〘二番星〙 味方
今日もあっという間に太陽が空のてっぺんまでのぼった。
煌々と輝く太陽。
私の気持ちとは裏腹に、雲ひとつにも邪魔されていない。空は青く澄み渡り爽やかだ。これが夏の日差しか……なんて。
窓掃除をしている私は、外の様子を見ていた。
日光を雪がきらきらと眩しいくらいに反射している。どこかの本で読んだ「だいやもんど」も、こんな風なのだろうか。
風でさわさわと木が揺れる。
綺麗な眺めなのになぜだろう。いつもなら心躍る外の景色も、なんだか単調でつまらなく感じた。
「これから先…どんどん景色が色褪せてくのかな」
もしそんなことになったら、私はここでどう時間を潰せばいいのだろう。
これ以上勉強時間を増やすのは嫌だし。
お姉様は勉強だけしていればいいっていうかもしれないけど、学ぶことに置いて気分転換は想像以上に大事なのだ。
窓拭きを終えたので今日の掃除はこれで完了。
ぞうきんをバケツに突っ込み絞れば、氷のように冷たい水に指先が桃色に染まる。
少しひりひりしてきた。
しかし、その桃色はお姉ちゃんが笑った時の頬を思い出させた。なんて馬鹿馬鹿しい発想だろう。
だけどなんだか少しだけ心が安らいだ。
そうだ。気分が悪くても、おなかが痛くても大丈夫。
お姉ちゃんの笑顔は、私に純粋な元気をくれるから。あるはずの痛みも感じなくなるほどに。
掃除とその片付けを終えたので自室へ向かう。
私の部屋ははなれで別の棟にあるので一度外に出なければならない。本当に不便だけれど仕方がない。
冷たい風が体にぶつかり、ティーシャツを翻らせる。
服がめくれて腹部の痣がちらりと覗いた。
「痣、残っちゃうかな」
傷跡が残った所でどうともならないし、痛みがなければそれでいいはずなのに。
こんなことで傷ついている自分がなんだか情けなく、孤独に感じた。
「はぁ…」
夏だというのに、吐いた息が白い。
この風が憂鬱な気分をさらっていってくれたらいいのに。
そんな思いも虚しく、それはただ冷気を運ぶだけだった。
古びて重たいドアを開けて部屋に入れば、寒さによる震えは止まった。
決して暖かいわけではないが、それでも屋外よりは幾分かマシだ。
四畳半の狭いスペースの奥へと足を進める。
私は勉強机の鍵付きの引き出しから、数学や化学、それから読み書きの教科書をかき分け、一番奥に眠るペンと未使用のノートを取り出した。
これは私だけの秘密のノート。
やりたい事や知りたい事をあるだけ書いて、心の中で叶えるための。
とても馬鹿げたアイデアだと自分でも思うけれど、何もせずに気持ちを押し殺すだけなんて、きっと耐えられない。
だからこうやって消化することにしたのだ。
どうせ叶わないし、バレたらどうなるか――…
それでもこのノートを捨てるつもりはない。私にはこれしか残されていないから。
「‥‥‥‥」
なのになぜまだ白紙なのかというと、いざペンを握るとわからなくなるのだ。
私がこの小さな世界の外に出たとして何をしたいのか、何を望んでいるのか。
そもそも望みや欲っていうのは悪いことだし。だからこそこのノートが存在しているのだが…それでも、ペンを走らせることができない。
だって私は外界のことを何も知らないのだ。何があるか分からないのに「あれをしたい」というのは難しいだろう。
だったら私は一体、何のために生きているのだろう?
最近そればかりを自分に問いかけている。
☆ ☆ ☆
魔界も赤や黄色に染まる時期がやってきた。
しかし、ここにも私たちにもほとんど変化はない。
外はしんしんと霜が降りて寒いのに、私は相変わらず半袖だ。
お姉様は私に厳しく当たり、お兄様は呑気に過ごす。
あれから大変なこともいくらかあったけれど、何も変わらない日々が続いている。
『秋になるとね、木が赤や黄色になるんだよ』
『木が?』
『そう、木の葉っぱがね。紅葉っていうの』
この前お姉ちゃんとこんな会話をした。
私はこの土地を出たことがないので、もちろん「こうよう」とやらは見たことがない。
季節関係なく、ここ一帯は銀世界だ。
真夏にだけ、稀に緑の植物を見るが…。この辺りには、雪国に生息する特殊な魔植物しかない。
そのため紅葉は見られないのだ。
雪国の魔植物はもちろんも好きだ。全く詳しくないけど。
だけれど、外には見たことないような、あっと驚くくらい奇抜な植物もあるのかもしれないと考えるとうら悲しくなるのも事実だ。
…と、いうわけで。勉強と掃除が一通り終わったので、暇を持て余して庭に来ている。
私が知らない新種の雑草があったりしないかなという期待を抱いて。
横に生えている植物をじっと見てみたり、嗅いでみたり触ったり。危ないやつはないから大丈夫だと思う、おそらく。
「あ、お花枯れちゃってる…ちょっと残念。あ、でもこっちは実がなってる」
ここの庭は、庭と言えないほど広大だ。その分植物もたくさんあって面白い。
街までの距離がある(らしい)ため、私たちはできる限り自給自足で暮らしている。
畑もあって、お姉ちゃんが野菜などを育てている。水やりをするのが毎朝の楽しみだと言っていた。
この気候で野菜を育てるのは難しいので、気温や湿度などを操作する魔術を使っていると聞いたことがある。そのため、この畑だけは通常この土地に存在しない植物も生きていられるのだ。
うろうろしながら庭の端まで来る。
ここから先へ行くことはできない。結界が張られているから。
何もないように見えるのだが確かに、ここに壁がある。空まで続いているのではと思うほど高い透明な壁が。
誰の魔術かは知らない、知らされていない。
お兄様は普通に仕事に出かけ、お姉ちゃんも街へ買い出しに行くので、私だけにこの結界が有効なのかもしれないな、なんて考察する。
おそらくこの結界は私を外に出さないように作られたもの。
そんなことしなくても、私は家出なんて考えていないのに。見かけによらず心配性なのだろうか。
庭をぐるりとまわっているうちに、雪が止んで空が晴れてきた。
見上げれば、深く澄んだ群青色が目を奪う。
今日は珍しく風も穏やかで心地いい。
草と雪の床は太陽の光を受けてキラキラ輝き、花は風にそよいで嬉しそうだ。
こんな日は眠気が誘われる。
庭にある小さなガゼボ。ガゼボなんて豪華な名前で呼ぶのも躊躇するほど質素なもの。
私はその壁にもたれかかるように座った。目を瞑れば、もうそこは夢の世界。
「凛…!?」
……のはずなのだが。
それはお姉ちゃんの声で遮られた。
ガゼボの入口で腰に手を当て、私を覗き込んでいる。まさに仁王立ちといった感じだ。
「ちょっと、風邪ひいちゃうでしょ~? ほら、これあげる」
私の膝に布らしきものをふわりと投げつける。
「これは…?」
布を掲げてみれば、それはフード付きの長袖だった。
「パーカーだよ、風邪ひかれちゃ困るから。凛、チャックとか紐結んだりとか面倒がるでしょ、だからプルオーバーを選んだの。どう?」
そう言って得意げな顔でパーカーを指さす。
それは無地の黒色でふわふわとした厚めの生地。丈は私の膝上くらいまである。
「着てもいい?」
「もちろん。そのために持ってきたんだよ」
パーカーを頭からかぶり、腕を通す。
少し大きめでゆったりとした着心地だ。
こ、これは――――
「あったかい!」
感動して、思わず立ち上がる。
そでが手を隠すくらいの長さがあるので、手も暖かいのだ。
ぽかぽか、とはこのことか。まるで誰かに抱きしめられているみたい。
「ふふ、よかった!」
頬杖をついてにやっと笑う。
私だけじゃなくてお姉ちゃんもうれしそうだ。
「大切にするね、ぜったい長く使うから」
はじめて、誰かから何かをもらった。
…嬉しいな。
しばらくしみじみとパーカーを眺めていると、お姉ちゃんがじっと私を見つめていることに気付く。嬉しそうな、悲しそうな顔。
その目は確かに私に向けられているのに、何か別のものを見ているみたいで。
なんだか嫌な感じだ。
「えっと、どうしたの?」
「え? …ああ、気にしないで。昔のことをちょっと思い出しただけだよ」
我に返ったようにはっとして、気まずそうに目をそらす。
「昔のこと?」
「すごく目をキラキラさせて、嬉しそうだったじゃない」
キラキラって何それ。
少しばかり恥ずかしくなって、私はもじもじと袖で口を隠す。
「――懐かしく、なったの」
「……え?」
「一年前…いや、もっと前か。凛、そのくらいから笑うどころか泣かなくなっちゃって」
まるでこの場にいない第三者の話をしているような口調。
私は体をこわばらせた。
「思い出話、聞いてくれる?」
お姉ちゃんはそう寂しそうに微笑んで、語りだした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます