〘七番星〙 旅の始まり


 星空。…星?

あれ、ここはどこで私は一体なにをしていたのだろう。

星が見えるはずないのに。


これは夢だと知覚して、重たい瞼を開く。どこかでまだもう少し醒めないでほしかった、なんて思いながら。





 ここは――――木の上?

太い枝の上に座って、幹に寄りかかる体勢で眠っていたようだ。


あれ、ツタの道を進もうとして…髪飾りを拾おうとして、それで――――




何があったのかすべて思い出してがばっと勢いよく起き上がると、頭と首元に強烈な痛みを感じた。


「いっ…!」


「あれ、起きた?」




そうだ、こんなところで呑気に眠ってしまっていてはいけない。

知らない人の声。生きているのが奇跡みたいだ。なんで私は死んでいない?


声の主は斜め上の枝に座っていて、琥珀色のツリ目が私を見下ろしている。

濡れ羽色の髪が風に揺れる。

私より少し歳上くらいの見た目をした男の子だった。


彼の雰囲気はなんだかダークで浮世離れしている。

感じたことのない気配――――








そうだ、私いきなり殴られたんだ。

ということはこの人が……






急いで魔杖を構え、体中に魔力を巡らせる。





「悪かった、そんなに警戒しないで」

どうどう、なんて言いながら両手を肩の高さまであげる。

ジェスチャーから声の調子まで、仕草のすべてが胡散臭い。


「…警戒しないでって言う人が一番怪しいでしょ」


「確かにそうだけど…。敵意があったら君が気絶してる間に殺してるよ」


敵意がないことを示している割には、体から溢れる禍々しい魔力を隠そうとしない。

自分なら私を殺すなんて容易だ、とでも言っているようだ。



「痛めつけて反応を見ながら殺したいっていう悪趣味じゃなくて?」


確かに赤子の手をひねるように簡単なことを敢えてしない、という考え方をすれば味方だと判断してもいいのだけど。

もしそうだとしたら回りくどいし、何より不器用すぎないか?



「悪趣味っていうのは否定できないけど、ほんとに敵対するつもりなんて無いんだってば。あと、しばらくは安静にしてた方がいいよ」


魔術を使う体力なんて残ってないでしょ、と笑う。




彼はぴょんぴょんなんて効果音が付きそうなほど軽々、こちらの枝へ移動し近づこうとしてくる。



「来ないで」


後ろに幹があるのでこれ以上下がれないので、私は体をそらせて気持ち程度の距離を取った。



しかし彼の身体能力は想像以上で、すぐに目の前まで迫る。


「しかもほら、俺が手当てしてあげたんだよ?」

私の額を指さす。


「へ…?」


痛まない程度に優しく触れて確かめてみると、さらりとした感覚。そこには確かに包帯が巻かれていた。

ということは、倒れている私を見つけて助けてくれたのだろうか。


恩人に酷い態度をしてしまった。

「ごめん、私の勘違い――」


「まあ、殴ったのも俺なんだけど」




「……は?」


予想外の言葉に低い声が出てしまった。


前言撤回、こいつ恩人なんかじゃない。


というか待ってほしい。

どういうこと? それが本当なら何をしたいんだこの人は。

いや、こんなことしてないで逃げるべきだろうか…。




混乱する私を見てか、彼は急いで弁解する。


「このあたりで人なんて見かけないから魔獣だと思って、悪い。食料も尽きたし魔獣はそこら中にいるし、なにより馬鹿みたいに寒いし…焦ってた」


申し訳なさそうに、その琥珀色の目を伏せた。

胡散臭いけど、嘘をついているわけではなさそう。



「‥‥‥‥」


不審者でしかないけれど、とりあえず信じてみようか。

私以外には目の前の彼しかいないのだから。だまされていたらその時だ。




「えっと…何か食べる? 私の分まだ余裕あるから…」


「え?」

彼は目を丸くした。

さっきまで気味が悪いくらい余裕のある表情をしていたのに。


「…え、いらないなら食べちゃうけど」


「いや、そうじゃなくてさ。自分で殴って助けといてなんだけど…正直こっちも疑ってるんだよね。寒がってる感じじゃないし、その髪色、明らかにこの土地の住人だよね?」

疑い探るように、じっと私を下から上に見る。



ああ、そういう……

ここに迷い込んだのだろうか、だとしたら彼が私を怪しいと考えるのもうなずける。

きっと私を殴ったのも――とにかく言っていることに嘘は無いのだろう。



「安心して、確かに私はここの住人だけど…もう出ていくつもりだから」


「なにそれ、よく分かんないんだけど」

両手をおろして少々距離をとる。



抽象的すぎたためか警戒されてしまった。先ほどとは逆だ。


「あんまり話したい事じゃないから詳しくは言わないけど…私、ここが好きじゃないの」


「…故郷なのに?」


「なんで? 故郷を愛さなければならないなんて決まりがあるの?」


何が好きで何を嫌いだと思うか、それは自由なのだとお姉ちゃんが教えてくれた。

たとえ生まれ育ててくれた大地でもそれは同じじゃないのか。


「もちろんないよ。でも俺は故郷を愛してる。だから理解できない」


…それは幸せなことで。

声に出してしまいそうなところを、寸前で堪える。



互いに視線をそらした。

冷たい風が沈黙を運んで、通っていく。




「……売られそうになったから逃げてきたの。これ以上は言わない。」


しぶしぶ理由を口にすれば、目の前の少年は納得したように黙って頷いた。



「そっ…か。それならきっと逃げて正解だよ」

つぶやくように言う彼は、少しばかりしおらしく見える。それは本心で申し訳なく感じているようで。


私は少し意外に思った。可哀想だとか、そういう同情の言葉を言われるかと思ったから。




「で、そっちはなんでこんなとこに来たの」


私が理由を話したのだから、そっちも話してもらわなくちゃ。

食料がないと言っていたのを思い出し、リュックサックからパンを取り出して渡す。



「ん? 俺も似たようなもんだよ、逃げてきた。古臭い凝り固まった思考に憑りつかれた、面倒な奴らから。それとこのパン…毒とか盛られてない?」


「嫌なら返して」


「はは、冗談だってば。ありがたくいただきます」

へらりと笑ってパンをちぎって食べだした。



「で、これからどうするつもりなの?」


「私は…とりあえず生きれれば、それで」


お姉ちゃんの分も、なんてたいそうなことは思っていないけど。

最期の頼みごとなんだから、断れるはずない。



「ああでも…まずは街へつながる扉ってやつを見つけないと」


このまま続けられる状態じゃないことは自分でもわかっているのに、それを時間が許してくれない。

眠れば魔獣に殺されるかもしれないし、かといって消耗を抑えゆっくり進めば食料が尽きてしまう。


やらなきゃいけないという事実に、気持ちがつぶれそうになる。



だけどそれはきっと目の前の少年も同じなはずで。


「…あなたはどうするの?」

なんとなく気になって尋ねてみる。


「んー…俺は家の追手から逃げられればそれでいいかな。旅みたいな?」


家からの追手なんて不穏な言葉が聞こえたけれど、聞かなかったことにしよう。

苦しい状況だというのに明るく振舞う彼のことがよくわからない。


だけどそうか、旅。




《外の世界では秋になると植物が赤く染まるんだよ》



《都会には灰色の高い高い建物がたくさん…ビルって言うんだけどね》



《信じられないくらいおいしい食べ物もいっぱいあるんだから!》





お姉ちゃんが言っていたそれらも、見ることができるのだろうか。


外の世界は――――















「私も付いていきたい」


気が付けばその言葉はすでに喉から飛び出していた。




案の定彼は驚いた顔を――…していないどころか、目を細めて微笑んだ。




「いいよ」


たったひとこと。



「……いいの?」



「うん。だって目的は同じだし、それに案内役が必要でしょ? 俺扉がどうとかわかんないし」



この人、クールな見た目だけど中身はそうでもないのかもしれない。





「そうだ、大事なこと聞いてなかった。君、名前は?」



「えっと…リン


こういう時は相手から名乗らせるんだっけ? まあいいや。




「へえ、それはぴったりな名前だね。俺は叶都カナト、よろしく」


差し出された右手には、光沢が控えめの平打ちリングがはめられていた。

そのシルバーは彼のピアスと髪飾りと同じ質感で、少し前衛的だなと思う。

しかしちゃんと似合っているのだから素敵だ。


叶都と名乗った彼は飄々としていてつかみどころがない。

泥沼に引きずり込んできそうで不安感を覚えたが、それと同時に私の知らない世界を見せてくれそうだとも思い、僅かに心が弾んだ。



行く当てなんてどこにもない私も、何かを得ることができるのだろうか。


☆  ☆  ☆





しばらくの間、私たちは他愛のない雑談をして時間を潰していた。

何も面白いことなんてなかったが、いつもより時の流れが早いように感じた。




「…そろそろ行く?」



「え、けがは?まともに動ける状態じゃないでしょ」

立ち上がろうとする私を引っ張り制止する。


「まぁ痛みはあるけど…割と平気」



「……その…さっきから思ってたんだけど」


そう言いづらそうに視線をそらした。

言葉を選んでいるのか少しの間黙り込んで目を泳がせている。




「俺、魔物だと思ったから殺すつもりで殴ったんだよね…。いや、生きててよかったけどさ、数時間で目覚めてこんなにピンピンしてるの…明らかに普通じゃないよね?」


今不穏な言葉が聞こえた気がするのだけど。

殺すつもりでって……今更だけど正気か?


「何なの? そういう種族?」


「うーん、そうなのかな……あんまりそういうのわからなくて」



種族がどうとかは黙っておいた方がいいかもしれない。

第一私もよくわかっていないし、お姉ちゃんも教えてくれなかった。



「秘密主義なんだね、別にいいけど。でもずっとそうじゃ信用なくしちゃうよ?」

揶揄うような言い方。


「ほんとに知らないんだってば」


「いいよ嘘つかなくて。俺も隠したいこといーっぱいあるし」


それはそうだろうな。なんとなく思っていた。




「……やっぱまずいかな、自分の事わからないって」


叶都に聞こえないくらいに小さくこぼす。

あとあと困りそうだな、はあ。


リュックサックに魔杖を挿し、よいしょと背負った。



「え、ほんとに出発する気?」


「うん」


「まあ…大丈夫ならいいけど…」


先に進もうと足元を見ると、地面がかなり下にあることに気が付く。


そういえば木の上だった。

思ったより高さが…って――


「ん、どうかした?」


下から声が聞こえる。

彼はすでに下に降りていて、地面から私を見上げている。

いつのまに…というか一体どんな身体能力をしているんだ?

さっきの「そういう種族?」という質問、明らかにこっちのセリフだ。



「……待って、降りれない」


「えぇ…このくらいの高さじゃん。……どうしても無理そう?」


「このくらいの高さって、普通は降りられないよ…無理…」


こうやって下を見続けていると、足が震えてくる。

もしこの震えで滑りでもしたら…だめだ、考えちゃ。



「……わかった、じゃあ俺めがけて飛び降りて~」

気の抜けた声でにこにこと両腕を広げる。


何が「わかった」だよ、何もわかっていないこの人。

それにそんなことしたら叶都も巻き添えになってしまう。



「大丈夫、信じて」


さっきとは打って変わって、まじめな瞳。冗談で言っているのではないようだ。

それに私を落ち着かせるような、なんだかそういう優しい声色。


だいじょうぶ、かもしれない。



だけどいい感じに降りなきゃ怪我しちゃ……


「うわっ!!」

少し足を動かしたとたん、靴についていた雪が水になってすべった。

体制を整えようと試みるが既に空中に放り出されていて、まるでひっくり返されたダンゴムシのようにただ藻掻くことしかできない。


重力に従って勢いよく落ちる体。

まずい、この体制じゃうまく着地できない…!!


地面につくまでにせめて受け身を取らないと――




「あぶなかった、セーフ」


「へっ…?」

驚いてまぬけな声が出る。


気が付くと私は、彼の腕に優しく受け止められていた。


視線が絡み合う。

「な、なんで…」


まだ地面まで距離があったのに。


「空間系の能力。かっこいいでしょ」

琥珀色の目を細めて、にっと満足げに微笑んだ。



「…おろして……あと近い」


「あ、ごめん」


ゆっくり私を地面におろしてくれる。



ちょっとだけひやりとした。

高い所から落ちてっていうのじゃなくて。私、人に触れられるのが苦手なのかもしれない。


だけどお姉様と違って恐怖は感じなかった。丁寧というか、なんというか。



「大丈夫? 怪我とかしてない?」


「…だい…じょぶ。っていうかさっき、何したの?」


地面までまだ距離がある、と認識した瞬間叶都にキャッチされたような。

落下するスピードが速いとはいえ違和感がある。



「木の上から地面までの、凛が落ちる空間を短くした」


木から地面を指さす。

空間系の能力ってそういうことか。


「それだったら私を地面まで移動してくれればよかったのに…」


わざわざ飛び降りなくても。


「あぁ、俺自身をワープさせたりっていうのはできるけど、別の誰かをってなると難しいんだよね。ほら、強い能力ほど扱いが難しいって言うじゃん?」


「はあ……」


なんだろう、この人。

見た目に反して明るい……というか、調子がいいというか。

なのにたまにまじめで余裕のある感じ、本当に調子が狂う。


あからさまな味方アピールに私が気付かないとでも思っているのだろうか。

助けてくれたことには感謝しているけど。



「読めない……」


「なんて?」


「あ、…なんでもない」

いけない、声に出ていた。


本当にこの人はなにがしたいのだろう?

殺意は全く感じないけど、自分はあなたの脅威じゃないですよって主張が激しすぎる。


「さ、行こっか」


実際味方をしてくれているうちはいいか。…なんて甘い考えかな。

だけど私はちょっとばかりこのスリルに胸が躍っていた。


よし、騙されてあげることにしよう。きっとその方が楽しい。


私たちは歩きだした。

決して振り返らないよう、街へつながる扉を目指して。


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