〘二十七番星〙魔導師
痛いのは嫌いだ。
刃物に貫かれるような鋭いものはもちろん、快楽にもなり得る鈍痛だって、そして焼けるように冷たいものも。
けれど一番嫌なのは、そういった傷を負った後のシャワーだ。
痛みの強さは傷ができた瞬間に勝らずとも、自分でわざわざ痛むことをしてそれを我慢しなくてはならないから。
そして私はそれを、きっと四六時中体験していた。
しかし昨日、暖かいベッドで眠ったことによって、なんだかそれが和らいだ気がしたのだ。
もう我慢はしたくない。
けれど、甘美な生活を知ってしまえばもう昔には戻れない。
誰か私に言ってくれないだろうか、「君は十分強かった」と。
そしたらきっと、すべてを捨てて生まれ変わることができる。
「――――…ちゃん、凛ちゃん」
スズメのさえずりとともに耳に入ってきたのは、柔らかくも芯のある声。
眩しくて細めた視界に映るのはまるではちみつのような金髪だった。
「名奈ちゃん…?」
思い浮かんだ人物とは違う髪色だったことに、若干残念に思った。
まだ霞のかかった頭でそれらしき言葉を口にすれば、私を覗き込むまるで妖精のような少女はふわりと微笑む。
「おはよう凛ちゃん。今日はいい天気だよ」
その言葉は会話を途切れさせないためのものではなく、純粋にそのままの意味だった。
数回まばたきをしてはっきりしてきた視界。窓の外に目をやると、チカチカするほどに鮮やかな青が広がっている。
今日でこの街に到着してから四日。
申し訳なくもありがたいことに、私たちは彼女の家に居候させてもらえることになったのだ。
スポットさんのおかげで大分傷も癒え、体を満足に動かせるようにもなっていた。
とは言え無茶は禁物、何かあればすぐに傷が開いてしまいかねないので注意しろ、と彼は何度も忠告する。
そういえば驚くほど治りが早い、とも言っていたっけ。
布団から出て階段をおり、顔を洗ったら朝食。
こんなにいい暮らしをさせてもらって、二人には頭が上がらない。
「……本当にいいんですか? 住まわせてもらう上に三食…」
「このままずっとって訳にはいかないけど、しばらくなら大丈夫だよ。こう見えて私B級魔導師なんだから!」
トーストを嚥下してから、自信ありげに答えた。
私は言っている意味が理解できないので、叶都の顔を見る。
「びーきゅうまどーし、ってなに?」
三人は私の言葉にぽかんとした後、すぐに納得したように話し始める。
「じゃあまず『魔導師』っていうのはわかる?」
「えっと……。魔術師の別名…かな」
「惜しい! 凛さんの思う魔術師や魔法師に加え、僕のような魔癒師や召喚師など――魔力を取り扱う職の総称です」
スポットさんの難しい説明に、名奈ちゃんが「ナスや玉ねぎをまとめて『野菜』って呼ぶようなものだね」と分かりやすくまとめてくれた。
なるほど、それなら分かる。
「そんでその魔導師の強さを分かりやすく分類してるんだよ、級っていうランクでね」
「へえ…それは便利そうだね。じゃあBってどのくらいなんですか?」
純粋な疑問。
あの人間になり損ねた怪物を、いとも簡単に討伐してしまった彼女の、客観的に見た強さが知りたくなったのだ。
「そうだね……下から順番に考える方がわかりやすいかな」
そう言って説明を始める。
D級は戦闘経験のない一般人レベル。
C級はアマチュア冒険者レベル。
B級は手練れ冒険者、政府公認資格所持者レベル。
A級は政府直属レベル。
S級はA級戦士でも手に負えないレベル。つまり例外的な強さを有する者。
そしてこれらの間に準級も存在するのだとか。
強さの基準は魔術師や魔癒師――――職分ごとに異なるそう。
「……え、それってものすごくすごいんじゃ」
「ふふ、実はそうなんだよ~。でもポットの方がもっとすごいよ」
名奈ちゃんはスポットさんに期待のこもった眼差しを向ける。
「一応準A級の称号をいただいてますけど…僕の実力というよりは、希少な聖術師だからというだけですよ」
彼は困ったように眉尻を下げた。
「つまりね。私たちは強いから、珍しい魔獣とかを狩ることができるの。だから結構収入は安定してるんだ」
だからしばらくくらいなら私たちが居候していても問題ない、と。
その上「お金の使い道が魔道具くらいしかない」とまで言ってくれて。
「……私、いつか名奈ちゃんと一緒にお仕事できるくらい強くなりたいです」
いつか必ずこの恩を返したい。あわよくばあなたたちの隣で。
ふたりは顔を見合わせて目をぱちくりした後、優しく微笑んだ。
「期待してるね」
「……はい!」
嬉しい。
来るかもわからない未来を待っていてくれる人がいること。
そうだ、最初からそうだった。
明日を一緒に歩いてくれる人に出会えて、私は幸せだった。
「そうだ、凛ちゃん!今日私についてくる?」
トーストを一旦お皿において、名案!と手を叩く。
「ちょっ名奈さん!?凛さんはまだある程度安静にしてないと」
「大丈夫だいじょうぶ。見学だし、今日は戦う予定ないよ」
そう言って名奈ちゃんはミルクコーヒーを噴き出す勢いだったスポットさんを落ち着かせる。
「ほんとに?いいんですか…!?」
「わぁ、すごいキラキラした目」
――――ということで、同行させてもらえることになった。
☆ ☆ ☆
「あっ、ななおねぇちゃだ! おはよう~!」
感情に連動して動く猫の耳、ふわふわのしっぽ。獣人の幼い少女だ。
「シヤーちゃん、おはよう。キンダーガーデンに行く途中?」
「そうだよ!今日こそいちばんのりするんだ~」
「ふふ、そっかぁ。それじゃあおねえちゃんとお話してる時間はないかな」
ぽく、ぽくと少し考えてから、思い出したように飛び上がる。
「そうだった!おねぇちゃまたお話してね!!」
そうしたら獣人らしくすばやい足で通りを曲がって行った。
彼女のお母さんは名奈ちゃんに会釈をしてから、すぐに追いかける。
名奈ちゃんが大きく手を振って「気を付けてね~!」と叫ぶと、ふたつの後ろ姿も手を振った。
「好かれてるんだね」
通り過ぎるいろんな人と挨拶を交わす彼女は、この街の人々と相当親しいらしい。
「……そんなことないよ、ほんとに」
もう見えない親子の後ろ姿を追う名奈ちゃんの瞳は、すこし寂しそうに見えた。
何回か道を曲がり大通りに出る。
あの速くて強そうな四角い箱は車と呼ぶらしい。
いろんな形や色があって、種類もたくさんあるようだ。
「名奈ちゃん、ずっと思ってたんだけどあれ、なに?」
空に走る光の筋を指さす。
色の違うものが数本、別の方向へ伸びている。
よくよく見ると人や車などが乗っていて、まるで道のようだと思っていた。
「あれはエアロードだよ。地上の道が混雑しないように建設されたの。ほんの十年前はあんなのなかったのに…科学と魔術の進歩って恐ろしいよね」
「名奈ちゃんは乗ったことあるの?」
「あるよ~!速いし眺めがいいんだ。機会があったら凛ちゃんも一緒に乗ろうね」
どうやら近頃の社会は魔術よりも科学に重きを置いているようで、魔導師の数が減ってきていて大変だという話を聞く。
確かにこの世の中には魔術を使えない人が約半数いるわけだし、魔導エネルギーよりも電気などを使った方が便利だろう。
子どもたちの将来の夢ランキングも、コンピューターエンジニアなどが上位を占めているのだとか。
私は魔導師もかっこいいと思うのだけどなぁ。
「ほら、着いたよ」
歩道上に並ぶ店のうちのひとつ。
ブラウンとグリーンを基調としたデザインで、カントリースタイルの小さめな建物。
洒落た丸い看板には「Alchimie」と書いてある。
名奈ちゃんは躊躇なくドアを開け、店に足を踏み入れた。
「おはようビジュー!」
カウンターで小瓶の整理をしていたのは、肩上ほどの黒髪が外にハネた女性。
毛先にかかってミント色のグラデーションに染められている。
彼女は名奈ちゃんの声で振り向き大きく手を振った。
「ルナちゃんおはよう!一週間ぶりだね!!」
斜めにカットされた特徴的な前髪に、私は少し驚いた。
「うん…?ルナって誰のこと?」
そう言えばあのいけ好かない騎士さんにも言っていたっけ。
「あんまり大声では言えないけど、私の偽名だよ。ナナ・アイボリーが魔物狩りとかやんちゃしてるって世に知られたら、おうちに迷惑かけちゃうから…」
家とそりが合わなくて抜け出してきたと言っていたけれど、大切には思っているらしい。
「まああたしにはバレてるけどね」
「それはビジューがアイボリーの魔鉱石マニアだからでしょ」
軽い言い合いを見て、二人は仲が良いのだなと感じる。
「っていうか今日は一人じゃないんだ、珍しい!」
彼女の視線が私に向けられる。
鮮やかなオレンジ色の瞳は潤い煌めいていた。
「初めまして、凛です。今は名奈ちゃんのところに住まわせてもらっていて…」
「えぇーっ!?ルナちゃんまだそんなことしてたの?」
お人好しもここまでくると怖いよね、と困ったように笑う。
名奈ちゃんはむすっとした顔でそっちも自己紹介をしろ、とつついた。
「あたしはビジュー・ド・ルフェーブル。魔鉱石や薬草をこよなく愛す、マゼラン随一の錬金術師!よろしくね」
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