〘十一番星〙大蛇
倒れた私に、叶都は何かの術を施す。
灯籠みたいな若葉色の光が傷口を照らしており、少し暖かく感じた。
「それ…治癒魔術……? すごいんだね」
「しゃべんな馬鹿」
「たまに口悪くなるのほんとなんなの?」
慣れているような手つき。
それはまるで怪我人の治癒係を任されていたとか、或いは自分が頻繁に怪我をしていたのだろうか――なんて想像してしまうくらいだ。
「俺は聖属性じゃないから完治させることはできない。応急処置でしかないから」
魔術をかけ終え、包帯でぎゅっと縛る。
「…っうぅ」
思い切りぎゅっと締まり、鋭い痛みが走る。嫌なタイミングで感覚が戻ってきた。
止血するためには仕方ないと分かってはいるのだが、痛いものは痛い。
「とりあえずこれで血は止まったはず」と一旦処置を終え、背中に背負われる。
扉へ向かうのだろう、氷像に背を向けた叶都に私は「少し止まって」の意思を込めて少し体重を乗せた。
「ねぇ…おにーさま」
「しゃべんなって言ったじゃん」
そう言いつつちゃんと足を止めてくれる、優しい人。
「なんでわざわざ追ってきたの? 殺すつもりだったなら必要ないでしょ?」
ずっと気になっていた。
人身売買――買い手からの注文はキャンセルされたはず。それなのになぜ追ってきたのか。
ぼんやりした脳と回らない舌で、尋ねる。
「……大した理由じゃない。お前のその魔杖、きっと高く売れるだろうからなぁ。それだけ盗んでくつもりだった」
まさかレイチェルがこんなに術の扱いを教え込んでるとは思わなかったんだよ、とうつむく。
「言い訳にはなるが、僕は反対したんだ。だがあいつがヒステリックになって暴れるからな…」
あいつ、とはもしやお姉様のことだろうか。
確かに否が応でも自分の意思を押し通す人だとは思っていたけど、ヒステリックというのは少し意外だ。
「そんなにお金が必要なの?」
「じゃなきゃ人身売買になんて手ェださねぇよ。……僕は、魔術師としてやっていけるだけの才能がなかった」
悲しそうに俯く。
あれだけ強い固有魔術を編み出せるのにそれでも不十分とは、魔術師の世界はどれだけ厳しいのだろうか。
「……そっか、納得。あ、でも許したわけじゃないからね」
絶対、あの地獄を忘れてなんてやらない。
私本当は知っていたのだ。
お姉様の「何かを望むのは悪いこと」という教えは、私を支配するための嘘にすぎないこと。
知っていたのに、気が付いていたのに、私は目を背けたのだ。
だって、その方が苦しくなかったから。
「凛、行くよ。早く街の病院で見てもらわなきゃ――――」
叶都が一歩を踏み出したその瞬間、突如膨大な気配が現れる。
目、耳、肌――――気配を感じ取るための全ての器官がヒリつくような禍々しいそれに、この場にいる全員が息を呑んだ。
「魔物……!?」
そんな、戦える力なんてもう誰にも残ってないっていうのに……
木の陰から現れた、ドラゴンと見まがうほどの巨体をうねらせる黒蛇。
「…な…! そんなわけあるか!! あれは…」
「お前…この蛇についてなにか知ってるのか!?」
氷像になりかけの男は、震える声でその名を口にした。
「あれは……『嘲笑する虐殺者』ニーズヘッド…!!」
「ニーズヘッド…?」
どこかで聞いたことのある名前だ。
私と同じような白い髪をした誰かが言っていたような…。
それは誰だった? いつの話? 頭に霧がかかっていて思い出せない。
そんなぼんやりした頭でも、この蛇の威圧感は強く感じる。オーラだけで何人か殺めているのではないかと思うほどだ。
この魔物はどれだけの時間を生きてきたのだろう、想像もつかない。
「お前!! ニーズヘッドの能力とか…ほかに知っていることは!? なんでもいい!!」
叶都は焦りから声を荒げる。
「僕も都市伝説程度にしか知らないが…最も悪食な魔物らしい…!! 死者の魂を食らうとかなんとか…」
「死者の魂…? じゃあなんでこんなところに…」
ニーズヘッドはお兄様に向けて炎のような、毒のような煙を口から吐き出す。
私はまずいと思ってとっさに氷を解かした。
「ヒ…ヒィッ!」
彼は反動で倒れる。
おかげで煙が当たるか当たらないかのギリギリで回避できた。
煙の当たった木の幹はどろりと溶け、ミシミシと音を立てて倒れる。
ゆうに私の腰回りの二十倍はありそうなあの太い幹が、一撃で折られてしまった。なんてパワーだ。
これが自分に当たったらと考えると背筋が凍る。
「なっ、なんで助けた!! さっき許さないって言ってたじゃないか…」
彼は目を白黒させながら逃げる。
「勘違いしないで!! もしあなたが死んだらこの魔物の餌になるんでしょ、そしたらもっと強くなっちゃうかもしれないから!!」
「あんま叫ぶな死ぬぞ!」
もう大混乱だ。
私含め、みんな頭が正常に機能していない。
どうする、どうする!?
走って逃げたところで、きっと追いつかれてゲームオーバーだ。いや、追いつかれるとかそれ以前に炎で焼かれてしまうか。
お兄様みたいに、この蛇も凍らせる?
……恐らく無理だろう。戦闘経験わずか数日の私にもわかる。
格が違うということが。
「…っ! りん、凛!! 避けろ!!!」
大声とともに叶都に投げ飛ばされ、私は無様にも地面に転がった。
後ろにあった木に、勢いのまま背中を打つ。
ほね、骨が無事じゃない気がする。
そんなことを思ったコンマ数秒後、裂けるような痛みに襲われ私は意識を手放した。
☆ ☆ ☆
ピクリと動いた手が偶然魔杖に当たった、そんな微かな衝撃により目が覚める。
一体なにがあって――――
「うっ…!!」
耐え難い激痛が走り、一気に意識が浮上する。
お兄様に撃たれた傷だけじゃない、これは……。
背中の痛みの正体に気が付いたと同時に、気絶する前のすべてを思い出す。
私はどのくらい意識がなかった……?
ぐっと痛みをこらえながら起き上がり、周りを見渡す。
お兄様の姿はない。
食べられて……しまったのだろうか?
いや、あのしぶといお兄様だ。きっと逃げたに違いない。
今はそう思うことにするべきだと判断した。
そうだ、私叶都に投げ飛ばされたはず。肝心の彼は一体どこに――――
さっきまで私を背負っていた彼は琥珀色の目をぴったりと閉じ、無気力に横たわっていた。
深く衝動的な絶望感に襲われる。
「叶都……!?」
体をゆすってみるが、反応はない。
服越しに少し触れただけでもわかる、さっきおぶられていた時より明らかに低い体温。
急に現実を突き付けられた気がした。
本当に……本当に死んでしまったのだろうか……?
気付いてしまった。
呼吸をしていない。
よく見たら、木の破片が頭部に突き刺さっている。
胸が痛い。
心臓を素手でがっと捕まれたらきっとこんな感じだろう。
背後に膨大な気配を感じて我に返り、上手く機能していない脳であれこれ考える。
そうだ、まずはニーズヘッドから少しでも距離を取らなくちゃ……。
扉のある方向を見ると、瓦礫で道が道ではなくなっていた。
仕方がないので逆方向へ叶都を引きずり、逃げる。
「あ…あれ…? 死んでるんだったら叶都置いて私一人で逃げた方が速い…? …もうわかんないや……」
背中が木にぶつかる。これ以上下がれない。
おわった、終わった。まさに袋の鼠といった感じだ。
最後の藻掻きとして、凍らせられるか試そう。
禍々しい怪物へ魔杖を向ける。
恐怖のせいか疲労せいか、あるいは両方か――手の震えとともに魔杖がカチャカチャと音を立てる。
あ、だめだ。
まだ魔力は残っているはずなのに、術を練ることができない。
術を酷使したせいで出力するゲートがいかれてしまったみたいだ。
さっきまでの「絶対に負けられない」なんて威勢はどこに行ったのかなんて思いとは裏腹に、ふっと全身の力が抜ける。
私は知った。
どれだけ生への執着があっても、圧倒的な力の前では戦意が失せてしまう。
「――――だってこんなの…勝てるわけない」
災難な人生だった。来世は幸せに生きられるかな…なんて。
たった二十数年――人間に合わせた数え方をすれば十三歳。短い生涯だ。
私何考えてるんだろ、ほかにできることがあるだろって、誰かに怒られそうだ。
ニーズヘッドが巨大な口を更にぐぱっと開き、炎を吐く準備をしている。
炎のエネルギーが球状にチャージされる様子が、まるでスローモーションのように見える。
しかし体は動かない。
頭からこびりついて離れない、あの夢の事を思い出す。
夜の大空に、散りばめられた沢山の宝石がきらめいていた。
星って言うんだっけ、一度だけでいいから、本物を見たかったな。
死を覚悟した瞬間、ぐつぐつと沸騰するみたいな音が聞こえだす。
幻聴……? いや、違う。
目を開けると、私が引きずってきた叶都の傷が若干癒えていることに気が付いた。
一体、何が――――
指がぴくりと動いたと思ったら、彼はゆるりと立ち上がり、頭に刺さった破片をなんの躊躇もなく引き抜いた。
その瞬間、鮮やかな赤が噴き出す。
こんなに多くの量、失血死してもおかしくない。
しかしそれもすぐに収まり、傷口がぐにゃりと歪んでふさがった。
驚きとも名付けられない感情。
「あーあ。隠しとくつもりだったんだけどな」
呆れたように、だけど少し愉しそうに彼は笑う。
叶都は生き返った。
元から生きていたのではない、言葉の通り生き返ったのだ。
「な…なんで…?」
信じられない。
私はまだ気を失っていて、夢を見ているんじゃないか?
「脳が死ぬと再生すんの。一回だけね、二度はない」
当たり前のように淡々と話す叶都に、私は少し恐怖をおぼえた。
私の目をまっすぐ見つめるその琥珀色に温度はない。
暖かくない、だが冷たくもない――――機械的な視線。
私はかつて読んだ本にあった記述を思い出す。
「それって……」
“
血を栄養とする、生者とアンデッドの中間的存在なんて言われている。
心臓がだめにならない限り死なないこと、身体能力が高いこと――――彼が吸血鬼だとすれば納得できてしまう。
だけど普通に日の下を歩いていたし、彼は十字架のピアスを付けている。たしか、吸血鬼は十字架が苦手なのではなかったか。
他にも違和感は多い。
まさかゾンビ? なんなんだ、この人は。
得体の知れないものを目の前にして、私はただただ立ち尽くしていた。
――――って、そんな場合じゃない。
ニーズヘッドが今にも煙を吐こうとしている。
避けられない、間に合わない。
「ふっ!!」
とっさに氷の壁を作る。
火事場の馬鹿力というやつか、術を練れた……!!
人というのは窮地に立たされるとリミッターが解除され、いつもより力が出せると読んだが、本当みたいだ。
「は、はは…」
しかし相手の火力が規格外なこと、そして炎系なことで相性はとことん悪い。
そして今日はもう、おそらく魔術は使えない。つまり長くは耐えられない!!
「だめ……あと良くて二発しか耐えられない。最悪の場合次で死ぬ……ねぇ、人を転送することはできないんだよね?」
最後の一手、これが無理なら本当に今度こそ終わってしまう。
「できないこともないけど、俺の魔力量じゃ足りない」
私は体力も精神も限界なのに、彼は残酷な事実を淡々と吐き捨てる。
「……私の魔力量なら…足りる?」
自分で言っておいて何だが、突拍子もない考えだと思う。
しかし条件は揃っている。
私の魔術の出力ゲートは限界だけれど、魔力はまだまだ余っている。
それに私の魔力量がとてつもなく多いことは、私が一番知っている。
「足りると思うけど何を……まさか」
こいつ正気か、とでも言いたげな怪訝な顔をされる。
分かる、私もそう思う。
だけどこれしかないのだから仕方ないのだ。
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