〘十三番星〙路傍の人


 爽やかな風、微かな息づかい、感じたことのないくらい暖かい日差し――――




鉛のように重たいまぶたを開けると、そこには緑の楽園が広がっていた。

息を呑むほど美しい景色だ。




ゆっくりと立ち上がり、あたりを散策する。





足元には柔らかな草が広がっており、太く深く根を下ろす木々には鮮やかな緑が揺れている。





風に乗って木漏れ日が踊る。




ふと下へ目をやると、そこには小さな黄色い花が咲いていた。

雪国の魔植物じゃない上に、天然の花。



こんなに小さく弱弱しく見えても、この花はきっと強くしぶとく生きてきたのだろう。

現に、私が見つけているのがその証拠だ。



黄色。なんてあたたかな色。







はっとしてあたりを見回す。


木の茶、葉の緑、カラフルな花、そして澄みきった青い空――――



白色は見つけられない。

少しの残雪は見られるけど、灰色や茶色に溶けていた。




そこは私の知っている世界ではなかった。

まるで夢と現実の境界線上に立っているよう。




もしや私は天国にでも来てしまったのだろうか、なんて思い足を速める。

すると突然、石垣が行く手を遮った。





石垣は高く高く、壁を作っていた。





「どこまで続いてるんだろう…」




それはまるで「この世界はここでおしまい」と線を引いているようだ。




気になったので石垣を辿ってみることにする。

門みたいになっていて、どこかに出口があるかもしれない。







 しばらく歩いていて気が付いたのは、気温が程よく高いこと。

あそこみたいな、体の芯から凍えるような寒さを一切感じない。


むしろ少し動くと熱く感じるくらいだ。


本当に別の世界なんじゃないか、なんて。







「……!」


見つけた。


ずっと探していた「扉」。




まさかこんなところにあるなんて。





扉を視界に入れてから初めての一歩を踏み出す。

なんだか不思議な気分になった。


歓迎されている――は言いすぎだけれど、「来るべき場所」というか、まるで扉が、周りに咲く小さな花たちがこの時を待っていたような。

ふわふわした、不思議な感じ。






「あ、来たんだ」





それと、叶都も。




「…何してるの?」


彼は座って、なにやら手をごそごそと動かしている。


覗き込んでみると、手にはたくさんの小さな花が。



「花冠作ってみてるんだ。俺の故郷すげえ都会だから、植物とかあんまなくて」



意外と器用なんだな。

ちゃんと綺麗に冠の形になっている。






「持ち帰ったら、もしかしたら妹が喜ぶかもなって」


叶都と出会ってからまだ数日しか経っていないから、彼の事など何も知らないけれど。それでもなんだか温度の無い目線をする人だなと思っていた。


だけどそんな彼が今花冠に、うっそりと慈愛に満ちた眼差しを向けている。




「じゃあ枯れないうちに早く行かなきゃだね」


きっと、この人にとっての大切な人なのだろう。

それなのになぜこんな冷たい国に来てしまったのか、ますます謎が深まる。



「せっかくきれいなんだから、しわしわになる前に渡せればいいね」



彼は一瞬表情を歪め、「そうだな」なんて言って冠を木の枝にかけた。



「え、いいの? 持って行かなくて」


「……いや、さすがに枯れちゃうでしょ」



「確かにそっか」


故郷は都会だと言っていたし、随分遠くなのだろうから花も萎れてしまう。



なんだか残念になって叶都を見ると、彼は至って普通の表情をしている。

別にいいならいいけれど。





「じゃあ行こう。例の扉って、これでしょ?」



「あ、うん…多分」


「あは、なにその顔。あ、故郷にさよならするのが寂しい?」



隙あらばからかってくるな、この人。


「別にそんなんじゃ……」





――――いや、そうかもしれない。



振り返って、あの家の方を見つめる。






別に戻りたいわけじゃない。

帰ったところで、お姉ちゃんが「おかえり」って言ってくれるわけじゃないから。



だけどもし、もしも言ってもらえるのなら…私は帰るのかもしれない。




そんなもしもは想像できないから、分からないけど。







そっか、私――――












「……うん、さみしいのかもしれない」


私が弱々しく、名残惜しそうにそう零すと叶都は少し驚いた顔を見せ、すぐに言った。



「そっか」


「で、でも戻らないよ。だって――」


「痛いの、嫌だもんね」





「……うん」



叶都には全部お見通しみたいだ。

隠したって、まるでいつもと同じタンスにしまっていたかのようにすぐ見つかってしまう。



その琥珀色の瞳で、彼にはなにがどこまで見えているのだろうか?

私にはわからなかった。











「行こう」




大丈夫。進むって決めたんだから。



ふたりで一緒に扉を押した。

それは錆びついており、重たい。



旅に出るというのは、その扉を開くというのは、案外労力のいることなのかもしれない。私一人だったならば、重たい扉を開けることはおろかたどり着くこともできなかった。


きっとただ一瞬運命が交差したのみの、通行人同士だ。

だけどそんな彼がここまで連れて来てくれた。そして彼にとっては私がその案内人なのだろう。



それだけでいい。

だってそれだけの彼が横にいるだけで、こんなにも心強いのだ。

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