〘八番星〙 疾駆


 ツタの道をくぐり抜け、急斜面を越え、腰まで積もる雪の大地を私たちはまだ歩き続けていた。



「…うぅ、はぁ、はぁっ…」


「日も暮れてきたし、そろそろ休憩しよっか」


あともう少し、頑張れ私。休憩できる安全そうな場所へ移動する。




「うぅ……ごほ…っ」

うまく呼吸ができないせいで、激しく咳き込む。酸素が足りない、苦しい。


体――特に脚の筋肉が鉛のように重くしびれている。


「大丈夫? ほら、ゆっくり息して」


叶都に背中をさすられる。

肩を上下させながら深呼吸すると、地面に汗がぽたぽたと落ちて雪に滲みをつくる。



戦力が増えたことでわざわざ迂回しなければならないことは減った。

それでもどんどん道が険しくなってきている気がする。



「ちょっとは落ち着いた?」



水筒に入った魔術の氷を溶かしてできた水を飲む。

「はぁ…ごめ、ありがとう…」


こんなに歩き続けたのに、叶都は少ししか息が上がっていない。私より寒さへの耐性がないはずなのに。

私、体力ないのかな…。


というかこんな調子で街までたどり着けるだろうか。

どうしよう、どんどん不安になってくる。



「…俺半径四キロメートルくらい、ぼんやり空間探知できるんだけど」


「早く言って」



「ごめん、でも広範囲な分本当ぼんやりなんだよね」


嫌な予感がする。


「それで…?」


「いいニュースと悪いニュースがある。どっちから聞きたい?」

琥珀色の瞳で遠くの方を見つめながらお決まりのセリフを言う。


私、物語を読んでいて思っていたのだ。なぜいつも主人公は良いニュースからきくのだろう。

良いものを後にとっておいた方が気持ち的に楽なのに。



「悪い方から」

私が答えると、叶都は間を置かずに状況を説明しはじめる。


「誰か追ってきてる。魔物じゃない、これ多分人だ。方角的に俺の追手じゃないと思う。……心当たりある?」


追手。

悪い中での最悪が出た。出てしまった……。



「心当たりすっごいある……けど」

わざわざ追ってくる理由もない気がする。いわば廃棄処分なわけだし。



しかし追手が来ているのは事実なわけで。

疲労からではない汗が、頬をひやりとつたう。


「追いつかれたら」と思うと、冷や汗どころか震えまで出てくる。

あの家に連れ戻されて、おしおきされて、それで――――


どうしよう、もう仲裁してくれるお姉ちゃんはいないんだ。

もし家での生活に耐えられたとしてその後は、きっともっと酷い所に売り飛ばされる。

嫌、もしそうなったらどう…どうすれば……。




「でもいいニュースもあるよ」


彼の声にはっと我に返る。


ごくりと唾をのんだ。

お願い、この状況をひっくり返せるような何かがありますように。















「扉っぽい何かを見つけた」



「ほ、ほんと…?」


やっと…やっとだ。


「うん、全速力で走って行けば多分追いつかれる前に着く。でも……」

さっきまで遠くの方を見ていた視線が、突然私に向けられた。


その意図がわかりドキリとする。

「あ…わたし……」


「そう。あ、責めてるわけじゃないからね。ほんとギリギリになったら抱えてくなりなんなりするし」


私迷惑ばっかりかけてる。無力で、本当に嫌になる。


「ううん。だめだったら私置いてってもいいよ、足手まといだし…」

あれ、私、考えてることと言ってること矛盾してる。


お姉ちゃんの命を生きなきゃって、生きたいって思ってるはずなのにおかしいな。


「置いてかないよ、っていうか何言ってんの。凛そういうの嫌いでしょ。それに――」


「うん、きらい…なんだけど」


なんだかもうわからない。



「まあいいよ。……行ける?」


「行ける」

疲労で震える足にぐっと力をこめ、立ち上がる。

ここで踏ん張らなくてどこで踏ん張るんだ。頑張れ私。



「おんぶする?」


「しなくていいってば」


「あは、謎に頑固だね」

にっとやわらかく笑った。焦る私を少しでも落ち着かせようとしてくれているのが伝わる。


この人がどういう人なのか、ますます分からなくなってきた。





☆  ☆  ☆







「大丈夫? やっぱ抱えてこうか、無理はよくないし」


「っ…はぁ、自分で走れる……っていうか無理じゃない」

というか叶都の様子を見るに、きっと抱えて行ったってペースは変わらないだろう。

それならば彼の体力を温存しておく方が得策だ。


「おぉ、頑張るね」

すごい見幕で拒否する私に、若干引き気味に感嘆する。



だんだん道が穏やかになってきたので、私たちはスピードを速めた。

心なしか寒さも和らいできたような気もする。いや、運動して体温が上がっているだけか。


というかそれより――――




「ねぇ、なんか魔物少なくない……? さっきと違って気配すら感じない」


扉に、つまり街の方へ近づいているとはいえ、こんな急にいなくなるものなのだろうか?

私たちに道を譲ってくれているかと思ってしまうほどだ。



「近距離の気配察知は苦手だからわかんない。どうだろ、扉に魔物除けの術でもかけられてるのか…あ、そこ足元気を付けて」


さっきまで調子のよかった叶都の表情が緊張感をはらんだ険しいものへ変わる。叶都も異常さに気付いたのだろうか。



急な傾斜を、足を横にしてゆっくりと少しづつ滑りおりる。油断すると滑ってしまいそうで怖いので、ぐっと足に力をこめた。



「考えても分からないものは分からないから、とりあえず急ごう。追手との距離がだんだん縮んできてる」


急斜面が終わり、地面が比較的平らになってきたので加速する。

明日は筋肉痛かな……そもそも私に明日がくればの話だけど。



「なんか…速くない? 私たち最初はゆっくりだったし、さっきも休憩してたからあれだけど…」

それにしても、追手との距離の変化ががあまりに速すぎる。

速度計算なんてしていないから分からないけど、なんだか不気味だ。



私が家を出たのに気が付いたのは割とすぐだったけど、そのまますぐ追いかけてきたわけじゃないらしいのだ。

少なくとも私が一人で行動してた時は追手の気配なんて全く感じなかった。


失礼だけどお姉様は、そんなに運動ができる感じではなかったし、加速魔術なんてきっと使えない。

お姉ちゃんに結界魔術を頼んでいた時点で、それは確定だろう。




――――あれ、お兄様は……?


お兄様はあんまり私に興味なさそうだったし、何もしてこなかったからあんまり知らない。

けど……おそらく、魔術センスのある人だ。


お姉様じゃなく、毎回お姉ちゃんが買い出しに行っていた理由、お兄様は毎日仕事へ行くこと、そしてあの家から扉までの距離。



まるで世界から酸素が消えたみたいに、ひゅっと呼吸が詰まる。


わかっちゃった、わかってしまった。



「違う……!!」


「何が?」



「お兄様が速いんじゃない。私たちが遅くなってる……!!」


私の言葉に、叶都は目を大きく見開いた。

とすぐに眉間にしわをよせ、驚きの顔は怒りの顔へ変わった。


「あぁなんでもっと早く気付かなかったんだろ、そういうことだったのかよ」

チッと舌打ちをする。



「ごめんなさい、私がもっと早く気が付いていれば……」


いや、そもそも私がいなければ叶都は魔術を使ってテレポートできたのではないか?

また私が足を引っ張っている。


申し訳ない、いや違う。違わないけどそうじゃなくて。


「凛のせいじゃないと思う。こんなに遅くまで気が付かないわけない。多分認識阻害系の魔術で気付かれないよう誤魔化してたんだろ」


気持ちがぐちゃっと潰されたような不快感に体があつくなる。

恐怖とも、自己嫌悪的な物とも少し違う。

知らない。知らない感情。



「それに俺にも術がかかってる」


「え、それって…」

つまりお兄様は私が叶都と行動していることを知っている…?



「ああもう、器用なやつだな…腹立つ!!」


「ひぇ」

突然大きな声を出すので、びくりと反応してしまった。


「悪い。凛のことじゃないよ」


「あ…うん、分かってる」

宥めるように優しく声をかけられる。気を遣わせてしまった。




「じわじわ追いつめられる感じ…怖いな」


自ら後ずさりせざるを得ない状況を作ってくる感じ、お兄様ってこんな人だったんだ。前は呑気な人って思っていたけど。


「あ~それだね…すっごい嫌~!」

あはは、と全てを投げだしたかのように眉をハの字にして笑う。


けれど彼はきっと私を置いて行ったりなどしないのだろう。嫌な信頼してしまっている。でも少し落ち着く。焦らなくてもいいと思えた。



「多分…いや絶対。この調子だと追いつかれる。もしその時は――」

視線は変わらずまっすぐだが、いかにもこの状況はまずいって顔。


その時は、の後に続く言葉が私を捨てるという意味のものではないこと、ちゃんとわかる。

「うん。私がんばるから」


予想外の返答だったのか、目を丸くして私の方を見た。

しかしすぐにいつもの飄々とした表情に戻し、

「そっか、頑張れ~」


意地悪くにやりと笑う。


「他人事やめて!!」

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