〘五十二番星〙忘れもの
「記憶がない!?!?」
ホリデーも明け、予告されていた通り二年生との合同授業が始まった。
――とは言うものの、調理室を丸焦げにしたので必死に修復しているとかで遅れるらしい。
暇を持て余した凛とバジルはCMAに来るまでの話をしており、バジルは凛の経歴にびっくり仰天、というのが経緯である。
そんな出自では常識がなくても仕方ないし、むしろそんな荒波を越えここまでたどり着いた彼女に、バジルは感服せざるを得なかった。
もごつきながらも謝罪を口にする少年を黙って見つめていた凛だが、ふとバジルの過去も気になったので尋ねてみる。
「オレ、世界で唯一の禁書庫の次期大司書なんだよね」
「…………きんしょこの、だいししょ」
「そ。そもそも禁書庫の存在自体が秘匿されてっから、デカい学校通うわけにもいかないんだと。……EMAとかね」
バジルの事情があまりにも予想外すぎて、凛ははあ、とただ感嘆を零す。
確かに彼は教養がある人ではあるが、まさか大司書見習いだなんて。
それにしても不服そうな口調を聞くに、彼はEMAに行きたかったのだろうか。
「大司書ってつまり書庫で一番偉い人じゃん? だから守護者としての役割もあるわけで――」
「そっか、強さも必要だね。それでCMAに来た…と。バジルは戦えないのにねえ」
「はあ? 一言余計だっつの。さっきの謝罪取り消すぞ」
しかしルカは二人が互いの欠点を補い合える良い関係だと考えているのだろうな、と思い至った両者は、ふっと笑いを零した。
しばらく沈黙が流れる。
「なあ。お前はさ、その……思い出したいって、思う?」
バジルにしては慎重に言葉を選んでいるなと感づいた凛は、意図を問うかように瞬く。
「オレは専門家じゃないから、鵜呑みにはしないで欲しーんだけど」
「うん」
「この世界では、それに釣り合う対価を支払えば何でも手に入る。それが
――――凛は、記憶と引き換えに何かを手に入れたのかもしれない。
少女は目を大きく見開く。
この小さな体が内包する異質な力を考えれば、あり得る話だ。
そしてバジルは改めて「本当に思い出したいか」と、目の前の少女に問い直した。
凛は揺れる紫紺の瞳を見た。
その奥にある感情が少女には理解できなかったが、今まで出会ってきた人とは違って、それが凛への恐れではないことだけは分かった。
「……怖いよ。今まで必死に逃げてきたものに、わざわざ自分から踏み込むなんて」
ゆっくりと、恐る恐る言葉を紡ぐ。
「でも……向こう側に、わたしの大事な物を置いてきちゃった気がするの」
凛は顔を上げ、凛とした声で体育館に響くように言い放つ。
「それを忘れたままの方が、もっと怖い」
あの少年が見せてくれた、地上で輝く綺麗な星たち。
次は空でそれを見ると誓ったのだから。
「……オレも力になるから」
「ほんと?ありがとう」
「全部思い出したらウチの書庫の整理手伝えよな」
「遅くなってごめんね~」
何分経っただろうか。
複数の足音と共に、聞き慣れない声が響いてきた。
まさか、一年でいくつもの教室を爆破したという噂の二年生――!?
凛とバジルは目を凝らす。
「一年生の子だよね。初めまして、私は
柔らかいベージュの髪をふんわりと二つのお団子にした、あんず色の特徴的な服を身に纏う糸目の少女が駆け寄ってくる。
「…じぇじぇ?」
「
そして彼女の後ろからやってきたのは、深いネイビーの髪をした少年。
ひょろりと縦に長く伸びた体躯と切れ長のルビーのような目は、凛々しい雰囲気を醸し出している。
「それでこっちが~」
「俺はチェイス、よろしく」
低く落ち着いた声で、彼は簡潔に挨拶をする。
二人は思っていたよりも――何と言うべきか、普通だった。
教室を爆破し続けた問題児とは見えなかったために、凛とバジルは拍子抜けする。
「あ、そうそう。かくかくしかじか、体内に大アルカナの遺産を埋め込まれちゃったせいで――簡単に言うと人間爆弾なのね、俺」
――――前言撤回。
「ち、ちなみに規模と起爆方法は」
「規模は…まあ、この大陸は軽く吹き飛ばせる。死ぬと爆発するから、実戦授業の時とか、うっかり俺のこと殺さないよう気を付けて」
にわかには受け止め難い言葉に、二人はぽっかりと口を開けた。
しかしまあ……ここはCMAだもんなあ、なんて結局思考を放棄することになるのだが。
「キミはバジルくんだよね。それで、こっちの
興味津々といった様子で身を乗り出す糯米に、凛は軽く挨拶をしつつ名乗った。
「
「糯米と凛ちゃんって、もしかして同郷?」
意外な問いに凛は首をかしげるが、糯米は「燎と極東の文化は似てるけど~」と平然と返している。
話の流れが分からない凛が「極東?」と尋ねると、糯米は「
「あめの…うき」
「…………あれっ!?違った?」
糯米は焦ったように、凛の話す共通語が天浮のアクセントに聞こえたから、と弁明する。
凛は否定しようとしたのだが、ふと考え込む。
「えっと~…、小凛?」
自分はあの広大な雪原から来たが、ヴェニュスにたどり着いた際通ったあの扉は、恐らくテレポータルの一種なのだろう。故に雪原がヴェニュスの北にあると断言することはできない。
その上凛はヴェニュス語を扱えないのである。
――――あの雪原が、彼女の言う「天浮」という国にあるとしたら?
確かにこの少女はリンと凛、洋名と和名――すなわち天浮式の名前を持っている。
その上、母親とされる女性の名は「
「糯米先輩、天浮ってどういう国なん――」
「お待たせしちゃったわね、アタシの可愛いベイビーたち~ッ!」
凛の質問は、突如として体育館に響き渡った野太い声に遮られた。
「一年生二人は、魔導応用学の授業は初めてよね!」
ルカが空を指でなぞるとサラサラと文字が浮かび上がっていく。
みんな知っている通りアタシが魔導学の教科担任な訳だけれど――と、彼は授業を始めた。
「前にも言ったけれど、アタシがもっとも大事にしているのは」
文字を綴る手を止め、一歩前に出る。
「『強く!美しく!!』よッ!!」
独特なポーズをキメる教師のことを、糯米を除く三人の生徒たちは冷めた目で見上げていた。
「そこは拍手するところよ!」と目をかっぴらくので、三人はぱち、ぱちとやる気なく手を叩く。
たった一人糯米は目を輝かせ盛大な拍手を送っているが――これ以上触れる必要はないだろう。
ルカは咳払いをし気を取り直して、再び話始めた。
「いい? 強さというのはとても美しいわ。そして、美しいとは強いということなのよ!」
アタシはアナタたちに強く美しい人になって欲しいわ、と微笑む。
「と、言うことで! 今日から筋肉育成プログラムを開始するわ~ッ!!」
――――今度こそ、拍手は鳴り響かなかった。
「えぇっと……魔術の鍛錬をするのではないのですか?」
「俺らは既に去年この地獄を越えたんですが? え、先生は悪魔??」
相次ぐ不満の声に、ルカはうんうんと頷いた。
「プティ・エトワール。まず強靭な肉体がなければ、魔術も満足に扱えないものよ」
――――そして
「できる実技授業がこれくらいしか無いのよ……」
こうして、地獄の数か月が幕を開けたのだった。
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