〘二十六番星〙日常
電車に乗って、その後バスに乗って、マゼランに到着したのはどっぷりと日が暮れてからだった。
冷たい空気と香り立つ煙の匂いが鼻をくすぐる。
駅を出るとそこは見たこともない都会で、数え切れないほどたくさんの窓から光が漏れている。
ビル群を通り過ぎ、人を避けながら進んだ先には、洋風の小さな家があった。
清潔感のある白い石積みの壁と、屋根のビリジアン色が目を引く。
無駄な装飾がない、コンパクトで洗練されたデザインである。
「着いたよ~。そこ段差あるから気を付けてね」
玄関までの間に小さな階段があった。壁と同じ白色の手すりはサラサラしていて触り心地が良い。
重たい脚をどうにか上げて、着実に段を上っていく。
「ここは名奈さんの家なんですか?」
「元は僕のだったんですが、ちょっと事情があって…今は名奈さんと一緒に暮らしてます」
「事情…ですか」
どいつもこいつも面倒な事情抱えてるんだな、なんて叶都は苦笑いする。
叶都も人のこと言えなさそうだけれど、口には出さないでおいた。
最後の段を上り切り顔を上げると、そこにはダークブラウンのドアが待っていた。
上部には暖かそうなオレンジ色の灯りが取り付けられ、私たちを温かく迎え入れている。
肌寒い夜であるにもかかわらず、この家の周りだけは何だかぽかぽかとしているようだった。
「ただいま~」
「あっ、どうぞあがってください」
「お、おじゃましまーす…」
ブーツの紐を緩めて脱いで、はじっこにそろえる。
そう、こういう細かなところに人格が出るのだから気を付けろ、と教わってきた。
ナチュラルなフローリングを踏みしめ、二人のあとをついていく。
「ここがリビングです」
スポットさんがドアを開ける。
広い空間には、テーブルとそれを囲うように配置された五脚のイス。テーブルはそれなりの大きさだが、部屋がとても広いせいでポツンとたたずんでいるようだ。
壁際には棚があり、そこにはスポットさんの医学書や小さな魔道具が置かれている。
ガラスで仕切られた向こう側には清潔なキッチンが広がっていた。
本当に、必要最低限の物のみが存在する感じだ。
「なんか…すごく広いね」
「ああ、うん。もともとはシェアハウス用だったらしいからね~、実際たまにそういう使い方してるし」
「そうじゃなくて…」
「『外から見た家のサイズ感よりも広くないか?』って聞きたいの?」
私が言いたかったことをそのまま言い当ててくれた。ありがとう叶都。
「あ~…それね、空間拡張魔術がかかってるんだよ」
――――くうかん…かくちょ…?
聞きなれない言葉に戸惑う私に、「よくリュックサックなどにかけられているものですよ」と教えてくれるスポットさん。
私のリュックにも使われているので理解できた。なるほど、それの家バージョンということか。
「やりすぎてなんだか寂寥感ある家になっちゃいましたけど…」
「そうだね。たまに人が来るとは言え普段はふたりだから」
ここまで広くしなくて良かったね、と苦笑いする。
あぁそうだ、とスポットさんは思いついたように言った。
「おふたりにはどこで寝てもらいましょうか」
さっきまでキッチンを物色していた名奈ちゃんははっとして動きを止め、指先で顎をなぞる。
「この前ゲストルーム二つあるうちの一つ、物置にしちゃったもんね~…どうしよ」
「リビングに布団敷きますか」
「どっちかがかわいそうだけど、そうしてもらおっか」
「あのぅ…私がリビングで寝ます」
そろりと右手を挙げて発言する。
「ほんと? 寒くないかな」
「それは大丈夫です、寒さへの耐性はある方だと思いますし…それに、私にとっては泊めてくれるだけでありがたいので」
――――本当に、それ以上は申し訳ないです。
自分の非力さに切なくなって、どんどん音量が小さくなってしまった。
しばらく反応がないのでちゃんと聞こえたかと不安になり顔を上げる。
私はぎょっとした。名奈ちゃんが両手で口を覆いじっと私を見つめていたからだ。これは多分気のせいだけれど、若干目が潤んでいるようにも見える。
「……いい子だね…」
「え」
「明日一緒にゲストルーム片づけしようね、ちゃんと凛ちゃんのお部屋用意するから!!」
「えっ、あ…ありがとう」
駆け寄ってきて、私の両手をぎゅっと掴む。
「名奈さん、あんまり困らせちゃだめですよ」
「えぇ~、困ってないよね。ね、凛ちゃん」
迫ってくるので返答に困り苦笑いすれば、彼女は拗ねたように口を尖らせた。
☆ ☆ ☆
「そういえば、夕食どうする?」
誰が提言したのかわからないが、なぜか四人で料理することになった。
嫌ではない、というか居候させてもらう身だからこのくらいして当然なのだけど、少し……いや、かなり問題があった。
叶都は身長が高い分体が大きいから、キッチンが狭いとかで名奈ちゃんと揉めるのだ。
「叶都くんが大きいせいだよ、なんかこう…もっとコンパクトにできないの?」
「無茶言わないでください。――――ああでも、名奈さんが魔術で俺を小さくすれば
いいんじゃないですか?そんな高度な術が使えるなら、ですけど。」
頭の悪い会話をしていて可笑しいな、と思ったら叶都が煽り出すし。
挑発する方もだけど、喧嘩を買うのやめないか。火に油を注ぐような真似は勘弁してほしい。
他にも、料理の経験がない私が切ったにんじんが不格好すぎたり。
名奈ちゃんが冷蔵庫から取り出したお肉が「アルミラージ」というウサギ型だけど凶暴な魔獣の肉だったり。
そんなものどこで入手したのかとスポットさんが問い詰めれば、仕事のお裾分けだと答えた。
害のある魔獣を狩り、それを錬金術師やギルドに売るという商売をしているらしい。
アルミラージは小型だが凶暴である上素早い。容易にとらえられる魔獣ではないはずなのに、簡単に「お裾分け」だなんて言える彼女はやはりすごい。
スムーズに進んだ訳では全くないが、すべての料理が食卓に並べられた。
香ばしく焼かれたベーコンとみずみずしいレタスのサラダ、先ほどレンチンしたばかりのアツアツコロッケ、そしてひと悶着あった魔獣肉のクリームシチュー。
シチューからもくもくあがる湯気から、食指をそそるまろやかな匂いが鼻をかすめる。
テーブルに食器を置く時の音が耳に心地よい。
暖色の照明に照らされ反射する陶器の器は、リビングの雰囲気をさらに暖かいものにしていた。
「コロッケ、出来合いの物でごめんね。時間なくて…」
席についてから、名奈ちゃんは眉尻を下げ申し訳なさそうに笑う。
全然大丈夫、私はそう言おうとしてやめた。気にしないとかそういう話ではないからだ。
こんなご馳走初めて見た。それに、泊めてもらうと決まってから申し訳なくて仕方がなかった気持ちは、それ以上のものに見事に吹き飛ばされたのだ。
この気持ちをどうやったら伝えられる?
何をもって返せばいい?
生憎私は、泣きたくなるほどの感謝を綺麗に伝えるための語彙を、そして報いるだけの力を持ち合わせていない。
「えっと…私、ほんとにこんなに豪華なごはん食べていいんですか? あっ、明日!あしたは何をしたらいいですか。私にできることならなんでもしますから、その…」
違う、私こんなことを言いたいんじゃない。
伝わらないことが苦しいのは知っていたけど、「伝えられない」ことがこんなにもどかしいだなんて知らなかった。
ひとり葛藤する私にスポットさんが近づいてきた。鳥のように目を見開いていたのを、すぐに真剣な面持ちに変えて。
「だいじょうぶ、大丈夫です。これからは一日三回、おいしいごはんを食べましょう」
幼い子どもを宥めるように、あたたかい右手で優しくゆっくり背中をさする。
「さん…三回も」
「そう。ああ、三時にはおやつも食べますか? 名奈さんがよくドーナツを買ってくるんです。一緒に食べてくれたら、きっと名奈さん喜びます。もちろん僕も」
甘い言葉につい縋るような視線をおくってしまっても、彼は呆れるでも身を引くでもなく支えてくれている。
まるで『ただ事実を並べているだけだ』とでも言うように。
「大丈夫。お腹一杯になるまで食べても、暖かい所で眠っても――幸せになっても。文句を言う人は、ここには一人だっていません」
そう、なのだろうか。
それが本当だとしたら、あれから目を背けても…ダメじゃない――――?
冷たさを通り過ぎて熱くなった指先、
素足で踏む氷のようなフローリング、
冷気の吸いすぎでキリキリと痛む喉。
さみしくて寒い夜が、乾いた砂のように流れて消えてゆく。
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