〘四十二番星〙珠玉



「凛さん。こんなところで微睡んでいると危ないですよ」


人のものに聞こえるがどこか淡々としている声が耳に届いて、少女は薄いまぶたを開いた。



「レギオン会館の中とはいえ、不届き者が絶対にいない保証はできませんから」


「――――ノイド、さん」


会館の中にある小さな書房の隅で、凛は本を手にしたまま小さく座り込んでいる。


「はい、ノイドです」

正式ではない呼称を自ら名乗った機械は目を閉じて微笑んだ。


そして、近くの棚から見繕った本のページをぺらぺらとめくりながら、普段凛と共にいるブロンドの少女のことを問う。



凛は唇を真一文字に結び、そういえば彼の名付け親は名奈ちゃんだったっけと思い出す。

憂いを孕んだ息を漏らすと、躊躇いがちに口を開いた。



「会館に宿舎って…ありますよね。泊まらせてもらえませんか。えっと…期間は――」

「ひとまず、『今日から試験の結果が出るまで』ですよね」


「……え」



驚いて顔を上げると、ノイドは僅かに俯き、言った。


「件の任務で準B級へ昇格したにも関わらず晴れないその表情を見るに、迷宮でいざこざがありましたね。目が覚めたのは魔癒師の病院で、彼に術を施してもらってからだった。そして、彼女に会わずにここへ逃げてきてしまった――――」



その言葉に、普段冷たい印象を与える凛の瞳が揺らぐ。

彼女が黙ったまま何も言えずにいるのを見て、ノイドは「当たりですか」と言った。



「角部屋をご用意しますので、いつまででも好きに使ってください。お代も頂きません」


「え、えぇっと」



「……このような事態になってしまったのは、私の責任でもあるからです」


――――どうか、償わせてください。



心の無い機械とは思えない、悔しそうに顔をしかめる彼に、状況を飲み込めず凛は戸惑う。

あれは、迷宮の層を読み違えていたことと暗闇に翻弄されてしまったが故に起きてしまった、言わば事故のようなものだ。少なくとも凛はそう考えていた。



「少し…いえ、かなり困った戦士の方がいらっしゃいまして。彼らは、彼らへ振り分けた任務と、あなた方への任務とをすり替えた」



仕事のすり替え。

レギオンの管理者である彼が責任を感じている理由に納得するのと同時に、ふと一つの影が凛の脳裏に浮かびあがる。



「――パーシアス、騎士団……」


名奈と出会った駅のテラス、そして先日レギオンで遭遇した彼らは、執拗に彼女を小突いていた。


しかし、だとしても今回の件は明らかにやりすぎだ。

あの迷宮は常に死が纏わり付いてくるような場所だったし、実際に凛は、名奈があんな表情をするのを初めて見た。



「パーシアスの方全員がああではない、ということだけは理解していただきたい。ですが一部の方々の行動は、明らかに常軌を逸しています」




☆   ☆   ☆




 あっという間に季節は移ろう。

白い雪が解け新芽が顔を出したかと思えば、それらは今や立派に青く茂っている。


仕事を終えた凛はレギオン会館に備わった宿に帰ってきた。

玄関のドアを開けた途端に感じる、部屋に充満した熱気。それに耐え切れずに、急いで窓を開け放った。


「はあ……」


外から泳いできたぬるい風が凛の白い髪を揺らす。

少女は窓のふちに肘を置いて頬杖をつき、うっそりと景色を見つめた。


この部屋は建物の上の方に位置しているために、とても眺めが良いのだ。


ふと、ポットたちの家の二階から見える光景も普遍的ではあるが、言語化し難い良さがあったなと思いだす。



「ふたりとも、どうしてるかな」


凛は無意識に、右の背中と肩をさすった。既にその傷は完全に癒えているはずなのに、なぜかまだ痛む気がしてしまうのだ。



何も言わずに突然出て行ってしまった自分のことを、名奈は心配しているだろうかと考える。

もしかしたら既に自分のことなど忘れていて、困っている新たな旅人を助けているかもしれない。


心配していて欲しいような気もするけれど、心配させたくないとも思った。



この感情の名前を、少女はまだ知らない。
















「今日が試験か…なんだか緊張してきたな」


「なんで凛じゃなくパウロが緊張すんだよ。なあ嬢ちゃん」



「――えっあ、はい。少なくとも死にはしないかと…」



セドナ北駅のバス停にて。

これから試験会場へと向かう凛をヘンリーとパウロが見送りに来ていた。


落ち着かない様子の少女をヘンリーは「ま、まあ生きて帰る自信があるのはいいことだな?」と励ましている。




「そのまあ…何だ。まず最初に言わせてもらうが、俺たちはお前さんが合格すると本気で思っている」

パウロは緊張のせいか若干しどろもどろに話す。


「仮に、本当に仮の話だぞ?」


「いいから早く言えよ」


視線を彷徨わせ、慎重に言葉を選んでから、彼は口を開いた。



「その…もしもEMAに入学できなかったとしても、凛は大丈夫なんだ」




彼らは長年戦士を続けてきて、人生のターニングポイントで挫折してしまいそこから立ち直れない人を大勢見てきた。

そして二人自身も、そういった有象無象の一欠けらであったのだ。


確かにそれが当人の長い道のりを賭けた最後の賭けであって、大負けして、持ちうるものすべてを失うこともあるだろう。


魔鳥を由来とする、パルピュイアという種族であるヘンリーですら、若かりし頃一度そうして地に落ちたのだ。




「こいつン時は俺が無理やり引っ張り上げたし、お前さんには俺らも――ルナもいる」


一瞬、奇麗ごとも思った凛だが、彼のまっすぐな瞳を見てその考えを変えた。

「なんとかなる」ではなく「俺が無理やりなんとかする!」というニュアンスであることを察したからだ。


なんて暴論だと面白おかしく感じたが、名奈の名前を聞いて僅かに心が重たくなった。



「……ありがとうございます、少し不安が和らぎました。でも私は合格します。『星を取り戻す』って、自分と約束したので…それを叶えるために大きな一歩が必要なんです」


――――そう、少なくとも今は。




出会った頃は自我が芽生え始めたばかりの幼子のようだと思っていたのに、立派になったものだと、二人は感動を嚙み締める。





そして丁度、「北ラウィーニア」という文字を掲げた長方形の車両がバス停に到着した。


空気が抜けるような音と共にドアが開く。



「じゃあ、行ってきます」


凛は小柄な体形のせいで大きく見えるリュックを背負い直し、魔杖を握りしめ言った。

その表情には不安こそあれど迷いはない。




「――――嬢ちゃん!」。

バスへ乗り込んだ少女は二人の方へ振り返って、どうしたのか問うように首をかしげる。



ヘンリーとパウロは言った。


「あの子にとっちゃたかが数年の仲である俺らが偉そうだが…言わせてくれ! ひとりぼっちの奈落からあの子を引っ張り上げられるのは、多分お前さんだけなんだ!!」


「え、えぇっと…?」

何のことだかさっぱり分からず困惑する凛をよそに、二人は続ける。



「凛、ルナを頼む」





短く簡潔なその言葉が凛の耳に届くと、少女の色の無い目が大きく見開かれた。


「え…?」


凛はパウロの少女を鼓舞するような笑みを、そしてヘンリーのどこか悲しそうな笑みを見た。


目の前の透明な扉が二人と凛を隔て、そしてバスが動き始める。

言葉の意味を問おうと一歩踏み出し外を覗くが、光景はスライドしあっという間に離れていってしまう。




「……分からないよ」


二人の姿が小さくなり、やがて見えなくなった頃、自分にしか聞こえない程小さな本音が零れ落ちた。



だって彼女は優しくて強くて、他人の力は必要ないと言っているかのように隙が無くて。

そして他人と自分との間に線を引いている。凛はそのことをとっくに悟っていた。



人との深い関わりを拒絶する彼女のことを、わざわざ任される理由が分からない。





☆    ☆    ☆





 試験会場へ到着した凛は、わだかまりも吹き飛ぶほどに壮麗な門を前にして、ただ立ちすくんでいた。



見上げる程の高さを持つ両開きの鉄の門。


両翼にはヴェニュスの伝統的な鉄細工が施されている。日光を受けて煌めく神秘的な紋章をよく見ると、それはEMAの創設者である界王家のシンボルであることに気が付いた。




「何度見ても分校とは思えねぇほどデカい門だな、肝心の実技試験会場がどうなってんのか楽しみだ」


「ヴェニュス式建造物ならウチの別荘が一番だと思ってたのに……フンッ、なかなかやるわね!」



他の受験者が少女の真横を通り過ぎたことで我に返った。

ここにいる全員気配だけで強者であることがうかがえる。


凛は深呼吸をして、緊張によりやや不自然な足取りで門を通り抜けた。




その先には整然とした石畳があり、爽やかな香りが凛の身を包む。

両脇の花壇に鮮やかな花が咲き乱れていた。


右側は庭園が広がっており、青い芝に大理石で作られた優雅な噴水がある。その澄んだ水は無限に続くかのように流れ落ちる。

左側には学園の栄光を象る、魔導師の荘厳な胴像が力強く立っていた。



確かな品がありつつも絢爛豪華な雰囲気に、凛は居ても立っても居られなくなって、俯き石畳だけを見ながら早足で本館へと歩く。










 凛を含む受験者たち全員が本人確認や装備品のチェックを終え、これから行われる試験の説明を受けるためのホールへと案内された。



広々とした会場の後方には、繋がったテーブルとそれに沿って並べられた椅子が縦に列になっていた。

おそらく百席以上あると思われるそれの中から、先ほど受け取った番号と同じ数字が振り分けられた椅子に座る。



凛がそわそわしながら時を待っていると、隣に、遠くに、只者ではないとすぐに察せる実力者たちが席についていく。


暴れるうるさい心臓や噴き出す汗、いつもよりも早くなる呼吸を何とか宥めていると、突然照明が暗くなり一人の女性が現れた。


彼女はクラシカルなワンピースと漆黒のローブで身を包んでおり、くるぶしまでを隠すそのスカートは高めの身長を優雅に引き立てていた。



前方のステージに登壇すると、品のある所作で顔を隠していたフードを脱ぐ。


「皆様。本日は弊校エピック・マジェスティ・アカデミーへ、ようこそおいで下さいました」


ローブの内に隠された髪を肩のあたりで払うと、緩くウェーブがかかった、まるで瑠璃のようなそれが腰の下まで流れた。



「それでは、試験の説明を開始いたします」





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