〘四番星〙 逐電


 突然知った「最後」が刻々と迫る中、私はお姉ちゃんの言葉通りいつもと同じ生活をしている。

もちろん本当にこれでいいのかという迷いはあるけれど、私はそうする以外になかった。



変わったことと言えばお姉様にいじわるされることがなくなったということ。

お姉ちゃんがなんとかしてくれているのか、お姉様の機嫌がいいのか……おそらく後者だ。

お姉ちゃんも特に変わった様子はない。怖いくらいにいつも通りだ。



 今日も家の掃除をして、勉強して、お姉ちゃんに魔術を教わる。

明日もそうだったらよかったのに。

しかしここでの明日はもう来ないことを、壁にかかったカレンダーが告げていた。


庭より外の世界がどうなっているか全く知らない私。

お姉ちゃんがここから逃がしてくれたとして、その先どう生きろと言うのか。

どうせ今日で終わるんだから、お姉ちゃんのそばで終わるって言うのも悪くないと思うんだけどなあ。


なんて、こんなこと言ったらお姉ちゃんに怒られてしまうから言葉にはしない。






「リン、何? ぼうっとして」



「すみませんお姉様…考え事をしていました」


いけない、こんなところでお姉様の機嫌が悪くなったらどうする、私。



「まあいいわ。許してあげましょう」


ほっとして肩の力が抜ける。

いつもなら叩かれていただろうから、どうやら本当に相当機嫌がいいらしい。気味が悪いくらいだ。何かあったのだろうか。



「それで、あなたにおつかいを頼もうと思って」



「おつかい…ですか?」

その言葉に再び私の体はこわばる。声も震えてしまった。

どうか杞憂でありますようにと願い、ドクドクと鳴る心臓でカウントするように次の言葉を待った。



「家の外に出たら、正面に森があるわ。その森を抜けたところに小屋があるの。そこに住んでいる人にこれを届けてちょうだい」



そう言って渡されたのは竹でできた籠。

手で持てるサイズだけど、ずっしりとしている。



「これは…果物ですか?」


「ええ、くれぐれも落としたりしないでよね」




おつかい、庭の外、森の先……つまりそれは――――



恐怖していた瞬間が来てしまった。一体どうするのが正解なのだろうか…?

断ってもきっと方法が変わるだけだ。

逃げる? けど外の世界で生きていくのは難しい。



ならば、


「わかりました。今日中に行ってきますね」


受け入れるしかない。









 もし「注文」がキャンセルされていなかったら変わっていたのだろうか。

人身売買なんて、違う地獄が待っているだけのような気もする。
























「断ってみることもしなかったんだね」

突き放すような、少し冷たい声色。


「……もしそうしてても変わらないし、痛い思いするだけだし…」




お姉ちゃんと一緒に玄関を出る。

お庭が広くてよかった、最後にいっぱい話せる。




なんて、案外あっさりしているものだなあ。


いつもよりほんの少し歩幅は狭く、歩く速度もほんの少しだけ遅い。

たったそれだけ。







「ねえ、お姉ちゃん」






「…………なに?」




返事はしてくれるけど、視線を合わせようとしない。







「私、やっぱり死んでくる」


決意なんて大それたものじゃない。

これはただの最善策。





「は……なんで!? せっかくここから逃げられるんだよ!? 何言って――」



「契約を破った時の罰。本で見ただけだからわからないけど、命が絡んでるから…そう軽いものじゃないんでしょ?」



「それは………」


反論できないようで、次の言葉を発することなくただ口を開閉させるだけのお姉ちゃん。



「それに、逃げたところでその先生きていける自信がないの」






今の私、きっとひどい顔してる。

理由は分からないけど、呼吸を止めたみたいに胸がぎゅっとなって苦しい。



「それなら、森を抜けたら南へ向かって! そしたら街へつながる扉が…!」



「街に行ってそれからどうするの?」



お姉ちゃんはとうとう、俯いて口を閉ざした。


少し考えればわかることだ。

契約を破ればおそらくどちらかが死を被る。

私が生を引いたところで、きっと森の魔獣にやられてお終い。


ならば確実にどちらかが生き残れる選択をするべきだ。



せっかく助けてくれようとしたのに、私は彼女の決意を溝に捨てる。

だけどこれは、きっと正しい選択だ。



だからお姉ちゃんもわかってくれるはず。


「だからごめんね、ありがとうお姉ちゃ――――」



突然背中を押されて、足が一歩前に進む。




「…凛」




気が付かなかった、もう庭の端だということに。

おそらく今の一歩で結界の外に出てしまった。



私はやっとある事実に気が付いた。

この結界はお姉ちゃんの魔術によるものだったのだ。





ということは――――






これはおそらくお姉ちゃんが契約を破ったということで。




私は慌てて庭の中へ戻ろうと後ずさる。

しかしほんの少し間に合わなくて、背中が見えない壁にはじき出された。

そちら側へ入れないよう結界が張りなおされている。



透明な見えない壁があって、どんなに必死に叩いても割れない。






「なんで…? お姉ちゃん!!」





「凛、ごめんね。こんな方法になっちゃって」


「――え…?」


パキリ。

お姉ちゃんの頬に、ガラスが割れるような音とともにヒビのようなものがはいる。



これが、罰。




連鎖するようにどんどんヒビが増えていく。

こっちのヒビが広がって、別の個所も割れ始めて。


どうしようどうしよう、このままじゃお姉ちゃんが壊れちゃう――――




「何してるの!? ねえ……!!」


もしかしたら押さえれば止まるかもしれない。

私がなんとかしてみせるから、だからどうかここを開けて。私、あなたがいなくなってしまったら何もできないの。



見えない壁を力いっぱい叩いた。

だんだん手が赤くなってきても関係ない。痛みなど気にせず叩き、叫び続ける。





「でもね、約束したの。これだけは…」


「約束!? 神様との約束なんてもうどうだっていいでしょ!!」




ひび割れた箇所から赤黒い液体が滲み、流れるのが視界に鮮明に映る。

嫌だ、もうやめて。これ以上傷が増えたらそれこそ本当に死んでしまう!


どうにかこれを、この悲劇を止める方法はないの……?


そんな弱音が脳裏をよぎると、急に力が入らなくなってしまった。





「やめて……家族が死んじゃうのはもういやだよ…」



これ以上お姉ちゃんの痛々しい姿を見たくなくてぎゅっと目を閉じれば、湛えていた涙が頬を伝う。

とうに枯れてしまったと思っていた泉は、恵みでもなんでもなかった。



お姉ちゃんは目を丸くして、何を思ったのか膝から崩れ落ちる。





「そっか…この選択も、凛の救いじゃなかった…。私は、私たちはどうすれば良かったんだろうね」




かすれたその声は鋭い矢になって、私を派手に射抜く。


本当に、本当に、どうすれば良かったのだろうか。

きっと人の運命って生まれたときから決まっているんだ。そうじゃなきゃ、なんのせいだと言うの?



お兄様とお姉様のせい?

でも…人を変えるのも、過去を変えるのも無理な話。





私は、壁を叩く手を止めた。





「神様の…せいだよ」



全部世界が悪いんだ。

そもそも私たちを生まれ墜とした世界が、神が悪い。



それに対してお姉ちゃんは「そんなこと言わないで」なんてあきらめたように笑いながら言う。



神や世界のせいじゃなかったらなんのせいだというの?


救いなど存在しないことを私は目の当たりにした。





「多分そろそろ、結界が消えたことに二人が気付く」


「そんなことわかってる」


「じゃあはやく行って」


「行ったところでどうせ死ぬもん、だったらお姉ちゃんと一緒にいる!!」



「馬鹿なこと言わないで凛!!」



声を荒くして叫ぶ。もう体はボロボロなのに。そんなことしてもタイムリミットが近くなるだけなのに。


あれ。私、お姉ちゃんに初めて怒鳴られたかもしれない。

叱られたことなど何度もあるけれど、声を荒げられたことなど一度もないことに気が付いた。



お姉ちゃん、そんなに私に生きてほしいの?


この鋭い眼差しは覚悟が決まったみたいな、そんな――――





お姉ちゃんは、きっとそんなに私に生きてほしいんだ。


なぜ私は気が付かなかったのだろう。そんなのきっと、私がお姉ちゃんの死を拒絶するのと同じくらい当たり前のことななのに。










「なあに…? お姉ちゃん」



なるべく優しい顔、やわらかい声色で、私は応える。

私もいい加減、知らないふりをやめないといけないんだって。




「街に行ったらこの人を探しなさい。きっと力になってくれる」



手渡されたのは小さな紙切れで、お姉ちゃんの字で知らない人の名前が書かれていた。

こんなのが、私たちの事情を知らないであろう他人が、どれだけ力になってくれるというのだろう?

それでも私たちにはそれしか縋るものがないのだ。







家の方から、お姉様の私たちを探す声がかすかに聞こえる。






「ね、はやく行って」




「……うぅ」



「あはは。泣かないの、顔ぐちゃぐちゃだよ~」


「だって、だって…」






いつのまにか結界は解けて、お姉ちゃんは私の涙をぬぐってくれいた。


それは私が家の敷地に戻っても体は戻らないことを意味していた。




もう、戻れないんだ。
















「ほら、いってらっしゃい」










さっきとは違って、暖かい声でやさしく背中を押される。

まるでちょっと散歩に行くだけみたいに軽く。


だけどそれは、やっと巣から飛び立つ雛鳥の未来の幸せを願い、祝福するようなものだった。





「…いってきます!」


最後にきゅっと口角をあげてみせれば、お姉ちゃんも笑って返してくれた。



私は重りが付いているような足で走り出した。

振り返ることはできない。そしたらきっと、飛び立つことができなくなってしまうから。




冷たい空気に凍りそうな肺で一生懸命呼吸しながら、ただ走った。







ああ…あんな日々でもいいから、もどりたい――――















「凛!! こんなこと私が言えたことじゃないけど、だけど言わせて…






 何があっても…私は凛の味方でいるから!!」










足が止まる。




もうこんな大きい声出せる状態じゃないのに、お姉ちゃんはたったこれだけを伝えるために痛い思いをして叫んだ。








振り返りたい気持ちと涙をぐっと堪えて、再び走り出す。










ガラスが割れる音は、どんどん小さくなっていった。



To be continued...

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