〘十番星〙 妄想とその証明
私は撃たれた勢いのまま倒れた。
土に触れた背が冷たいのに、傷がどうしようもなく熱い。まるでやけどしたみたいだ。
結局、私は弱いまま……叶都に迷惑かけっぱなしだ。
このままじゃいけないと分かっているのに、ボールから空気を抜くみたいにどんどん力が抜けていく。
「はあ…レイチェルもきっと、今頃黄泉の国で後悔してるだろうね。『こんな弱いこのために犠牲になるんじゃなかった』って」
意識が朦朧としてくる。
叶都の声が聞こえる。私の名前を呼んでるみたいだけど、膜がかかったようでうまく聞き取れない。
つめたい、あつい、やっぱりつめたい。
パーカーに血がにじんでいく。
……お姉ちゃんのくれたパーカー、穴あけちゃった。
嬉しかったのに、お気に入りだったのになぁ。
「…あぁ……おねえちゃ…」
私、やっぱりだめだった。
お姉ちゃんが作ってくれたチャンスなのに、こんなに早く終わらせちゃってごめんなさい。
でもやっぱり私、一人じゃ何もできないから――――
「もう! ひとりじゃないってことになんで気付かないかなぁ」
お姉ちゃんの声。
あれ、幻聴まで聞こえてきた。
ぼやけた視界に、ぷんすこと怒るお姉ちゃんが見える。
「言ったでしょ、ずっと味方だって。忘れたの?」
分かっている、これは私の妄想。
こうあってほしかった。苦しい時、あなたに「私が隣にいるよ」って言ってほしかった。
叶わなくなってしまったその小さな願望は、私の胸を灼く。
だけど……彼女は確かにそう言った。忘れるはずない。
「一人じゃ何もできないって、誰かが一緒ならできるってことでしょ?」
お姉ちゃんはしゃがみこんで、横たわる私と視線を合わせた。
特徴的な浅葱色――彼女の髪の色が視界を染めあげる。
「私が後ろにいる。ひとりじゃない」
背中を押された、あの手の暖かさと感触。
大丈夫、忘れてない。
これは私の妄想。
だけど――――
ばっと持ち上げられたかのように意識が覚醒する。
穴だらけの熱い体を踏ん張って起こす。
足と視界はふらつくし、少しでも気を抜いたらすぐに倒れ込んでしまいそうだ。
「…は、あ……はぁ…っ」
もちろん後ろには誰もいない。私は一人だ。
だけど、押された背中、ここまで連れて来てくれたのは妄想じゃない。
迷惑かけてばっかりでどうするんだ、わたし。
立ち上がれ。
魔杖をかまえ、魔力を巡らせる。
私が気付かなかっただけで、ずっと後ろにいてくれたんだ。
それはきっと今も変わらない。変えさせない。
「お姉ちゃんはそんなこと思ってない。……言ってくれたの、ずっと味方だって!!」
「まだやるの?ゾンビかよ…まぁ急所は外れてるからしょうがないか」
頭をガシガシと掻きながら、再び土の弾丸を顕現させる。
「もういいよ、今度こそ死ね」
飛んでくる弾丸。さっきより威力が高い。
だけど私は見逃さない、パワーの代わりにスピードが落ちている。
これなら私が術を発動させる方が速い。
「
即座に氷の壁を生成し、防ぐ。
お姉ちゃんから教わった初歩中の初歩魔術だけど、土の弾丸を防ぐくらいならわけない。
もし「お姉ちゃんが後悔してる」って信じてしまったら、きっとそれこそが彼女の思いを捻じ曲げてしまう。
逆に言えば、それ以外にお姉ちゃんとその思いの価値が下がることなんて無い。
負けられない。今回だけは絶対に!!
私はこの時初めて意地というものを知った。
もしもう少しはやく「負けたくない」と思えていたら…今更だとも思う。
だけどいい、それでもいい。
「なっ、適応したか。…でも」
彼の体内により多くの魔力がより速く巡る。
これは――固有魔術…!!
お姉ちゃんが教えてくれた。
魔術には、みんなが使える基本のものと、種族柄使えるもの、そしてその人にしか使えないオリジナル、固有魔術があるって。
さっきの氷の壁は基本魔術。土の弾丸もおそらくそう。だから防げたのだろう。
だけど私は固有魔術を持っていない。
なのでおそらく、あれを防ぐことはできない。
真っ正面から避けるか、攻略するしかないんだ。
ごくりと唾をのむ。
目先の敵の動作――些細な仕草すら見分けなければ勝機を逸してしまう。
彼は肺一杯にこの凍り付くような空気を吸い込み、詠唱を叫ぶ。
「強化!! ディレイ・フローザー!!!」
どっとオーラの圧が強くなると同時に、さっきまで足だけだった減速が全身へ掛かった。
まるで鎖に繋がれ拘束されているみたいだ。
これじゃ、魔杖を振れない!
「うぅ…っ!!」
叶都の近くにいたお兄様が、こちらに足を向ける。
――――あれ、叶都が微動だにしない。
さっきはちょっと動いてたのに。
そんな、そんなもしかして……。
最悪の事態が脳裏をよぎる。
「かなと…?」
焦って凝視すると、規則的に背中が上下していることが分かった。
私は無意識に詰まっていた息を吐きだした。
大丈夫、生きているみたい。
しかしその生命維持活動以外に微動だにしない。
その点、私は少しだけなら動かせる。と言っても数ミリだけれど…。
もしかして――――!!
もしかして術の効果範囲は円形に広がっていて、彼に近づくほど濃くなるのでは?
そうとなれば、間違っているかなんて考えるのではなくやってみないと。
一番最初の蜘蛛の時もそうだった。
いつだって仮説は試してみることでしか証明できない。
最後の力を振り絞って手を伸ばす。
気が付かれないよう、ゆっくりとゆっくりと彼の体温を下げる。
「はぁ…残念、僕の勝ちだよ。術を見破ったからって動けないんだから、僕がこうやって近くに行けば…ほら」
そう、一ミリも動けない。
その代わり叶都は多少動けるようになるはずだが……足は動かないようだ。
つまり、私の詰み。
「よく頑張ったねぇ、ご褒美に一息で殺してあげるよ」
彼の体内に魔力が流れ出す。私を確実に仕留めるための膨大な魔力が。
こんなに力が残っていただなんて、まるで化け物だ。
あとは祈ることしかできない。
目をぎゅっと瞑り、祈る。
お願い、成功して――――!!
「……なっ…」
衝撃はいつまでたっても来ない。その代わりにパキパキ、という音が聞こえだす。
恐る恐る目を開くと、目の前には指先が凍り始めた敵の姿があった。
成功…した……!!
「なんで…なんで凍ってるんだよ!! 完全に動けないようにした、魔杖を振らせなかったのにッ!!」
氷は指先から腕へ、そして胴体へとどんどん浸食していく。
「……!」
肩が凍り始めたころ、私たちにかかっていた術が解けた。
手をグーパーさせてみたり、足踏みしたりする。
う、動ける…!
はっと我に返る。いけない、感動している暇はなかった。
「叶都!!」
膝をついたままの叶都のもとへ駆け寄る。
目立ったひどい傷はなさそう。
「大丈夫!?」
「…あ、うん。…っていうか、なにしたの? あれ…」
死に限りなく近づいたことからの恐怖か、私が彼をどうにかできたことへの驚きかは分からないが、叶都は少しぼんやりとしていた。
そしてゆっくりと立ち上がり、これから氷像となるであろう男を指さす。
ひとまず無事そうで本当に良かった。
「気付かれないくらいゆっくりゆっくり温度を下げたの。そうすると本来凍る温度になっても凍らない。そこに強い衝撃が加わると一気に凍るっていう……」
昔本で読んだ知識を応用した。人に使えるかは分からなかったから、一か八かの賭けだったが。
体温が下がっているということに気が付かれなかったのが幸いだ。
ここ、ニヴルヘイムの気温のせいで寒さの感覚が麻痺していたのだろう。わからないけど。
「過冷却ってやつだっけ」
「そう、それ。 本当はもっとゆっくり温度下げなきゃだめだし、なにせ初めてだったからまさか成功するとは思わなかったけど――――」
そこはおそらく魔術パワーだろう。
『魔術とは理屈よりも人の思いに従う』いつかお姉ちゃんが言っていた。
正直死んだかと思った。成功してよかった、本当に。
「なるほど、僕が勢いよく魔力を流したから…それがトリガーとなって凍ったわけか」
私と叶都の会話を聞いていたようで、男は独り言のように零す。
僕は自分で自分にとどめを刺したのか、と悔しそうにうつむいた。
彼の体はすでに鎖骨まで氷に蝕まれており、身動き一つとることができない。なんとも滑稽な姿だ。
「ちょっ…叶都…?」
それを見た叶都はなにを思ったのか、男に近づいていく。
そしてぐいっと顔を近づけ、言った。
「ざまあ見ろ」
吐き捨てられた言葉にお兄様の表情がゆがむ。
背中側なので叶都の表情は見えないけど、きっとすごくムカつく顔をしているのだろう。
何故か分からないが、ほんの…ほんの少しだけ心が軽くなったような。
たぶん、気のせいだ。
「…扉まであとちょっとだし、はやく行こ」
追手を倒したからと言って安心はできないことを思い出す。
「そうだね――――…っ!?」
叶都は私を見たとたん、耳のそばで大砲を撃たれたみたいな反応をした。
「…? どしたの」
視線の先は私の体。
自分を見ると、即座にその理由が分かった。
体からだらだらと赤黒いものが流れ、真っ白い雪の地面を染め上げる。
酷い出血だ。だけどおかしいな、あまり痛まない。
そう思った瞬間、視界がぐらりと回わり全身からふっと力が抜ける。
「凛!!」
地面に倒れ込む寸前、吸い込まれるように優しく受け止められた。
ああ、流れる血が暖かい。
いつかこんな温度を求めていた気がする。
扉まであとちょっとなのに、こんなところで倒れるわけにはいかないのに――――
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