〘二十二番星〙畏怖



 私が手をのせると、名奈ちゃんの丸い目が更に大きく見開かれた。


「……なに、その顔」


「いや、ほんとに一緒にくるとは…」

だって命!命かかってるんだよ!?と別の生物を見るような目で私を見る。


誘ってきたそっちに言われたくないのだけど。



 そうこうしていると鼓膜を破る勢いで爆発音が響いた。

足元から振動が伝わる。


南口の方からだ。





「行こう」と目で合図して、手をつないだまま走り出した。










「……っ…そうだ名奈ちゃん、イフってなに!?」

走りながら問う。そう言えば私何も知らない。


「う~ん、簡単に言うと『別の世界線の自分』…かな」


「別の…世界線?」


「唯一神ラプラス様の加護によって発生した世界線――しゃべってると噛むからあとでにしよ」


噛んでしまうというのは同意するが、ちゃんと説明はしてほしい。

一番大事な情報だと思うのだけど。




名奈ちゃんは曲がり角に差し掛かった所で急に足を止めた。

視線を鋭く前方に注ぎ込んでいる。




感じる、気配を。

そしてこの角から少しでも姿を出せば「捕られる」という本能からの警告を。





名奈ちゃんは背中を壁に預け、しーっと口元で人差し指を立てた。


向こうを注視しながら慣れた手つきで袖をまくり、露わになった包帯を解いていく。



「あいにく今は武器を持ってないからこういう戦い方をするけど…何があっても私の体液には触れないようにしてね」

小声で語りかけ、腕に巻かれた包帯を見せた。



「………!」




私は言葉を失った。

彼女の腕はところどころ溶けていて、今にも滴り落ちそうだからだ。


痛々しいことにそれは紛れもなく体液で、包帯にも染みついている。



そしてそれと同時にまがまがしいオーラも感じ取った。

言われるまでもなく触ってはいけないことを察せるレベルだ。




「あぁ、名奈ちゃんはこれで戦うのか」と瞬時に理解し、私も魔杖を取り出す。


三日月の形にカットされたクリスタルが、まるでプリズムのように光を反射している。



顔も覚えていない母親の、形見。

あなたのことを何も知らない不遜な私に、お願いだからどうか力を貸してください。






「情報通りイフは一体。見た感じ特殊能力はなさそうだけど、警戒してね」


「勝てそう…?」


「どうだろう、属性次第かな…。凛ちゃんは水属性? だとしたら、相手が水属性ならほぼほぼ勝てる。風とか土だと厳しいな…」

そこは戦ってみないと分からないけど、と再び向こうを覗く。



やっぱり、属性は実力以上にものを言う。

それは時に弱者を救い、強者を陥れるのだ。




さっきの爆発音。

イフが暴れたのか、周辺の照明が落ちていて薄暗い。


私は種族柄夜目がきく方ではないので、瞼を閉じて目を慣らす。




「十秒数えたら始めよう。……十、九――」


小声でカウントし始める。

いよいよだ。



氷で敵を貫く生々しい感触と切り裂く痛みが、記憶の深層から浮かび上がってきた。ああ、これから来るであろう痛みが怖い。


心臓や呼吸の音がうるさい。

耳をふさいでも流れ込んでくる、私の物であるはずのこの音が。





痛みが、感触が――――




「七、 六、 五」


心の中でいくら葛藤しても、カウントダウンは止まらない。

残りわずか数秒後、人である私たちはあの怪物と対峙しなくてはならないのだ。




震えながら魔杖を握り込む手が、ふわりと優しく包まれる。


驚いて目を開ければ、薄明りの世界が鮮明に見えるようになっていた。




視線が交錯する。






「三、






 二、






 一……大丈夫、私がいるから」


たった一言を淡々と残し、温かい手がそっと離された。



助走をつけて―――

「いくよっ!」








 一目見た時に感じたのは、「人だ」ということ。


壁という盾から飛び出し目の前の敵を認識した刹那。

たかが一瞬、されど一瞬だ。



自分の周りの建物を手当たり次第破壊していた魔物は人型だった。

私たちと同じくらいの年の少年なのだ。


しかしその体からは漆黒のオーラが漏れ出している。

まるで影という名の闇に魂が与えられたようで、現実と幻想の境界が曖昧に見える。


私は幻覚を見ているのかと錯覚するほどに、イフは不安定な姿をしていた。

彼は現世と“向こう側”の間にある溝をさまよっているのだ。


その姿は冗談でも人とは呼べない。れっきとした化け物である。




しかし私が衝撃を受けたのはそこではなかった。


「自分は人である」と声にならない叫びをあげているのだ。まるで自分の存在を証明するかのように。

人として扱え。自分こそが人であるに相応しい。そしてそれを認めない世界を壊してやる、と威圧感で語っている。


「本来ならば自分が人であるはずだったのだ!!」と。






この戦いにおいて私たちの目標はイフを討つこと。


「ああ、私は今から人を殺さなくてはいけないのか」本能的に悟った。

これは比喩であってそうでない。



だって私はもう、あの人には死んでほしくなかったという感情を知ってしまっている。





一秒に満たない躊躇――――





名奈ちゃんがイフに蹴りを食らわせたことで戦いの火蓋が切られた。


軽やかな動きとは裏腹にとても重たい一撃は、私に一瞬の躊躇が命取りであることを思い出させた。




彼女の包帯は鋭い刃となってイフを切りつけようとひるがえる。



しかしイフもそれに屈しない。

彼は身をよじり、攻撃を巧妙にかわしていく。




名奈ちゃんはイフに隙ができるのを虎視眈々と狙いつつ、ひたすらに攻撃を叩きこむ。

あれを自分が食らったら、と想像すると鳥肌がたつ。



しかしそんな強力な攻撃である包帯はかすりもしない。

イフが彼女の体液に触れてはいけないことを理解しているようだ。




攻撃を避けるため、あるいはより強い一撃を放つため飛び上がる。


一進一退の戦況はゼロコンマ数秒の世界。

互いの身体能力の高さ故、まるで空中戦に見える。






私はその戦いに踏み込むことができず、ただ遠くから眺めていた。



一秒でも早く、私も加勢しなくては。ちゃんと頭ではわかっている。


しかしスピードを目で追うのに精いっぱいだ。


そしてこの戦いに足を突っ込むことを、本能が「やめておけ」とブレーキをかけている。




私があそこに突っ込んでいったとして、一瞬で切り刻まれることは一目瞭然だ。

あんなに速く動けるわけない。





だって私は弱いから――――



「凛ちゃんっ!!」


名奈ちゃんの必死な叫び声に、現実へ引き戻される。



そうだ、考えているだけじゃなく行動しなくては。

わかっている、わかっているけど――……






「遠距離から援護して! 

 私に当たっちゃうとか気にしなくていいから、とにかく少しでも妨害して!」


彼女は戦いの合間を縫って声を出す。


それが隙になって一撃入れられてしまうこともあるだろうに、そうなっていないのは彼女が強いからだ。




そうだ、名奈ちゃんは強い。


『私がいるから大丈夫』

あの言葉の意味は、ただ単に孤独でないことを示したのではない。


『強い私がいるから簡単には負けない。だから大丈夫』だ。




名奈ちゃんは私に限界突破を求めているわけではない。

うまくやりさえすれば、私でも勝てる相手だと教えてくれていた。




今は信じてみよう、彼女と彼女の言葉を。背中を押されて、私は決意する。








右足を一歩前に出して、魔杖を構えなおした。


手の震えは止まらないけれど、覚悟ができたんだからさっきよりはマシだろう。




やるんだ。私にできること最大限。





体に魔力を循環させる。



もっとはやく、


もっとたくさん、



まだ足りない、もっともっと、もっと!!






いつかの誰かの教えを思い出す。



ありったけの魔力密度を血液にのせて


ギリギリまで風船に空気を詰め込むように。





そして張り裂けそうになった時―――…今!!


破裂の勢いを全て魔杖に任せ、一気に力を解き放つ。




「穿て、アイシクル・ラピッド!!」



詠唱と同時に、魔杖の先端を中心に円形の魔法陣が展開される。


そこからいくつもの鋭い氷の塊が出現し、イフを目指しまるで銃弾のように飛んでいく。



その勢いの反動でひっくり返り、尻もちをついてしまう。

はやく立て直さないと!






それを見た名奈ちゃんは、待ってましたと言わんばかりにイフを包帯で拘束した。


文字通りぐるぐる巻きだ。




彼女が動きを止めてくれたお陰で全弾がイフの体に当たった。


イフの、耳をつんざくような醜い雄叫びと共に、氷塊は肉体を食い漁るように更に深くへと食い込む。





とどめとまでは行かないが、あんな大きく鋭い物をいくつもモロに受ければただでは済まない。


勢いに押されてのけぞるイフ。






名奈ちゃんはその一瞬の隙ができたことに、シニカルに微笑んだ。



「とった♡」


すぐに軽やかに包帯で腕を斬りつける。




「……え、それだけ…?」



心臓を貫くだとか胴体を割るとか、致命傷を与えると思った。


せっかくここまで追い詰めたのに、こんな浅い傷じゃ逃がしたも同然じゃないか。





名奈ちゃん、一体何を考えて――――

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