た目をしているけど、ゆうに一メートルはありそうだ。

遠くから見てもあんなに大きい上気色の悪い見た目をしている。



直接の戦闘は避けたい。それとも、気付かれないうちに倒しておくべき?

わからない。何一つわからない。


教えてよお姉ちゃん。

私はこれからどうすれば、どうやって呼吸していけばいい?



…なんて言ったら、彼女は失望するだろうか。

きっと、そんなことない。だってあの人はどうしようもなく優しいのだから。


だけど私はもう、きっとその優しさに甘えていてはいけないのだ。

なぜなら彼女はいなくなってしまったから。

今の私はお姉ちゃんから過去に習ったことをトレースすることしかできない。



うじうじしていても死ぬだけ。お姉ちゃんがくれた命が消えるだけ。

もう選択肢など残されていないのだ。

いい加減覚悟を決めろ、私。





ざざっと足を開く。

杖を体の前に構え、体に魔力を巡らせて、深呼吸して――――






まるで弾丸のような鋭い氷の塊を飛ばす。


精神状態があまり良くないからか、軌道が不安定だ。通常と比べてだいぶ威力が落ちている。








ぐしゃりと音を立てて刺さる氷。

あまり良い感触ではない。




蜘蛛はひっくり返ってバタバタと足を動かし、藻掻く。まるでひっくり返されたダンゴムシを巨大化させたかのよう。




少しの間眺めていると、ピタリと動きが止まった。

しばらく様子を見ているが、生気を失ったというか、これ以上暴れる気配はしない。



「やっ…た……?」






なんだ。この程度だったらこのどこに向ければいいか分からない感情をぶつけてやれる。




抑えきれない感情の矛先にしてやろう、そう思った瞬間。

蜘蛛は大きく飛び上がり、正常の体制に戻った。


氷は刺さったままなのでそこから徐々に凍っていくはずなのだが、そんな魔術は効いていないとでも言うように。

いや、確かに体表は徐々に氷に蝕まれていくが、それでも動きは止まりそうにない。



「ひ…ひぇっ」




物凄いスピードで追いかけてくる。控えめに見積もって時速三十キロの速さはありそうだ。

血だらけで這いずりまわしてくるその姿は、まるでゾンビのよう。






仕留め損ねた…!!







前言撤回、本気で逃げなければ今ここで死ぬ。八つ当たりしてやろうだなんて舐めたこと考えるんじゃなかった。


気付かれないようにそっと進んだ方がよかっただろうか、なんて考えてももう遅い。




大きい図体をしているのに、足の数が多いからかスピードが速い。

全速力で走らないと追いつかれる…!!





蜘蛛が更に加速したことで、ドタバタと砂埃が舞う。舞うというより飛び散るの方が正しいかもしれない。それに比べて私はもう限界、これ以上速く走れない。


どうにかしてすみやかに撒かなければ、あっという間に喰われてしまう。







「…えっ」





突然、蜘蛛が何か白いものを飛ばしてくる。

それはとても避けられるような速さではなく、ベチャリと音を立てて私の両足にヒットした。


…まずい、糸だ。

ただの粘着質な液体だと思っていたそれは、徐々に乾き糸の姿に変貌する。

ベタつくそれに足をとられ、私は滑り込むように転んでしまった。





「はやく解かなきゃ…!!」


必死に足を動かすが、ネバネバしているせいで逆に絡まっていく。




焦って蜘蛛の方へ視線をやれば、もうさほど遠くない距離にいる。

さっき刺さった氷の浸食は効いているはずだが、それでも止まる様子はない。


見た目だけでなく、能力まで本当に化け物だ。


こうなったら一発で仕留めるしかない。何発も打ち込める暇はない。



しかし現に先程仕留め損なっているわけで、手も足も出ないほど実力差がある可能性もある。


こんな雑魚魔物に殺されてたまるか、私はこんなのより強いはず。それにお姉ちゃんだったら絶対負けない。

自分を騙すように言い聞かせる。



よく見るんだ私。きっとなにかあるはず……








「あ、さっきの氷の浸食…」


氷の塊のダメージは少なかったようだが、確かに蜘蛛の体の三分の一ほど凍っている。これはさっきの氷の傷口から浸食するものだ。





つまり……?




防御力が高いから、物理的なダメージは少ない。

その代わり内側からの浸食攻撃には弱いのではないか?


蜘蛛と私の距離はもう十メートルもない。

ここまできたら、予想が当たっているかなんて気にせずやってみるしかない。

お姉ちゃんから教わってきたこと、すべて活かすんだ。





『こういうのは、イメージすることが大切だよ』




「体中に魔力を巡らせて…」







魔杖ワンドを体の前に構える。





想像するんだ。自分に流れる力を魔杖から真っ直ぐ出して、広げて…凍らせる。

まるでこの溶けることない氷の大地のように。






「ふんっ!!」





私はイメージをなぞるように魔術を発動させた。




見事命中するも蜘蛛の動きは止まらない。

それどころかこちらに突進し、体当たりしようとしてくる。







――失敗した……?





効かないということは予想が外れたのだろう。もう少し慎重に行動すべきだった。

けれど反省会をしている暇はない。


どうしよう、あんな巨体に思いっきりぶつかられたらただじゃ済まない。

私は本能的にぎゅっと目をつむった。




ぶつかる……!!























 想像していた衝撃はいつまでたっても来ない。

恐る恐る目を開けてみれば、ぶつかるまであと数センチというところに氷像と化した蜘蛛がいた。



「…止まってる?」


本当にギリギリだ。少しでも判断が遅れていれば私の命は危なかった。


気温的に溶けることはないだろうけど、安心するのはまだ早い。今度こそちゃんととどめを刺さなければ。






「……あ」


その前に足に絡まった糸を解かないと、話が始まらない。

解こうと手を伸ばすが、糸に触れる一歩手前で考え直した。手もくっついてもっと大変なことになるかもしれない、やめておこう。



こうなったら力ずくで!!


足を思いっきり開いて、その力で糸を引きちぎろうとする。



「ふっ、ふん!! …はぁ、はぁ」


ゴムみたいに伸び縮みしてしまってそれはかなわない。ただ体力を持っていかれただけだった。

どうなっているんだろうこの糸……もはや糸じゃない。



魔術で解ければいいのだが、生憎私はそんな高度な術を使い方は知らない。

今のところ扱えるのは氷の基本魔術のみだし。


こおり、氷――…



そうだ、いったん凍らせて叩いたらどうだろうか。

凍れば粘着性も収縮もなくなるから、脆くなるのでは?


そうとなればやってみるしかない。これでだめなら次、次もだめならそのまた次だ。


さっき蜘蛛を凍らせたのと同じイメージで魔術をかける。

完全に凍ったのを確認して、魔杖の反対側を叩きつけた。



「えい!」


すると糸はイメージしていた通りに音を立てて割れ、粉々になった。

両足が解放されたのだ。


良かった…これで自由だ。



 改めて目の前の蜘蛛と向かい合う。よく見ればよく見るほど気持ち悪い見た目に吐き気をおぼえる。

できることならもう虫型の魔物とは対峙したくない。



さて――どうやってとどめをさそうか。

動きが止まっているうちにコアを貫こうと思っていたけど、表面が微妙に硬くて氷の刃が通らなそうだ。



「…あれ? これ、中まで凍ってる…」




傷口からの浸食で気付かなかったけど、そういえば中から凍る術だったっけ。


それならば。

この術はある程度氷を操作する力もあるみたいだから――


適当に魔力をこめ手をパチッと叩けば、氷像はバラバラになって崩れ落ちる。

先ほどまで私を追い回してきたおぞましい魔物は、土に散らばるただの氷の欠片となった。


私は勝った、この魔物に。

私は成し遂げ乗り越えたのだ、最初の壁を。



良かった、これで一安心。

いやまあ、まだ本当の意味では安心できないけれど。



まだ魔物や魔獣の気配はあるけど、森なんてこんなものなのかもしれない。

今のところ襲ってきそうな感じはしないし。




背中に背負ったかばんに魔杖を挿し、代わりにコンパスを取り出す。

蜘蛛から逃げる時にずいぶん移動してしまったので、現在地がどのあたりかわからない。不安になる言い方をすると迷子になってしまったということ。


川を見つけるまでは、とりあえず南へ向かうしかなさそうだ。





☆  ☆  ☆






 できるだけ戦闘は避け、逃げるだけでは対処できない時のみ戦う。

それを繰り返しながらただ南へ歩き続けて、はやくも二日を迎えようとしていた。


 昨日水が底をついたので、魔術で出した氷をボトルに入れ体温で徐々に溶かし、溶けた分を少しずつ飲んでいる。魔力が体内に蓄積しすぎるのは良くないので、あまりやりたくない手なのだけど。しかし水を飲まなければ死んでしまうので仕方ない。


普段からあまり食べないことお姉ちゃんが多めに準備してくれたおかげで、今のところ食料には困っていない。


だが早い所扉を見つけて街へ行かないと、いつか無くなってしまうので焦りも感じていた。




少し引っかかるのは、お姉ちゃんはいつもこんな道を通って買い出しに行っていたのかということ。

私は、おそらく別の道があるのだろうと考えている。



そうじゃなきゃすぐに見つかってしまうし、お兄様が仕事に出かけたときに鉢合わせ…なんてことになってしまうかもしれない。

その辺りはお姉ちゃんを信じるしかないが、今私がこうしているので大丈夫だろう。



睡眠については、こまめに一時間ほど魔杖を握りしめて仮眠を取っている。

魔杖を握りしめているとはいえ寝ている時が一番怖い。

しかし睡眠をとらないと回復できないため、こればかりはどうしようもないのだ。

魔物の気配を感じるのは我ながら得意だと自負している。気配を消すなど姑息な技を使ったり、頭の切れる魔物出なければ手遅れになる前に目覚めることができるだろう。




様々な敵への対処法もだんだんわかってきた。

大抵の魔獣には物理、それが効いていないようであれば術で凍らせる。


レパートリーはこれしかないが、結構なんとかなっている。



今まさに襲い掛かろうとしているオオカミのような魔獣も、低級であればすぐに倒せるようになった。





「グルルルル…」



低く唸っているのはおそらく威嚇だ。すでに敵だと認識されている。

噛みつかれることはなんとしてでも避けたいので、先手必勝。


小さめでその代わりかなり鋭い氷を、連撃にしてぶつけた。

魔獣には、おそらく“遅い代わりに強い一撃”よりも、“一撃が弱い代わりに速い”、こういう攻撃が有効だ。


鳴き声をあげ身をよじる魔獣。

さすがにこれだけでは倒せないから、この隙に大きめの氷塊を生成し、コアを砕く。



こんな感じで連撃にしたりサイズやスピードを変えるという応用も覚えた。


それでもスムーズに倒せるのは低級のみなので、少しでも強そうな気配を感じたら道を変える必要がある。


そのせいでかなりハードな道を通らなければならないこともしばしば。

正直術よりも気配の察知能力が向上している気がするが……それで生き延びられるならそれでいいか。





私、想像していたよりは大丈夫そうだ。強さの問題はそうだが、精神的にも。

最初は相当参っていたが、正直戦っている間は気が紛れて楽なのだ。


初日から薄々感づいていた。お姉ちゃんの死を悼む暇などないと。

しかし正直今はこの余裕のなさに私は救われている。


きっと、このまま行けば上手くいく。

あなたの命をつなぐことができるよ。





☆  ☆  ☆






 その後もしばらく魔物を狩りつつ進んでいた。



「ここ通るしかなさそうだけど…雪の深さすごいし、ツタすごい絡まってて狭い…」




膝下くらいのブーツを履いているため雪はなんとかなるけれど、ツタをくぐり進まなければいけないのが大変だ。

通らなければならない箇所を、まるで通せんぼしているように茂っている。


それに昨日中級魔物とやりあった傷がかなり痛む。

変な体勢になるとすぐ痛みに襲われるので、ゆっくりと進んでいく。



そう、遅くてもいいから一歩一歩確実に。






「いたっ」


髪の毛がツタに絡まって、ピンと引っ張られる。

引かれた先を見ると、引っ張ったせいで玉になってしまっていることに気付く。これは頑張ってほどかないといけないやつだ。


髪が短めで良かった。長ければ解くのにもっと手間取ってしまうだろうから。




そうやって髪を解くために試行錯誤していると、額の右側に違和感を覚える。

手で触れてみると、そこにあるはずのものがないことに気がつく。





髪を解き終えて辺りを見回すと、一瞬足元で何かが煌めいた。


「…あ、髪飾りが」


良かった、なくしてしまったかと思った。

これはお姉ちゃんが残してくれた大切な――――



いや、やめよう。

街に着くまでその事は考えないと決めたのだから。


いちいち思い出していたら……きっと進めなくなってしまう。

さっさと進もう。扉への道のりはきっとまだまだ長い。



髪飾りを拾おうと手を伸ばすと、突然後ろに異質な気配を感じた。



それは禍々しくもどこか繊細で――――感じたことのないものだ。


どうしよう、上級魔獣?



いや――――違う!!





それが人であると認識し振り向いた瞬間、頭部に鈍い電流が走った。


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