〘二十一番星〙月の出
待合室に向かって走り出す。
廊下は走っちゃいけないと言うけれど、緊急事態なのだから神様だって許してくれるだろう。
私とは反対方向に急いで逃げていく人々の姿。会話の断片が耳に飛び込んでくる。
「聞いたか? イフだって」
「ネットに投稿したらワンチャンバズるんじゃね?」
「バカかやめとけ、あのイフだぞ? 下手な魔物より強いんんだよ。第一、もし自分のイフだったら……」
彼らの表情は引きつっていた。
ますます焦りを感じる。はやく名奈ちゃんのところに行かなきゃ。
きっと彼女なら安全なところに連れて行ってくれる。
名奈ちゃんに会えればもう安心なんだから、そう自分に言い聞かせ走り続けた。
はやく、はやく。
「……名奈ちゃん!!」
待合室のすぐ前、すでに待ってくれていた。
彼女の姿を確認できただけで、私はそれなりに落ち着くことができた。
「よかった、凛ちゃんが無事で」
「ななちゃ…叶都たちは」
呼吸が乱れる中、必死に言葉を発する。
「最悪ポットがいるし、たぶん大丈夫。叶都くんも弱いわけじゃないでしょ」
そうだった、私が足を引っ張ってしまっているだけで叶都は弱くなんかない。
だからだいじょうぶ、大丈夫。
自分に言い聞かせ、落ち着かせる。
「…凛ちゃん、はやく行こう」
「う、うん…!」
踏み出した一歩は、反対の方向に向いていた。
「……名奈ちゃん、どこに行くの…?」
まさかと思い視線を上げると、そこには堂々とした彼女の顔があった。
まさか、まさか。
「私は南口に行くよ。こう見えてちゃんと資格だって持ってるし」
「……な…名奈ちゃんが行かなくても、きっと誰かが――」
「来ないよ、しばらくはね。断言できる。
来るとしても……ここ周辺にいる人たちがみんな殺されて駅もぐちゃぐちゃにされてからだ」
――――だから私が行かなきゃいけないの。
そう言い放った、彼女の千草色の目は覚悟が決まっているようだった。
「凛ちゃんは逃げてもいいよ。あ、皮肉とかじゃなくて本当に。……命に関わるかもしれないから」
空気の重厚感に指一本動かせない私は、唾をのんで続きの言葉を待つ。
「私は凛ちゃんの実力を知らないし、これから起こることに責任をとれない。だけど、その背中の魔杖を振るう時なんじゃない?」
「こ、これは……」
「分かってる、自分を守るためだよね」
さっきの重苦しさはどこへ行ったのか、にこりと目を細めて微笑む。
しかしすぐにまた深刻な表情に変え、言った。
「でもね…もし私が負けちゃったら、イフは近辺にいる人たちを片っ端から傷つけていくでしょう。その人たちの中には凛ちゃんが含まれている。…だから選んで」
――――逃げてから死ぬか、戦ってから死ぬか、戦って勝つか。
彼女はゆっくりと右手を差し出す。
差し出された先は他の誰でもない、私だった。
私一人じゃ勝てないかもしれない、つまりそういう意味だろう。
だけどきっと、私の実力は、歳が近いであろう彼女の足元にも及ばない。
――――私なんかじゃあなたの力にはなれないよ。
そう言わなきゃいけないのに、喉に空気が詰まって出てこない。
言いたくないんだ。
「一緒にやってみる?」
目先にいる少女の表情は、今まで見た中で一番穏やかなものだった。
知らない。私は知らない。
逃げ出すでもなく、自分を犠牲にするでもなく、ただ共に立ち向かおうとするその姿勢。
私が出会ったばかりの他人だから、という理由でないことだけが明白だった。
知りたい。
ただ知りたくなった。
あなたがなぜ“一緒に”戦おうと手を差し伸べたのか。
私は恐る恐る、その手をとってみた。
何かを変えられるような気がして。
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