〘四十三番星〙時雨


「それでは、試験の説明を開始いたします」

瑠璃色の美しい髪を腰まで伸ばした女性のよく通る声がホールに響く。


彼女がステージに配置された機器のスイッチを入れると、青白いホログラムが映し出された。

円形のアリーナが、実際のミニチュア模型と見紛う程精密に光っている。


「第一次試験は一対一の決闘。三十ブロックに分けられたトーナメント式です」


女性の声と同時にブロックそれぞれの対戦表が示されると、ホールは雑多な声々に包まれた。

表には世に聞こえた貴族や知るものぞ知る実力者の名もあったからだ。



(でも怖いわけじゃない……ふしぎ)



「はあ……」

瑠璃の女性はわざとらしく溜息をつく。受験者たちのざわめきに呆れたようだった。


彼女はコツコツとヒールの音を響かせながらステージの中央へ立つ。



「いいですか皆さん、この第一次試験はただのお遊戯。使用人に接待され驕るご令嬢・ご令息、人生一発逆転を夢見る凡人――――」


そして、肩にかかった髪を再びはらった。



「そういった弱者をふるいにかける、たったそれだけの試験です」




☆   ☆   ☆




 学園内に存在する訓練用アリーナ。両手で数えきれないほどあるそれの中、凛たちはシータと名付けられた建物に足を踏み入れた。


学園の正門を踏襲したデザインの、見上げる程巨大な入り口。

扉が開かれると何とも言えない温度の空気が流れだしてきて、凛は思い出した。女性の「人生一発逆転を夢見る凡人」という言葉を。


少女の覚悟は決まっていた。


「私は、挑戦者」







 シータブロックの人数は十六名。この広大なアリーナで、八組が自身の未来と尊厳を賭け戦うのだ。


凛もまた、その一人。




『ルールは簡単。相手を戦闘不能にするか直径径五〇メートルの円から出せば勝利。再起不能にするなど倫理に反することは反則――ああ、倫理に関しては学園側の価値観で決めさせてもらいますので、お気をつけて』


大怪我をしても弱いのが悪い、とでも言うような大雑把な規則。

あの女性の言う通りこの一次試験は凡人を振るい落とすためだけのものなのだと痛感し、凛は背筋を伸ばす。




 早くも一回戦の戦いの火蓋が切られた。



「由緒正しいフォアマン家の長男、ジャンジュニア! ふんっ、このぼくと剣を交わせること、感涙にむせぶがいい!!」

貴族らしい、凝った装飾が施された衣服を身にまとい高笑いする少年。



「フォア…? うぅーん、聞いたことない」


「はぁっ!?このフォアマンを知らないだと、そんなバカな!なんっ、で、では逆にどこの家なら知っているのだ…?」


「えぇっと……アイボリー、とか?」



「アイボリーだと? お前はしてはならない間違いをした」



先ほどとは打って変わって地を這うような低い声にはっとして、凛は魔杖を構え直す。



「アイボリーは! 貴族じゃなく商人の家系だ!!」


怒号は炎となり少年の剣を薪とする。


赤く燃え盛る炎をまとった刃が凛に襲い掛かる。


(隙だらけ、この一撃――決まった!!)


所詮、庶民の少女一人。あんな脆弱な凡人、自分の敵ではないのだ。

ジャンは勝利を確信した。



『シータのガンマ、試合終了。勝者、凛』


審判によるコールが少年の脳にこだまする。



「は……?」


あと少しで剣が少女の肩に触れる、そう思っていたのに。

一度まばたきすると、そこに彼女の姿は無かった。



頭上から足元へ流れ落ちる、微かな冷気を感じ取り、見上げる。


手のひら一枚の薄さで脳天に直撃する――それほど寸前のところで浮かんでいたのは、少年の体の倍はある巨大な氷柱。



目前に迫った死という恐怖に、腰が抜けて崩れ落ちるジャン。



「っ、はは……」


震えながら顔を上げた少年の瞳に映ったのは、冷たい眼光、絹糸のような銀髪、生気の無い青白い肌。



「『知ってる貴族』じゃなくて『家』って言ったの、そっちなのに……。まあいいや」


傷一つなく、フィールドに引かれた線の少し内側に佇む、氷の魔術師だった。



「私の勝ちだね」




☆   ☆   ☆




 二回戦も難なく突破、準決勝は手こずりはしたものの何とか怪我をすることなく勝利を収めることができた。


――――次はいよいよ決勝。


僅かに震える両手を、凛はぎゅっと握りしめる。

心臓の音がドクドクと良く聞こえて、落ち着けずに視線をあちらこちらへ彷徨わせていた。


(――――うん。大丈夫じゃないけど、大丈夫)


それでいて、不思議と世界がよく見えるような気がしている。





『決勝戦はより広大なフィールドを使用します。両者は案内に従いスタートポイントへ移動してください』


凛は審判の後ろを躊躇いがちにとことこ付いていく。



『こちらが待機ポイントです。両者、審判の合図とともに戦闘を開始してください。』



人間の体に最適な気温を一定に保ったフィールド。気味が悪いほどに安定したその温度だが、少女には少し暑く感じられた。


先ほどとは異なる区域。

凛はどのように環境を利用しようかと周囲を見回すが、特別な水源や植物はおろか遮蔽物すら見受けられない。


(つまりこれは――――)


「純粋な力量勝負、ね」



覚えの無い声に凛は視線を前へと戻す。

数メートル先に立っているのは――――



皮のロングブーツ、クラシカルな雰囲気の落ち着いた衣装。


腰まで伸びた、ミルク色に所々薄紫色が混ざっている柔らかい髪がまるで海のように波打っている。

前髪は額の真ん中で分けられており、遮られていないそのままの、自信ありげな青磁のような瞳を凛へ向けていた。



優雅で品のある外見とは裏腹に、やや大雑把な所作。


「あたしはローズマリー、あなたをコテンパンにするわ!」



脚を肩幅に開き、左手を腰へ、もう片方で凛を指さす。逆ハの字の眉と上がった口角は自信満々といった感じだ。


凛は彼女から、「この子と戦って倒したくて仕方がない!」というオーラを察知し、初めて出会ったタイプだ、と狼狽える。



「わ、私は凛…です。えぇっと――私が勝ちます」


「上等よ、そうでなくっちゃ」


彼女は心の底から嬉しそうに、そう言った。




(初めて会ったタイプ……)


初めての感情に戸惑うが、案外すぐにそれを理解した。


――――闘争心。

どうしようもなく、目の前のライバルを倒してみたい!




『統治紳ラプラス様の眼下に相応しい行動を誓いますか』



「ラプラスに誓うわ」


「……誓います」


主審がフィールドに決闘のための術を施す。

すると世界は暗転し、辺りにホタルのように煌めく術式が浮かびだす。


その景色はまるで星月夜。





『ラブオール、ゲームスタート』



最後の文字が読み上げられたその直後、両者は魔力を練り始める。


初撃は命。


しかしローズマリーは自ら膝をつく。

地面に手を触れ、何やら魔術を張り巡らせているようだが――



(彼女の意図は分からないけど……)


これは大きな隙に違いない。



「 『アイス・カッター』 」



今なら安全だと判断し、隙を利用し詠唱する。



凛が魔杖を肩上から斜め下に振り下ろすとたくさんの鋭い氷が現れ、ローズマリーへ襲い掛かる――――



しかし突如、彼女と凛の間に現れる巨大な水のヴェール。


分厚い雨水のカーテンのようなそれは、いとも容易く凛の攻撃を吸収した。



凛は眉をひそめる。

「こんな半端な攻撃が通じるとは思ってないけど……めんどうな術――――っ!!」



ヴェールから切り離された一滴が極限まで圧縮され、糸のような細さで噴射される。



凛は氷のシールドを作り出したが、瞬時に意味がないと判断し体制を低くした。


水のジェットが頭と腕、足のスレスレを通り抜ける。



「あぶな…っ!!」

美しいほどに真っ二つになった氷の板。


それをローズマリーに向かって飛ばしてみるものの、やはり彼女も体を逸らし回避した。



命の危機に全身の血管がドクドクと波打つ。



「すごいわ、これを見切るのね!」


「み、見えてない、見えるわけないこんなの…」



「でも避けたでしょ?」



怒りと驚きに震える凛を見たローズマリーは笑うと、防御に使った水を手元に集め始めた。


「楽しいわ、あたし」


ローズマリーの両手の中に、まるで水晶玉のように収まった水。


彼女はそれを上昇させ――――二人の間の上空で破裂させた。





フィールドにざあざあと降る雨はすべてを湿らせる。



そして――――


ひとつ、ふたつ、とにかく沢山の芽が顔を出し始めた。


双葉が開いたかと思えば瞬く間に天へと伸び、開花して、細かった茎は屈強な幹となる。



「だけど、もっともっと欲しいわ!」


軽やかに両手を広げ、にっこりと笑って見せた。



そんなローズマリーとは反対に、凛は焦りを感じ始める。


このまま植物が成長し続ければあたりはすぐに森に変わり、彼女の独壇場となってしまうだろう。

何としてでも阻止しなくてはならない。



ならば――――



「青い木々は衣装と色を失い、ただ灰色の過去と成る――『冬の訪れ』」


杖を両手に持ち、土に挿すように垂直にし術式を展開する。



円形に広がった術範囲の地面に雪の結晶のような巨大な模様が現れ、そしてすぐに、水分を含んだ土が霜になる。



植物の成長は鈍化するがしかし、凛は顔をしかめた。


(――――っ、思ったように気温が下がらない…!)




「ふっ、お互いこのアリーナの環境に翻弄されてるわね」

あたしの草木も上手く育ってくれないの、と額の真ん中にしわを寄せつつも笑みを浮かべる。



決闘用に調整されたこのアリーナは、どちらか一方が有利になってしまわぬよう環境を調整されている。

しかしそれは同時に、誰の味方もしないということでもあるのだ。




二人の思考は原点へと返る。


『――――純粋な力量勝負!』





凛を切りつけようと刃のように舞う花弁をなんとか払いのける。


「氷使いだと思ってたけど…冬そのものがあなたの味方なのね。それなら『雨』は悪手だったわ」


――――でも。



ローズマリーは肩の雪を払い立ち上がり、寒さにより地に落ちた一枚の葉を拾い上げた。


そして優しくキスを落とす。



すると、木々がまるで彼女に応えるかのように大地が震撼し始めた。


一枚の葉を握りしめ、祈るように術を組み立てている。



強力な分発動に時間がかかるのだと察した凛は、何とか阻止しようと更に気温を下げるべく魔力を放出する。


(このまま長引けば魔力の出力窓が消耗しちゃう……)


そして相手も、長時間この極寒の環境にいるのは避けたいはずだ。



凛とローズマリーの考えることは同じく、「速戦即決」。





葉が地に落ち裸になる木々。

ローズマリーも寒さで弱化しているが――――あと一歩、間に合わない。






涙も凍ってしまうような、ただ眠って待つしかできない冬に抗え、抗え。


春は来ない。


しかし、生命も死なない。


限りなく死に近い眠りから――――



「 『生と死のサイクル』 」



――――目覚めるのだ。





歌うような詠唱が虚空に溶ける。


死んだかのように凍りついた木々が再び目を覚まし、凛に襲い掛かる。




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